92,ヴァレンティンの敗北感。
※今回はヴァレンティン目線の話です。
アニーとエレノアの怒りを宥めたあと、私たちはこれまでの経緯をひとつずつふたりに説明し、なんとか和解まで持って行った。
その後、五人で軽い夜食を食べ、親睦を深めるという名目で酒も交わした。殺気立っていたアニーとエレノアも徐々に心を開いてくれ、私とユグリスはほっと胸を撫で下ろした。
兵士たちが宿舎に帰った夜十時半のこと、私はアニーたちとの夜会を抜けて、ひとり屋上へと出てゆく。長時間の飲酒で生暖かく熱を持った身体を、夜風で冷ましたかった。
「具合はどうですか。ひとりで抜けられたので、心配しましたよ」
少ししてからそんな言葉が背後から聞こえ、振り返ると、そこに立っていたのは意外なことに涼だった。
「いや、心配はいらん。軍にいながら、どうも孤独癖が抜けなくてな。人の集まりは嫌いではないんだが、最後にはひとりになりたくなってしまう。これはもう、私の性格だろう」
「良くわかります。……邪魔でないなら、俺も隣で少し休んで行って良いですか」
「構わんよ」
と、私は頷く。すると涼は、屋上の縁にグラスを置いて、オーヴェルニュの冬の寒さにひとつ身を震わせた。
不思議な男だ。
冒険者としてただ者でないのは肌感覚から伝わって来る。
単純な強さで言えば、S級冒険者か、もしくはそれ以上かも知れない。なにか底のない井戸を覗くような不気味さが、その強さにはある。
だが、それほどの強者でありながら、涼にはとげとげしさといったものが、まるでない。
冒険者というものは、どこか酒に似ている。強ければ強いほどアクも強くなり、こちらを拒むような棘を内包するものだ。
しかし隣で佇む涼には、ただ他人をリラックスさせる柔らかな暖かさだけがある。これほどにとげとげしさのない冒険者に会うのは初めてのことだ。少なくとも、私の知っている“強者”とは違うタイプの強さを持っているのだろう。
「いくつか質問しても良いだろうか」
「ええ、構いませんよ。なんでも聞いてください」
「君とアニーは、この世界から階級を無くそうとしているんだったな」
「そうです。第四階級の仲間たちとともに、完全に平等な世界を造ろうと思っています」
私は一呼吸置いて、尋ねる。
「そうすることで、別の誰かが不幸になったりはしないのだろうか」
「別の誰かが、不幸に……ですか」
この問いは長いあいだ、私が自分自身に問いかけて来た問いでもある。
いや、私だけではない。恐らくはユグリスも、セナも、ヴィクターも同様に自分に問いて来たであろう問いだ。
私たちは成人するとともに階級社会に投げ込まれ、この社会システムを恨んで生きて来た。
だが、この歳になるまでに、私たち自身がこの貴族社会に順応し、そこで人間関係を構築し、自分自身がそのシステムの一部へと自らを変容させてきた。
その過程で、私たちは”革命を起こすことが果たして正しいのか“、わからなくなってしまった。
もしそんなことをすれば、大勢の貴族たちが路頭に迷うか、少なくとも激しく困惑するのは目に見えている。
私たちに、それほど大それたことを行う権利があるのだろうか。
私は涼に、この難題に答えて欲しかった。
だが、涼から返って来た答えは、想像もしないものだった。
「それは……、俺は知りません」
「なに?」
「誰かが不幸になるかもしれませんし、ならないかもしれない。……そのことは、俺は知りません」
「知らない……? 気にしないということか?」
「ええ。気にしません」
驚くべき答えだ。
誰かを不幸にしても革命を達成したいとか、そういった綺麗ごとを言われるのだと思っていたが、”気にしない“などと言われるとは思ってもいなかった。まさに、私の想像を超えた答えだ。
「なぜ、気にしないのか、聞いても良いだろうか」
「それは……」
と、涼は首を傾げ、なにか考えるような仕草をしたあとで、こう答えた。
「俺は別に下剋上を起こして、今上にいる連中を虐げようとは思っていないからです」
「……君は、復讐の為に革命を起こそうとしているのではないのか?」
「全然違います」
「……では、なんの為に……??」
「ひたすら、階級のない世界の方が、今より良い世界だからです」
心臓を弓で射貫かれたような気分だった。
革命を起こそうとするとき、私は無意識に、今の貴族社会に復讐をするつもりになっていた。
だが、涼の革命の目的は、そんな復讐などではない、と言うのだ。
「では君は、今いる貴族たちを不幸にはさせないと言うのか?」
「ええ。敢えて不幸にしようとは、思いません」
「今敵である貴族さえも、君は救おうと言うのか?」
「……救いと呼べるかはわかりませんが、少なくとも、迫害はしないつもりです」
「馬鹿な」と呟き、思わず吹き出してしまう。
だが、笑い飛ばしつつも、それが絵空事とは思えない説得力が、この男にはあった。
なにか、“敵さえも丸ごと包んで救ってしまいそうな懐のデカさ”が、この男にはあるように思えてならないのだ。
「……絵空事だ」
私は悔しくなって、そう言ってみる。
「そうでしょうか」
「そんなこと、出来るはずがない」
「わかりませんよ。案外、簡単なことかも知れない」
「君は貴族社会というものが分かっていないのだ」
「ええ。分かっていないのでしょうね」
「……認めるのか?」
「認めますよ。でも、分かっていないからこそ、変えられるのかもしれませんね」
夜風のなかでそう爽やかに笑うこの男に、その瞬間、私は確かに見惚れていた。
長いあいだ、このようにあっけらかんと答えてくれる男を、私は待ち続けていたような気がする。
いや、”気がする“のではない。私は多分、ずっとこの男を待っていたのだ。
「……私にもやれるだろうか」
「やれますよ。きっと」
「……私は駄目な男だ。とっくに心が折れてしまった男だ。それでもやれるだろうか」
「やれますよ。……俺に任せてください」
冬の冷気のせいだろうか。
涼の笑顔がきらきらと輝いて見えた。
膝を折って、この男に忠誠を誓いたい気分だった。
ヴィクターがこの男と“騎士の紋”を結びたがった理由が、今なら良くわかる。
冒険者としてではない。男として、……いや、人間の深さとして、私たちはこの男に負けている。
「今日はしこたま飲みたい気分なんだが、……付き合ってくれないか」
「偶然ですね。……俺も同じ気分なんです。飲みましょう。朝まで付き合いますよ」
その夜、私たちは様々な話をした。
そのいくつかについては、私が泥酔してしまったせいであまり覚えてはいない。
話の終わりごろに、涼が“彼方人”としてこの世界にやってきた日付について話をした。
それは教会の全書に書いてある予言の日と同日だった。
彼は“終焉因子”に違いないのだろうが、不思議なことに、私はもはやそのことをほとんど気にしてはいなかった。
冒険者になった日から、私は“天才”と呼ばれる者の一人だった。
最奥の探索者ヒュデル、翡翠の魔女エレノア。彼らに匹敵する優れた冒険者として、他の追随を許さない活躍をしてきた。
その活躍のまま私は軍部に入り、そこでも数々の武功を立てて来た。私はほとんど負け知らずの人生だった。
しかし今、目の前のこの若き男に、私ははっきりと敗北感を感じている。そして奇妙なことに、ほとんど初めてとも言えるその敗北感は、……悪くないものだった。
「私とも”騎士の紋“を結んではくれないだろうか」
「実は、……俺も同じことをさっきから考えていました」
その夜、夜遅いオーヴェルニュの夜空に、目を凝らさねば見えないほどの小さな花火があがった。
そしてその花火の下では、歳の離れたふたりの冒険者が、出会ったばかりだと言うのに、親友のように抱き合っているのだった。




