064 黒霊との遭遇
駆けだしたピストンを見送った後、その場に残されたエリーゼは、慌てて此方へと駆け寄ってきたサライ=メンヒィルと共に帰路を歩いていた。
突然の出来事に気が動転する彼女であったが、離れていた場所で待機していたサライは全てを承知の上で彼女を落ち着かせる事を優先する。
「ま、相手がどうあれ、あの"ピストン=セクス"なら問題ないですよ。心配は無用です」
「そう、かしら……」
「ええ」
紅玉騎士団の襲撃事件。この事件の渦中にあったのがピストン=セクスだという事は、サライも耳にしていた。
三英雄の一人、ヨルガ=ディン=カードが手古摺った相手を彼は打倒したと言う。この事実は、ヨルガという老兵の実力を知る者からは高く評価されていた。
サライ=メンヒィルという男もまた、彼を評価する一人。
言葉には出さなかったが、初めて会った時からピストン=セクスの事を一目置いて見ていたのだった。
「……アレクセイは?」
しかし、それでもエリーゼの不安は消えない。
姿を見せぬ黄玉弓士団の団長を指して、サライへと言葉少なめに問い掛ける。
「一度隠れちまった団長は、俺でも発見するのは難しいです。けど、今の事態は遠くから把握している筈ですよ」
「邪険に扱ったから、怒ってるとか……?」
「無い無い! アイツはそういう玉じゃないですよ!」
「……」
「隠れてるから、良いんです。筋肉だるまの奴の真骨頂は狩りにあります。遠距離からの狙撃。【鷹の目】を持った奴が、此方を見逃す筈がない」
「……そこまで、言うのなら」
信じてみるわ。
と、エリーゼは小さく口にする。
そんな彼女を見て、内心でホッと安堵の息を吐くサライ。
己が団長の事を信じてはいるが、しかし、彼もまた心中では嫌な予感がしていた。所謂、虫の知らせという奴だ。
――この場には余り、長居はしたくない。
頬に伝う冷たい汗を感じながら、彼はエリーゼを連れて、バームの屋敷へと急ぐのだった。
◆
「やっと、戻って来れた……」
遠目にバームの屋敷を視認しながら、エリーゼ=ルマンドは弱々しくそう呟く。
すぐそこにある安全地帯。
普通であれば、安心感を抱く所ではあるが――
「――お待ちを」
「サライ?」
「……何か、変だ。……静か過ぎる」
ソレに違和感を覚えたサライが、己の中の警鐘に従い、歩き出そうとしたエリーゼの足を止めさせる。
音と言う音が消えた屋敷。
真夜中だからか?。
いいや、そんな事は無い。
あそこには黄玉弓士団の団員達も詰めているのだ。
寝ずの番をしている者もいる。
「この静寂は――異常だ」
「……」
震える様な声で呟くサライ。
彼のそんな様子に、エリーゼもまた表情を強張らせる。
そんな時である。
「――誰だ?」
「え……?」
「何かが、暗闇の中に――いるッ!」
「――ッ!」
サライ=メンヒィルの視界の先、闇の影より、漆黒の靴先が出現した。二本の足で此方へと歩み寄ってくるソレは、闇より溶け込んだ黒き荊の鎧である。
まるで、幻影の様な光景だった。
ぽたぽたと。
全身がナニカの液体に濡れた甲冑は、地面に雫を落としながら、物言わずに此方へと近付いてくる。
頭部にはボサボサとした純黒の髪が流れている。顔に張り付いた鴉の様な仮面が、このナニカを怪異として昇華していた。
全身から立ち上る、悪夢のような殺気。
見るだけで怖気が走るその存在を目の当たりにして――二人はその場で、身体を硬直させる。
――漆黒の幽鬼。
言葉ではなく、肌で感じて理解する。
コイツだ、と。
コイツが巷で騒ぎを起こしている、例の一団。
――その、首魁だと。
「……出逢ってしまったか。致し方ない……」
淡々とした口調で、目の前の鴉面が喋る。
引き抜くは葬送の黒剣。
向かうは此方。
漆黒の影がブレた瞬間、驚異的な速度でサライへと突進を仕掛ける鴉面の男。
星の光に照らされ、甲冑に付着した液体が誰かの返り血だと理解した時――サライは黄泉の国へと足を突っ込んでいた。
身動ぎすら出来ずに、命を刈り取られる。
直感した、その時だ。
「!」
飛来した矢の一射により、鴉面の男はサライへの攻撃を中断。即座にその場から間合いを離す。
「……これは」
「――アレクセイ!」
遠距離からの支援により、息を吹き返す様にサライは叫ぶ。
同時に彼は、この場からの即時離脱を考えた。
矢による足止めは、今もまだ連続して続いている。
撤退するなら、今しかない。
「逃げるぞ、嬢ちゃん!!」
「え、えぇ……ッ!」
未だ状況を飲み込めていないエリーゼであったが、この場にいては自身の命が無い事くらいは分かる。
手を取って、その場から駆け出す二人。
「面倒だ」
飛来する矢を剣を片手に弾きながら、鴉面の男は空いた左手を前方へと伸ばした。
「!!」
魔術による攻撃かと、身を固めるサライ。
その予想は間違ってはいなかったが――
しかし、対象は違った。
「――ブラック・ラックメア」
呟くと同時に、鴉面の男の左腕。その人差し指より黒い雫が溜まっていく。徐々に体積を増していくソレは、掌大。否、それ以上の大きさに膨れていく。膨張した黒丸は重力を感じさせぬ緩やかさで指先より離れ、地面へと落下する。
パシャリと、黒き液体が石畳の地面を汚した瞬間。何もなかった筈の地面より、立体的な影が盛り上がる。
それは、人の影であった。
「……馬鹿な」
影は放心する様に、呟いた。
黒き液体が徐々にその身から取れていく。
そこに現れたのはアレクセイ=アンドロメドラ、その人。
「――ッ!? アレクセイ――ッ!!」
「……ッ」
異変に気付いたサライは、振り返りながらその名を叫ぶ。
けれど、それも全ては遅かった。
振り被られた黒剣。
自身の手足が地面より伸びた黒き枷に拘束されている事に気付いた彼は――刃の軌跡を目で追った。
――アレクセイの首が、宙に舞う。
遠くから聞こえるエリーゼ=ルマンドの悲鳴を耳にしながら、黄玉弓士団の団長は戦死した。
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