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君と彼らが僕の心に火を灯す  作者: 牧村せつら


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106/124

前夜の光

 壮行会から二日後の金曜日。午前8時ちょうど、アカデミーの公用車がゆっくりと校門を出た。運転席は坂崎。後部座席に、和也と琴葉。

 空はよく晴れていた。高速道路に入ると、車内は思いのほか静かだった。6時間強の移動。長いようで、短い。サービスエリアで軽く昼を取り、午後2時過ぎ、富川市総合体育館に到着した。まだ競技は始まっていないはずなのに、空気だけがすでに本番だった。

 アリーナは、広かった。天井が高く、空気が乾いている。白いテープで、約二メートル角の作業エリアが整然と区切られていた。その外側には、工具置きと通路がきっちり分けられている。建築大工、建具、家具。木工系の職種はすべてここに集まっている。まだ人はまばらだが、空間そのものが張り詰めている。   

 琴葉は、エリアの中央に立った。足元の白線。自分の番号。作業エリアは当日受付後の抽選で決まる。

——ここでやる。

指先が、わずかに震えた。

「緊張してる?」

坂崎が背後から声をかける。

「……少し」

「なんか、会場に立ったら急に」

和也が、そっと琴葉の手を握った。

「大丈夫だよ」

その声は、驚くほど落ち着いていた。坂崎が腕を組む。

「いつも通りやろう。練習でやってきたこと以外はする必要ない。練習通り、それだけだよ」

琴葉は深く息を吸う。

「……うん」

道具は車に積んだままにした。

「どうせ車だからな。明日持ち込めばいい。今夜はホテルで最終チェックだ」

坂崎の言葉に、二人は頷く。その後、会場近くのホテルへチェックインした。


 夕方。

「飯、行くよ」

3人でロビーに降りると、坂崎が足を止めた。

「ちょっと待て。もう一人来る」

「え?」

振り返った瞬間、背後から声がした。

「遅かったな。これから飯だろ。私も一緒にいくぞ」

「……沙紀姉ちゃん?」

2人が同時に驚く。

「坂崎先生に連絡取って、ホテルと日程教えてもらってたんだ」

さらりと言う。そして、小さな写真立てを取り出した。

「今日だけは、恋を連れてきたくてな」

柔らかく笑う。その笑顔の奥に、わずかな涙が光った。


 近くの洋食屋。テーブルの中央に、恋の写真が置かれる。

「すみません、妹も仲間に入れてやっていいですか」

 沙紀が坂崎に言う。

「もちろんだよ」

和也と琴葉は定食を注文した。沙紀も同じものを頼む。坂崎はつまみをいくつかと、生ビール。グラスの泡が静かに揺れる。

沙紀は写真を見つめたまま、小さく言った。

「恋を連れてこれて、よかった」

声は震えていない。だが、目に光が滲んでいた。和也は写真を見る。胸の奥が、ふっと軽くなった。

——いつもと、何も変わらない。

それが、いちばんありがたかった。


 夜。坂崎が用意した空き部屋にベニヤ板を広げる。現寸図を、もう一度描く。線は迷いなく走った。天然砥石で仕上げた刃を確認する。

 鑿、鉋、墨壺、差金。一本ずつ、触れていく。刃先に指を当て、吸いつくような感触を確かめる。沙紀と坂崎は、何も言わずに見守っていた。

「よし」

道具箱を閉じる音が、静かに響く。


 消灯後。和也の部屋。ベッドの横に、恋の写真が置かれている。沙紀が、そっとひざまずいた。

「今日どうだった」

「……思ったより、緊張した」

「そうか」

沙紀の手が、和也の頭を撫でる。子どもの頃から変わらない仕草。

「でも、大丈夫だと思う」

「なんでだ」

「みんな、いるから」

沙紀は微笑む。

「そうだな」

しばらく沈黙。

「明日から、やるよ」

「やってみろ」

短い返事。和也は目を閉じた。不安はある。だが、それ以上に静かだった。大会まで、あと一日。

 刃は整った。

 心も、整えた。

 あとは、木と向き合うだけだ。


第106話目の投稿になりました。ここまでお読みくださりありがとうございます。

ついに全国大会に来た琴葉と和也です。和也には何よりの援軍である沙紀も駆け付け。

次回は全国大会競技初日です。

お楽しみいただければ幸いです。

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