42話・夜の煌き 闇に月と星 2
かちゃりと扉のノブが回される音が寝室に流れ、エマさんがそろりと顔を覗かせた。空の寝台に目をやり、急いで部屋に入ってくると私の姿を捜してテラスに立つ私を見つけ、目を丸くして動きをとめる。
私が先に部屋に戻ったせいで、すでに就寝したと思っていたらしい。安全確認のためにノックなしで覗いたら寝台は空だし、警護対象の私がテラスでのほほんとしているのに驚いたようだ。
そりゃそうよね。殺し屋に狙われている上に、古城宿を見上げて怖がっていたくせに真っ暗なテラスに佇んでいるんだから。
寝台の上で悶え転げ回った後、気を落ち着けるために夜風にあたろうとテラスに出ていた私は、そんなことも忘れて星空の美しさに見蕩れていたのだ。
「もう横になっていらしたと思ったのに……」
「夜空がとても素敵だったんで、テラスで涼んでました」
私がそう答えると、エマさんは微笑んで頷いた。
「低地のこの辺りはまだ暖かいし、街からも遠いから星空も綺麗に見えるでしょうね。でも、油断して体を冷やさないでね?」
「はい。ご心配ありがとうございます」
「明日から馬車とラグールで出発だそうです。ここからは馬車で出発して、午後にはラグールに乗り換え。だから、早めにお休みください」
とうとう試練の時が来たか! と眉間を寄せた私に、エマさんは悪戯っぽいウィンクを残してあてがわれた寝室に戻っていった。
同室ではあるけれど、寝室は別々だ。今夜は護衛部隊全員が集まっているから、ひとつの寝室で一緒に眠らずとも警備は万全ってことらしい。それに、宿の警備員も平常業務として巡回しているんだから、これ以上ないくらい安全な夜だろう。
気をつけるようにと念押ししないのは、完璧な警護体制と私がただのか弱い女じゃないって知ったからかな。
扉が閉まった音を聞いて、私は再び天を仰ぎ見た。
ショーティーとエマさんが戻ってきたということは、打ち合わせは終わって解散したのだ。夜警を残して他の人たちは自室に引き上げたのだろう。
「ショーティーの謎解明は無理そうだけど、私の望みを叶えた宿って、いったい何かしら……」
ショーティーは……本人が語ってくれなければ解明しない。猫語を翻訳できる人がいなければ無理だけれど。
鳥獣と会話ができる魔法使いは存在している。『陽』の異名を持つ者たちだ。ただし、魔獣とは意思疎通はできないとか。あれらには、理性や知性はないかららしい。
亜空間倉庫を出入りするショーティーを見てしまっては、さすがにただの猫だとはいえなくなった。拾った時から妙だと思っていたけれど。
まあ、いいか。ちょっと変わった子だと思っておけば。
それより私の希望? を叶えてくれたって言ってたけれど、そんなものは口にした覚えはないのよねー。
明朝には明かされるらしいから、お楽しみにってことかな?
今考えても見当もつかない問題はそんなふうに先送りして、私は夜空から地上へと視線を降ろした。
「まだ起きていたのか? 明日から強行軍が始まるんだぞ」
「目が冴えちゃって眠れなくて……」
暗い木陰からギルが現れた。
今までは護衛人数の関係から宿は上階部屋を押さえていたけれど、古城内部の問題から一階の広い部屋を取った。侵入されやすいが、その分警備体制は整っている。
こんなふうに戸外から私に声をかけることができるのも、一階部屋の利点だ。ただ、安易な行動は慎めって注意だろうけどね。
「もうすこし自分が危ない立場――」
「自覚しろ、でしょう? ごめんなさい」
ほらね。やっぱり怒られた。
ギルの警告を途中で攫うと、私は肩を竦めながら謝った。
その間にも、彼は滑るような足さばきで脇の石段を上がってくる。背が高くて大きな体なのに、まるでショーティーのように足音を消して近づいてくる。
そんなふうに見てみると、案外似ているのかも。
「まったく……古い城だと怖がっていたくせに大丈夫か?」
「ショーティー出現に驚いちゃって、怖いことすら忘れてたわ」
「本当になんなんだろうな。あの猫は」
私の返しに彼は小さく笑い、隣に並ぶと欄干に両肘をついて空を仰いだ。
「拾った時からあの大きさなの。三年も経つのに、ちっとも大きくならなくて。人間の言葉も通じているみたいだし、魔物の子かと思っていたんだけれど、危険どころか私を守ってくれているみたいなんで、まあいいかーと」
苦笑を交えながらショーティーのことを話す。
すでに独立して中央で暮らしていた三年前、ロンド婆ちゃんの危篤の知らせに慌ててマジュの森へ帰った。死に目には間に合ったけれど、遺言書以外はなんの言葉も残さず微笑んで逝った養母に、私は泣いて泣いて恨み言をぶつけた。
なぜ、体調が悪いことを知らせてくれなかったのか。
なぜ、一言も声を聞かせてくれなかったのか。
私と一緒に臨終に立ち会ってくれた懇意にしていた商人は、黙って私の背中を優しく撫でてくれた。
やっと落ち着いてロンド婆ちゃんを指定された庭の隅に埋葬し、商人を森の出口まで送った帰り道に瀕死のショーティーを拾った。
こんな所に猫の子が? と驚いた。
高濃度の魔素は、人間だけじゃなく獣すら寄せ付けないはずだった。通いの商人だって私が作った中和薬を用いて森の出入りをしてくれているのだ。
あたふたと子猫を抱いて、親猫を捜して付近をうろついた。でも、それらしい姿は見つけられず、仕方なしに家に連れ帰って看病した。
「養母が亡くなった寂しさをショーティーが紛らわせてくれたの。必死に生きようとしてる様を見てたら――」
「泣き暮らすどころじゃなくなったってところか?」
「ええ」
ふたりで星空を見上げながら、囁くように会話する。
「寂しく……ないか?」
ギルがもっと声を落として私に問いかけた。
彼らしくない震えるような小声に、私は頭を緩く横に振る。
「今は、皆さんがいてくれるから」
「いや、独りで暮らすのはと……」
ああ。彼はアーデルベルトでの私の境遇を知っているんだった。あちこちでつま弾きにされて、ひとりで暮らすのは辛いんじゃないかと訊いているのだ。
私はあえて彼を見ずに空を眺めた。
「上流階級の方々と付き合わなければ嫌な思いはせずにすむわ。街区の人たちは私が『翠の魔女』だってことは黙っていればいいし、治療もすこしはできる薬師だって言っておけば頼りにしてくれるから」
「しかし、家に帰れば独りだろう?」
「ショーティーがいてくれるし」
「あのな、そんなことを――!!」
なんだか熱心に言葉を返していたギルが、突然口を噤むとふわりと飛んだ。
そう。私の目にはいきなり舞い上がったようにしか見えなかった。
正確には、ギルは片腕を支えにして欄干を飛び越えただけだ。
暗闇の中に音もたてずに着地すると、前面に植えられている低木の中に滑り込む。
「お前ら!」
「やー、悪ぃ悪ぃ。あんまりイイ雰囲気なんで、邪魔せずに見てた」
「見てるな!」
「隊長。煩いよ」
音量を落としても誰か分かるような応酬に、私は片手で眉間を押さえて欄干に顔を伏せた。
ギルが低木の茂みから引っ張ってきたのは、癖の強い副隊長さんと私よりちょっと背が高いだけのローレンだった。
夜番の役目はどうしたの……。
「ごめんね、リンカちゃん」
悪いとは微塵も思っていなさそうな薄笑いの副隊長さんに、私はじっとりとした視線を送った。




