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現実の騎士の姿①【騎士の鎧と盾】


 中世ファンタジーに限らず他分野のファンタジーでも欠かせない存在であろう「騎士」。

 しかし、その実像は日本においてやや似た存在である武士に比べて、圧倒的に知られていないのではないでしょうか?


 9世紀頃に登場したとされる騎士は世界的に見ても武士と並んで活躍期間が長い軍事的存在でした。

 諸説あるものの、600〜800年もの長きに渡りヨーロッパで圧倒的な存在感を持ち続けた稀有な存在なのです。


 しかし、鎌倉武士と戦国時代の武士、江戸時代の武士はそれぞれ違うように、騎士も時代と共に姿も立場も変化していきました。


 今回からしばらく『現実の騎士の姿』シリーズとして、複数の項に分けて騎士について解説していきたいと思います。



 本項では、時代ごとの騎士の甲冑を中心とした見た目の変化を主に扱います。

 騎士で最も分かりやすく、それでいて最も広く理解されていないのは、甲冑の変遷でしょう。


 騎士と言えば“板金鎧(プレートアーマー)”のイメージが余りにも強いですが、《中世という時代》でも書いたように、この鎧は中世も後半の代物であって騎士の地位が低下していた証拠でもありました。


 彼らは最初から全身を板金(プレート)で覆っていたわけではないのです。


 では初めに彼らは何を装備していたというと鎖帷子(メイル)です。(丈の長いシャツ型のタイプはホーバークという)


 鎖鎧と言った方が分かりやすいでしょうか?


 よく「チェイン・メイル」と呼ばれますが、日本ではかつて“(よろい)”という言葉が基本的に、小さな革や鉄の板を繋ぎ合わせた小札鎧(ラメラーアーマー)を指していたように、ヨーロッパでは“(メイル)”といえば鎖鎧を意味しました。


 なので「チェイン・メイル」を直訳すると「鎖の鎖鎧」という二重表現になってしまいます。

 しかしながら、ゲームなどの影響で欧米でもこの二重表現はある程度受け入れられているようです。この部分は個人の好みの問題かもしれません。


 鎖の製造には手間が掛かったので古代ではかなりの高級品でしたが、やがて棒にワイヤー状の鉄を巻き付けてから切断することで一気に大量の鉄環を作る方法が発案されて、鎖の製造効率が若干向上したために値段も少し低下します。(質もローマ時代より低下してしまったようですが)

 そのために鎖帷子(メイル)は中世初期から晩期まで基本的な鎧であり続けました。


 とは言っても中世では後期頃になるまで鉄そのものもまだ高価だったので、依然として鎖帷子は中古品でも一財産であったらしく、大抵の場合は先祖代々受け継ぐ代物でした。

 アニメ【ヴィンランド・サガ】の序盤でもそういうシーンがありましたね。


 また騎士の地位が飛躍的に上昇した中世盛期には、商業の成長に伴う物価高騰もあって、ただでさえ値の張る装備が更に値上がりしてしまったそうです。

 【中世ヨーロッパの騎士】160Pの注釈によると、13世紀前半のジェノヴァでは、鎖帷子や兜、他付属品の値段合計が200シリングに上り、それは金800gの価格に相当したとか。(十字軍の時代では良質な牝牛一頭でおよそ10シリング。軍馬の値が50シリング)


 まあ、大身の騎士はそれを重ね着したりしてたんですが。

 おかげで長弓(ロングボウ)でもない限り、遠くから射抜かれる事は少なかったらしいです。


 しかも騎士は鎧下という、鎧による肌擦れなどを防ぐために着る衣服に、ギャンベゾンなどの布鎧を使っていたので、たとえ矢が鎖帷子(メイル)を貫通しても、生半可な威力では鎧下で衝撃と(やじり)を受け止められてしまうようです。無敵か?


 鎧に弓やクロスボウを撃つという海外の実証動画を見るに、レバー操作で装填する軽クロスボウでは至近距離であっても鎖帷子(メイル)を貫通することは難しい様子なので、重ね着されたら長弓(ロングボウ)重クロスボウ(アーバレスト)の近距離射撃以外では完全にお手上げだったでしょう。



 次に兜。

 これは一枚の鉄板を頭頂部が尖った水滴型(砲弾型ともいう)に加工し、一本の簡素な鼻当てが下に伸びているシンプルな兜が一般的でした。

 現在では鼻当兜(ネイザルヘルム)、或いはノルマンヘルムと呼ばれている物です。


 ノルマンヘルムはその名の通り、デーン人と並んでヴァイキングで有名なノルマン人(北欧からヨーロッパ各地に進出したゲルマン系の人々)が広く使用したことで知られています。


 ただ初期は、ノルマンヘルムより昔から存在した筋金兜(スパンゲンヘルム)(日本の星兜や筋兜と同じく複数の鉄板を繋ぎ合わせた兜)も混在していたようで、他にもボウルをひっくり返した様な丸型の兜などもありました。


 そして兜の下にはクッションを兼ねた防具、頭巾(コイフ)と呼ばれるものを被っており、大抵は鎖か革や布の詰物(パデット)製でした。兜とコイフが一体化しているタイプや、首を守れるよう兜からコイフ代わりの鎖垂れが伸びた物もあります。



 そして騎士と言えば盾も欠かせません。


 騎士の盾というと鉄製のイメージもあるかもしれませんが、実際には木製です。

 精々皮革で覆ったり、(ふち)を金属製の枠などで補強されている程度(それすら無い事も珍しくない)で、純金属製はまずありませんでした。重過ぎて使えませんからね。


 一般的であったのは凧型盾(カイトシールド)と呼ばれる物で、形はシンプルな丸型から細く下に伸びた涙滴型をしていました。

 この形になったのは足の防護を意識したからです。

 昔ながらの丸型盾(ラウンドシールド)では歩兵はともかく、騎兵にとって狙われがちな足を守ることが難しい。ならばと丸い盾を下に伸ばしていったのでした。


 歩兵にとっても(おろそ)かになりがちな足元の防御に有用であり、丸型盾(ラウンドシールド)より全身を守りやすいのに重量はそこまで変わらないという点も評価されて、騎馬徒歩関係なく使用するようになります。



 このように、初期の騎士は木製の盾を持ってシンプルな兜を被り、衣服や布鎧の上に鎖帷子(メイル)を着込んだ、なんとも地味でモブっぽい格好をしていました。


 それもその筈、この頃の騎士の地位は貴族どころか、まだまだ“馬に乗った兵士”程度の存在から大きく離れてはいなかったのです。(地位の変遷は別項で書きます)



 中世盛期に入り、騎士の地位が上昇し始める11世紀(1000年代)も末期になると、まるで第一回十字軍(1096~1099年)へ間に合わせるかの様に、ある兜が登場します。(注:登場しただけで普及するのはもっと後)


 頭部をすっぽり覆う“大兜(グレートヘルム)”です。

 日本のネット上では、円筒形の形から付けられた「バケツヘルム」というあだ名で有名ですね。(ゲームなどではバレルヘルムと呼ばれることも)


 当初は丸兜に固定式の面当てが付いたものでしたが、「いっそ兜だけで頭全体を覆ってしまえば良くないか?」とばかりに円筒形の兜に進化していきました。

 目の部分にスリットを入れたぐらいで、他は全て鉄で覆われたこの兜は、度々紋章にも使われた通り騎士を象徴するものの一つと言ってよいでしょう。


 堅牢そうな見た目に違わず高い防御力を誇りましたが、一方で通気性の悪さから非常に暑苦しいそうです。

 しかもこの下にコイフを、時にはバシネット※という補助兜も被ることもあったので、夏場は恐ろしく蒸れた事でしょう。


 ※バシネット(首元まで広がる鎖帷子が付いた、後頭部まで覆うシンプルな兜)


 アーマードバトルという甲冑を身に着けて戦うチャンバラスポーツを(たしな)む某漫画家先生が、チュートン(ドイツ)騎士団の騎士装備を着用したところ、鎧下+甲冑+マントや陣羽織(サーコート)という格好故に夏場は速攻でダウン。

 寒気訪れる秋ならばどうだとやってみたらやっぱり暑くてダウンと、湿潤なアジア気候で西洋騎士のフル装備は完全に向かないという体験を語っています。


 またマルヒフェルトの戦い(1278年8月26日)で、ルドルフ1世軍が兵を軽装にさせて重装備のボヘミア軍の暑さによる疲弊を誘ったという話もあるように、やはりヨーロッパの騎士装備は暑さに弱いようです。


 ともかくも大兜(グレートヘルム)によって、騎士の見た目はモブ騎兵から我々の知る騎士らしい騎士へと一気に近付きました。

 ただ、鎧は変わらず全身を鎖帷子(メイル)で覆うだけで、板金は欠片も見当たりません。

 十字軍の時代に付け加えられたのは、陣羽織(サーコート)と呼ばれる、鎧の日除けや雨による錆予防を目的としたワンピース状の外衣ぐらいです。


 しかし、13世紀頃になると盾にも変化が訪れました。

 凧型盾(カイトシールド)の上部が視界確保のため水平に切り取られ、三角形に近い形へとなっていったのです。

 大兜(グレートヘルム)に続く騎士の象徴、アイロンの底部を思わせる形をしたヒーターシールド(名称は19世紀に付けられたもの)。我々のよく知る騎士の盾の登場です。


 ここでひとまず、多くの騎士はモブ騎兵の姿から脱却し、騎士らしくなりました。

 とりあえず中世盛期には騎士の見た目が騎士っぽくなったと認識してよいでしょう。



 騎士の黄金時代ともいえる12~13世紀を経て14世紀、英仏百年戦争の時代になると、いよいよ騎士の姿は変化に富み、重厚になり始めます。


 大兜(グレートヘルム)の補助兜などに過ぎなかったバシネットですが、1340年頃に顔面を防護する可動式の面頬(バイザー)が付けられ、大兜(グレートヘルム)に並ぶ騎士の兜となります。

 バシネットの中でも先端の尖った猟犬面(ハウンスカル)が特に有名でしょうか。

 このためバシネットと言われれば大抵はこのバイザー付き兜の事を指しますが、先程書いたように元々はシンプルな兜でしたので、時代や用途によって姿が大きく違うという、後世にとってややこしい兜となってしまいました。


 そして、同じ頃には鎖帷子(メイル)のまま代り映えしなかった鎧にも、大きな変化が訪れます。


 全身を覆う鎖帷子(メイル)の上か下に胴体を守る胸甲(キュイラス)を身に着ける事が増え、元来ワックスとともに煮立てて硬化させた皮革(キュイア)で作られていたそれは、14世紀半ばには鉄製になりました。

 とうとう騎士の身体に板金(プレート)が付けられたのです。


 しかし、現実には見た目の騎士らしさを増させる胸甲(キュイラス)よりも、別物の方が広く普及していました。


 コート・オブ・プレートと呼ばれる鎧です。


 これは鎧というより鉄板仕込みの服ともいえる防具で、布や革製の服に長方形の鉄板を複数枚内部に縫い込んだり鋲留(びょうどめ)したものでした。

 高度な技術を必要とせず、それでいて良好な防御性能を持つこの防具は、13世紀末には騎士の間で一般化し、14世紀半ばには歩兵にも使用され始めます。


 その後も騎士の鎧に板金が加わっていきますが、関節のプロテクターや筋金入りの籠手といった、(もっぱ)ら手足や首元などの補助的な防御ばかりでした。


 まず騎兵の宿命として歩兵から狙われやすい足が板金で(よろ)われます。鉄靴(サバトン)という足甲から始まり、徐々に(すね)(もも)と上に上がって足全体が板金で守られていきました。

 同じように手も板金の籠手で守られる様になり、やがては腕、肩へと、足と同様に少し時間を掛けながら広がっていきます。


 手足を板金(プレート)で守り、胸甲(キュイラス)を身に付ければ、ぱっと見は全身を板金鎧(プレートアーマー)で覆った騎士に見えますが、まだ全身のあちこちで鎖帷子(メイル)が目立っていますし、多くの場合は胴体の守りをコート・オブ・プレートが担っていたので、まだ我々のよく知る板金鎧(プレートアーマー)の騎士とは微妙に違う姿でした。

 そしてこの姿も金に余裕のある上級騎士がほとんどで、少なくない数の騎士は鎖帷子(メイル)のままだったことでしょう。


 14世紀後半当時の上級騎士装備を参考にするのに絶好のものとしては、カンタベリー大聖堂に安置されているエドワード黒太子の墓があります。

 彼の墓には埋葬時の姿が(かたど)られており、それが甲冑を纏った状態のものなので、後世の想像図などと違ってまさに見たまんまを参考にできてしまいます。

 ただ胴体は陣羽織(サーコート)の一種と見られるものを身に着けているので、その下が胸甲(キュイラス)なのかコート・オブ・プレートなのかは判別できません。


 中世後期の真っ盛りである15世紀にもなると、とうとうお待ちかねの完全なる板金鎧(プレートアーマー)が普及します。

 その一方、鎧の防御力が向上していくに連れて盾の重要性が低下。

 取り回しが優先されて小型化していった盾は、遂に騎乗した重武装の騎士の手から離れることも増えていきました。(代わりに肩へ盾が付けられる事もあった)


 ですが、《中世という時代》や本項の序盤で触れたように、板金鎧(プレートアーマー)は騎士の存在感が低下していく象徴でもありました。


 中世も後期になると製鉄技術の進歩によって鉄の値は下がるどころか、許容量を超える大量の鉄が鍛造所などに雪崩込み、これに対応するべく為された水車による鍛造の一部自動化などによって、板金の大量製造が実現します。

 当然、甲冑の値段も抑えられ、貴族や騎士でなくても手が届くようになっていき、こうして騎士以外にも騎士に並ぶ重装備の傭兵や兵士達が幅を利かせ始めるのでした。



 また板金鎧(プレートアーマー)は鎧そのものが限界を迎え始めた事も意味することになりました。

 甲冑と馬鎧(バーディング)の総重量が重くなり過ぎて、騎兵としての利点である機動力が減殺されてしまい、たとえ緩やかな上り坂であっても騎馬突撃の効果が著しく減退してしまうようになってしまったのです。


 最早重装備の兵が騎士である必要は無く、更に火器の普及と発達に伴って、甲冑自体が少しずつ戦場から追いやられていきました。



 以上が大まかな騎士の防具の変遷でした。


 最後に余談としてアーサー王と円卓の騎士の鎧についての無粋な話を少し。


 アーサー王伝説はゲームなどで広く引用されていますが、多くの場合アーサー王と円卓の騎士が着ている鎧は板金鎧(プレートアーマー)ばかり。

 しかし、アーサー王は5()()()()()6()()()()()に存在したとされた伝承上の人物です。


 ……そう、アーサー王の時代は騎士が登場したとされる9世紀よりもずっと前、板金鎧(プレートアーマー)どころか騎士すら居らず、そもそも7世紀以前のヨーロッパには(あぶみ)さえも存在していなかったのでした。


 このような事になっているのは中世文学のせいです。基本的に人は自分達の常識で物語や絵を描写してしまいます。

 結果、中世の人々によって12世紀の常識や15世紀の常識などでアーサー王の物語が書かれ、挿絵もその時代の甲冑姿で描かれてしまったのでした。


 これは日本でもよくあることで、分かりやすい例としては【伴大納言絵詞】です。

 平安時代前期(菅原道真が生きた時代)、866年に起きた“応天門の変”を描いたものですが、作品は約300年も後の平安時代末期に製作されたものなので、人々の服装や検非違使(けびいし)(平安時代の治安維持組織)の鎧、建物は平安時代末期(いわゆる源平時代)の代物であり、決して“応天門の変”当時の物ではありません。

 源平時代の格好や建物の参考にはできても、平安時代の資料としては使えないのです。


 中世の絵などを参考にする際は、その作品が何時の時代に作られたものかしっかりと確認しておいた方が良いでしょう。

 

主な参考資料

【大聖堂・製鉄・水車】ジョセフ・ギース、フランシス・ギース

【中世ヨーロッパの騎士】フランシス・ギース

【ヨーロッパ史における戦争】マイケル・ハワード

【図解 中世の生活】池上正太

 Wikipedia

 個人サイト 【WTNB機関年代記】記事「吉田と中世と兜」グレゴリウス山田

 漫画【三丁目雑兵物語】グレゴリウス山田


実際の中世盾 画像

https://www.pinterest.jp/pin/182325484891257532/


コートオブプレート装備の姿 pixivイラスト Legionarius

https://www.pixiv.net/artworks/30537097


動画

11世紀の鎧

【How A Man Shall Be Armed: 11th Century】Royal Armouries

https://www.youtube.com/watch?v=7ofqIc1g1nI

13世紀の鎧

【How A Man Shall Be Armed: 13th Century】Royal Armouries

https://www.youtube.com/watch?v=fy_ztGP1oNU

13世紀 チュートン騎士の鎧

【13th Century Teutonic Knight Armor】TeutonicPenguin

https://www.youtube.com/watch?v=zeTv2vdfAtI

14世紀の鎧

【Dressing in late 14th century armour】Ola Onsrud

https://www.youtube.com/watch?v=zGl_UXc9HIE

14世紀の鎧 装甲兵士(メン・アット・アームズ)

【The Armor of a 14th Century Man at Arms】Living Manuscript

https://www.youtube.com/watch?v=WGxeMlx0SWE


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