03
「アン!」
今朝も馬車を降りるなり私を呼ぶ声が響きわたった。
「おはようございます、殿下」
「アンは今日も可愛いね」
駆け寄ってくると殿下は笑顔で袋を差し出した。
「はい」
「何でしょう」
「サクランボが入ったカヌレだ。王宮の菓子職人が作ったんだ。アンはこれが好きなのだろう」
「まあ、ありがとうございます!」
サクランボのカヌレ!
ローズモンドが結婚したあと、王宮でのお茶会に招かれた時に出されてすっかり気に入ってしまい、以来よく出してくれたものだ。
お酒に漬けたサクランボがアクセントになって美味しいのよね。
袋を開くと艶々したカヌレがいくつも入っている。
甘い香りがたまらないわ。
「餌付けして心を掴む作戦ですか」
後ろからカミーユが覗き込んできた。
「――どうしてお前はいつもアンと一緒に登園するんだ」
「バシュラール侯爵や祖父から頼まれていますからね、マリアンヌが学園で困らないようにと」
不快そうに眉をひそめた殿下に涼しげな顔でカミーユは答えた。
「アンは僕が守るから大丈夫だ」
「殿下は公務などで休むことが多いでしょう」
「だからって一緒の馬車で来なくともいいだろう」
「羨ましいのですか?」
「――ふたりとも、その辺でやめて」
毎朝毎朝、懲りずによくやるわよね。
ふたりの睨み合いは、すっかり朝の名物のようになってしまっている気がする。
「マリアンヌ様ー!」
足音とともに元気な声が聞こえた。
「おはようございます!」
走ってきたシャルロットが手にした紙袋を目の前につき出した。
「これ試作なんですけど食べてもらえますか? 豆と砂糖を煮込んだ餡を詰めたんです」
「……もしかして『あんぱん』かしら」
小声で尋ねると、シャルロットはコクリと頷いた。
「風味は小豆と異なるんですけれどね」
「でも楽しみだわ」
「是非感想を聞かせてください」
「じゃあお昼に早速……」
「また甘いパンか」
殿下が私の腰へと手を回しながらそう言ってシャルロットを睨みつけた。
「アンは今日は別のものを用意してあるからそれは不要だ」
「別のものって何ですか」
「サクランボのカヌレだ」
「カヌレならうちの店にもありますよ。とっても美味しいです」
「へえ、庶民のパン屋が王宮の菓子職人に張り合うのか」
「カヌレはもともと庶民の食べ物です! 本来の素朴なものの方が美味しいんですから」
シャルロットは私へ向いた。
「マリアンヌ様も庶民のお菓子好きですよね」
「ええ、そうね。王宮で出されるものも美味しいけれど街で買える美味しいものも沢山あるわ」
どちらにも良さがあるもの、比較するのは意味ないわ。
「じゃあ今度うちのカヌレを持ってきます!」
「ふふ、ありがとう」
「餌付けする人間が増えましたね」
カミーユがぽつりと呟いた。
そういう自分もシャルロットが持ってくるパンを楽しみにしているの知ってるんだから。
五日ほど前にメロンパンを持ってきてくれて以来、シャルロットは毎日のようにお店のパンを持ってきてくれる。
嬉しいけれどただ貰うのは悪いので代金を払おうとしたら、「侯爵令嬢も贔屓のパン屋」として宣伝させて欲しいからいらないと言う。
でもやっぱり悪いので、今度家のツテで国内では入手しづらいスパイスを手に入れることにした。
――うまくいけばカレーパンも食べられるかもという下心もあるし。
「そうだマリアンヌ様。良かったら今日の放課後、うちのお店に来ませんか」
二つの袋を大事に抱えているとシャルロットが言った。
「ごめんなさい、今日は学園の図書館に行くの」
シャルロットの提案は魅力的だけれど、今日はやらないとならないことがあるのだ。
「図書館? 何をしに?」
殿下が首を傾げた。
「授業で調べたいことがあって……。家の書架になかったので学園の図書館にならあるのではと思ったんです」
「それなら僕も行くよ」
「カミーユが付き添ってくれるので大丈夫ですわ」
何せ王宮図書館長の兄の手伝いをしているくらいだもの、カミーユは本探しは得意なのよね。
「いや、僕も行く」
眉根を寄せて殿下は強い口調でそう言った。




