嵐の前に。
ヘリコプター内は、ただただ流れる景色を見ているだけで特に会話もなかった。たまに大きな都市のライフライン施設などで燃料補給のために少し上陸すると、食事ももらえたので遠慮なく食べた。
向かいに座る黒ずくめで黒サングラスを掛けた大きな人は、スコット・グレイソンさんという名前らしい。わざとなのかそういう性格なのか彼は非常に無口である。しかしありがたい事に日本語を流暢に話せたので、意思疎通で困る事はなかった。
そうして仮眠をとりつつ、日本を出てもう半日が経った頃だと思われる。その間ずっと頭痛に襲われており、時折ガンガン痛んでは顔が歪みそうになるが、その度に夫と愛犬の顔を思い浮かべる事でなんとか耐えられていた。
2人は大丈夫だろうか。きっと夫は生きた屍のようになっているかもしれない。課長さんと西野警部補さんはきっと、約束を守って彼を支えてくれるはずだ。ごまちゃんはそんな夫に寄り添って、前足パンチを連打しているんだろうな。スマホは監視されているだろうし、使用して夫に危険が及ぶのが嫌で電源を落として仕舞っているため、スマホ内の写真が見られないのが寂しくてつらい。だから記憶の中の2人の笑顔を思い浮かべるしかなかった。
そんな事を考えていたら、無意識に口角が上がっていたようで、向かいのグレイソンさんが怪訝な顔をしていた。だからヘッドホンのマイクに、「夫と愛犬を思い出して。」と言うと、納得したように頷いてくれたのだった。
そうして仮眠をとっている最中に、今はもう手の届かない日常だった過去の夢を見て、気づけば涙が流れていた。夫がいて愛犬がいて、そして私がいて。毎日毎日笑って過ごせていた事が、今は遠い昔。
「…蘭、もうすぐ到着だ。」
ヘッドホンから聞こえるグレイソンさんの声で、幸せな夢から現実に引き戻された。彼は日本語は流暢だが、私の苗字が呼びづらいという理由でファーストネームになったのだ。そんな彼に頷いて返事をしつつ、流れていた涙をゆっくり拭くと窓の下を眺める。そこは日本とは大違いで、不謹慎だがまさに映画やドラマのようだった。本当に道路の真ん中で焚き火をしたり、銃を所持した人がいるんだと驚いていると、「こうならない日本人は穏やかなんだな。」とグレイソンさんが言う。だからそういうわけではないと首を少し傾げて言うと、「これが当たり前の俺からすれば、そう見えるんだよ。」と右の口角を上げながら言う。
そうして大きな都市を越えて見えてきたのは、広大な草地の中にある3階建ての大きな白い建物4つだった。恐らく3箇所は工場や研究所になっているように見えるが、屋上にヘリポートがあるのは真ん中の建物だけであり、そこに着陸するのだろう。
いよいよなんだなと思う。あそこにきっとこのパンデミックの発案者がいて、私を待っているはずだ。絶対に従ってなるものかと強く決意すると同時に、鈍い頭痛がズキズキとしてくる。でも絶対に負けないのだ、夫と約束したんだから。
そうして着陸したヘリの中で、グレイソンさんが私のベルトやヘッドホンを外してくれると、そのまま手を差し出してエスコートしてくれた。あまりにサッと流れるような動作で左手を差し出され、これがカルチャーショックかと一瞬固まったが、すぐに上げられた彼の右の口角によって正気を取り戻し、右手を乗せてヘリから降ろしたもらったのであった。
この大手食品本社の屋上は、ソールの薄いお気に入りの白いハイカットスニーカーに直に響いてくる。思わず掴んだままだったグレイソンさんの右手をギュッと握ると、優しく握り返してくれたのである。
彼は穏やかで優しいが、警備隊の隊長さんらしい。だからもしかしたら優しいのは今だけで、社長を目の前にしたら豹変するのかもしれない。高校生の娘さんがいるらしいが、「日本人の見た目が若いというのは本当だね。娘の方が歳上に見えるよ。」と言うその顔は優しい父親そのもので。だから彼は敵側だけども、完全に悪い人でなければいいなと勝手に思うのであった。
そしてグレイソンさんにエスコートされたまま階段で1つ下に降りると、真っ先に社長の部屋に通されるかと思ったのに、まずはゲストルームに案内された。ここは社長室の近くで、ゲストルームというか恐らくはそういう名の監視部屋なんだろうなと思う。内装はシンプルに白で統一されており、ベッドは大きく星座柄で紺色のカバーがされており、そこだけがかわいい箇所だった。
「とりあえず、ここが蘭の部屋だ。警備は俺が主に担当する。まずは疲れただろうからシャワーを浴びて、休憩してくれ。」
そう言って室内や服などの備品を説明すると、彼も一旦シャワーを浴びると言って出ていった。どうやら隣の部屋が控え室らしく、すぐに戻ってくると言っていた。「窮屈だろうが俺と一緒の生活を送ってもらう。申し訳ないが我慢してほしい。」サングラスを外して見えた綺麗な青い目を悲しげに伏せ、この先の生活の説明をしてくれたのだった。
監視カメラは能力を使うとバレそうだがやはり嫌なので、《カメラ爆ぜろ。》と音波を出すと案の定いくつか壊れたらしい。後で怒られるだろうが、やはりプライベートは守りたいので許してもらおう。私はどこにも逃げないのだから。
アメリカのシャワーは、本当に位置が固定なんだなと思いつつなんとか浴びると、用意してもらっていた服を出す。背に腹はかえられないから着るが、こんなピラピラのドレスみたいなのはお断りしたい。オリジナルのアリスのような赤い肩出しドレスなんて、純日本人であり低身長の私には似合わないだろうが。
それでも我慢して着用し、何故か丈が丁度いいのが気持ち悪いしドライヤーがやたら高級で、乾かしたらサラサラになったのも、なんとなく腹が立って機嫌が悪かった。それを軽食を持ってきてくれたグレイソンさんに言うと、苦笑いしてテーブルに置きつつ、「ボスはあのゲームと映画が好きなんだ。」と教えてくれた。
せっかく持ってきてくれたし、と2人で軽食をとっている時に、「蘭、カメラを壊したんだって?」と楽しそうに訊かれたため、「プライベートは守りたくて。裸とか自信無いし。」とムスッとして答えると、彼が初めて声を上げて笑ってくれたのである。
グレイソンさんは無口なわりに、話題は豊富で飽きる事なく一緒に過ごせた。現地時間で昼の1時を指す頃、「そろそろボスに会う時間だ。」と言われたので、無言で頷くと歯を磨いて髪をポニーテールに結んだ。そうして再び左手を差し出してくれたので右手を置いて、少し高めのヒールを履いた足で歩き出したのだった。
社長室のドアが近づくと、やはり緊張してきて思うように足が動かない。グレイソンさんは、それを急かすでもなく嫌そうにする事もなく、ただ優しくギュッとエスコートしている手を握ってくれた。そっと見上げた彼の短めの黒髪に親近感が湧いてしまって、フッと口角を上げると再び足を動かした。
グレイソンさんが開けたドアの奥、正面にあるエグゼクティブデスクに座る人が一人。逆光のために顔がよく見えないが、男性であろう事は容易に分かる。某アニメの総司令官のように、デスクに肘をついて両手を組んで顎を乗せているようだ。
足を進める中で頭痛が酷くなっていく。そして逆光だったその人と目が合った瞬間、予想通りに激しくまるで割れるような頭痛に襲われた。それは私の怒りによるものなのか、その人がなにか発する物を近くに置いているのか。あまりの痛みに思わず生理的な涙が溜まるが、絶対に目を逸らさずに睨み続ける。屈するものか、こんな痛みなんかに負けるものか。お前の好きにさせるものか。私には守りたい人がいるんだ。
そうして睨み合っていると、彼の手元にあるパソコンのマウスのような物がビービー音を鳴らした。その瞬間に今にも割れそうだった激しい頭痛が治まり、思わずグラついてしまったがグレイソンさんが支えてくれたのである。
すると目の前の男が立ち上がり、大きな拍手をしてエグゼクティブデスクからこちらに向かってきた。わざと逆光になるようにしていたのか、デスクの真上の電気は消えており、ここまで来てようやく顔を見る事が出来た。見た目は40代くらいの190cmはあろうかという長身に金の短髪、そして髭と揉み上げが繋がっていて目は琥珀色だった。
「素晴らしい!!ようやく会えたね、私の完全適合者……!!!!」
そう流暢な日本語で話しながら両手を広げ、こちらに来る彼に対し、思い切り睨みつけて《止まれ》と指示を出す。すると目を見開いて立ち止まり、恍惚とした表情になったではないか。
「すごい、すごいよ完全適合者!!!これほどとは!!私を止められる力だなんて……!!!」
そう言ってデスクの脇にいたらしい金髪の女性に興奮したように話しかけている。しかし彼女はクールなようで、特に反応を見せなかった。それでも気にせず一人でベラベラと話し続け、どうしたものかとグレイソンさんを見上げると、彼は肩を竦めて小さく左右に首を振りながら、「興奮するといつもこうなんだ。」と言った。
「いやいや、興奮してしまった!名乗りもせずにすまなかったね。私はここの社長で、アーノルド・ブラックウェルという。どうしても君が欲しかったんだ!!君のような完璧な完全適合者がね!!」
目を輝かせて嬉しそうに笑い、そんな事を言ってのける彼に私の怒りのボルテージは上がっていく一方だ。今すぐにでも脳を破壊してやりたいが、こいつを屠っても次がいるかもしれないため、まずは嫌で仕方がないが話を聞かなければならない。
「その衣装も似合ってるよ!!思ったよりも小さいが、まるでドールのようにかわいいね!!肌は白くて目がワインレッド、ああなんて美しいんだろう!!完全適合者が君で良かったよ!!スコット、シンディ、お前達もそう思うだろう?」
勢いそのままにべた褒めした後、この部屋の2人に話し掛けている。デスクの横にいるクールな女性はシンディさんというのか。すると目が合い、「社長秘書のシンディ・ホワイトと申します。」と言って丁寧に腰を折って挨拶してくれた。表情は相変わらず冷たいが、こちらも一応礼儀としてペコリと頭を下げ、「柿崎 蘭です。ちゃんと名前があります。」と言った。そこで反応したのは、ホワイトさんではなくてうるさい社長である。
「そうだった、蘭!!オーキッド、いい名前だね。」
そうしてうっとりしたかと思うと、「そろそろ動きたいなあ、オーキッド!!座って話そう!!」とマシンガンのように言われ、しぶしぶ解除する。それからグレイソンさんにエスコートされ、4人は座れそうな大きな黒革のソファーに私、そして対面の同じソファーに社長が座った。後ろにはグレイソンさんがおり、社長の後ろにはホワイトさんがいて、完全に包囲された気分だ。
彼女が淹れてくれたコーヒーをそれぞれ飲みながら、興奮冷めやらぬ社長が冷静に話を出来る状態になるまで待つことにした。別に指示を出してもいいのだろうが、それだとグレイソンさんやホワイトさんに警戒されてしまうかもしれないから慎重に行動しなければ。
「いやー、興奮して悪かったね。テンションが上がると周りが見えなくなるんだ。ここは代々一族が受け継いで大きくしてきた食品会社なんだよ。父の代でかなり大きくなってね、世界的にも名の知れたものになったんだ。」
弾けるような笑顔をしたまま、自分の話を始めた彼はコーヒーに大量のミルクと砂糖を投入し、ジグザグにかき混ぜると一気に飲んで一息ついた。
「父の友人のドクターがね、商品開発のために実験をしていたら偶然、全く新しい別の物を作ってしまったんだよ。」
それは本当に偶然だったらしい。最初は何かも分からず、とりあえず様子見という名の放置をされていたが、興味本位で人体の細胞に投与してみたところ、爆発的に増強したというのだ。これに気付いたドクターが社長の父親に相談し、あまりにも危険だからと厳重に仕舞われたはずだった。
「でもそんなの勿体ないじゃないか!!ドクターの話によれば、これは確かにふつうの人間にならただの怪物になる恐ろしい薬品だが、完全に適合出来る人間がいると言ったんだ。それはきっと他のモンスターを操作する力があって、上手く行けばモンスターだけじゃなくて、人間や機械もにも干渉できると言うじゃないか!!」
そうしてバンッ!!と激しくテーブルを両手で叩きながら立ち上がり、何の罪悪感も無いような、まるで子どものように純粋な笑顔で言い放ったのである。
「私はね、昔からゲームや映画が大好きだったんだ!!いつも忙しくていない両親の代わりに、寂しさを埋めてくれたのがそれらだったんだよ。だからその話を聞いた時に、どうしても欲しくなったんだ!!これは私のための薬であり、私のための完全適合者を作る運命だったのだと!!!」
もう話にならない。彼の過去がどんなものかは知らないが、これは残虐とは何かを知らない子どもが、そのまま大人になってしまった成れの果てなんだろう。
「ここまで来るのは大変でねえ。父やドクターを説得したけど無駄だったから、ちょっとお願いして父は引退して蟄居してもらって、ドクターには今作られるだけの新薬を開発してもらった。だけどある程度作ったところで、 “もう自分には耐えられない” と言って自殺してしまったんだよ。薬のレシピを全部燃やしてね。酷いだろう?今回見つかったから良かったものの、もし完全適合者が見つからなかったらどうしてくれるって話だよ。」
身振り手振りを大きくし、自分は間違っているなんて微塵も思ってない社長に、もはや言葉はいらないだろう。話を聞いた限り、ドクターはいなくなっているしこれに賛成しているのは社長だけみたいだ。グレイソンさんやホワイトさんは分からない。
だったら私のする事は確定した。ちょうどドレスアップもしているし、彼にとっての悪役になってやるには最適じゃないか。お望み通り、私の力を思い知らせてやる。
だってそうでしょ、私の力で散れるんだったら、本望でしょう?ならいいこと考えた。
「実に興味深いですね。ここの会社や工場等にも、感染者はいるんですか?」
怒りで笑顔なんて無理だが、口角を無理やり上げて問うと嬉々として答える。
「もちろんいるさ!!研究施設に何体か保管してるんだけどねえ、やっぱり3ヶ月で限界を迎えてしまって。食料を求めて来た人たちを施設のホールに集めてまたばら撒いたから実験体がたくさん集まったよ!!」
ああもう、怒りのせいで涙が出そうだ。
「だけど世界中に配っちゃったからもう無いんだよね。最後のシリアルで完全適合者が見付からなければ、諦めるしか無かったんだ。まあこのパンデミックは少なくとも今年には終わるんだし、別に良いと言えば良いんだ!楽しかったしね!!世界中の組織が金で動いてくれたのも、実に愉快だったよ!!」
吐き気がしてきた。あまりの怒りにもうダメそうだ。今にも能力を駆使して命を奪ってやりたい。だがしかしそれではダメだ。簡単に死なせてなるものか。絶対にこいつは、苦しい気持ちを理解させる必要がある。
その時、社長の後ろのホワイトさんが顔を歪めて彼を睨んだのを見た。それは本当に一瞬の出来事で、気のせいともとれるようなものだったが、確かにあれは。彼女はもしかしたらきっと。
「ねえオーキッド、一緒に施設を見に行こうよ!!君の力を見せて欲しいんだ!!人間である私や機械まで動きを支配出来るなら、相当なモンスターを操れるんだろう?!」
どちらがモンスターか。人間をまるで玩具のように、命をなんだと思っているんだ。私の人生において初めて遭遇したが、これがサイコパスというのだろう。こちらの倫理は通じない。
ああ、頭が割れそうだ。怒りと悲しみで苦しい。今にも屈してしまいそうだ。それではいけない、私は兵器なんかじゃない。守りたい人、助けたい人がいるんだ。
頭痛と吐き気手で泣きそうになっていると、後ろにいるグレイソンさんがそっと肩に手を置いてくれた。驚いて見上げると、悲しそうな目をこちらに向けており、それはまるで私の気持ちを分かってくれているようである。思わず瞠目してしまうと、彼は優しい目をして頷いてくれた。そうか、きっと彼も。
それならば話は早いだろう。私はやらなければならない。
「ここに残っている非感染者はどれぐらいですか?」
そう問うと、顎に手を当ててソファーに座り直しながら長考して、
「んー、恐らくここの建物の社員は無事だと思うよ。ドクターがモンスターの嫌がる音波を出す機械を作ってくれたからね!!まあ一部の社員のみしか知らされていなかったとはいえ、空腹でシリアルを食べてしまった者たちは勝手にモンスターになったから、半分ぐらいじゃない?」
そうか分かった。敵は1人だけという事か。
チラリとグレイソンさんを見て、それからホワイトさんを見る。私の目の意思の強さに2人は少し動揺していたが、きっと意味を理解しただろう。
そうしてそっと立ち上がると、口角を無理やり上げて社長に言った。
「さあ、参りましょう?」
立ち上がった私をサッとエスコートしてくれるグレイソンさんと、互いに目を合わせて頷き合う。行きましょう。私達の、それぞれの目的のために。




