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お読みいただきありがとうございます!折返し地点です
気を遣ってくれた(遣わされた)ご令嬢たちが場を外してしまい、わたくしは内心悲鳴をあげつつ話を切り上げるタイミングを図る。
「あの、パトリシア様は……?」
「久しぶりに会ったご親戚と話をしている。……改めて、今日は弟が本当に失礼なことをしてすまなかった」
「いえ! ご都合が合わなかったのは仕方がないことですし、ショーン殿下にそこまでおっしゃられると却って申し訳なくなってしまいますわ。わたくしは夜会を楽しませていただいています」
「そうか……それならよかった。」
心なしか、聴こえてくる音楽隊の演奏曲にロマンチックなメロディーが増えてきたように思う。不敬ながら被害妄想だと考えるにはショーン殿下の流し目が多い。殿下は気取ったように咳ばらいをしたあと、なぜかこちらに手を伸ばしてきた。
「……綺麗だな。よく似合っているよ、ケイティ」
「! あっ、」
わたくしは伸ばされた手に気づいた瞬間、物を落としたふりをして避けるのに成功する。近くにいた給仕の方に拾ってもらったハンカチをありがたく受け取りながら、気を取り直して殿下へ笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。ショーン殿下におほめ頂いたこと、ロビン殿下に自慢しますわね。このドレス、ロビン殿下にいただいたんです」
「あ、ああ。そうか……」
恰好をつけようとしたタイミングを外されたショーン殿下の気分を損ねることができた、と手ごたえを感じていたわたくしは、彼の反応に一拍遅れてしまった。
「……無理をしていないか?」
「え?」
撫でられた頬の感触に思わず後ずさったわたくしは、周囲がざわめいたのに慌てながら声をあげる。
「なにを……!」
伸ばしていた手をゆっくりおろしながら、ショーン殿下はこちらから視線を外そうとしない。
「私が婚約者だった時よりずいぶん線が細くなったようだ。……ロビンが君にそれだけ苦労をかけているんだろう」
「そのようなことは」
「――もし君が望むなら、私の側妃に迎えてもかまわない」
「は?」
思わず険のある声を出してしまった自分の口元を慌てて抑えると、ショーン殿下は何もない場所をうっとりと見上げるような表情のまま喋り続けた。
「ゼリッカ鉱石の採掘が順調でね。君が気にした人件費やら魔物の処理やらも問題なく、イム、ジーズー、ニルラ、フォット、コソフ……と採掘場所を確保できているんだ。それに、副産物もある」
「……副産物」
急に話題が変わり、わたくしは戸惑いながらも、いちいち気取った仕草をしながら続けられる殿下の話を聞く。聞きながらも、今自分が身を置く状況が良くないことだけはわかったので、早くパトリシア様が見つからないかと辺りに視線をやるが、一向に見つからない。ここに未来の国王陛下がいるというのに、他の貴族の方もなぜだか挨拶にすらやってこない。
「“災厄の木”って知っているかい」
「……聞いたことはあります」
「ゼリッカ鉱石が取れる山の手前によく生えてる樹木なんだが、強度があって腐りにくい強い木材になるらしい。今、それで家具を作らせていて、他国への出荷も検討している。たった50グラムで一昼夜、火を起こせるゼリッカが燃料として優秀なだけでなく、その過程で別の利益も生まれそうなんだ。……どう思う?」
ふんぞり返るように胸を反らせ、持ち上げたままの顎に手を置いたまま、流し目でこちらをみやった殿下は、わたくしの返事を聞く前に指をパチンと鳴らした。背後で流れている曲調が心持ち明るくなる。なにが始まるのか、嫌な予感しかしない。
「それは……素晴らしいですわね」
「そうだろう? 近い内に発表の機会を設けるが、これだけ国をさらに富ませることができる見通しがたっている私なら、妃の一人や二人……」
相槌を打つしかないわたくしは少し距離を取ったまま、ショーン殿下を眺めた。独りよがりな考えに浸って、恍惚とした表情でいるこの人を支えようと思っていた昔の自分が信じられない。以前よりもうぬぼれやで自信過剰なところが悪化しているようにも思える。ひとまず今はパトリシア様を早く見つけなくては、収拾がつかなそうだと思ったところで手を取られた。
「側妃という立場が気に入らないなら、……私はね、君をまた本妃にしてもいいと思っている」
コロンが香る距離に気づいたときには鳥肌が立ち、続いて美しい声が耳を撫でるのに嫌悪感が一気にこみあげた。
「わたくしはロビン殿下の婚約者です!!」
「今はな。いつ死ぬかもわからないだろう」
思い切り振り払った手は震えて、わたくしは力なくネックレスに触れる。後ずさりしつつようやく振り絞った言葉は、罵倒にならないようにするのがやっとだった。
「……それでもわたくしは、ロビン殿下の婚約者です」
「――君、もしかして」
怪訝な顔のショーン殿下の後ろからパトリシア様がやってくるのが見えたので、わたくしはカーテシーをして逃げるようにパーティホールを出た。
すれ違う人の目が集まるのがわかったが、気にしている余裕はなかった。通路で迷子のような気持ちで立ち止まると、すぐにリンがわたくしを見つけて駆け寄ってきてくれた。
「お嬢様、いま馬車を呼んでもらいます、少しだけお待ちを……」
ストールを肩にかけられて、温めるように背をさすられているうちに気持ちが溢れた。
「……たい……」
「え?」
「ロビン殿下にお会いしたい……」
「お嬢様……」
慌てて差し出されたハンカチに顔を埋めたまま呟いていると、足音が近づいてきた。
「キッカー様、失礼いたします」
恐る恐る顔を上げると、昨晩会ったばかりのロビン殿下の従者が額に汗を浮かべて立っていた。彼を眺めたわたくしは、その理由に思い当ってすぐに姿勢を正した。
「……殿下には教えるなと言われましたが、約束いたしましたので」
「ありがとう」
灯りを持つロビン殿下の従者にリンを伴って案内をされたのは、使用人の方の部屋よりもずっと奥まったところにある、王宮の中でもほとんど人が通らないような場所だった。
途中の渡り通路には屋根がなく、舗装のために敷かれた足元の石は芝生にほとんど隠れていて、外を歩いている時間の方が長かったが、到着した建物は王城と同じくしっかりとした造りだった。月明かりが届いていなければ見落としてしまいそうな位置にある扉に近づくにつれ、薬の匂いが鼻をくすぐるようになり、不安に足がすくみそうになる。
「中も灯りが少なくて申し訳ございません」
「大丈夫です。お休みになられているのでしょう?」
ロビン殿下の従者に気遣われつつ恐る恐る部屋を覗くとすぐ、簡素なベッドと、窓から差し込む青白い月明かりに頬を照らされたロビン殿下の姿が目に入った。
「……」
「お嬢様……」
リンに小声で呼びかけられるのを振り切って、吸い寄せられるようにわたくしはベッドに近づいた。
扉側に顔を向けて横たわる殿下の頭には包帯が巻かれ、毛布から出ている右腕は肩から指先にかけて縫合跡の赤い線がいくつも走り、包帯で覆われた右足首を天井から伸びたロープでもって少し高く吊られていた。
ショーン殿下の言葉のせいでぐちゃぐちゃだった気持ちは、ロビン殿下の姿を前にしていよいよ溢れそうになる。ベッドサイドにしゃがみ、声をかけたい気持ちをこらえて唇を噛んだとき、ロビン殿下の瞼がゆっくり持ち上がった。
「……格好悪いところを見られてしまったな……」
わたくしは首を横に振るしかできなかった。
「エスコートできなくて本当にすまなかった。とても美しいよ、ケイティ嬢」
傷だらけの頬を持ち上げて、やっとはにかむロビン殿下の声はひどく掠れていたものの、まなざしの通りに優しく胸に響いた。音がしそうなくらいの勢いで首を横に振ったあと、わたくしは傷の少ない方の手にそっと触れ、祈るように額を近づけた。
「生きていてくださってよかった……お会いしたかった……」
喉の奥で息をのむような音を立てたあと、ロビン殿下はわたくしの手を握ったまま言い聞かせるように言葉をつづけた。
「…………僕一人がヘマしただけで、他の仲間は軽傷だった」
「はい」
「いつもはこんなに、大変な怪我をすることはないんだ」
「……はい」
「僕は、道楽に走って君を夜会でエスコートできないような奴なんだよ、そんな奴のためにそんな……」
「……」
「ああ、ごめん。……」
泣きやませようとおどけられて、わたくしは余計にしゃくりあげる。優しさから口にされるロビン殿下の言葉一つ一つが、突き放されているようで寂しい。このまま討伐隊の本来の意義を教えてもらえないことが、教えてもらえない間にこの人を失うかもしれないことがどうしようもなく悲しくて、しゃくりあげながらロビン殿下に感情をぶつけた。
「選んでいただけませんか」
戸惑った表情を返されて、それすら悲しくなる自分の身勝手さに声が震える。
「わたくしを修道院に送るか、……玉座をお望みになるか」
でもわたくしは、この人を失いたくないのだ。