一章 (3/3)
グラウンドに出ると、ほかの部員たちは既にウォーミングアップを始めていた。松嶋に促されて、俺もジョギングの列に加わる。
はっきり言おう。俺は長距離を走るのが嫌いだ。ダラダラとペースを守りながら走って貴重な時間が浪費されていく感覚が嫌なんだ。
早く終わらせようと、速く走れば更に無駄な時間を費やす。要するに俺の中で、長距離とは我慢の競技だ。どれだけ前に出たい気持ちを抑えて、最後まで体力をキープできるかの戦い。長距離種目をやっている人には悪いが、俺はそんな競技に全く魅力を感じられない。
幸い、1キロ程度走ったところで14人程の列は円を囲むように並び、アップは柔軟体操へと移った。俺は松嶋とペアを組んで体を慣らしていく。その過程で今日の練習メニューについて説明をされた。
「鳥かご、シュート練習にミニゲームだな。今日は比較的軽めだよ、始業初日だしね」
体柔らかいなーと感心しながら、松嶋は俺の背中をさらに強く押す。しばらく動かしていなかった関節は思いのほか柔軟なままだ。
更に各々準備体操を終えてから、4人一組を作って鳥かごの練習を始めた。
鳥かごというのは何人かでグループを作り、パサーと鬼に分ける。パサー同士でパスを回し、鬼がボールにタッチすると最後にボールを触ったパサーと交代する。つまりパサーは鬼がボールに触れないようにパスを回し、鬼はパサーたちの間を動き回ってボールを取りにいく…というのが一般的な鳥かごだ。
俺と松嶋、それに福山と山崎という二年の先輩たちが同組だ。まずは松嶋が4つのコーンを5メートルおきに並べて正方形を作る。この中でパスを回せという意味だ。次にジャンケンで鬼を決める、これは山崎がグーで負けて鬼になった。お互い3メートルほどの距離を空けて三角形を作り、山崎がその真ん中に立つ。
いくぞーという掛け声と共に福山が松嶋にパスする。松嶋はワンタッチで俺にボールを送る。すると山崎がすぐに距離を詰めてボールを取りに来た。俺は落ち着いてトラップしたあとに足裏でボールを転がして山崎の股下にボールをスルーさせて山崎を抜き去り、松島にパスを折り返した。
福山と山崎がポカーンとした表情でこちらを見ている。フッ、どうやら俺の完璧なドリブルテクニックに畏敬の念を抱いて固まっているようだぜ。そりゃまあ、俺は小学時代はクラブで不動のレフトウィングを張った程の男だ。ドリブルに関しては非凡ではないと約束しよう。などと俺が内心ドヤ顔で自画自賛に浸っていると、やれやれといった表情の松嶋が肩を叩いてきた。
「説明しなかった俺が悪いな。うちの鳥かごはツータッチまでだ。ディフェンダーがパスコースを消す前にワンタッチでパスを出すか、ファーストタッチでディフェンダーをかわしてパスを出すかの二択を試合中に素早く判断するための練習」
松嶋は早口で告げると、ゆっくりと二回意味深に頷いてから持ち場に戻った。ふ~ん。なるほどな…。今まで深く考えたことはなかったが、鳥かごは正確にパスを出す相手を見極める練習だと思っていた。勿論その目的も入っているんだろうが、やり方や見方によっては試合中にパスかキープの判断を正確にするための練習にもなるよな。
いやでも俺のテクニックは褒められべきじゃないか?と、素直に感心、半ば不満を並べているとダイレクトで福山に送り返したボールが山崎の足に引っかかった。
「関根、チェック!」
松嶋が反射的に叫ぶと同時に、松島と福山がボールを持った山崎との距離を詰める。俺が呆然としていると、山崎がドリブルして俺の横を通り抜けた。
コーン同士のライン際にボールを止めた山崎が「関根交代っ」と振り向きざまに嬉しそうな声で言った。同時に、「関根、守備しろよー」という福山の落胆した声が聞こえてくる。え?、と反射的に聞き返すと松嶋は腕を組みながらため息をついた。
「ボールとられてボーッとするな、大事なのは取られてからの動きだ。コーチに言われなかったか?」
言われてないですけど…。標準的な鳥かごは鬼がボールをカットするか、キープすれば交代である。というかパサーがボール奪っていいなら、下手な奴がずっと鬼になってしまう。敬語でその旨を告げると松嶋は一瞬、「うーん」と首をひねってから答えた。
「まあ、そういうことになるな」
納得できない。ドリブルが得意な俺などはともかく、サッカーを始めたばかりの初心者じゃまともにできないと思うが。
「でも大事なのはボールを奪われてからの守備、奪ったあとにボールをキープするための一瞬の判断、それが試合の全てだ」
俺の表情から察したのか、松嶋が納得したようにウンウンと頷きながら説明する。まあ、言われてみれば…などと妙に納得したようなしてないような感覚で「あー」と不服そうに頷くと、後方からピーッという笛の高い音が響いた。いつの間にか赤いジャージに着替えた宮木が口に笛ををくわえ、腰にメガホンを持った片手をのせながら仁王立ちで立っている。その脇には白いジャージを着たもう一人の女子生徒。
「集合ー!!」とわざわざメガホン越しに叫ぶ宮木に驚いたのか、校門側の通学路を歩いている何人かの生徒たちが振り返るのが見えた。
「んじゃ、シュー練行くわよ」
シュー練とはシュート練習のことだ、久しぶりに聞いた。宮木が全員集まったのを確認してグラウンドの隅を指さすと、ペナルティエリア内にフットサル用の小さめのゴールが三つ程、1メートルおきくらいに並べられている。
シュート練習にあるまじき不思議な光景にしばらく呆然としていると、宮木がさらに説明する。
「全員で13人ね。3週して20ゴールがノルマよ。ファーストタッチしてからシュート」
宮木は最後に「いい?」と強めに言い放った。ゴール前に立つのは三年の吉川。このチーム、すなわち私立桜ヶ丘高等学校サッカー部の正ゴールキーパーだ。難しく考えることはない、三つある小さなゴールのうちの一つにシュートを決めるだけだ。
後ろに立つ福山が山なりのフライングスルーパスをペナルティエリア内、足元から3メートル程離れた場所に落とす。ボールが着地した瞬間にワンタッチで大きめに内側に切れ込んだ俺は、一度顔を上げてゴールキーパーの位置を確認する。
吉川は向かって正面、真ん中にあるゴール前で構えている。俺は素早く右足を振り抜き、インステップでボールをニアサイドの左側のゴールに蹴り込む。
しかし、ボールは思いのほかゴールのポストを少しかすって左側にそれてしまった。久しぶりのシュートだが感覚は掴めた。次はおそらく決められるだろう。
そして二回目の順番が回ってきた。今度はチップ気味に右へそれるスワーブパスだ。回転のかかったボールをインサイドのワンタッチで収め、顔を上げてゴールキーパーの位置を確認する。
さっきと同じ位置だが、重心がニアサイドにむいている。俺はまたも勢い良く右足を振り、右側のファーサイドを狙ったが、ボールは中央と右のゴールの間の何もない空間へと力強く飛んでいった。
…言い訳をするわけではないが、何かがおかしい。何故かボールの感触に違和感を感じる。妙にふわふわしてるような。違和感の正体に頭を悩ませていると、三回目の順番が回ってきた。
福山がペナルティエリア左のスペースに送ったスルーパスに追いつく。顔を上げると吉川がシュート範囲をカバーしながら距離を詰めてきていた。この距離じゃ角度的にファーサイドは無理だし、ニアもカバーされている。ファーストタッチで抜くことも考えたが、ペナルティエリア内で手が使えるゴールキーパー相手にドリブルを仕掛けるのは得策じゃない。
ゴールキーパーとの間合いが3メートルになろうかというところで反射的に左足でループシュートをした。同時に周囲から「おおー」という歓声と息を呑む音。だが、打った瞬間に思ったとおり、山なりのボールはファーサイドのゴールバーを超えた。
「ナイストライ!惜しかったな」
松島の一言に続いて周囲からも「ナイスシュート!」と声があがる。俺はそんな声に少し励まされたが、しかし試合じゃシュートを決められなきゃ意味がない。どんなに内容で上回っていても、得点が相手より少なければ負けだ。俺は三回全てのチャンスで一度も得点できなかったのだ。
でも今は、口々に「ナイスシュート」と褒めてくれる先輩たちの温かさが素直にありがたかった。
「一周目は13ゴールか、まだまだね」
片手で前髪を撫でながら宮木は細い首をかしげる。俺は心の中でこっそり、宮木の行動一つ一つにドキッとしてしまう自分を否定する。可愛いのかなあ?そんな疑問文で埋めつくされた俺の頭の中に、何故か宮木の、小首を傾げて不可解そうな顔がやけにリアルに再生される。
宮木の顔はどんどん近くなり、俺との距離が更に縮まる。やばいな、末期だ。妄想だ。ありえんぞ、断じてありえん。そんなはずは…。「ない」そんな掠れた声がいつのまにか口元から出てきて、自分でも驚く。ほのかにラベンダーの香りがした。
「ねえ、ちゃんと聞いてる?」
不意に視界が明るくなった。目の前には相変わらずの至近距離に、不可解そうに小首を傾げた宮木の顔がある。「え、あ、うわわ」自分でも笑えるほど裏返った声をあげながら半歩後ずさる。部員全員が不思議そうに俺に注目している、死ぬ程恥ずかしい…。
「じゃあ、皆は先に初めててー」
宮木がそう言い放った後、俺に向かって手招きしてきた。ありえないと分かっているが、自分の心の内が見透かされてような気分になり、フラフラとした足取りで近付いていくと、顔を寄せて囁かれた。
「あんた、もっとサッカーやってたでしょ。それも小さい頃から」
俺の視界に宮木の不服そうな瞳が映る。宮木の微かな吐息の音が鼓膜を突き破り、そして心臓に深く突き刺さる。ジェットコースターに乗るとき、落ちる瞬間のあのフワッとしたような感覚だ。頭がボーッとしながら、抑揚した声で答える。
「まあクラブに入ってたのは3年だけですけど。でもサッカーは9年くらいやってました」
「あー、やっぱり!」
宮木は無駄に嬉しそうにはしゃぐと、俺の肩に手をあてて「でね」、となぜかまた小声に戻って前置きする。
「ボール蹴る時に、重心が高いんだ。多分、小さい頃の感覚なんだろうけど、体が大きくなったから、今はボールの重心が蹴れなくて、うまく方向がコントロールできてないの」
ああ~、なるほどね。ボールを蹴った時のあのフワフワした感じ、ボールの中心を蹴っていなかったから弾力が小さくて違和感を感じたわけだ。納得して首を大げさに縦に振る俺を見て、宮木は言う。
「だからアドバイスなんだけど、次はコントロールシュート蹴ってみて」
コントロールシュートというのは文字通り弾道をコントロールしたシュートのことだ。ボールをインサイドで蹴る分スピードはインステップキックに劣るが、キーパーのセーブしにくいコースを狙いやすい利点がある。
わかりました。そう一言告げてから俺は再度、練習に加わる…が、既に終わっているようだ。
「あと2ゴールでノルマだ」
列の先頭でボールを転がしながら松嶋が言う。どうやら、俺の三回分をとっておいてくれたらしい。
「ま、手加減はしないけどな」
中央のゴール前、ゴールキーパーの吉川が腰を低くした待機姿勢でこちらを見据えている。
ゆっくり深呼吸する。練習とはいえ、俺の双肩に皆の運命が預けられているわけだ。準備はいいか?と背後から問う松島に「はい」と頷く。
まずはペナルティエリア右にグラウンダーのスルーパスが出た。一瞬反応が遅れたキーパーを確認しながら中央に切れ込み、最後は右足のインサイドでニアのゴールに沈めた。「ナイスシュート」と緊張した声が聞こえる。あと一回だ。
「いくぞ」という掛け声と共に、チップ気味のスルーパスがエリア中央に切れ込むように送られる。今度は素早く反応したキーパーが飛び出してきたので、左足のアウトサイドで距離をとる。
再度距離を詰めようとしてくる吉川、左足のループでファーサイドを狙う。瞬間、皆が息を呑む気配。しかし、これがやや早かった。素早く反応した吉川が後方に飛びながらギリギリでボールを弾く。同時に「おお」という歓声が上がった。ファインセーブだ。
「次がラストだぞ」松島の声に無言で頷く。エリア右に高めのループパスが送られた。キーパーの位置を確認すると、既に距離を詰めてきている。
この勢いじゃ、ループは無理だ。ニアもファーもコースがない。一瞬迷ったが、キーパーを注視する。吉川がコースを塞ぐために足を外側に広げた。その瞬間に落ちてきたボールをインサイドのワンタッチで吉川の正面に向かって蹴った。
周囲から先程より大きい歓声が上がった。思惑通りにボールは吉川の足の間を抜けて、中央のゴールへと吸い込まれた。同時に「ナイスシュート!」という歓声、次第にパチパチと拍手が起こった。さすが俺!軽く有頂天だ。実際、また抜きシュートはテレビでしか見たことないし、やってみたのも初めてだったが、決まると気持ちいいなこれ。
スライディングしたままの姿勢で吉川が手を差し出した。起こして、ということらしい。片手で引き起こすと、「ナイスシュート」と微笑みながら肩を叩かれた。
何気なく視界の端に目をやると、神妙な顔をしたままの宮木がこちらを向いて頷く。手を挙げて、親指を上に立てる。「サ・ン・キュ・ウ」と口の形を作る。黒いフワフワのシュシュを春のそよ風になびかせながら、宮木はクスッと微笑んだ。
その後の練習は至って普通だ。紅白に別れてミニゲームを行い、俺たちは松嶋先輩と山崎先輩の計2得点で勝利した。
ここに来て俺の心の中でも彼らを先輩と呼ぶようになったが…まあなんだ。気が変わったというか、なんというか。単に彼らに尊敬の念が生まれたからかもしれない。今日一日だけだが、笑い声の絶えない彼らの輪の中にいるのは少し心地よかった気もした。
そういえば、さっき気になってシュート練習の形式について松島先輩に訪ねてみた。俺がクラブ所属時にやっていたシュート練習はノルマ式ではなく、時間式だったからだ。ノルマ式だと一巡目で終わる可能性もあるから、効率的ではないと思ったのだ。
しかしながら、松島先輩曰く。
「時間式だとダラダラやっちゃうけど、ノルマって目標があれば皆一回一回ちゃんと集中してやるでしょ」
ということらしい。言われてみれば納得だが、でも一回目で終わったら結局もう一周とか言われそうだな。と口にしてみたが、それはないらしい。松島先輩の理由を聞いて納得した。
シュート練習は毎回、一度目は左サイド、二度目は右サイドと交互にやっていくからだ。考えてみれば難しい話じゃない。ほとんどのサッカー選手は右利きだろう。それはうちの部内にも言えることで、つまり、ノルマはほぼ右サイドで始める二回目以降の偶数巡目で達成される。勿論、ノルマはクリアできるかギリギリの所に定めるから、一巡目で終わったことは今までないらしい。
最近のサッカーは論理的だなとか一人で感心しながら部室棟を出る。夕焼けに赤く染まった空に、カラスたちの今日一日の太陽の仕事ぶりを称える鳴き声が穏やかに響く。
そういえば宮木ともう一人の女子生徒(さっき聞いたが、原雪路というらしい)は「まだ用がある」といっていたから、おそらくもう少し部室棟の一室に残るようだ。
ちなみに、松島先輩から借りた体育着はしっかり洗って後日返却しました。




