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地球が丸いことは中世の人々も割と知っていたという話


「コロンブスが大西洋横断で証明するまで、中世の人々は世界が平らだと思っていた」


 これはあまりにも有名なフィクションでしょう。

 いわゆる「地球平面説」を中世ヨーロッパの人々は強く信じており、コロンブスによってそれが(くつがえ)されたという“神話”は、Wikipediaによると、1945年にイギリスの歴史学協会で作成された『歴史に関するよくある誤り』のリストの20項目中の2番目に載せられたそうです。


 我々の居る世界は惑星上にあり、球体であることは既に古代ギリシャで提唱されていました。

 どのようにして球体であることを突き止めたのかは分かりませんが、【大聖堂・製鉄・水車】209Pにある『月食や港を離れていく船が水平線のかなたへ沈んでいくように見えること』など、平面説では説明できない事象も大きな要因だったかもしれません。


 なお誰が「地球(大地)球体説」を唱え出したのかは不明です。古代ギリシャ人はピタゴラスが唱えたとしていますが、あらゆる発見を賢者に帰させる当時の慣習からあまり当てになりません。

 (後代や現代でも別の人が言ったのに有名人が言ったことにされるのはよくあること。例:マリー・アントワネットの「パンがなければ~」は、実際には彼女の発言ではないことがはっきりしている上に、誤訳である)


 が、ともかくもピタゴラス派によって明文化された球体説は、一部疑問や反論を受けつつもギリシャで広く支持され、以降も球体説は支配的でした。



 様々な分野において数々の業績を残し、ユーラシア大陸の西側に大きな影響を与えた古代ローマの偉大なる学者クラウディオス・プトレマイオス。


 彼も地球球体説を支持した一人で、そのことは中世ヨーロッパの知識層に強い影響を与えることになります。



 聖書においては地球平面説的な記述が見られることから、キリスト教の聖職者らは平面説を支持したと一般的に思われていますが、これは専門家どころかある程度中世史に明るい人であれば誰もが否定するでしょう。


 実際には当時も現代と同じく、平面説支持者は少数派に過ぎなかったからです。


 中世の知識層はプトレマイオスを始め古代ローマやギリシャの学者からの影響を強く受けており、聖書にある平面説よりも古代から受け継いだ球体説を広く支持していました。


 そして中世の知識層といえばほとんどの場合、聖職者のことを指します。


 聖書を優先したり聖書の記述と整合する古代の平面説を支持する聖職者も存在したことは事実ですが、結局は主流を外れた者達でしかなく、現代にもよくいるトンデモ本を出す二流、三流学者のようなものでしかありませんでした。


 ちなみに球体説を支持した著名な聖職学者は、ロジャー・ベーコン(中世史においてもかなり有名な人)とアルベルトゥス・マグヌスが挙げられます。


 宗教と科学は対立したとよく言いますが、実態はかなり複雑だったようです。

 聖職者らは「神の創られたこの世界を正しく理解する事」は神の偉大さを証明し、異教の間違いを正すことに繋がるとしていました。


 科学の前身とされる錬金術と占星術は教会から弾劾されはしたものの、それはあまり激しいものではなく、多くは寧ろ「錬金術や占星術による詐欺が横行している」と注意を呼び掛けたり、詐欺行為を非難するという真っ当なものでした。

 逆に詐欺ではなく「正しい方法」を研究するのであれば、特に問題視されることなく公然と認められたようです。



 ところで、プトレマイオスは「天動説」に基づいた天文学の理論も纏めており、中世の中東やヨーロッパに受け入れられましたが、他にも当時の知識層に影響を与えたプトレマイオスの著書の一つに【地理学】があります。

 地球球体説を前提とした地理学書であり緯度経度や世界地図が載せられるなど、(当時の限界から現代視点ではおかしい部分は多いとはいえ)非常によくできたものでした。


 ただ、中世には長らくギリシア語の写本しかなかったらしく、知識層の間でも知る人ぞ知るという状態だったようです。ですが1406年に聖書の言葉であるラテン語へ翻訳されると、一気にヨーロッパ中へ広まりました。

 そして同時に新しい情報によって、地理情報の不足から起きたプトレマイオスの誤りも指摘されていきます。


 Wikipediaによると11、12世紀の間に地中海の大きさが正しい方へ修正されており、【大聖堂・製鉄・水車】353Pでは15世紀半ばの教皇ピウス2世がインド洋が内海になっている誤りを指摘した事が紹介されています。


 ただ古代の知識を無批判に受け入れるだけでなく、検証を行って間違いを正すことも中世盛期から行われるようになっていたのです。



 そして中世後期の15世紀にもなると聖職者を中心とする知識層以外にも、経験から地球が丸いことを知った人々がいました。


 船乗り達です。


『アフリカ沿岸の海を南へ南へと進んだポルトガルの船乗りたちは、南十字星を含む新たな星座を発見する一方、昔からの目印であった北極星を見失ってしまった――これで地球が丸いことが、反論の余地なく証明された』【大聖堂・製鉄・水車】352P


 コロンブスが大西洋を横断し西インド諸島へ到達する前に、ポルトガルの船乗りは西アフリカや南アフリカへ進出する過程で、赤道を超えたことをきっかけに地球が丸いことを知ったのです。

 恐らく隣国スペインの船乗りにもその情報は伝わっていたことでしょう。コロンブスが西回りにインドを目指すことを決意するよりもずっと前に。


 それまで船乗りは天文観測器械(アストロラーベ)と四分儀という計測器を使って緯度を知ることで、海上でも現在地を(かなり大まかながら)把握していました。

 こぐま座の二つの星の北極星に対する角度から現在地の緯度を計算していたのですが、赤道以南は肝心の北極星が使えず、沿岸沿いに進んで港に寄るまでは自分達が世界のどこにいるのか確認ができない。


 これはアフリカ周りのインド航路開拓を目指すポルトガルにとって重大な問題でした。


 そこで1484年、時のポルトガル王ジョアン2世は数学者らを集め、太陽の赤緯表を作らせます。

 北極星を基準とする方法に代わり、正午の太陽の高さを計測し赤緯表を使って緯度を計算する方法が生まれたことで、ポルトガルの赤道以南を航行する技術は飛躍的に向上。

 4年後の1488年にはアフリカ最南端、喜望峰の周回に成功しました。


 ポルトガルはヨーロッパとインドを結ぶ航路の完成まで、あと一歩というところまで来たのです。


 隣国スペイン(正確にはスペインの前身であるカスティーリャ王国)はこれらを歯噛みして見ていたに違いありません。


 カスティーリャ王国のフェルナンド王子とアラゴン王国のイサベル王女が結婚して連合王国が組まれるまで、スペインは長らく統一されておらず、海洋進出はポルトガルに大きく出遅れていました。

 アフリカには既にポルトガルの手が大きく伸びており、このままでは莫大な利益が見込めるインドとの貿易を独占されかねない。


 焦るスペインの前に登場したのが、ジェノヴァ生まれ(※諸説あり。経歴詐称の説もある)のクリストファー・コロンブスでした。


 地球球体説に基づけば大西洋を横断してインドへ渡ることは可能との彼の主張は、最初ポルトガルへ向けられました。

 が、当時既にポルトガルは喜望峰到達間近の状態で、わざわざ余計なリスクを冒す必要性が感じられなかったためにコロンブスの提案と要求を拒否。(コロンブスの求めた成功報酬があまりにもふっかけるものだったことも大きい)


 その後今度はスペインへ自身の考えを提案したのでした。


 ただ財政などの問題やコロンブス個人の信用から宮廷が反対してすんなりとはいかず、すったもんだの末にコロンブスがスペインを見限って諦めかける場面もあったようです。

 しかし、先ほどあったように、ごたついている間にポルトガルが喜望峰周回を成功させた事などに焦ったのか、財務長官や女王イサベル1世が彼の計画支持に動いてなんとかコロンブスの考えは実行に移されました。


 結果は教科書にある通り(ただし現地での残虐な事実は省略されている)です。

 が、実は彼の考えの元となった情報には結構大きな誤りが存在していました。

 

『最も重要なのは、プトレマイオスは地球が球体であることを強調しながら、地球の大きさや水域の占める割合についてはかなり甘い見積もりをしたことだ。これが後世に長く残り、マルコ・ポーロやピエール・ダイイの思い違いの原因となった。』【大聖堂・製鉄・水車】354P


 つまりプトレマイオスは地球の大きさを過小評価してしまったのです。

 (正確には彼が参考にした古代ギリシャのポセイドニオスが計算した地球の大きさの見積もり自体にかなりのズレがあった上に、プトレマイオスが考えた経度差にも大きなズレがあった)


 その結果、プトレマイオスによって示された地球の大きさと海の割合から、世界はヨーロッパ、中近東、アジアで構成されていると中世の人々は考え、アメリカ大陸という未知の大陸の存在を想定するなど露とも思わなくなってしまいます。

 この事は、プトレマイオス、マルコ・ポーロ、ピエール・ダイイ(中世フランスの聖職者。超大物神学者)の三権威の考えを深く研究していたコロンブスやその後の人々が、バハマ諸島を始めとする西インド諸島を長い間インディアス(現在でいうアジア地域)の一部だと思い込んでしまう原因となりました。



 最後に、よく「コロンブスがいなければアメリカ大陸が“発見”されることはなかった」と言われることがありますが、これは大きな間違いです。


 何故なら大西洋を西に横断するヨーロッパの“西方進出”は、技術的に可能であることを各国が承知していた以上、時間の問題でしかなく、コロンブスは「たまたま最初に実行し成功した」だけに過ぎないからです。

 (大西洋を西に進むだけなら、マディラ諸島やアゾレス諸島の発見と入植を行ったポルトガルが遥かに先行していた)


 歴史著作家のギース夫妻は【大聖堂・製鉄・水車】362Pにおいて、スペインと西インド諸島を往復するコロンブスの航海は、別に地球が丸かろうが平らであろうが可能であり、皮肉にも地球球体説の証明にはならなかった、と突き放しています。


 そしてこうも書いています。


 『たしかにコロンブスの業績は大きかったが、ヨーロッパ人はいずれ時を経ずして――カブラルが運よくブラジルに漂着しなかったとしても――アメリカを「発見」していただろう。それは歴史の必然であった。十分な動機と、何世紀にも渡る進化を遂げた手段が有り余るほど揃っていたのだから』


 ※カブラル(ポルトガルの貴族、ペドロ・アルヴァレス・カブラルのこと。コロンブスに8年遅れて1500年にポルトガル王室からの命令で大西洋を横断し、ブラジルを「発見」した)


参考文献


【大聖堂・製鉄・水車】ジョセフ・ギース、フランシス・ギース

【図解 中世の生活】池上正太

Wikipedia

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― 新着の感想 ―
[良い点] 古代の人たちが大地が丸いと思った一つには水平線の向こうから現れる帆船のマストがあったと言われますね。 遠くから近付く船は、もし海面が平ならば船首から順番に徐々に大きくなるはずですが、実際に…
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