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12.「じいさんと海」

「へっくしょん」


 ユキは大きなくしゃみを一つ。

 海の潮風が吹きつけ、体をブルッと震わせて上着を左右に重ね合わせ直す。


 ──ポチャン


 餌を少しだけ惜しみそうに付けた釣り糸を海に投げ入れられる音が背後でする。


「何が悲しくて、わざわざ魚臭い北風に吹かれなきゃいけないんだ」


 ブツブツ文句を垂れるユキの側で、


「ここは、最高の穴場じゃからの」


 ろくに機能していないクーラーボックスの上に座って老人は活き活きとした瞳を輝かせている。その尻に敷いたクーラーボックスの中では魚が死んだ目をしているに違いない。

 二人ははるばる自転車を一時間漕いで海岸へとやって来ていた。

 立入禁止となっている防波堤には、どこからともなく釣り人が大勢集まって、つい先程まで活気に溢れ大漁祭りで賑わっていたのだが、日が暮れ始めると共に子供連れなどのファミリーは帰っていき、今はポツポツと定年間近な男たちが辛気臭く海に向かって黄昏れているのだった。


「アジフライか」


 暇を持て余したユキは、バケツの中で窮屈に泳ぐアジを意地悪に指先で突きながら、その調理法を考える。


「油がもう残り少ない。帰りに買って帰るか」

「マジ、揚げるのかよ。油なんかどこ捨てるんだ? 河川になんか流すなよ? 環境汚染だ」


 ゴミは地域の自治会に入っていないと捨てられない。老人は自治会に入らず一人で暮らしているため、普段のゴミ捨てはこっそりと河川で燃やしたり埋めるか、こっそりとアパートのゴミ置き場に捨てられたゴミ袋の口を開き、その中に入れたりしている。見つかれば大問題だろう。

 魚をいじめるのにも飽きたユキは、港に構えている焼きいもの屋台を見やる。そろそろ、店じまいをしようと片付けをしているところだった。


「焼きいも、欲しいか?」

「いや、別に」

「よっしゃ、買ってきてやる。これ持っとってくれ。浮き輪が二、三回沈んだら、引き上げるんじゃ。逃がすなよ」


 そう言って、釣り竿をユキに押し付けると、防波堤を降りて行く。


「おい、いらないって言ってるだろっ」


 ユキの言うことも聞かず屋台へと向かう老人。ユキはやる気なく竿を持ち、魚が食らいつくのを待つ。釣りの何がそんなに楽しく面白いのか、理解できない。冷たい風に吹かれながら、釣り人の神経を疑う。

 そうこうしている内に、すぐに老人は戻って来たかと思うと、ニヤニヤと歯の抜けた前歯を見せながら嬉しそうに熱々の焼きいもをユキに手渡す。


「孫に食わすんじゃ言うたら、売れ残りやから言うて、タダでくれたわい」

「誰が孫だよ、でたらめなウソつくなよ」

「嘘も方便じゃ、ハハハッ」


 ユキは呆れる。しかし、嘘つきはユキも同じで、本当は食べたいと思っていた。受け取った焼きいもから香ばしく甘い匂いがする。「大きいぞ、今日一番の獲物じゃ」

 だが、老人のはユキのよりも一回り小さかった。大きな方をユキに小さな方を自分にわざと選んだのだ。その何気ない優しさに触れるとき、ユキは幼い子供になる。はるか遠くに思い出す、あの幸せに満ちた頃がよみがえる。だか、すぐに胸の奥に抑え込む。もう、決して心の中から出すまいと拒否した。


「じいさん、好物はなんだ?」

「酒と煙草と、女じゃ」

「そうか、今度プレゼントしてやるよ」


 何となく、感謝のお礼をしたくなった。「ほうか、どんなおなごが来るかの、楽しみじゃ」と、ワッハッハと愉快に大きく笑った。

 以前、老人が何気に口にして知った誕生日の日付が近づいているのをユキは思い出す。きっと、老人は自分の誕生日など気づいていないだろうし、気にしてもいないだろう。ユキは密かに何かサプライズをして大きく驚かせてやろうかと、イタズラな計画を立て始める。

 焼きいもを頬張っていると、いつしか太陽は赤く、その光で空を染めていた。西日にユキは目を細める。二人はもくもくと黙って食べていたが、少し重い空気を醸し出して老人がユキに何かを話出そうとした。


「ユキや、もう耳に入っとるか?」

「いいや、なに?」


 何の事か分からなかったが、悪いニュースの雰囲気に心の準備をする。


「昨日、市内の総合病院に大量服薬で女の子が搬送されたそうじゃ」


 ユキがピクリと反応する。


「どこの高校だ? 助かったのか?」

「西瀬高校の生徒じゃ。意識はあったらしいからの、大丈夫じゃろう」

「確かか?」

「あぁ、山さんからの情報じゃ。ちょうど病院の診察日じゃって、搬送されて来たのを目撃したそうじゃ」

「その子の名前、分かるか?」

「アイコちゃんじゃ。そう何度も母親に呼びかけられてたそうじゃ。何じゃ、知っておるんか?」

「いや」


 違った。といった受け答えに、老人は「ふむ」と、手の中で転がしていた焼きいもにかぶりつき、それ以上は黙った。

 ユキはホッと小さく息を一つ吐き出す。一瞬、鈴華(すずか)が頭によぎったからだ。何故かは分からない。他にも売買をしている客はいるというのにだ。

 ズボンのポケットから携帯を取り出し視線を落とす。

 先日、二人組みの男に絡まれて以来、鈴華の通う高校の裏サイトから掲示板への書き込みはすべて削除した。丁度、生徒たちの関心事が他の話題へと強く向かっていたため、突然の一斉削除について不審がる者も少なくて助かった。

 このまま一度、姿をくらまし様子見をする事にした。しばらく、新規の客は見送る。常連だけでの取引だけとなるため、財布は少し寒くなるが仕方がない。


「その子じゃがの、実は以前、山さんが売買しとった子なんじゃ」

「え……」

「とは言うても、少し前に取引はなくなってたそうじゃ。山さんはユキとは違って誰彼構わず頼まれれば何でも売る主義じゃが……薬が必要ないとういうことは、良くなってきたんじゃのと、心では喜んでたところだったそうじゃ」


 自殺への助長になりかねないという懸念がありつつも、彼らもまた、生活がかかっている。買う客がいるならば、売る。ユキもそのうちの一人だ。なので、責められる事はできないし、その権利もない。


「それなら、もう薬のストックはなかったはずだ。溜めていなかった限り、な。」


 数年前までは大量服薬による自殺に用いられてきた危険な睡眠導入剤は次々と販売中止になっている。もう在庫もないはずだ。


「この辺にはクリニックといえば、あの駅前か、あとは正真正銘の精神病院ぐらいじゃの」


 心療内科に通いたがる者はいても、精神科と聞けば、まだ怖いというイメージを持つ者が多い。なので、個人のクリニックでは、心療内科と精神科の二つの科が並ぶという、おかしな看板になっている。

 ユキは「赤樫(あかがし)……」と、小さく老人に聞こえないくらいにつぶやき難しい顔つきをする。

 何も確証はないが、赤樫ならば大量の薬を平気で処方しかねない。患者の中にも薬を出せと、半ば脅してくる者もいる。無論、怯んで言われるがままの赤樫ではないが──敵には回したくないタイプだ。

 

「しかし、若い子がのぅ。何をそんなに辛かったかは本人にしか分からんが、それもずっとは続くまい。生きていりゃ、いい事も悪い事もある。まだまだ先は長い、これからじゃ」

「先なんて、見えなかったんだ。今が、辛いんだろ」


 老人の言うことは、長生きをした経験からくるものだ。


「あぁ、先は見えん。誰にも分からん。けれど、希望や夢は持てる。何でもいいんじゃ、冷蔵庫のプリンを食べるために学校行くとかの。それこそ、サラリーマンの仕事帰りに飲むビールと一緒じゃ。人間、そんなもんじゃ」

「それも、理屈にしか聞こえないな」


 明日を生きるための夢も希望も何も見えず、生きる意味を持てる程の心の余裕がなかったのだ。


「それを言われたら、おしまいじゃがの。せめて、周りが気づいてやれたらの。どうにかしてやれるのにのぅ」


 一人、闇の中で助けてくれる誰かの手を泣きながら待っていたに違いない。自力で差し伸べる手はもうなかった──酷だが、弱かったのだ。気づけば、声も出ず体も動かず、限界に達していたのだろう。更に追い打ちのように周りに恵まれていなかった。

 決して誰も何も責められないだけに、やるせないやり場のない気持ちだけが残る。せめて、誰か何か支え一つさえあれば救いがあればよかった。それは、案外近くにあったりする。

 ユキは老人の、心なしかしわが増えた横顔をユキはそっと見つめる。老人はふと、


「わしは朝日より夕日が好きじゃ」


 沈みかける太陽に眩しく照らされながら言う。


「落ちていく姿を見て、あぁ、今日も一日生きたと実感するんじゃ。終わりよければ全てよしってのぅ。人生、最後に笑ったもん勝ちじゃ」


 ユキはそんな風に思ったことがなかった。陽が沈めば、長い長い夜の闇が待つ。世界の終わりが訪れる。皆、一度眠って、再び目を醒ます。いっそ、明けない夜が欲しいと、その闇で包んで永遠に眠らせて欲しいと、願ったこともあった。けれど、誰にでも夜は明ける。そして、這いつくばって地上へと重い扉を開き、光を浴びて生きていく。


「おまえには、何色に見える?」

「色?」

「この空の色じゃ」

「何色って、そりゃあ……」


 当たり前に答えれば、オレンジ色とか真っ赤な夕日だ。しかし、老人の言う〝色〟とはそうのではないと気づき、その意味を必死に受け取ろうとする。


「……分からない。どっちかというと、あまり好きじゃない色だな」


 暖かい焚火のような色をして、どこか切なく哀しかった。


「ほうか。一日の終わりに見た夕日の色での、その日が決まるんじゃぞ」

「じゃあ、何色だ?」

「今食うた、焼き芋のほくほくとした色じゃ」

「それ、単なる食い意地、表してるな」


 小さく蝋燭の火が灯火を消すように地平線へと沈んでゆく夕日の姿を、二人はしばらく眺めていた。


読んで頂きありがとうございました!

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