18.「愛の地下牢」
ひんやりと冷たい感触が心地良く、ユキはうとうとしてしまっていた。ゆっくりと瞼を開くと――、
「起きたか?」
赤樫の顔が至近距離にあった。
「……何してんだ?」
「膝枕だ。気持ちいいだろう?」
「アイスノンがな。あんたはさぞかし膝が冷たいだろうに、バカかよ」
ユキは体勢を起こそうとして、後頭部に鈍い痛みを感じる。手で触るとコブができていた。「まだ、横になってろ」と赤樫に押し倒され、「念のためにMRI検査を受けた方がいい」
「必要ない。あんなの高いし」
損にして言ってみた赤樫だったが、やはり無駄だったと溜息をつく。
「それより、今何時だ?」
あれから、逃げたユキが向かった先は、赤樫のメンタルクリニックだった。少々、不本意だったが、他に行く当てもなく思いつかなかった。
頭を抱えてふらつきながら辿り着くと、赤樫の顔を見た途端、何故か気が緩んで全身の力が抜けていった。そこから、記憶が途絶えているが、手当と介抱を受けていたようだ。
「夜の八時を回ったところだ。腹は減ってないか? 何か入りそうなら、入れろ」
「そんな事より、じいさんとこ、戻らないと……離せ」
「一体、何があった? 詳しく説明しろ」
「別に。ちょっと客とトラブっただけだ。説明するほど、何もない。だから、離せ」
起き上がろうと抵抗するユキを赤樫は無理矢理に押さえ込む。
「じいさんとは、例のホームレスのか? どこで襲われた? そこへ戻る気なら、やめろ。しばらくは危険だ、近づくな」
確かに、今すぐ戻るのは避けた方がいい。相手も駆け付けた警察もまだ動いているかもしれない。だが、老人のことが気がかりだ。しかし、それも老人なら赤樫と同じ事を言って、しっしと追い払ってくるだろう。そう頭では分かっているものの……
「……何もできないのかよ?」
自分のせいで巻き込んでしまい、挙句、助けてもらったというのに、何もできずにいるのが悔しい。歯がゆい。何もかもが情けなくなる。
「今は自分の身だけ案じていろ」
赤樫はそっとユキの頭を撫でる。
いつになく優しい赤樫のせいか、安心感のある膝枕せいか、ユキは気弱に涙腺を緩ませてしまいそうになる。気づかれないよう赤樫の腹に顔をうずめて隠したが、取る行動を間違えてしまった。逆効果で目尻に涙を浮かべてしまう。
「……ここのところ、いい事ないな。……自殺者が出たんだ。オレの客だった。でも薬でじゃなくて、飛び降りだけど」
「それは、おまえのせいじゃない。たとえ、薬だったとして、それは止められたものじゃない」
「オレのとこ来たってことはSOSだったんだ。なのに、何もできなかった。というか、できないんだな」
「何をしたって、死ぬやつは死んでいく」
冷酷非情な台詞だが、今回の件でユキも痛感している。
「ある意味、弱いヤツほど、うじうじと未練垂らして生き残ってるもんだ」
「それは、強いから生き抜いてるってことじゃないのか?」
「そうだな、そうとも捉えられるな。死んだら何もかも終わりだからな。なんかのアニメにあるだろ? 諦めたら、そこで試合終了だってな」
「そのアニメ知らないけど、意味は分かる」
「知らないのか。年代が違ったか」
と、赤樫が老ける。
「でも、諦めても諦めなくても、最後はみんな死ぬのにな」
「それを言ったら終わりだが、そこまで悟りを開いたなら、もう何も怖くないだろうな、無敵だ。どうせなら、何も悩まず楽しく最期を迎えろ」
泣いていても、笑っていても、明日はやって来る。そして、昨日、泣いてた人も、笑っていた人も、今日には死んでいるかもしれない。死を目の前に、幸も不幸も、富も名誉もない。頑張っても頑張らなくても、諦めても諦めなくても、死ぬ。人生とは、何の意味があるのか。
そんな堂々巡りをしていると、考えるのも馬鹿らしくなってきたユキは、すっかり目尻を乾かせ、「あー、厄日だ」とぼやき、頭をさする。
「さすがに懲りたか? 前にも言ったが、そろそろ潮時だろう。これを機に手を引いたらどうだ。まだ、間に合う。きちんと罪を拭いたいなら、出頭すればいい。でも、それは形だけだ。反省して自分を許せるのは、自分だけだ」
「もう、手遅れだ。一度、闇の世界に堕ちたら、地上はまぶしくて、まともに歩けやしない。あんたもよく知ってるだろ?」
「なら、俺と一緒に地下牢で暮らすか?」
「は?」
ユキは一瞬、ポカンと。
「な、なんだそれ? プロポーズのつもりか? てか、牢は狭いし、そんなとこに閉じ込められて束縛されんのイヤだ、DVだ!」
フッと息を漏らして笑う声がして、ユキはうずめている腹の隙間からチラッと上を盗み見たが、余裕たっぷりに涼しい顔をしている赤樫に、ムッときた。
「なんだ? 泣いたり、怒ったり、生理前か?」
「うるさいっ」
ユキはガバッと膝枕から起き上がる。
「――っ」
泣いていたのは嘘ではないが、妙にドキドキする心臓の鼓動と不機嫌な気分の正体が何なのかには気づけない。
「それより、鎮痛剤くれ。頭が痛くてカチ割れそうだ」
「食べてからの方がいい。とはいえ、カップ麺くらいしかないな。コンビニで何か買って来るか。待ってろ」
「いい、食欲ない」
頭の痛みがイラつきに拍車をかけてくる。食欲はあったはずだが、飛んで消えていた。
窓から外の景色を眺めると、夜空にいくつか小さくか弱な星がチラチラと揺れ動き瞬いている。ユキにとって星は遠い遠い存在で胸を儚くさせられるものだった。
そんな星空の下で、不安に眠れないまま朝が来るのを待っている人たちがいる。
「──依頼だ」
窓からくるりと向き返ると、背後でコーヒー豆を淹れている赤樫に、事務的に伝える。
「以前、赤玉は代用できると言ったな? コントミン、ピレチア、フェノバール。この割合で処方すれば、同じ成分になるって。それを処方してほしい」
「早速、仕事か」赤樫は苦笑し、「あれは勧められるものじゃないな」と渋い顔でブラックコーヒーを口に含む。
「ピーピー夜泣きする子供がいるんだ。寝かしつけてやんなきゃいけなくてな」
ユキもマグカップを手に持つと、砂糖とミルクをたっぷりとコーヒーに入れながら、「親は何してんだか」ぼやきながら診察室の方へと移動する。
後から赤樫もゆっくりと急ぎもせずやって来ると、デスクの椅子に座って足組し、やや考える仕草をしてみせる。
「……分かった。いいだろう。処方しておく」
「やっぱり、あんたは平気で処方するんだな」
「今は安全で新しい薬があるからな、ほとんど使わなくなった医者が多い。それでも最後の砦のように使う医者がいるから、悪いイメージがつきまとわっただけだ。服薬した患者が全員、自殺に用いる訳がないだろう」
「そりゃあ、そうだな。ODで自殺させるなんて、患者をちゃんと治療できてない医者の腕が下手クソだからだ」
「あえて言い返せば、きちんと服薬を守らないのと、自己管理ができない患者がいてだな」
「そりゃ、入院コースだな」
と、言ったユキに、「おまえのことでもあるぞ」と痛いところを突かれる。
「おまえのような常習犯なら、赤玉を多めに飲んだくらいじゃ心配もないだろうが……どんな依頼者か知らないが、投与は慎重にな」
「あぁ、わかってる。んだよ、皮肉交じりに。でもその程度なのか」
口を尖らせながら、少し興味を持たせたユキに赤樫が鋭く目を光らす。ユキはそれに気づかないふりをしてコーヒーをすする。
ユキのOD癖は治っていない。そう簡単に治るものでもない。が、そういえば飲む回数は減った。ここのところ、やたら周りが忙しく、自分自身に構っていられなかったせいか。この際、自分の世話は放ったらかしで、人の世話ばかりしていれば良いのかもしれない。
テーブルの上に置かれた製薬会社の某キャラクター入りのカレンダーを見る。明後日はユイと母親の診察日だった。母親の初診日はユイと同じ日に予約してある。誰かと一緒の方が外に出やすいだろうという理由で。ユキが付き添うのは、下手に刺激する恐れがあるのでやめた。ユイは少し不安がっていたが。
「明後日のユイと母の診察も、頼んだよ。よろしくお願いします」
まるで貸しを作るようで嫌だったが、ここはきちんと頭を下げてお願いしておく。
「あぁ、任せておけ。とは言え、お母さんについては、無事にクリニックに足を運んでくれるまでが問題だがな」
「それだよな」
ハァ、とユキは息を吐く。
「頭打たれて、思考回路がやられてる。カップ麺くれ」
「おまえの頭は、カップ麺で治るのか?」
「うん」
と答えて、戸棚を開いて中を漁り、見つけたカップ麺にお湯を注ぐ。そして、割り箸を添えて診察室を出ようとする。
「おい、どこ行く?」
「知ってるか? カップラーメンの一番うまい食い方」
「なんだ? 教えてくれ」
「夜に外で食うんだよ」
そう言って、ユキはクリニックの玄関を出ると屋上へと向かった。
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