43話・寒さの中で
私が望んだ物――というのは明かされてみればたいした物じゃなく、でも私にとっては宝の山であるグランディオス大陸にしかないさまざまな薬草類だった。
いつも通り朝日の眩しさに起こされた私を、宿の支配人は防御結界に囲まれた薬草園へと案内してくれた。目の前に広がる薬草園は、庭園のような豪華さはないけれど多種多様で良質な品揃いに、私は歓声をあげた。
後ろを付いてきたショーティーとエマさんは、私の浮かれはしゃぐ様子を見ていささか引きぎみだ。それでも苦笑しながら私にシェルク様からの伝言を告げると、支配人とショーティーに後を任せて宿に戻っていった。
シェルク様は私が王都の市場で残念な思いをしたことを気にかけ、この古城宿と薬草園の出会いを贈ってくださったのだそうだ。旅の途中じゃ、満足に採取などできないだろうからと。
薬草園は城の建設と同時に造られ、領主が領民のためにと大切に育て続けてきた。地方の領地は感染病などが流行れば、あっという間に衰退する。自分たちを含めて領民を護るために、領主は敷地の一部を開放して危機に備えたという。
今では緊急時以外には見向きもされなくなったが、希少種保全のためにも、これからも守り続けていきたいと庭師の老人は話してくれた。
私は嬉しさのあまり朝食を摂るのも忘れて薬草を摘み、出発の時刻に遅れてファミーナさんにこっぴどく叱られた。それでも満足そうにほくほくとして馬車に乗り込む私に、同行者たちは肩を竦めるだけだった。
幌付きの荷馬車に乗り込んだ私たちは、朝靄が漂う中を一路クラウス山脈のひとつガラ山へ向けて旅立った。
昨日は日暮れ時に忙しなく宿に入ったせいで気づかなかった向かう先に、朝の陽に照らされて聳える山脈が横たわっていた。
もうこんな近くまで来ていたのかと、眼前に立ちはだかる自然の巨壁を前に感慨にふけった。連なる峰々は険しくそそり立ち、確かに天然の国境壁と呼んでも差し支えない眺めだ。
「よくもこんな険しい山の中腹に……」
「険しいからこそ長い歴史を保っていられたんだろうさ」
真夜中に夜番の交代をして短時間の睡眠しか取っていないはずのギルは、まったく寝不足の様子など感じさせない機敏な動作で私の向かいに座わると呟きに応えた。
私は昨夜の一件を思い出し、無意識に頬を押さえた。気恥ずかしさが蘇り、血が上ってほてり出してしまう。
副隊長さんとローレンは怒るギルを冷やかして揶揄い、煩さのあまりエマさんが柳眉を逆立てて怒鳴り込んでくるまで構い倒した。
だからだろうか。
「隊長、向かいじゃなく隣に座りゃーいいじゃん?」
またしても、副隊長さんが薄笑いで冷やかし始める。
ギルはそれを黙って半眼の流し目で抑え、じゃれつくショーティーを抱きあげた。
私は私で必死に冷静を装いながら、こそこそと密談をする副隊長さんたち後部の護衛を睨む。
途端にどっと笑いが起こった。
どうも真っ赤な顔で口を尖らせて睨む私が、予想外に面白かったようだ。
「……ショーティー、後でこっそり噛みついてやって」
「ニャッ!」
相棒の勇ましい返事に、私は満足した。
だんだんと荒れた砂利道に変わってゆく街道を、馬車の震動に悩まされながら私たちは辺境地域に入ってゆく。同時に見渡す限りの農耕地や平原だった風景は次第に深い森へと移り、街道は道幅が細くなって緩やかな上り坂に変わっていった。
山村の村長宅や廃村の空き家を借りて夜を過ごす馬車の旅が五日ほど続き、六日目の朝にはとうとう馬車を降りることになった。
山岳民族の中規模村落でラグールに乗り換え、同時に食料や水を補給する。
ラグールは馬車馬よりも小柄な長毛種の山岳馬だった。見た目は馬というより山羊のようで、頭部の左右に湾曲した角が生えている。野生種は気が荒く害獣対象なのだが、騎獣として増やされた種は穏やかな気質なのだそうだ。
この子に乗るのかぁと怖気づきながら近寄ると、長い被毛に隠れた優しい目で私を見ると鼻面を摺り寄せてきた。
それだけで可愛いと思えてしまう単純な私は、そっとラグールの鼻筋を撫でながら乗せてねとお願いした。
それにしても寒い。
標高が上がればそれだけ気温が下がるのは当然だけれど、昼夜の寒暖差は否応なく私を苦しめた。
空間倉庫にたくさんの私物を入れてきたものの、さすがに山登りをするなんて思っていなかったから寒冷地用の防寒具までは用意していなかった。寄った先で買いこんだ馴染みのない型のコートを羽織り、中は重ね着しまくった。
冬の小動物みたいに膨れた私を見て、村の大人たちはにこやかな表情で撫でてゆく。子ども扱いされているのだとわかっても、もう誤解を訂正する気も起きなくなって好意は甘んじて受けた。
空いた時間を見つけては黙々と薬の調合をし、偵察のために先に出る隊員たちに、体力回復薬と栄養補給剤を多めに持たせて見送る。
鉱石同士を混ぜると発熱する放熱石を作って同行者たちに分け与え、村人たちにも要望の多い薬と一緒に物々交換で譲ってあげた。それが功を奏したのか、私以外にはよそよそしかった村人たちの態度が軟化した。
気前よく食料を分けてくれるようになった奥さん方に気づいて、隊員たちの雰囲気も和らぐ。わずかでも役立ったことが、とても嬉しかった。
「リンカ嬢、ちょっと来てくれ」
携帯調剤機で調合を行っていた私に、厳ついジャル・ロウが声をかけてきた。
見るからに力自慢な強面の軍人だけれど、隊員たちの中でいちばん穏やかな気性の護衛だ。加えて、魔法士だという意外性に驚いた。
「はーい」
手早く機材を片付け、大きな背中を追う。明日から始まるラグールを使った道行きの打ち合わせのために。
◇◆◇
私のコートの胸元で眠っていたショーティーが、鼻先を外に出して何かの匂いを嗅ぎだした。
「ショーティー?」
呼べば一度は私を見返すのに、まったく反応することなくコートの中から飛び出した。
護衛たちの肩や頭をもの凄く器用に飛び移り、いちばん見晴らしの良いジャル・ロウの頭上で停まると毛を膨らませながら鼻を動かす。
今まで和やかに談笑していた私のまわりの護衛は一瞬にして静まり返ると、ゆっくりと、でも無駄のない動きでラグールを誘導して私を包囲した。
私の両脇にエマさんとファミーナさんがつき、前にギルとロイ。殿はどんとジャル・ロウ。同時に、エリクと副隊長のローデンがラグールのお腹を蹴って先へと駆けだす。
細く頼りない登り道は深く薄暗い森に挟まれ、どこから敵が現れてもおかしくない雰囲気だ。鈍感な私でも感じる妙な緊張に、黙って身構えた。
ラグールの足音と、時おり森から届く鳥の囀りと木の葉が擦れあう音だけが聴こえる。
ぽーんとショーティーがまた跳ねて先頭のギルの肩に停まり、小さく一声唸ると弾けるように前方へと走り出した。
それが合図だった。




