石器時代の時点で人類は既に工業を始めていた
石器時代には既に工場が存在していた、と言ったら皆さんはどう思いますか?
何を言ってるんだ、オカルトか何かか、石世界な某有名ジャ〇プ漫画じゃあるまいしそんなのあるわけがないだろうと思うでしょうか?
しかし、現実として石器時代の人類は工業を興していました。
たとえばモロッコでは130万年前(北アフリカ最古)の石斧製造所が発見されています。
複数種類の石器を作っていたのではなく、石斧のみを専門的にしかも大量に製造していたという点で、この時既に工業の萌芽があったと見てもよいのではないでしょうか?
まず石器(特に打製石器)というとその辺の石を拾って適当に加工したというイメージも強いかもしれません。
ですが実際には石の特性を理解した上で、思考と技術を凝らして作られていたことが分かっています。
『――前略――中でも下茂内遺跡のガラス質黒色安山岩の「接合資料№9」は、幅約50センチ、重さ約23キロ超で、他に類を見ない規模だ。現存しない部分を考えると元の岩石は更にもう一回り大きく、重量は50キロ近くあったと推測できる。――中略――観察すると、岩の目に沿って計画的に4分割し、それぞれの塊から15センチ、厚さ3センチ前後の大きな石片を連続的に取り出している』
『石槍作りでは、石辺の縁辺から時に100回以上も打撃を加えて打ち割り、同時に厚さも1センチ以下に仕上げる必要があった。下茂内遺跡に残された約300点の石槍のほとんどが、打ち割る時の打撃に耐え切れずに折れていた。ガラス質黒色安山岩の性質を熟知していた当時の人々にとって、製作途中で折れることは想定内だったのかもしれない。打撃による振動に最後まで耐えに耐え抜いた強靭な石槍のみが、完成品として実際に使われたのだろう。』(2022年3月25日の信濃毎日新聞記事より)
そして石器で語るに欠かせないのは黒曜石です。ガラス質の火山岩の一種であるこの石は、教科書でもお馴染みな上に、時たま漫画などで登場することもあるので、特性を含めてご存知の方も多いでしょう。
黒曜石は割れ口が非常に鋭いのでナイフや鏃、穂先など狩猟具や武器の材料として重宝されましたが、産地がかなり限定されるため、輸出入が激しかったとか。
世界的に見て黒曜石の一大産地であった日本列島でも一部地域に偏在していたので、国内では黒曜石は産地ごとにブランド化していたらしく、諏訪産の黒曜石が東北など遠方でも結構な数が見つかったりしています。
ナショナルジオグラフィックの記事によれば、アルメニア北部にあるアルテニ山には黒曜石の“武器工場”が存在し、前期旧石器時代のネアンデルタール人職人を始め、様々な人々が紀元前1000年までアルテニ山で黒曜石を採取し武器を製造していたそうです。
しかも、ヨーロッパや西アジアでは黒曜石は一部を除いてほとんど産出しないためにこの地の黒曜石はかなり需要が高かったようで、ウクライナや約2500キロ離れたエーゲ海にまでアルテニ山産の黒曜石武器が見つかっているとか。
石器時代から軍需産業と武器商人が存在していたとは、業が深いというかなんというか……。
ちなみに、石器時代の次の時代である青銅器時代の世界や縄文人の交易ルートも、現代と同じくグローバルなものでした。どちらも東南アジアと交易してたそうです。
余談ながら黒曜石の性能は決して侮れません。人類が青銅や鉄へと移行していったのは、黒曜石より加工が容易かつ生産性に優れるからであって、黒曜石の威力が金属に劣っていたからではありませんでした。
マヤ文明やアステカ帝国などのメソ・アメリカにおいて、「マクアウィトル」と呼ばれる、木の板に黒曜石の刃をいくつも差し込んだ鋸の様な剣が戦士の主要武器として使われましたが、人間の手足をすっぱり切断できる威力を誇ったそうです。
黒曜石以外の石器にも、先史人類の工業の足跡は存在します。
長野県にある弥生時代中期の遺跡には、分業体制による石器の大量生産の形跡があるそうです。
榎田遺跡で採取した石材を粗く加工し、未成品を中俣遺跡、松原遺跡で磨き上げて完成させるという集落ごとの分業が行われていたとか。
そしてもう一つ、興味深い事実があります。
『製作は千曲川と犀川を挟む10キロ四方の範囲内で行われ、そこでつくられたとみられる石斧が栗林式の文化圏内に100%に近い割合で行き渡った―中略―さらに重要な特徴は、榎田遺跡でつくられた石斧未成品と磨き上げ用の砥石の出土が、中俣遺跡と松原遺跡にしかないこと。このことは栗林式文化圏内の諸遺跡(集落)が、個別に榎田遺跡から未成品を入手し完成させたものではないことを示す』
(2020年10月の信濃毎日新聞記事より抜粋)
※栗林式(長野県中野市の栗林遺跡を標式遺跡とした、「栗林式土器」を始めとする弥生時代中期の文化)
つまり、三つの遺跡は同文化圏の共同体における石器製造を一手に引き受けた工業集落だったのです。
分業のシステムが理論的に定式化されたのは18世紀でしたが、分業による大量生産自体は古くから行われてはいました(例:中世ヴェネツィアのガレー船建造。一つの船渠に分業化された複数の工房が付き、それぞれの工房で作られた部品や備品が組み合わせられ、当時の常識から外れた速度で船が仕上がった)
ですが、遅くとも石器時代末期には既に分業による効率化が始まっていたのです。
このように、現代人より「原始人」と若干蔑みを含めて呼ばれている人類の祖先は、文明を興すより遥かに前から、立派な工業を行っていたのでした。
なお金属が普及していく過程も興味深い事実があります。
弥生時代、鉄器が普及していく過程で最初に鉄が使用された道具は、斧や槍などではなく木工用ナイフだったとか。
理由は石製ナイフより細かい彫りなどの加工を施す事が可能だったからで、金属製のナイフじゃないとできない細工が代替えできない付加価値として持て囃されたのか、依然として多くの石器が使用されていた集落でも、木工用ナイフだけは積極的に鉄器へ更新されていったようです。
その後、木工用ナイフを通じて鉄器の持つ有用性が広く理解され、更なる鉄器普及に発展していきました。
何時の時代も、いきなり新技術がぽんっと現れるわけでも、都合よく受け入れられて電波のように広がっていくわけでもないのですね。
必ず順序がある。小説のネタに使えそうです。
最後に余談ながら付け加えさせていただくと、石器時代の人々は“料理”もちゃんとしています。(日本の縄文人もクッキーに似た保存食を作っていたことが知られる)
最新の研究では、北欧デンマークより東欧にかけてのヨーロッパ東部で発掘された5000~8000年前(ヨーロッパで青銅器時代が始まる頃より1000年以上前)の土器から、魚をベリーや根菜などと共に煮ていた痕跡が見つかっています。
『今回の研究は、石器時代の人々が「洗練された調理法」を持ち、どの食材を調理するかについて「驚くほど慎重に選んでいた」ことを示しているという。
クレイグ氏は、こうした狩猟採集民は「利用できるあらゆる根菜や塊茎、果実、ベリー類について深い知識を持っていた」と語った。
ただ、実際に土器の中身を分析すると、見つかる食材の種類は限られていた。
クレイグ氏は「見つかるのは、ほんのわずかなものだけだ。おそらく味が良かったり、ほかの食材と相性が良かったりしたのだろう」と話した』
『ウクライナとロシアの国境付近では、淡水魚と野草の組み合わせが特に好まれていた。一方、さらに東に位置する現在のロシア中部では、魚とともにアマランサスが好まれていたようだ。
デンマークの狩猟採集民もアマランサスを好んでいたが、主に花の部分を使っていた。
クレイグ氏は「それは意識的な選択だ」と述べた。
研究者によると、こうした傾向の一部は現代にも受け継がれている。
複数の試料から見つかったガマズミの実は現在でもポーランドやウクライナ、ロシアで食べられている。
英エクセター大の考古学准教授マーク・ロビンソン氏は、石器時代の人々が狩猟に頼っていたという考えは「根本的に誤っている」と指摘した』(【石器時代の料理人、食材を「驚くほど選び抜く」 新研究】より抜粋)
更には調味料の利用までしていたとか。
中央ヨーロッパの北部で、『5800~6150年前に作られた野焼きの土器の破片』から、『魚やシカなどの脂肪分の痕跡』と香辛料の痕跡が発見されています。
『6000年前のヨーロッパで暮らしていた狩猟採集民は、アリアリア(学名:Alliaria petiolata、和名:ネギハタザオ、別名:ガーリックマスタード)という香辛料で料理の味付けをしていたという。 研究チームは、デンマークとドイツにまたがる地域で発掘された、古代土器の破片に残された料理の残留物を分析。アブラナ科でニンニク臭がするアリアリアの種の痕跡を発見した』(【世界最古のスパイス料理の痕跡を発見】より)
アリアリアの種はコショウのような刺激のある辛味が特徴ですが、栄養価は無い代物だそうで、『つまり彼らの食事は単に腹を満たすためだけではなく、健康面や味も重要な要素と考えられていたのだ』と考えられるのだとか。
またアリアリアの利用は開花期に限られるため、当時の人々は「旬の季節を知っていた」ことになるそうです。
金属を手にする以前の時点で、人類は工業どころか、“料理”という文化もしっかり持っていたのです。
時たま、「料理や調味料を知らない“蛮族”に、主人公が簡単な料理を振る舞って魅了する」ファンタジー作品がありますが、現実ではそうは問屋が卸さないわけですね。
おまけに石器時代の人々は、洞窟の中で暮らしていたわけではなく、きちんとした住居も持っていました。
『洞窟や岩陰に住み、外界から身を守る自然の防御壁として機能していたという、原始人のイメージは捨て去らなければなりません。──中略──彼らは時折、岩陰や洞窟のポーチを利用して居住地を築いていましたが、そのような環境下では考古学的な遺跡がより良く保存され、優先的に探されたという事実を忘れてはなりません』
『新石器時代の定住化の始まりは、半乾燥地帯に位置するマラハ村で確認されています。この村は、円形または半円形の半地下構造が特徴で、これらは現存する最古の恒久的な建造物の一つです。これらの建造物は土で造られ、石材が外壁に貼られており、おそらく動物の皮や小さな木材で作られた屋根が柱で支えられていたと考えられ、その痕跡が今も残っています。
近東では、新石器時代に日干しレンガに漆喰を塗って造られた住居が出現し始めました。──中略──温帯ヨーロッパでは、長さ10メートルから50メートルにも及ぶ大きな茅葺き屋根の家屋が、木や枝、泥で作られ、風向に合わせて並んで建てられ、「大家族」の住居となっていました。湖畔の家屋は杭上住居型で、南東ヨーロッパの家屋は近東から受け継がれた様式をとっています』(【家屋】のフランス語版Wikipediaより抜粋)
現代人のイメージする“原始人”と全く違い、石器時代の人類もかなり早い段階で、我々と同じ“文明人”だったのです。
主な参考文献
信濃毎日新聞 文化面【しなの歴史再見】
【130万年前の手斧製造所遺跡を発見 モロッコ】AFPBBニュース
【石器時代の大規模な「武器工場」を発掘】ナショナルジオグラフィック
【石器時代の料理人、食材を「驚くほど選び抜く」 新研究】CNN
【「ネアンデルタール人」は「獣脂工場」を稼働させていた?】
画面の前の皆さんの脳内から「大昔の人」=“現代人より頭悪い”という図式を少しは壊せたでしょうか?
次は需要が高いであろう「中世の騎士」を扱っていきます!




