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身近に潜む深淵 ?

春の天気は安定しないもので、昨日の晴天が一転、今日は朝からどんよりとした雲が広がる空だ。風も強く、ぱたぱたと戸口の暖簾がはためいている。


「風、止まないなぁ。これじゃ、飛んでった熊五郎さんのフンドシ見つかんないだろうな」


 土間にしゃがみこむ十和が外の風の音を聞きながら、誰に言うわけでもなく呟く。

 いつもなら飛んでいった洗濯物より落ち着きの無い彼女だが、今日はかなり大人しい。隣の子供が遊びに誘いに来ても断っていたし、棒手売を追いかけて半日行方不明になるなんてこともなかった。

 どうやら、昨日の湯屋での一件が効いているようだ。


(いつもこの位、落ち着いていてくれると助かるんだがな)


 どうせ今だけだろうが上手くいったなと悦に入る普一が、仕事の手を一瞬とめ、チラリと十和を見る。

 彼女はさっきから何をやっているのか土間にしゃがみ込み、上がり框の隅に何かを並べていた。


(何だ ? )


 綺麗に並べられているそれは、小さく、丸く、茶色い。遠目にも光沢があるように見えた。

 十和が摘み上げるたびにカシャカシャと軽い音をたてる壊れやすそうなそれは――――

 ………蝉だった。無数の蝉の抜け殻だった。


「おい、それは何をしているんだ」

「え、これですか ? 虫干しですよ。虫が湧いたら困りますからね」


 何なのだろうか、洒落なのだろうか。それとも言葉遊びの一種なのだろうか。


「………………」


 反応に困った普一だったが、直ぐに「そうか」と返し視線を逸らした。

 十和のやることに一々悩んではいけない。深く考えたら負けなのだ。大抵はどうでもいい下らない事に心血を注いでいる場合が多いのだから。


「二百五十四、二百五十五、二百五十六っと、おおっ、この子でっかいな。器量よしだしな。………なのに、何で誰も買ってくんないのかなぁ」

 

 ツンと口先を尖らせる。

 蝉の抜け殻は漢方薬の原料。解熱剤や子供の癇の虫に使える。

 それを小耳に挟んだ十和は夏の間中、蝉退(抜け殻)を集め続け、一攫千金に目を眩ませながら薬問屋へ。だが、そんなに上手い話は無いもので、矜持も敷居も高い江戸の問屋が知らない顔の、怪しい女が持って来た物など買い取ってくれるわけは無く、当然、交渉は決裂。早い話、全く相手にしてもらえなかった。


「こんなに立派なのにねぇ、君 ? あの薬屋の目は節穴なんだな、きっと」


 二百五十六番目と顔を見合わせ、文句を言い始めた。

 未練がましく手元に置いているうちに、段々と愛着が湧いてきているのか、一つ一つ触れる手つきに執着が感じられる。

 が、引き取り手の無い蝉の抜け殻など、やはりただのゴミ以外何物でもない。


(………結局、あれをどうするつもりなんだ、あいつは)


 まさか、また葛籠の中へしまい込み保管するつもりなんだろうか。確実に二百五十六個はある(らしい)、あの虫の殻を ?

 普一が葛籠いっぱいの蝉の抜け殻を想像して、まさかなと薄ら寒く苦笑する。

 けれど思い起こしてみると、あの女には少し収集癖があるのだった。団栗やらウリやら。

 土間を腐ったウリだらけにされたのは、まだ記憶に新しい去年の夏のことではなかったか。

 注意すべきか、それとも放っておくべきか。少し考え、


(………やはり後者だろう、面倒くせぇし)

 

 普一がいつも通りに自分の思考に決着をつけたところで、突然


「――――っ ?! 」


 背筋に悪寒が走った。ぞくっと立った鳥肌を、とっさに片手で押さえたが、別に風邪の引き始めでもなければ、同居人の手によって家がゴミだらけにされるのを憂いたわけじゃない。もっと切羽詰った得体の知れないものの気配を感じたのだ。例えて言えば家賃を払い忘れた次の日の大家の視線とか。


「普一さん ? どうかしましたか ? 」


 金属の打ち合わさる音が途絶えたのに気が付いた十和が顔を上げた。


「なんでも………いや、おい、悪いが雨戸を閉めてくれ」

「雨戸をですか ? 風は強いですけど、まだ雨は降らなそうですよ」


 時間はまだお昼前。曇ってはいるが雨戸を閉めるほどではない。

 何だろうと十和が訝しげな顔をするが、普一は視線で追い立てる。仕方なく十和は一度表に出て、入り口の雨戸を閉めた。立て付けが悪いから、ガガッガガッと派手に音が鳴る。


「いったい何なんですか、雨戸なんか閉めちゃって ? 」


 せっかくの表長屋が勿体無い事この上ないのだが、普一が面倒だからと小売を止めたおかげで、此処には殆ど客が来ない。だから雨戸を閉めてしまっても別に問題は無いわけだ。

 けれど、仕事以外の客はある。尋ねて来ても雨戸が閉められていたら帰ってしまうだろう。近所の人達だっておかしく思う筈だ。そう十和が言うと、普一は表情を変えないまま奥の部屋に入り、おもむろに押入れを開け、振り返る。


「………あんた、暫らくここに入れ」

「はぁっ ?! 何で私が押入れなんかに ?! 新手の虐めですか ?! 」


 自分は未来の猫形ロボットではないのだ。じめじめした押入れになんか入りたくない。

 声高に拒否する。

 

「嫌な予感がする」

「えーー……予感って……」


 ちょっと普一がおかしい。

 いや、これはやっぱり新しいお仕置きのプレリュードなのではないだろうか。雨戸を閉めて密室を作り、この人は私にいったい何を………はっ !


「開けますっ ! やっぱり雨戸、開けますからっ !! 駄目ですからっ、そんな昼真っからっ」


 勘違いをした十和が慌てた様子で入り口を向く。昨日の湯屋での出来事が衝撃的だったらしく、考えがついお色気に向いてしまうようだ。

 

 (そうか、夜なら良いんだな、分かった)


 少し要点がずれているところで頷く鉄面皮は、いつでもお色気の方を向いている。平常運行だ。

 「何なんだろう、この人」とブツブツ文句を呟きながら顔を少し赤らめた十和が、雨戸に手を掛けた。その時、ドカンッ ! と戸を開けるのには相応しくない破壊音で、いきなり雨戸が開く。


「ひゃっ !! 」


 傍に居た十和があまりのことに驚き、上がり框に尻餅をつく。その尻の下から、何やらグシャッという乾いた音が聞こえた。


「ちょっとーー、こんな陽の高いうちに戸なんか閉めちゃって何やってんのよ。留守かと思ったじゃないのよ」

「み、美佐子さんっ」


 クレームと共に、入り口から長屋にしては広い土間に美佐子が入ってくる。相変わらず赤い髪を結いもせず垂らしたままだ。さぞ町中では目立ったことだろう。


「あーっ、吃驚した。もーー美佐子さん戸はゆっくり開けて下さいよ。雨戸どっかに吹っ飛んでいちゃったじゃないですか」

「ふん。立て付けが悪いのがいけないの、直しときなさいよね。---ん、十和あんた、お尻に何をくっつけてんの、ゴミ ? 」

「え、お尻 ? ………あっあああああああっーー !!!! 」


 くるりと振り返り、上がり框の惨状を見ると血相を変える。


「和子っ、和美っ、和太郎っ ! ああっ、一ノ助っ、一衛門までっ !! みんなっ」


 どこまでが和子で、どこからが和美なのか分からないほど木っ端微塵になった蝉の抜け殻を手に取り悲鳴を上げた。

 やはり気に入っていたのだろう、ちゃっかり名前まで付けて。だがその事実より、普一が気になったのは付いた名前の方だ。


(一ノ助……一衛門……もしかして俺の名前から一字とっているのか…… ? )


 だとしたら可愛い事をしているじゃないか。硬い無表情の下で、ひっそりとやに下がる。


「あらら、ごめんね。私のせいだわーー」


 土間で悲しみにくれつつ、しゃがみ込む十和の後ろから手元を覗きこみ美佐子が謝罪する。自分の非を素直に認められるのは美佐子の長所だろう。

 謝罪を受けた十和は、しょうがない事だと笑い、横に置いておいた箱を取り上げ、残骸を中に片付け始めた。


「うーーん、やっぱり悪いし、それ弁償するわ」

「いえ、いいんです。こんな所に並べてた私が悪いんだし。それに、押入れの中にまだ二箱ありますしね」


 



(――――あと、二箱…… ? )


 


 普一が首だけを動かし、押入れの中を見た。

 薄暗く湿っぽいこの中に、あの虫の残骸がうじゃうじゃあると言うのだろうか。しかも二箱も。

 かって知ったる我が家の、何でもない押入れの中が、急に不気味に見えて来た。身近に潜む闇に気付いてしまった感じだ。


「ん ? 」


 しかし普一は、それよりも衝撃的な事実に気付いてしまう。十和が持っている箱の表に、墨で大きく『一』とあり円で囲ってあったのだ。

 つまり、一ノ助、一衛門の『一』は箱の番号の『一』であり、普一の『一』ではない………。


「美佐子さん、本当に気にしないで下さいよーーって、あれ ? 普一さん ? どうしましたか、いきなり座り込んで ? 」


 近年稀に見る脱力感に襲われた普一は、しゃがみ込み、やさぐれていた。


「別に」


 そうだ、別にこんな事何でもない、いつもの事だ。そんなことより自分は仕事である。あんなアホウに構っている時間はないのだ。

 そっけなく返してみせると、台の上に置かれていた彫刻用のノミを手にし、もくもくと仕事を再開し始めた。

 やはり様子がおかしいなと感じた十和が土間で首を傾げ聞く。


「なんか、いきなり機嫌悪く………なってません ? 」

「なっていない。それより、お袋、今日は何の用だ」


 二人がギクシャクし始めても、我関せずで部屋の中を興味深そうに見回していた美佐子に話を振る。


「え、何ってーーーーあ、そうだった。お客さんを連れて来たてたんだったわ。忘れてた ! ちょっと、ボク、こっちこっち」


 外に頭を出して、ぶんぶん手を振り誰かを呼ぶ。間も無く、まだ、だいぶ幼さを残す子供が顔を覗かせた。白い前掛けを締めた商家の丁稚姿。くりくりとした目の、可愛らしい少年だ。

 あれ、この子供どこかで見たような気がする ? さて、どこだったか。うーーむ、と十和が記憶を遡る。けれど思い出す前に普一が正解を口にした。


「京橋屋の子供だな」

「あー、そうそう思い出した。確か、まだ入ったばっかりの子」


 美佐子に促され、そろりと土間に入って来たのは、普一が品を卸している小間物屋の丁稚小僧だった。何か恥ずかしい事でもあるのか、妙におどおどとしている。


「は、はい。店からこちらに御遣いを言い付けられたのですが、途中で長屋の場所が分からなくなってしまいまして………はい……すみません、迷いました。あんなに番頭さんに説明されたのに……」

「で、途方に暮れているところに私が声を掛けたわけ。そしたら行く先って、普一のとこだって言うしね」


 美佐子が小僧さんの頭をポンポンする。そのたび小僧さんの顔は困惑の色を強めていった。

 もしかして、おどおどしているのは恥ずかしがっているのではなく、怯えているのではないだろうか。美佐子は外見や雰囲気からして子供受けはあまり良く無いだろう。十和がそっと子供の背中を、上がり框の方へ押して助け舟を出す。


「気にしない、気にしない ! ここらへんは似た様な長屋が多いから仕方ないよ。私だって未だに迷うもの ! 」

「は、はぁ」


(お前は気にしろ。それにしても、一年もここに暮らしていて、未だに迷っているのか………)


 普一が十和の首に子供がするような迷子札を下げるべきか本気で悩む。


「それで小僧君は何を言いつけられたって ? 」

「ははいっ。実は特注品の発注がありまして、えぇと、詳しいことは、番頭さんに貰ったこの覚書に――――あれ ? ない ? うわわわっないないないっ ! あっ、机の上に置いてきてしまった ?! 」


 前掛けやら袂やらを、ばっさばっささせ慌てる。顔が赤くなったり青くなったり、見ていて不憫になるほどだ。


「うぅぅ叱られるぅぅ」

「もういい。―――おい、付いて来い」


 はぁ、と一息吐き出し、普一がのっそり立ち上がる。土間に降りると子供に言う。

 声を掛けられた半泣きの子供は、一瞬呆けた顔をした後、「どこにです ? 」と背の高い男を見上げた。


「俺が店の近くまで行く。おめぇは置いてきた覚書とやらを、そこまで持ってくればいい」

「えぇっ、そんなっいいのですか ?! 」


 それならば番頭に見つかる事無く、普一に用件を伝える事が出来る。一条の光明に、ぱぁっと丁稚小僧の顔色が明るくなる。


「わーー、普一さん優しいじゃないですかーー」

「うるさい、用足しも兼ねてだ。おい、直ぐ戻るから大人しくしてろよ」


 ちゃかした十和を、瞳孔も確認出来ないほど真っ黒な目で見下ろす。妙な迫力に体が縮こまりそうになった時、「おーーい、こっちですよ、急いで下さーい」と、生き返った丁稚小僧が通りの向こうで普一を呼ぶ。面倒くせぇなと眉を顰めつつ、戸口を出て行った。

 ちょっとホッとする十和。すると急に喉の渇きを覚え、朝に淹れたお茶がまだあったことを思い出す。土瓶はどこに置いたっけなと目で探して、


――――あれ ? そういえば、何か大切な事を忘れているような ?





「ふふふふ、邪魔者はいなくなったわね」




「あっ」


 後ろから響いてくる低い笑い声。これまで大人しかった美佐子だ。 


(こんなに存在感がありまくる人を、どうして自分は一瞬でも忘れていたのだろうか。はっ !! もしやこの人、気配を消していた ?!)


 急に存在感が増した美佐子に十和が慄く。じりっと後退する。反対に美佐子は一歩前へ。笑顔だ。なのに、さっきの普一より迫力がある。

 ………怖い。すがる様に彷徨った手が、近くにあった虫の棺桶を手繰り寄せ抱きしめる。


「さぁーて、行きましょうか、ねぇ ? 」

「ど、どこに……ですか」


 聞いてはいけない。いけないのに、口から勝手に出る言葉。間違いなく誘導されている。


「もちろん今日も捜査よ。世の為人の為、さ ! 頑張りましょう !! 」

 

 ああ、この人には逆らえない。悟った十和の手から、箱がするりと落ちた。


 


 




 



 




 

 


 


 


 


 




 


 

 すみません。ただ、お馬鹿な日常が書きたくなっただけです。飛ばしてくださっても大丈夫です。そして久しぶりなんで、見失ってます、色々と。

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