10-6 最初と最後と、永遠の誓い
俺と真白ちゃんの婚約で、小野寺内の『若様派』と『若社長派』の対立は解消された。
喜ぶべきことだった。
俺は争い事は好まないのだ。
なのに、なぜ、どうして、人は派閥を作りたがるのだろう。
今度は『和装・神前式派』と『洋装・教会婚派』が小野寺を真っ二つにした。
それは俺と真白ちゃんの結婚式をどちらの様式で行うか、についての不毛な戦いだった。
新婦である真白ちゃんが、どちらかに決めれば、こんな争いはなくなるだろうに、その彼女が迷ってしまったのだ。
当初は、洋装・教会婚で決まりだと思っていた。
真白ちゃんが、俺の燕尾服姿をいたく気に入っていたからだ。
しかし、うっかり、紋付羽織袴を試着してしまったせいで、和装・神前式のプランが浮上してきてしまったのだ。
おまけに、洋装・教会婚派ですら、ドレスの形で派閥が出来、和装・神前式派の中でも、綿帽子派、角隠派、白無垢派、黒引き振袖派などの傍流が発生し、もはや収集が付かないことになってしまった。
今後の経営方針を話し合う役員会議で、二十年も三十年も昔の重役達の結婚写真を見せられる羽目になった。
みんな、我らが可愛い真白お嬢様のハレの日に口出ししたくてたまらないようだ。
ほら、彼女、人気者だから。
そんな傍から見たら、くだらない言い争いに、終止符を打ったのはジャンだった。
『何を言っている! 妖精が着るウェディングドレスは私が作るに決まっているだろう!』
世界的なデザイナーのジャンが作るドレスは拒否出来ない。
おまけに、選ぶことも意見を言うことも出来ない。
でも、それが良かった。
俺もだけど、それ以上に、すでに何十着もドレスを試着していた真白ちゃんは、さすがに疲れ果てていた。
ジャンに頼めば、お仕着せだけど、確かなドレスを仮縫いの時と本番を含めて数回、着ればいいだけなのだから。
結婚式は和装・神前式に決定した。
着物は小野寺の『奥様』、つまり真白ちゃんの祖母が結婚式に着用した白無垢になり、披露宴が洋装、ジャンの作ったドレスを着ることになった。
俺と真白ちゃんの結婚・披露宴は、個人のものでも、家族のものでもなく、もはや会社のものであり、『仕事』となっていた。
結婚式に夢を見ていたかもしれない真白ちゃんには可哀想なことをしているけど、仕方が無いのだ。
大体、真白ちゃんが結婚するに際して、雨宮家の養女になったものだから、ますます、その傾向が強まってしまったのだ。
真白ちゃんは雨宮の血縁だから、雨宮家の娘として小野寺家に嫁に入り、両家の縁を結ぶ役目を請け負ったのだ。
椛島真中は難色を示したし、俺だってそこまでしなくても良いと反対したのに、おどろくほど真白ちゃんはあっさりと椛島の名を捨てた。
『だって、どうせ、椛島から小野寺になって、もう椛島には戻らないのでしょ?
だったら、その間に、別の苗字が入たって、構いません。
雨宮家から嫁に入った方が、冬馬さんのお役に立てるのなら、是非、養女にしていただきたいです』
そうして、潔く雨宮真白になった彼女は、結婚式に対する憧れを捨て去って、ビジネスライクに徹し始めた。
親戚を中心に行われる結婚式は和装・神前式、大勢の招待客を招いて行う披露宴は、ジャンのドレスを着た洋装にして、自ら広告塔になる覚悟なのだ。
さらに、雨宮系列のホテルで披露宴を行うことで、費用も抑え込んだ。
俺も彼女も初めて知ったんだけど、式披露宴って、金がかかる。
***
「姫ちゃんが、『美女と野獣』をテーマにした披露宴にしたらどうかって」
俺のマンションで、真白ちゃんが見積書とにらめっこしていた。
「君の好きにするといいよ」
「じゃあ、却下」
友人が作ったらしい分厚い企画書を、彼女を脇にどけた。
「どうして?」
「姫ちゃんの計画だと、費用がかかりすぎるんですもの。
それに、それじゃあ、若社長が野獣だって、言ってるみた……っあ!」
口を押えた可愛い子に、俺は意地悪く笑った。
「言ったね? はい、ペナルティ」
「ええ〜」
真白ちゃんは立ち上がって、俺の方に来た。
「冬馬って呼ぶって約束しただろう?」
「慣れないんですもの。
どうしても、しないといけないですか?」
「嫌?」
「本当は、間違えて欲しいんじゃないですか?」
「そんなことないよ。君が早く、俺の名前を呼ぶのに慣れるように、訓練してあげているの」
臆面もなく、大嘘を吐いた。
俺を『若社長』と呼んだら、罰として真白ちゃんからキスをしてもらえるのだから、そりゃあ、嬉しいさ。
「きゃっ!」
真白ちゃんの腕を掴んで、自分の膝に乗せる。
「はい。どうぞ」
「もう!」
怒りながらも、彼女は俺の顎に手を添えて、大分、上手になったキスをしてくれた。
「……今日は、すべすべですね」
顎をなぞられた。
「真白ちゃんが来るから、剃っておいた」
「ふふふ」
膝の上に乗った真白ちゃんに寄りかかられ、顎を撫でられるなんて、かつては想像も出来なかった至福の展開だ。
「ねぇ、お金のことは気にしなくていいよ。
君は雨宮財閥のお嬢様なんだし」
「駄目です。そうやって、みんなで甘やかして!
いくらお金持ちだって、このご時世、よくないですよ」
「でも、あんまり切りつめると、あそこは内情火の車なんじゃないかって、変な噂が立ちそうだから、ほどほどにね。
……結婚式の準備、ほとんど、君に任せてしまって、ごめんね。
東野部長や、いろんな人に言われるんだけど、俺って、新郎として失格みたいだ」
「そんなこと! ないですよ」
弾かれたように、真白ちゃんが身体をおこした。
「ドレスの試着をしていた頃だって、いつも付き合ってくれました」
「君のドレス姿は、何度見ても楽しいからね」
真白ちゃんのウェディングドレス姿は綺麗で可愛くて、見ているだけで幸せで、何着も何着も着せ替えて……それで何も決まらなかったんだよね。
「……それに、メニューの試食だって、たくさんしてくれました」
「君と食事をするのは、いつだって楽しいよ」
何を食べても美味しいから、バイキングにすればいいんじゃない、と言ってしまい却下されたっけ。
つくづく結婚式の準備なんかに向かない男なのだ、俺は。
「……そ、それから、招待状やプログラムの相談にも熱心にのってくれました!」
「……あ〜、あれはね……つい、前職の癖で、紙質とか印刷とか、フォントが気になってしまって。
でも、あの時は、それこそ、青井、東野、戸田の三部長からの口出しが酷かった。
未だにそんな風に、外野から口出しされているんだろう?」
俺は床の上に置かれた、雨宮姫の企画書に目をやった。
これくらいは可愛いものだ。
結婚式をどちらの様式でするかどうかから始まった、様々な好意から来る助言という名の介入は、俺ですら辟易するけど、真白ちゃんの方が、言われている可能性が高いのだ。
「口出しだなんて……こういうの準備するの、初めてだから、参考になります」
そうかぁ、と内心思った。
船頭多くして山登るって言うだろう。
「プランナーさんに丸投げすればいいと思っていたけど、それでも、決めないといけないことがたくさんあるんだよね。
俺は真白ちゃんがお嫁さんに来てくれるだけで、十分なのに」
はぁ、とため息を付いて、真白ちゃんの肩に顎を載せた。
首筋に息がかかったのだろう、小さく声があがった。
「若社長は、結婚式、嫌になりました?」
「いいや、君の花嫁姿、楽しみにしているよ」
「ところで、真白ちゃん?」
「……分かってますよ!」
もう一度、キスをした。こうなってくると、気持ちが盛り上がってくるのは仕方が無いだろう。
「結婚する前に、こんな苦労して、痩せていない?」
そう言って、服の下から手を入れて、滑らかな腹を撫で、そっと臍に指を這わせた。
「あっ……! 駄目ですよ!」
「駄目?」
「そうやって、結婚式の打ち合わせに来るたびに……なんにも決まらないじゃないですか!
準備が遅れてるの、冬馬さんのせいでもあるんですからね!」
するり、と逃げられた。
「今日中に、これとこれと……それから、これも決めて下さい!
明後日から、またフランス出張なんでしょう?」
「だから、名残惜しいんじゃないか。
一緒に来てくれればいいのに」
俺が手掛けた田舎風のカフェは、なかなか順調だった。
フランスのお菓子だけではなく、日本全国から日替わり・週替わりで銘菓を取り寄せ、それをお茶請けに、美味しいコーヒーを飲みながら、ゆっくり出来るカフェとして人気が出てきた。
コンセプトが受けたのだ、と言いたいところだけど、ジャンとエリィの名前のお蔭だった。
それから、真白ちゃんの文芸同好会の元会長と元副会長による、壮大な俺との恋愛話の流布である。
そのせいで、なぜか恋が叶うカフェと言う評判が立ってしまったのだ。
これ、その内、嘘、大袈裟、紛らわしいと苦情が来ないかな。
そうそう、真白ちゃんがいつの間にか培っていた人脈によるカフェでのワークショップや、雨宮姫がいつの間にか身に着けていたイベント力による企画も好評で、つねに予約でいっぱいになる。
あの子たちには経営の才能があるかもしれない、と、雨宮の会長と小野寺の大社長が贔屓の目じりを下げていた。
エリィまでそれにのっかって、自身のプロデュースする美容と健康のハーブ講座まで始めてしまったので、夜間はカフェと言うよりも、講座の会場みたいだ。
以前、ミントを雑草と言い切った女が、どの口で? と思ったが、エリィの地元は今、薬草……ハーブ栽培にも力を入れているらしい。
「時代は六次産業よ!」と、郷土愛を隠さず、旦那と一緒に『おしゃれ』に町おこしに励んでいる。
幸せそうで何よりだ。
俺だって、コーヒーの味とお菓子には自信があるから、定着してくれると思っている。
だからこそ、定期的にフランスに行って、流行や伝統のお菓子を勉強してくる必要があるのだ。
今年はついに、時期を合わせて、マリー夫人にタルトタタンを習いに行く。
「行ってみたいけど、学祭がありますから」
「去年みたいな『可愛い』恰好でカフェの給仕をするの?」
俺は真白ちゃんが押しの強い先輩に、同級生が製作したというとびっきり『可愛い』、可愛すぎるメイド服を着せられた去年の学祭を思い出して、牽制してみた。
「着ませんよ。それに、あの服、ここにあるじゃないですか。
冬馬さんが気に入って、桐子ちゃんから貰い受けて……」
「俺一人の前ならいいの。他の男にあんな恰好を見せたくはないよ」
あれは卑怯なくらい可愛かった。出来れば、俺だけの前で見せてくれると嬉しい。
「今年はそんなことにはなりません。私が同好会の会長なんですから! 大丈夫。安心してフランスに行って来て下さい。
マリー夫人にもよろしくお伝えください。
いつか、あなたのコーヒーとお菓子が食べたいですって」
「新婚旅行で行く?」と聞くと、顔が曇った。
ああ、旅行先も揉めてるのか、と思うと、うんざりする。
「冬馬さん? 私と結婚するの、面倒だと思っているでしょう?」
ついに、真白ちゃんに言わせてしまった。
あれほど、気を付けていたのに。
「準備が面倒なんだよ。君に不満はないよ」
彼女が俺を気遣って、なるべく自分で処理してくれているのを知っている。
だからこそ、その努力を無にしたくなかった。
「みなさんのお話を聞くの、そんなに嫌ですか?
私は楽しいです。
……みなさん、ずっと昔の写真や映像を、今でも大切に持っているんです。
一度しか見ていない、とか言うけど、でも、捨てられないって。
そんな大切な思い出を、私は冬馬さんと作りたいんです」
真白ちゃんは、俺の前に戻って来て、祈るように言った。
俺は、周りの人間に、毒づいた。
俺に忠告していることと、真白ちゃんに言ってることの内容が正反対なんですが!
結婚式の準備がいかに大変で、揉め事の種になるか、後々まで嫌味を言われるか、だから、くれぐれも機嫌を損ねない様に、気を付けるべし、と散々、脅されていた。
そんな、甘酸っぱい話題なんて、聞かなかったぞ。
「俺も、花嫁姿の君の隣に座る思い出を作りたいよ」
もう一度、腰を抱き寄せると、拒絶された。
「今日は駄目ですっ!」
真白ちゃんの胸越しに、顔を見上げると、涙目で見下ろされた。
「お父さんに朝帰りがバレちゃったの」
「……嘘」
「本当です」
「……ごめん」
俺は馬鹿だ。
彼女を手に入れた嬉しさで、舞い上がって、真白ちゃんが困るのも構わず、自分の好き勝手にふるまっていた。
こっちは気ままな一人暮らしだけど、雨宮家の養女になったとしても、彼女は自分の父親と住んでいるのだ。
椛島真中が娘が嫁ぐまでの短い時間を大切にしたいと思っているのも知っているのに、その親子の時間まで俺と式の準備に費やさせてしまっている。
振り絞るように謝ると、不意に、抱きしめられた。
「そう思うなら結婚式の準備、協力して下さい。
結婚式さえ済めば一緒に住めるんですよ?
冬馬さんの側にずっといられます。
なのに、このままじゃ、式、延期になっちゃいますよ」
――だから、こんなに頑張っているんですよ。
耳元で吐息のような声で囁かれる。
うちのお嫁さんは、可愛いなぁ。
出会ってから三年は経っているはずなのに、初めて会った時と同じように新鮮で初々しい。
「分かった。
我儘言わないで、ちゃんとやるよ。
……口出し、しすぎ、って怒らないでね」
結婚式の準備は新婦の意に沿うように、アドバイスはいるけど、意見はいらない、辛抱強く話を聞いてあげて、出し渋らないこと、という忠告は誰からだったかな。
俺と真白ちゃんの結婚・披露宴である以上、最後は二人のやり方で決めていくしかないのだ。
「ウェディングケーキの試食もしないといけないんですが、フランスから戻ってきてすぐは、無理ですよね」
「……だねぇ」
懲りずに真白ちゃんを膝に乗せなおして、俺は答えた。
甘い物ばかり食べていたら、病気になりそうだ。
年が離れているので、一生仲よく過ごす『一生』を可能な限り長くするには、健康には気を付けないと。
「そもそもケーキカットとか、ファーストバイトって必要?」
「必要です! 他に何をするんですか? 披露宴なんですよ。ただみんなで集まってご飯食べるだけじゃ、場が持たないじゃないですか。
意味とか、意義とか、そういうのは深く考えないで下さい!」
怒られた。
「恥ずかしくない?」
「……私にもっと恥ずかしいことしているくせに」
俺の手が、またもや伸びて来たのを察して、真白ちゃんが焦れた。
「ちょっとだけ……三週間もご無沙汰になるんだよ?
ねぇ、ファーストバイトをやるなら、ガータートスもする?」
ついっと、剥きだしにした太ももに手を這わせると、ぴしゃりと叩かれた。
「ガータートス!? 嫌です! ……怒りますよ!」
「怒った顔も可愛いから構わないよ」
「若社長!!」
今日は本当に駄目みたいだ。他の人の押しには弱いくせに、俺の押しには強いんだから。
ペナルティのことは言わないで、真白ちゃんを離した。
「明日のデートは来てくれる?」
意地悪をしすぎたので、念のため、聞いてみる。
「……っ! はい!」
真白ちゃんの顔に喜色が広がった。
こうやって部屋でまったり互いの淹れたコーヒーを飲んで、美味しいお菓子を食べながら、俺が仕事をする横で、真白ちゃんが本を読んでいるのも、楽しいと言えば、楽しいけど、恋人時代の思い出も、いろいろ作っておきたい。
とは言っても、仕事があるので、夕食を食べに行くだけなんだけどね。
少なくとも、真白ちゃんにはそう言ってある。
明日は大事な日なのだ。
遅刻して真白ちゃんを待たせない様に、仕事は全部片付けておかないと。
それから、結婚式の見積もりにも目を通す。
引き出物と引き菓子、暫定の招待客の人数、子供の数、アレルギーの有無、席次の確認、会場の花やディスプレイの方向を決定して、その日は、真白ちゃんを家に帰す。
俺だって、独断的になりたくないだけで、決める時は決められるのだ。
***
次の日の就業終わりに、真白ちゃんと小野寺物産の入っているビルのロビーで待ち合わせしていた。
俺の新しい会社はまだ出来たばかりで小さいから、そこに間借りしている状態なのだ。
ちなみに、春から秋生がそこの社長になっているので、弟の会社に居候していることになる。
なるべく早く、独立したいものだ。
既存のものを保つのも大変だけど、新規のものを成長させるのは、並大抵の苦労ではない。
改めて一から会社を興して、大きくした母に尊敬の念を抱く。
しかし、今、俺が抱いている感情は、『今日も真白ちゃんは可愛い』だった。
少し遅れてしまって、慌ててロビーに向かうと、彼女が待っていた。
いつになく肌や髪が艶々に輝いて見える。
「お待たせ。
どうしたの? 今日はやけに綺麗だね」
「……昨日、早く帰って、パックとか、あの、いろいろしたから。早く寝られたし」
「あ……そうか、ごめん」
だから昨日、あんなに帰りたがったのか。
嬉しい。嬉しいけど、複雑な気分だ。
「服、変じゃないですか?」
一歩引いて見せてくれたが、どこが可笑しいか、俺に分かるはずがない。
ファッション誌は作っていたけど、詳しくはない。
彼女が一晩かけて熟考して選んだらしい、秋らしい深緑色のワンピースは、白い肌と黒い髪によく映えて見えた。
「いいや、よく似合っているよ。可愛いよ」
「可愛い……?」
「えっ?」
真白ちゃんがしょんぼりとした。
どうやら、俺の対応は、どこか間違っていたらしい。
見当はつくけどね。
「そう、まだまだ可愛いよ。
そんなに無理して大人びたいの?」
「冬馬さんの隣に立つのに、相応しい女の人になりたいんですもの」
「十分すぎるほどだよ。
俺の方こそ、君に相応しいかな?」
仕事帰りそのままの背広姿だった。
折角の『特別な日』なのだから、もう少し考えるべきだったけど、あんまり気合を入れすぎると怪しまれるだろうか。
「冬馬さんは、いつも素敵ですよ」
「ありがとう、真白ちゃん」
相変わらず無条件に俺を慕ってくれる恋人に、俺は無条件降伏だ。
引き寄せて、前髪越しに額にキスをしていると、後ろから声を掛けられた。
「兄さん、人の会社の『玄関先』で婚約者とイチャつくの、止めてもらえません?」
「社長、相変わらず、真白ちゃん好きが筋金入りで、気持ちが悪いですよ」
秋生と、小野寺出版から引き抜いて、俺の専属の秘書になってもらった牧田だ。
「……! お疲れ様です。秋生さん、牧田さん」
真白ちゃんが屈託の無い笑顔を向けて挨拶した。
忘れていたけど、うちの会社の社訓って『笑顔で挨拶』だったな。
彼女も染みついているのだけど、そんなに誰かれニコニコ振舞わなくてもいいのに。
「こんにちは、真白ちゃん。元気そうだね」
「はい。あ、紅子ちゃんと緑子ちゃんは元気にしていますか?
青くんが生まれてから……その……」
「我儘がひどくなった?」
「と、聞いていたので……やっぱり、お母さんを盗られた気分なのかなって」
秋生の家に、三人目の子供が生まれたのは最近のことだ。
弟が欲しいと言っていたくせに、いざ、生まれてみると、双子達は、赤ん坊に嫉妬して、赤ちゃん帰りをおこし、今、小野寺邸内はなかなか大変なのだ。
「そうだねぇ。真中兄さんが来てくれると、機嫌がいいんだけど、この頃、どうしてか、その真中兄さんも機嫌が悪いみたいでさ」
こちらを見られたような気がする。
『真中兄さん』呼びに決定した椛島真中は、俺が真白ちゃんを独占するのが気に入らないのだ。
そうは言われても、真白ちゃんは俺のものなんだから、仕方が無いだろうが。
第一、心は独占しているかもしれないけど、こっちの仕事が大事な時なのもあって、この所、会えるのは週に二回、会えない週だってあるくらいだ。
だから結婚準備が進まないし、俺も違う方を優先してしまいがちになる。
言い訳だけどね、うん。フランスから帰ったら、もっと真面目に取り組もう。残り半年くらいしかないんだし……って、半年もあるのか……。
「学祭が終わったら、私も、もっと顔を出せると思います。
あ! そうだ、紅子ちゃんと緑子ちゃんを連れて、遊びにこられませんか?
小さい子も楽しめる企画もありますよ」
「ありがとう。そうだね、いい気分転換になるかもしれない。
青は私が見て、瑠璃子に……いや、井上夫人に見てもらって、私が連れて行った方がいいかな」
「真白ちゃんも、社長がフランス出張の間、羽を伸ばすといいですよ。
毎日、社長の子守りも大変でしょう」
秋生が「瑠璃子にも気分転換が必要だし……」とブツブツと週末の計画をたてていると、牧田が俺をからかいにきた。
お前、秘書なのに、最近、よく社長にたてつくよな。
「子守りなんかさせてないぞ!」
「そうかなぁ?」
懐疑的に見られたけど、さっきも言ったように、毎日会ってすらない!
「兄さんの所に子供が生まれたら、紅子や緑子より面倒そうだな、とは思う」
秋生も同意するなよ!
言われたくなかったら、こんな身内の多くいる会社のロビーで待ち合わせなんかするな、と思われるかもしれないが、そうもいかない。
何しろ、この真白ちゃんだ。
ただ立っているだけで可愛いさが溢れて出てきて注目の的なのに、男運が悪いときた。
駅前に立たせていたら、どんなことに巻き込まれるか分からない。
俺が早く行ければいいのだけど、どうしてもそうはいかない。
社長だし、社員を置いて、いくら恋人の為と言え、「はい、お疲れ様」とはいかない。
真白ちゃんも、それを分かっているのに、早めに来ているみたいなんだよね。
冬に、冷たくなった手や赤くなった頬を見て気が付いたんだけど、「待っている時間が楽しいです」とかいう、また俺を甘やかすような、反論出来ないようなことを言う。
結局、顔見知りの警備員が立番しているここが一番安全だし、極端に暑くも寒くもないから安心なのだ。
「ったく、行こう、真白ちゃん。
予約の時間が過ぎてしまう」
まだ結婚もしていないのに子供の話題を持ち出されて顔を赤らめる真白ちゃんを秋生たちから引き離す。
あんまり言うなよ。プレッシャーになるだろうが。
秋生のところに三人いるとはいえ、雨宮家と小野寺家の血を引く後継ぎの誕生は、密かに、と言いつつ、公に期待されていた。
俺は、あと二、三年は、真白ちゃんと二人で新婚ごっこをしていたいから、そんなものは無視することにしている。
「……はい。では、お先に失礼します」
「はーい、真白ちゃん、またね〜!」
「学祭に行く予定が決まったら、連絡します」
それぞれが挨拶をした後、そっと牧田が近づいて「がんばれよ」と耳打ちしてきた。
今日の計画を、牧田には話してあるし、相談に乗ってもらっていた。
頷くと、こちらをじっと見る真白ちゃんに誤魔化すように微笑んで、手を取って、会社を出た。
***
行先は、あの大根雑炊が美味しい星付のレストランだった。
料理が美味しいだけでなく、給仕が行き届いているので、すっかり贔屓にするようになっていた。
ただ、真白ちゃんを連れてきたことはなかった。
「大根雑炊も美味しいけど、ちゃんとしたコース料理も食べてみたいでしょ」
「はい。……でも、こんな立派なお店、緊張しますね」
雨宮家の令嬢になったけど、真白ちゃんは気取らない。
まぁ、俺も小野寺家の令息になって久しいけど、まったくそれっぽくならないけどね。
けれども、真白ちゃんは、椛島真中こと小野寺文好の娘として、小さい頃からそこら辺は厳しく躾けられていたから、品が良い。
食べ方もきちんとしているので、給仕が声にも顔にも出していないけど、感心しているのが分かる。
鴨肉や舌平目なんかを胃に収めた後、デザートがやってきた。
それと一緒に真白ちゃんの席にだけ、小さな箱も。
不思議そうな顔で給仕を見た後、促されて俺を見る。
その給仕が部屋から出て行ったのを確認して、「開けてみてご覧」と声を掛けた。
大きさと形、雰囲気から、なんとなく察しがついたのだろう、なかなか上手く開けられない。
俺も緊張から喉が渇いて、水を飲んだ。
ようやっと蓋を開けた真白ちゃんは息を飲んだ。
そんな彼女の傍に跪くと、さらにビックリされた。
「ほら、君にちゃんとプロポーズしてなかっただろう?」
結婚する宣言とか、俺のもの発言はしたけど、真白ちゃんに面と向かって、プロポーズしていなかったのを、最近、何かのインタビューで聞かれた時に思い出した。
あれから一年以上経っているので、『気付くの遅すぎるだろう!』と各方面から非難轟々である。
真白ちゃんの手から指輪の入った箱を取ると、「俺と結婚してくれますか? 君のことが好きなんだ。一生大切にするから」と改めて差し出した。
「はい……! だって、結納も済んだし、結婚式の準備も始まってるんですよ? 断れません」
くすくすと笑われた後、首に抱きつかれた。
「嬉しいです! とっても! とってもです! 若社長大好き!!」
喜んで貰えて良かった。俺のこと、また呼び間違えているけど、そんなの些細なことだ。
そのまま抱き上げて、椅子に座らせる。
「じゃあ、この指輪、つけてくれる?
俺がフランスにいる間、他の男が近づけない様に」
そう言って、真白ちゃんの左手を取ろうとしたら躊躇された。
「それは……ちょっと」
「気に入らなかった?」
「――そんな大きなダイヤの指輪、大学や街に付けていけませんよ! 追剥にあっちゃいそう」
言われてみれば、確かにそうだ。
気合を入れすぎて成金趣味みたいな指輪だな、と今更ながら思った。
なんで買った時、これでいいと思ったんだ?
ダイヤは大きければ大きいほどいいかな、と単純に思ってしまったのだ。
反省。
「返してこようか?」
そう提案すると小さく頭を振られた。
「冬馬さんが折角、選んでくれたんですもの。大事な時に付けます。
あの、我儘言ってもいいですか?」
「勿論! 何?」
真白ちゃんの我儘は珍しいので、勢い込んで聞いてしまう。
「もう一つ、ううん、二つ指輪を買って下さい。
もっとシンプルで安いの。
私が普段つけられるのと……それから、冬馬さんがフランスにつけていく分ですよ!」
「なんだ、そんなの我儘でもなんでもないよ」
「そうでしょうか? こんなに立派な指輪を頂いたのに、まだ欲しいなんて、図々しいかな、と。
そうだ! 冬馬さんの分は私が買います!」
「図々しいのが君のいい所、らしいから、気にしないの。
俺は全然、そうは思わないんだけどね。
さて、ではデザートを食べてしまおう。
今から開いている宝石屋さんを探さないと」
頭の中で、デパートとか路面店とかの情報を探るけど、あまりヒットする店がない。
牧田に電話するか、それとも、夏樹の方が詳しいかな、と考えながら、デザートを食べに席に戻ると、真白ちゃんが笑いかけた。
「大丈夫ですよ。言ったでしょ、そんな高いものじゃなくてもいいですって」
***
夜の街に繰り出して、女の子の好きそうな雑貨屋さんみたいなところに連れて行かれた。
本当に安い、とは言っても二万円くらいのピンクゴールドの華奢な指輪を買った。
真白ちゃんのほっそりとした白い指には、これくらいの指輪の方が似合うのかも。
贈った婚約指輪では、彼女の指が折れそうだ。
俺の分もちゃんと買わされた。
なんの変哲もないシルバーの輪っかみたいな指輪だ。
あれ、結婚式に交換するのと同じじゃないか? と思ったけど、あっちはプラチナで裏側に記念日とかイニシャルとかを彫る予定だったかも。
「約束、ちゃんと左手の薬指につけて下さいね」
すごくベタだと思ったけど、夜景の綺麗な場所で観覧車に乗って、二人っきりで指輪の交換をした。
「……結婚式、もうこれでいい気分」
満足な気分で、嵌めてもらった指輪を見ながら冗談混じりで言ったら、当然だけど怒られた。
「もう! 我儘言わないで下さい!」
「だったら、言えない様にしてくれる?」
思わせぶりに真白ちゃんの唇をなぞると、恥らったように目を伏せられた。
「―――若社長がして下さい」
「あ、言った! やっぱり真白ちゃんからだよ」
「若社長? 私に意地悪すると、お父さん達に言いつけますよ」
上目遣いの瞳にはあの強気の光がきらめいた。
おっと、この真白ちゃんには勝てない。
お父さんも怖いけど、その後につく『達』もまた厄介なのだ。
何しろ、今や母さんを筆頭に雨宮の会長から小野寺の大社長、ジャン・ルイ・ソレイユといった大物に、小野寺グループの役員、社員一同、星野夫婦、真崎企画までもが彼女の味方なのだから。
冗談で言っているのは分かるけど、効果は絶大だ。
「ごめん! それだけは勘弁して! 割と本気で!!」
「だったら……!」
「仰せのままに、俺の可愛い真白ちゃん」
観覧車が地上に降りるまで、俺は真白ちゃんと口づけを交わした。
最後までお付き合い下さり、ありがとうございます。
本編は完結しましたが、【番外編】『妖精とクマ』として、短編を何本か掲載していきたいと思っています。
→http://ncode.syosetu.com/n5518cp/
【番外編】は、本編ではあまり出来なかった主人公二人がラブラブしている話にしたいです。そちらもよろしくお願いします。