魔王様、過去を見る
『助けて……あの人を…………』
「うげ」
魔王専用の宮は豪華絢爛そのもので、眩しいくらいギラギラとした装飾品とゴテゴテの家具、どでかすぎるベッドが用意されていた。
今日はゆっくり休んでいいとのお達しが来たので、遠慮なくベッドに飛び込んだのだが、枕元にある球体が光って変な声が聞こえてきたのだ。
これは、間違いなくトラブルの目になりそうなフラグ。
無視して目を閉じても、球体の光はキラキラと主張する。
「なんでそうさ、簡単に、他人に助けて貰おうとかすっかな!」
簡単に甘えられる人は、常に誰かに助けられているからだ。
きっと、愛された人なんだ。
手を伸ばせば、必ず誰かが助けてくれた幸せもの。
「馬鹿だろ。私なんかに助けを求めるなんて、馬鹿じゃね?」
【王様セット】を脱ぎ捨てる。
すると光は治まり、ただのガラス玉のオブジェになった。
これはきっと、『魔王』に反応するように設定されたものだ。
他の魔族でもなく、『魔王』に願わなければならなかった、救い。
「だー!もー!今度こそのんびりまったり海とか堪能できると思ったのにさ!バイト魔王なんぞに頼むんじゃねーよ。チクショー」
床にゴロゴロ転がった王冠を拾い、赤マントを羽織る。
これもバイトの仕事だというのなら、仕方ないじゃんよ。
『お願……あの人を…………助け……』
再び光り出したガラス玉は、意味なく助けを乞うだけだ。
もっと具体的に言えよ!という突っ込みをしてもいいだろうか。
「何かして欲しいなら、詳しく言え。私だって出来ることと出来ないことがあるんだから」
むんずと玉を掴む。
掴んだ指の隙間から、さらに強い光が零れ、目の前が白く塗り尽くされた。
「あなた、弱すぎね」
地面に転がった上半身裸の細マッチョを見下ろしながら、『私』は微笑んだ。
白に近い金髪を無造作に結った細マッチョは、悔しい感情を露わに顔を歪めていた。
そう、『私』が『魔王』となった日から、この男は『私』に挑んでくる。
男曰く、歴代の魔王に仕える時は必ず腕試しをし、負けて初めて王と認めるのだという。
『私』を魔王に選定した白人の話では、歴代の魔王は異世界の人間、特に日本人を選んでいると聞いた。
この男は、己が竜であり、魔王が人間であると知っていて、戦いを挑んでくる。
『誰でも簡単☆王様セット』が無ければ脆弱な人間を相手であっても、男が主に躊躇せず力を求める信念を、『私』は好ましいと感じていた。
最近は、この遊びが、『私』の安定剤とも言えるのだから笑える話。
「お前が強すぎるんだ。そもそもお前は人間であって、まだ即位間もないというのに、何故そんなに魔法を使いこなしている。本当に人間か?」
「あら、どこからどう見ても人間でしょ。ただね、私は大人になり損ねたのよ。社会人だから仕事だってあるし、彼氏もいたわ。でも、いつまでも抜け出せない夢を見たまま、中身が大人になりきれないだけ」
「意味がわからん」
ますます深くなる眉間の皺を伸ばしてあげると、男はごろんと寝転んだ。
竜族の領地は砂浜があり、夏は海水浴が楽しめるという。
もっとも、暑さが苦手な『私』は、夏に視察しようとは全く思わないけれど。
「中二病ってこと。大人になることが、夢物語を捨てることになるのかわからないけれど。私は大人になっても魔法や魔族、ファンタジーな世界が大好きなのよ」
横に座って夕陽を眺めていると、腕を引かれて男の美しい体の上へ乗せられた。
「夢物語ではあるまい。魔法も魔族も、ここには存在している。お前は異界より招かれ、『魔王』となって魔界と魔族を統べている。魔法を行使し、強い王となって天族を追い払っているだろう」
「そう、ね」
重なり、交わす熱に意識が飲まれた。
ひと時の逢瀬と情熱は、この内側に澱む泥を覆い隠し、『私』を『魔王』へ引き戻す。
まだ時間はある。
もう時間がない。
「ねぇ」
「なんだ」
「魔族は名前が無いのよね」
魔界へ来て最初に気付いたのは、呼び方がおかしいことだった。
例えば「白いの」「黒いの」「そこの従僕」など、見た目や役職で呼ぶことはあっても、名前で呼ぶことは無く不思議に感じていた。
「そうだな。核に刻まれた真名はあるが、泥で出来た肉体には無いな。昔からこれで通用しているもんだから、あまり気にかけたことは無い」
「じゃあ、私だけの名前をあげるわ。竜王ソルティード、それがあなたの名前」
洗礼のように額へ口づけ、想いを縛るよう祈りを込める。
忘れないで。
『私』がこの世界からいなくなっても、『私』を愛して。
物語の竜族のような執着と盲信、偏愛をもって、命の限り愛を注いで。
その泥で出来た器が壊れるまで。
「俺が王か。お前がいるのに、『王』は違うだろう」
「いいのよ、私の王。今の私は【王様セット】も何も纏っていない、ただの人間の女よ。だから、あなたが『王』で間違ってはいないの」
「そうか」
嬉しそうに微笑む男と唇を重ね、再び熱を交わす。
この夢が終わったら、『私』はまた空しい乾いた現実を生きる。
「お前がそう決めたのなら、俺は名乗ろう。名を与えられるとは、存外嬉しいものだな」
「良かったわ」
あぁ、『私』はなんて醜いのだろう。
目が覚めると、豪華絢爛な寝室の天井が目に入った。
気味悪いことに、体が砂浜のジャリジャリ感を覚えている。
あれはこのオブジェのものであって、私が体験したことではない。
そう頭では理解しているのに、自分の体が自分のものではないような、しっくりと来ない感覚だ。
「ていうかさ、子供に大人シーンを見せるなっつーの」
細マッチョの感触、熱、それに喜ぶ自分ではない『私』の感情。
あれは私の感情ではないのに、ドロドロとした真っ黒なものに浸食されていく。
疑似体験でもしたかのような気持ち悪い感覚が消えず、風呂に駆け込んだ。
ガシガシ削り取るように擦って、冷たいシャワーを掛け続ける。
「キモイんだよ。こんなもん見せるために『助けて』なんて言ったわけ?そんなメンドクサイ前置きするんじゃなくて、簡単に説明しなよな」
体の感覚が無くなるまで冷えて、やっと冷静になれた。
ぶっちゃけ、助けが欲しいならグダグダ前説しないで、さっさと結論言えよって思うわ。
夏とはいえ冷水シャワーって、修行僧並みに辛いんだからな。
床に転がっていたガラス玉を蹴飛ばし、ベッドへタオル1枚で転がる。
今は【王様セット】を着ていないただの人間だから、ガラス玉はうんともすんとも言わなかった。
「前の、魔王なんだろうなぁ。じゃああの細マッチョは、若い頃の竜王ってことか」
『中二病』という言葉を知っているということは、それほど昔の人間じゃない。
だとしたら、私が魔王になるまでそれほど間隔が空いていないということか。
魔族への魔力供給は毎日であることが望ましいとしても、そうそう空腹で倒れることはないし、魔力不足で暴走することもないという。
つまり、短期間の間に何かが起きて、十中八九先代の魔王が何かやらかしたんだろう。
何よりも、短期間で若い魔族がオッサンになることってあるんだろうか。
原因があのどす黒い感情だとしたら。
「3年が、限界かもなぁ」
まだあの人よりは少ないとしても、私の内には澱みがある。
日々過ごすだけで、少しずつ少しずつ増えていくそれが魔族を壊すものだとしたら、そうなる前にバイトを辞めなければならない。
私は、少なからず彼らが好きだと自覚した。
慕って世話をしてくれる人達も、くろすけ、しろすけ、グレー君達、私が好きだと思えば、鏡のように感情を返してくれる彼らを守りたいと願うくらいには、好きなんだ。
「なんで、人間はこんなに汚くなるんだろうね」
本能に忠実で、感情を鏡のように返す魔族と違い、人間は自ら醜いものを生み出す。
それでも彼らは人間を魔王にして、魔力供給させる。
どんな結末になろうと、彼らはその感情で味付けされた魔力と魔王に従い生きるのだろう。
ある意味純粋な種族。
私が仮に魔族になったとしても、そうなれるのだろうか。
「あーあ、めんどくさいことになった」
寝返りをうつと、床に転がった【王様セット】とガラス玉が目に入る。
どうやら楽に終わってくれない気がする竜族の視察に、ため息が出た。




