19.「信じてやるしかない」
午前中、オンラインで数か所の病院を受診していたユキは、校舎の屋上で勝手にやって来る鈴華を待ちながら昼寝をしていた。
あれから一夜が明け、のそのそと赤樫の目をかいくぐってクリニックを抜け出し、早朝の河川敷へと行って来たユキだった。
この冬、初めてだろう霜が降りた雑草の上をショートブーツを濡らしながら、老人が拠点とするテントまで行くと、テントの中に老人の姿はなかった。
一瞬、不安が頭によぎったが、テント前の焚火が完全に消えておらず、かすかに煙が立ち上がり、温もりを残していた。まだ老人がどこかへ行って間もないことが分かった。
ただ一つ、飲みかけのコーヒーが気になった。「もったいない」が口癖の老人が、この寒い時期に冷めない内に飲み干していないのは少し珍しかったからだ。
探しに行こうかと思ったが、つい先程まで焚火をしながらコーヒーを飲んでいたという事は無事だろう。また釣りかゴミ漁りにでも行ったのだろと、ユキは出直すことにした。会えば会えで、赤樫と同様に、しばらく来るなと叱られもするだろう。
それに、例の連中ならば仕返しに来る可能性は低いとユキは考えた。
本物の不良ではないのは、昨日の喧嘩に不慣れな点で分かった。ユキを相手に無様に負けたのだ。
そして、挙句の果てには、突然やって来た、どこの誰だか分からない老人に、どこのメーカーなのか分からない賞味期限は切れているのかどうかさえ怪しいコショウをぶっかけられた。まだ殴られる方が格好がつくかもしれない。
意味不明な老人と、その孫に関わるのは、もう御免に違いない。また、奴らがあれ以上の勢力を保持しているとも思えなかった。
──カンカンカン
ゆっくりと塔屋に登って来る靴音にユキはのっそりと起き上がる。
「ユキ……」
と、現れた鈴華は昨日よりもさらに顔色が悪く、目の下には大きなクマを作っていた。たった一日経過しただけだというのに、やせ細っても見える。
「……どうしたの? その傷?」
こめかみにガーゼを当て包帯を巻いたユキの姿を見て、鈴華は驚き目を丸くする。大袈裟だとユキも嫌がったのだが、少しでも治りを早くさせるために、しぶしぶと赤樫の応急手当てを受けた。
「どうもしてないから、気にするな」
「でも……大丈夫?」
「それはこっちの台詞だ。昨夜も眠れなかったのか? 飯はちゃんと食ってるのか?」
「うん……眠れないのは辛いけど、お腹は空いてないし、ちょうどいいからダイエットしようかな、なんて」
無理して明るく笑顔を作った鈴華だが、それが余計に見る側の胸を締め付けられる。
ユキは手にしたポッキーを口にくわえると、ズキッとこめかみが痛んだせいもあり、顔をしかめて、考える――まだ、あの薬を渡すのをためらっていた。服薬させるべきがどうか、どちらが正しいか。
今日の鈴華は口数も少なく下を向いてうつろだ。ユキも元より無口なため、しばし二人の間には風が吹き抜けていく音だけがヒューッと物悲しく聞こえていた。やがて、
「――薬、用意して来た」
ユキは薬をバックから取り出す。そして差し出した。
「何、それ?」
鈴華が首を斜めに傾げる。それもそのはず、薬は半透明の小袋に三種類の錠剤がシートからむき出されて一緒に入っていた。
「寝る前に、この三種類の薬を全部一緒に飲め。わざと、袋にまとめてこうして入れてある」
調剤薬局では、このようにして処方薬を一つの袋にまとめてもらえる。朝・昼・晩と数種類もの薬を飲んでいる年寄りなどには、分かりやすく助かる。
しかし、そんな事など知らない鈴華は顔を怪訝にひそめている。
「別に怪しい薬でも、ニセモノでもない」
はずだ。と、ユキは内心で悟られないようつぶやく。このような指定で処方をしたのは、赤樫だ。ユキも最初は鈴華と同じく疑いを持ったが、偽物でも良かった。というのも、薬にはプラセボ効果というものがあり、偽物だと何も知らずに飲んでも、本物と同様に効果が現れる事がある。まさに、信じる者は救われる、だ。
「どうする? 信用できないなら、無理に買わなくてもいい」
「買う、売って!」
鈴華は財布を五百円玉を取り出すと、「お釣りはいいから」と切羽詰まったようにユキに渡す。
「……鈴華」
ユキが初めて鈴華の名を口にしたのに、ピクリと鈴華が肩を動かす。
「何でも欲しい薬は調達してやる。けどな、現実逃避したいがためにバカな真似する気なら、オレはもう売らない」
真剣な瞳で真っ直ぐ鈴華を見て言う。
「信じていいんだな?」
鈴華はわずかに瞳を揺らしながら、
「うん……」
明らかに動揺した心を必死に隠そうとしている様子に、あえてユキは突き詰めようとはしなかった。今は嘘でも信じてやるべきだった。
フッと口元を緩めるとユキは、
「まぁ、その量じゃ、せいぜい寝坊しかできなけいどな。いっぱい飲んだら、それだけいっぱい眠れるって思ってるヤツがいてマジ笑える」
冗談めかして笑った。
「そうだよね」と、鈴華はどこか残念そうに苦笑いする。
「ユキ」
「んー?」
「何味のポッキーが好き?」
突然の話の転換に、キョトンとユキは頭にはてなを作る。
「……甘いのなら、なんでも」
「甘くないのはないと思うけど……うん、分かった。今度、持って来るから、一緒に食べよ? 今日は持って来れなかったから、ゴメンね」
「はぁ……まぁ、いいけど」
よく意図の掴めない話題に対して、ユキは適当に相づちを打つ。
「じゃ、約束!」
はにかんだような笑いを残して、鈴華はサッと背中を向けると、小走りに屋上の階段へと向かい降りていった。次の〝予約〟を決めるのも忘れて。
「おいっ」
呼び止めようとしたが、待たずともまた会いに来るだろうと思いながら、ユキはやけに胸騒ぎがするのを感じていた。
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