一章 (2/3)
この世界は狭い。そんな一言が思春期の高校一年生の頭の中に浮かぶのはごく自然なことだろう。
眼前の講義台の上では数人の生徒たちに見守られながら、生徒会長様が長々と作文を読み上げていらっしゃる。一体どれほどの時間が経過したのだろうか。真昼間から講堂に響く、平坦なトーンの声に眠気を誘われ、俺は虚ろな目で隣に座る奴の話を聞き流していた。
「それでさ、そいつの脇腹にガーンてボディーブロー入れてやったのよ、ほら、ボコッ!、ドン!で、最後にベシー!みたいな感じよ!!そしたらそいつバターンでさ…」
そんな効果音ばかりの抽象的な説明で、前後の文章を知らないその他第三者の皆さんが文脈を読み取れるわけないだろ。
しかし世の中は本当に狭いものだ。まさか小学校の時に転校していったやつと高校である意味感動の再開を果たすとは…あの頃の俺には想像もつかなかった話だ。実際、小学生の時と(主に外見が)色々違って気付かなかったが、こいつの喋り方は相変わらずなわけだ。
そしてその他第三者の皆さんのために一応紹介しておくが、こいつは斎藤雄大。昔と違って名前通りに雄大…というか巨大に育ったようだ。どうでもいいけど。
「ちょっと君たち、静かにしてね」
後方から不意に囁かれ、斎藤のでかい図体が反射的にびくっとする。視界の端からヌーっと顔が現れ、短髪で黒いジャージを着た好青年が唇に人差し指を当てながら、シーっと注意を促す。見るからに体育教師って容貌だ。
その後は先程の体育教師が後ろに立ち、幸いにも斎藤が終始沈黙していたおかげで、長い生徒集会が終わるまで仮眠をとることが出来た。そして場面は変わるが、ホームルームなう。…死語かな?死語だよね…。
「えーと、名前は有田武、25歳で、教科は数学を担当しています。えーと、呼び方はなんでもいいです。」
見た目には似合わず小さな声で自己紹介をするうちのクラスの副担任。前言撤回しよう、先程のジャージ男は数学担当の教師だった。うちのクラスは担任が学年主任で何かと忙しいので基本的に行事やホームルームなどはこいつが指揮を執るらしい。
自己紹介が終わると一部の女子たちからは、キャーとしか形容しようのない歓声のような悲鳴のような声が上がる。それに続いて、ちょっとかっこよくなーいだの身長高いねーなどの会話がボソボソと聞こえてくる。顔に反して恥ずかしがり屋なのか、有田は頬を赤らめてうつむいていた。
「えーと、それじゃあ相葉君から自己紹介とかしてって。名前と誕生日、あと趣味もね」
教壇机の上にある座席表を見ながら向かって左端の列に手を向ける。えーと、が口癖なのか。妙にいらつく奴だ。
大体、身長(推定)190㎝の巨体で短髪で黒いジャージのくせに声が小さくて、しかも数学教師とか。どう見てもお前は体育教師だろうと。別に容姿がいいことに嫉妬してるわけではないが、断じてないが、とにかく俺はこいつが嫌いなのだ。
そんなふうに有田の第一印象を、頭の中でずらずらと並べていると、いつの間にか俺の番が近づいていた。
「名前は斎藤雄大、誕生日は8月2日のしし座、趣味はサッカー、ちなみに童貞っす。んじゃよろしくってことでー」
斎藤がドヤ顔で席に座る。いや実際には背後からでは見えないが、俺の第六感が「笑いとったり」という斎藤の思惑を受信して視覚情報を補完する。案の定、クラス全員がドン引きなわけだが。そんなことお構いないのか斎藤がゆっくりこちらに振り返る。
クラス全員が冷めた目で斎藤から目を逸らす中、不思議にも有田は幸せそうな微笑みを斎藤に向ける。次は俺の番か。つか斎藤てめえ、そのニヤけ顔やめろ。そして語尾伸ばすのウザイから。思えばこいつは昔からこういう奴だったわけだが。
「俺の名前は関根京介、誕生日は4月6日、趣味は…」
あれ、趣味なんてないぞ。これって言わなきゃダメなのか。さすがに健全な男子高校生に趣味がないってのも不味いよな。根暗とか変な勘違いされても困るし。一瞬迷ったが、まあ別に何でもいいよな、テキトーに言っといても。
「趣味はサッカーです、よろしく」
俺が席に着くと、斎藤は妙に気持ち悪い笑顔でパチパチと拍手した。焦って斎藤と同じ趣味にしてしまったが、そもそもこいつってサッカーやってたか?転校していったのは小学5年生の冬だから、始めたのはその後か。どうでもいいんだけどさ。
「そっかー、関根もまだサッカーやってたのか。もち、サッカー部入るっしょ?」
やっと長かったホームルームを終えて解放されたと思ったら、また面倒なのが絡んできた。曖昧な返事をしながら荷物を鞄に詰めていると、突然、教室のドアが大きな音を立てて開いた。驚いて、その場にいた生徒全員が必然的にドアの方へと視線を向ける。
「あー、良かったまだ居たかー。京介君、これ持ってきたわよー。」
まさに仁王立ちと呼ぶに相応しい、堂々たる姿で宮木がドアの前に立っていた。片手には何枚かの紙切れをヒラヒラさせている。宮木はクラスにいる男子全員の視線を集めながら、ずかずかと俺の席まで一直線に歩いてくると、入部届けと書かれた紙を机に叩きつけた。例えではなく、本当にパンッという音が響いたくらいだ。
「二時からミーティングあるから、遅れないでね」
宮木は透き通るような声で言い放って去っていこうとした。
「え、てかまだ入部するとは言ってないんですけど…」
今はまだ仮入部期間だ。ほかの部活を見た上で決めようと思っていたのに、というか高校は軽音部に入ろうと決めていたわけなんだが。しかしながらそんな俺の言葉も彼女の耳(脳)には届かず、虚しく風を切るのだった。
「つか武、担任になったん?やるじゃん」
何がやるじゃんなのかよく分からんが、宮木はどうやら有田に面識があるらしい。俺の意思とは関係なく、俺の中での有田への評価がまた一段と低下する。副担だよ、とボソボソ返事をする根暗な有田にお構いなしに宮木は続ける。
「あそこにいる京介君、新入部員だから。そんじゃよろしくね、顧問」
またもや一方的に言い放つと、宮木は入ってきた時と同じようにずかずかと教室を出ていった。有田が意味ありげに頷きながらこちらに顔を向けて微笑む。相変わらずむかつくイケメンスマイルだ。ん?つかあいつ今、なんて言った?有田が こ も ん だと?
俺は今日二度目の深いため息を付くと、口を開きかけた有田を無視し、更に死んだように固まってドアの彼方を棒立ちで眺める斎藤を残して足早に教室を去った。背中に痛いほど多くの目線を感じながら。
で、部室棟の前なう。あれ、古いかな?古いよね、すみません。とにかく、始業式に出会った謎の女子高生に強引にサッカー部へ勧誘された挙句、無神経にも他人のクラスにずかずかと入りこんで入部届けを押し付けてきた暴君よろしく自己中万歳な女王様に、愚かにも俺はノコノコと付いてきたわけだが…。
何か質問ある?え、ないですか。ないですよね、ごめんなさい。いや待て、ちょっと待て。なぜそんな愚行に及んだのかについての弁明が必要だ。被告にも常に人権というものがある。俺にはその罪を犯してしまった健全、明確かつ絶対的な理由があったんだ。
真実はいつも一つ!…そう何を隠そう、どストライクなのだ。え、何がだって?断言してもいいが、俺は宮木より容姿が端麗な女性を過去に見たことがない。
いや、もちろんテレビの中とかそういうのは除くが。まあ健全な思春期の男子が可愛い女子の後ろを追いかけるというのは、古来何万、何百万年にも及ぶ人類の歴史の中で繰り返されてきた、至極当然で健全な文化である。
いや別に好きなわけじゃないぞ。そんなことは決してない。まだ内面もよく知らないからな。まあでも性格はちょっと可愛いかもな、絶対「チョコレートケーキ派」だな、あいつ。あ、いやいや別に可愛くないね。決して可愛くない。断然可愛くない。…ちょっと可愛いだけだ…。
まあ、とにかく!室町時代(多分)とかに行われた夜這いを代表する、脈々と受け継がれてきた神聖なる文化や歴史を俺たちの代で終わらせるわけにはいくまい。
毅然とする思いで自分を言いくるめながら俺は階段を二段飛ばしで駆け上り(※良い子は危ないからマネしないでね)、ちょっと息を切らしながらも部室棟の二階にたどり着いた。
静かな廊下に二種類の騒音が響く。声の元はどうやら二つの部屋からだ。向かい合った部屋同士から漏れ出る笑い声や話し声。その中で俺はサッカー部と書かれた黄色いステッカーの貼ってあるドアをノックする。あれ、ノックってなんか気不味くならないか?とかちょっと後悔しながらも、ワンテンポ挟んで浅黒い肌の青年がドアを開けた。
「あ、もしかして関根君?」
得意のポーカーフェイスで低めにに「はい」と頷くと、その青年は笑顔で「入って入って」と言いながらドアを開けた。部員たちは、部屋に入ってきた可愛い新入部員に特には目もくれず、相変わらず自分たちの話に夢中のようだ。
「宮木から聞いたよ。まさか始業式初日から新入部員が来てくれるとわなー。あ、ちなみに俺はサッカー部キャプテンで三年の松嶋だ。よろしくな、後輩」
妙に感じのいい青年だ。爽やかな笑顔に微笑み返しながら部室全体を見回す。部室にいる部員は全部で10人ちょいってとこか。当然のことながら全員が先輩だ。
そこで俺は、練習着を持っていないことに気づいた。まさか始業式初日から、新入生が練習着を必要とする機会はそうそう訪れないだろう。そのことを松嶋に告げると、代わりに体育着を貸してくれることになった。ちなみに洗って返す必要はないとのこと、やけに気前のいい先輩だぜ。でも気が引けるし、一応洗って返さないとな。
「とりあえず、もうすぐミーティング始まるからちゃっちゃと着替えて。場所は確か…一年二組の教室つってたな」
松嶋はそれだけ言うと、「じゃあ」と手を振って部室から出ていってしまった。ほかの部員たちは相変わらず他愛の無い話に夢中だ。俺は妙に心細くなってしまっい、すぐに松嶋から借りた体育着に着替えて、自らの教室に逆戻りした。
「ちゅうもーく!!」
宮木が教卓を両手でパシンと叩くと、部員たちは話すのを一時中断して宮木の方を向く。教壇に立つ宮木の隣にはもう一人、宮木に比べてやや小柄な女子生徒が控えめな微笑を顔に浮かべながら立っている。
肩まで伸ばしたセミロングに、左側のミドルセクションに巻かれた大きなピンク色のリボンが特徴的だ。女子高生二人組の立つ教壇の脇には、椅子に座った状態の有田が腕を組みながら微笑んでいる。相変わらずむかつくイケメンスマイルだ。
「そんじゃ、これからミーティング始めるわけだけど…そうね、まずは新入部員の紹介ね」
ほらこっち来て、と宮木は手招きしてくる。マジか…ただでさえ相手が全員先輩で、敬語を使わなきゃいけない上に、シャイで人見知りな俺が初対面の相手に自己紹介だと?いや、自己紹介なんてものは初対面の相手にしかしないわけだが…とにかく無理っす。無理無理無理。
首を大げさに振って抗議していると、後ろから思いっきり背中を叩かれた。驚いて後ろを振り返ると、松嶋がニカッと笑いながら親指を立てている。結局、俺はいつの間にか目の前に立っていた宮木に手を引かれて教卓の前まで連れて行かれた。
ここで質問なんだが、自己紹介ってなにいえばいいの?名前以外に思いつかないんだが…誰か知ってる奴いたら教えてくれ。そんな俺の心を見透かしたのか、宮木は「名前、ポジション、サッカー歴に…そうね、あとは好きな食べ物」と命令した。好きな食べ物はいらないだろ。
「名前は関根京介、一年二組所属で、ポジションはウィングとトップ下です。小学生の時に3年間だけ、地元のクラブに所属してました。…」
…しばし沈黙の間を置いて周囲から徐々にパチパチという拍手が起こる。え、何これ?もしかして好きな食べ物も言うべきだったのこれ?自問自答をしながら席に戻ろうとすると、横から「よろしくね」と囁かれた。もう一人の女子生徒だ。至近距離からの女子の微笑みに、内心ドキッとしながら「よ、よろしく」と反射的に返す。キョドるなよ俺…。
「じゃあ改めてよろしくな、関根」そう言って笑う松嶋に軽く会釈を返した。それに続いて周りの何人かの先輩からも「よろしくな」と声をかけられ、俺は「よろしくお願いします」と何度か首を前に傾けた。じゃ、早速本題に入るけど…。宮木がクラスを見渡しながら前置きした。
「次の日曜日に練習試合入れておいたわ。相手は市立桜ヶ丘よ」
宮木がニコッと微笑みながら首を傾げると、先程まで和やかな雰囲気だった部員たちが一斉に固まった。市立桜ヶ丘と言えば、同市内にある公立高校だということしか知らない。数秒の沈黙を挟んで、何人かの部員から「マジかよ…」という動揺したような声が漏れる。
「今回は市立桜ヶ丘の第二グラウンド、アウェーでの試合になるわ。今日から練習始めるから、この後すぐにグラウンド集合よ。じゃ、一時解散!」
宮木は凛とした声で言い放つと、傍らに立っていたもう一人の女子高生の手を引いてスタスタと教室を後にした。それと同時にクラス内が一気に騒々しくなる。ミーティング前の他愛ない会話の続きを話すものもいれば、日曜日の練習試合について話すものもいた。次第に、一人また一人とグラウンドに向かい、クラスに残されたのは席に座ったままの俺と、練習メニューの日程表と睨みっこする松嶋だけになった。
「あの、市立桜ヶ丘が何か問題なんですか?」
俺の問いかけに松嶋はちょっと真剣な表情で頷く。
「昨年のインターハイ都代表だよ。まさか練習試合を組んでもらえるとはな…。今年は有名な奴がスポーツ推薦で入ったって聞いたけど、誰だっけ?」
松嶋は眉間に指を当てながらしばらく考えている振りをしたが、すぐに「ま、なんとかなるっしょ」と笑って親指を立てた。短絡的な奴だ。俺は意味も無く二度頷いてから立ち上がり、松嶋と二人でグラウンドに向かった。




