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13.「通院を許す」

 診察室のドアが開いて出て来たユイは落ち着いた様子だった。

 待合室にあるマガジンラックの前で、逆に落ち着きなく興味もない主婦向けの料理雑誌をめくっていたユキは、それを元の場所に戻すなり、「大丈夫か?」とユイに声をかけると、「大丈夫」と小さくニコッと笑ってソファに腰を下ろした。


「ごめんね。わがまま言っちゃって。でもやっぱり私、ここが安心する」


 赤樫(あかがし)の診察が、とまでは言わなくても分かかる。

 まだユイの赤樫への気持ちはなくなってはいなかったが、転院先の新しい医師との信頼関係がうまく築けずに悩んでいて、病状も睡眠状態が悪化しつつあるため、ユキは赤樫の単なる陽性転移だという言葉を信じて、ユイをここへと戻す事を決めたのだった。

 待合室を見渡せば、淡いグリーンと木目調のベージュを基調とした内装に、手入れの行き届いた観葉植物が所々に置かれてあり、室内にはクラシックが静かに心地よく流れていた。

 受け付けは男性の事務員で一見して優しくふんわりとした雰囲気のイメージを持つが、事務的な処理にやや無機質さを感じさせる。それはそれで、患者に余計な感情を抱かせない点では良いだろう。

 このクリニックはユキにとっては医師――赤樫を除いては何の文句はないのだった。

 カチャリと診察室のドアが開かれて、中から赤樫が姿を現すと、「ご家族の方、どうぞ」とユキを呼んだ。

 ユイがキョロキョロと迷ったのに対して、「会計、先に済ませていいですか?」とユキが赤樫に尋ねると、目線を合わせて頷いた。


「ユイ、会計済ませて、先に薬局行って待ってろ」


 待合室に他の患者はいなかったので会計はすぐに済むだろうが、薬局では少し時間がかかるため先に向かわせる。という、口実を作った。

 素直に従ったユイを残して、ユキは診察室へと入る。

 中では患者の家族との面談とは思えないほど、リラックスした態度で赤樫がマグカップを手にしていた。


「仕事中に、いい御身分だな」


 ユキが皮肉るも、


「たった今、休憩に入った。おまえも飲むか?」


 と、椅子から立ち上がる素振りだけで腰を上げそうにない赤樫に「いらない」とユキは跳ね退けて断り、腕を組んで窓際に寄り掛かった。


「それで、ユイは?」


 急かすように本題へと入る。


「おまえが心配するようなことなら、何もない」

「そこは百歩譲って信じてやる。だから、何かあったらぶん殴る」

「あぁ、ぜひそうしてくれ。もちろん、残念ながらそうはならないがな。で、ユイの診察の方だが、新しい病院で処方されていた薬を変更させてもらった」

「何の薬?」

「一日三回の抗不安剤を二回に減らした。最近、少し不安定でプチODしてたみたいだな。おそらく抗不安剤が増えたのが原因だろう」


 ユキはチッと舌打ちした。医者の出す処方で病状悪化させられていては元も子もない。こうした薬漬けにされる患者は多く、もはや何の為の治療なのか。


「しばらく、それで様子を見てくれ」

「ん、分かった」


 赤樫は確かに危険なヤブ医者であったが、知識と技術はあって腕だけは確かなのを悔しながら認めていた。


「家庭内は、今どうなんだ?」

「どうって……」


 質問されて、ユキは答えに詰まる。一緒に住んでいないので、詳しい内情は把握していない。母親のアルコール依存が治っていないのだけは確かだ。


「その様子じゃ、相変わらず家には帰っていないようだな」


 グイッと、腕を引かれて、


「俺のところへも来ないしな」

「なんだ、診察中にやめろっ」


 ユキは振り払おうとするも筋肉質な腕はビクともしない。


「診察中だから、騒ぐと外に聞こえるぞ」

「あんた、マジ怖い」


 まるで、犯人が脅迫して人質にする時の目だ。もはや男女の秘めた会話には聞こえない。

 ユキは赤樫の腕の中で、一体何ののつもりでこんな態度を取るのかを理解できずにいる。若い女性で性欲を満たすには、これでは物足りないだろうに。それに何より、赤樫ならば女には困らないくらいにモテるはずだ。まさか自分がターゲットとは考えられないし、思いたくもなかった。


「ユイは、なんて言ってた?」


 無駄な抵抗を諦めて、だらりと両腕を垂らして力を抜くと、眠気にあくびが出そうになるのを噛み殺す。

 赤樫は平然とゆっくりとした口調で説明する。


「お母さんの酒グセも相変わらずのようだな。だが、最近では飲むたびに強い罪悪感と後悔を抱いているようで、飲んだ後に嘆いて泣いているそうだ」

「自業自得だろ」


 と、ユキは吐き捨てる。


「治したいといった口ぶりもみせているそうだ。妹さんにも相談されたが、希望するなら協力しなくもないが、どうする?」

「母が治したいって? てか、治せるのか?」


 アルコール中毒の患者は受け入れていないクリニックも多い。それだけ、中毒を治すのは困難だという事だ。


「まぁ、やってみないと何とも言えないがな。治療を行うなら、自己嫌悪している今のうちだろう」

「治療って、何すんだ?」

「医者にできることはほとんどない。治すには本人の自覚と強い意志が必要不可欠だ。それを保つための手助けくらいだな、できるとしたら」


 知っていて一応聞いてみたユキだが、やはりと肩を落とす。だが、赤樫の言うように、母親が自責の念をみせている今が最後のチャンスかもしれなかった。少し考え、


「……頼めるか?」


 母親のためにというようりも、何よりユイの心労を軽くしてやりたかった。一日を同じ屋根の下で過ごすストレスは相当なものだろう。現に、ユイの病状は母親の影響で左右されていた。


「あぁ、やれるだけのことはやってやる」と、医師らしいまともな返事をしてユキの頭を撫でた。ユキは赤樫を押し退けると、気分を入れ替えるため、やっぱりコーヒーを飲む。

 少し冷めかけた残り一杯分のコーヒーに角砂糖は溶け切るかどうかを考えたが、淹れ直すにもユイが待っているため時間がない。仕方なく苦手なブラックのまま口に含み、顔をしかめる。

 その苦い顔をしたまま、


「一昨日、市内の総合病院に大量服薬で搬送されたって、アイコって子。あんたの患者だろ?」


 突然の問いに、赤樫は慌ても驚きもしない。ただ、「そうか」とだけ、否定でも肯定でもなく、つぶやいた。

 精神科医にとって、患者の自殺未遂は日常茶飯事なのだろう。一日に何十人もの患者を診ているのだ。冷たく無情かもしれないが、いちいち感情移入していては自身の精神が持たない。故に精神科医は以外にドライな性格が多い。


「しっかし、今どきODで自殺か。バケツに一杯飲まなきゃいけないって迷信はどこへ行ったんだ?」

「ODは嘔吐による窒息死が原因だったりするからな。知ってるだろうが、自殺企画と希死念慮は違う。後者で命を落とした場合、事故とも言えるな」


 死にたいというよりも、消えたい。そんな思いで現実から目をそらして逃げるために、大量服薬で意識を飛ばして眠る。ODには大体、そんな理由が多い。それを痛いほど知っているのは、まさにユキだ。


「どうした? それにショックを受けて怖くなって、転売屋を止める気か?」


 ユキが行っている事は、自殺への助長にもなり兼ねない。いつか、そんな客が出てしまうかもしれない――山さんのように。

 それでも、救われている者もいるのも事実だ。ユキは葛藤する。だが、


「今さら、ビビったりするか」


 フッと赤樫は笑い、「今日の注文は何だ?」


「いや、今日はない。しばらくは新規の客は取らない事にしたから」


 赤樫はわずかに眉をひそめる。


「どうした?」

「いや、別に」


 ついうっかり口を滑らしそうになったユキはフイッと顔を背け、「にがっ」とコーヒーをすすりながら会話の方向をそらす。しかし、それで赤樫をごまさせるはずはなかった。が、何も言及してくることはなく、「まぁ、何かあれば言え」と一言だけで終わった。


「ユイの次の診察日だが、二週間後でいいな?」

「あぁ、うん」


 これ以上の長居は無用であるし、ユイも薬局が終わった頃だろうと「じゃ」と、診察室のドアノブに手を掛けたところへ、


「次、いつ会える?」

「そんな約束、ねぇからな」


 ユキは冷たく言い残して、退室した。


読んで頂きありがとうございました!

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