第37部 寿産院事件、そして四人の功績?
1948年1月(昭和23年) 東京都・神田区
ニキータは沙霧から貰った金百万円の請求書を会計さんに渡した。シンには了解を頂いている。なにせロシアの行きの旅費は出るが、帰りの旅費は出ないのだから。
「ねぇ、ニキータさん。この請求書の支払いは現金ですの? それとも、裏口座への振り込みかしら?」
「はい、現金でお願いします。ロシア出張に必要ですもの」
「それは可笑しいわ、ロシアの旅費は全額出るはずよ!」
「いや、うちの旦那が片道の旅費しか出ない! と言ってましたが、刑事課の課長に問い合わせをお願いします」
「分り次第に連絡をいたします。それまでお待ち下さい」
「よろしく頼むね!」
全額が下りたらいいな、と考えながら署長に東京高等師範学校の報告に行った。
「署長、今帰ったよ。学校の授業料の件は終わったから、今週中には請求書が届くように手配してね。それと、あの三人には協力をお願いしたよ」
「上手く買収出来たようだね。学長も上手く言い包めただろうね」
「それはもう、大成功です。誇ってもいい位にね」
「あ、そうかい。どうも逆にやられたようだよ。桜子さんから電話があってさ、電話代が無いから直ぐに掛けてくれ、とね」
「なによ、シン。電話を掛けるのが用件かいな?」
「いや、違った。娘の二人は成績優秀で学費免除が決まった、と嬉しい悲鳴が聞こえてきたよ」
「署長! ごめんなさい。ラクーンにしてやられました」
「ホホ~、そうかい。この失態は? 埋め合わせはどうしようか!」
「でさ、桜子さんは何て言ってやたの?」
「それでね、桜子さんには、おめでとうございます。おめでた序でにお嬢さんを二人ばかりお貸しくださいと言ったんだ」
「桜子は喜んで?」
「おう貸し出すとさ」
「良かったじゃないかい。妹までは無理だったろう?」
「いやね、家族総出で来たい! とさ」
ニキータは少しばかり? いらついて、
「お金が足りるかな。もう心配だわ。うわ~、だんだん不安になって来たね」
署長は安心したのか、ニキータとの話がかみ合わない。
「心配は無用だよ。カムイコロさんが居ますから応援を依頼してね」
「OK、OKよ。早く応援を依頼するわ」
「冬眠から目を覚ますかね?」
署長が尋ねた。
「そうよね冬眠中だわ! 無理かも」
「よし! ニキータさん、虎穴に飛び込んでくれ!」
「私に、死ね!と?」
「クマの穴に突入は大丈夫だ。食われないよ!」
「そうかい、そうかい。三行半を書いておこうか?」
「それもいいな! ぜひそうしてくれたまえ」
「それで、ロシアの何処に行くつもりだい?」
ニキータは尋ねた。
「ロシア・シホテアリニ山脈に在るという研究所になる予定だ!」
署長は答える。
「いつ出発に?」
「桜子の家族が到着して、その後に用意が出来次第だ!」
「あい分った。その段取りで用意する」
ニキータはそう言って部屋から出て行った。行先は東京警視庁・刑事課だった。まっしぐらに課長に向かって行く。課長は幾ばくかの不安が込み上げてきて、ついつまらない事を口走る。
「金の無心か!?」
しかし予想とは裏腹に、
「課長! 寿産院事件の事件調書を読ませてくれ」
「ああ、自由にどうぞ。で、あんたらはロシアにカチコミに行くんか?」
「そうするさ。この前の恨みを晴らしにね! 特大の3尺玉を上げてやるよ」
「おお、それはいい。日本からは見えるんだろうね」
「寝言は帰ってからにしてよ。この調書は借りられる?」
「下っ端に写しを取らせたからいいよ。持って行って吟味してくれ」
ニキータは礼も言わずに振り向き部屋を出て行こうとした。課長は呼び止めて
「ニキータさん、ロシアに行くメンバーはどれくらいだい?」
課長の方を向いてからニキータは宙を見つめて考えた。
「安全課からは、5~7人だ。助っ人の人員が、え~と、10人位か。全部で17人だろう」
「誰だい、その助っ人とは。何処の人?」
「ああ、北海道の連中さ! 俺さまよりも強い女どもだ」
「女? ども?」
「ああ、明後日には全員が揃うよ。あんた、見に来るかい?」
課長は怪訝そうに返事をした。
「そうするか」
約束の17日。刑事課の課長が初めて安全課を訪ねた。悠木女史が応対する。署長他全員は地下に揃っていて、手合わせ中だった。機密保持の為に一階の階段ドアは完全閉鎖されていた。
署長が大声で男共を嗾けている時に課長が現れて、
「木之本君。邪魔するよ。わぁ~」
課長は声を掛けるなり驚いて大声を出してしまった。そこには若い娘が5人と安全課の男共と手合せ中だった。
北海道の連中とは、双子が二組と、ソフィアの親子。桜子とカムイコロの8人だ。他に男が一人が居たのだった。
「木之本君。まさか?この娘さんたちが助っ人なん?」
「そうなん。可愛いでしょう」
「ほぇ~~。そうだな、うん」
課長は頬を赤らめて彼女たちの動きを見ていた。体格のいい男がポイポイと投げられているのだ。
「グレイト!」
木之本署長は全員に刑事課課長を紹介した。
「この方は、刑事課のケチな課長さんだ。みんな宜しく頼む」
「おおう、そうかい。ケチの刑事課の課長だ! よろしくな」
課長は双子らに向かい、
「あんたらはなんだい、どうしたら、そのう、こうも強くなれるんだい」
「いいえ、これは普通です」
「そうよ、いつもの練習だね」
「ロシアでは当たり前の事だから」
双子の妹はとても強いとは言い難いが、姉の二人の補佐に回るととんでもない動作で、素早く対象者を捕縛してしまう。
「私たちは強いのかしら?」
課長は頭の中で、次期刑事候補生? にしようと考えている。
「課長さん! 私たち三人が居れば、このクマさんもですが、4人で人狼兵は畳込んでしまいますわ」
課長はニッコリとほほ笑んで、
「そうですよ。そうでしょうとも」
「あんた、力が強そうだね、私と勝負しない?」
カムイコロさんが声を掛けた。クマさんはまだ実力をこの課長には披露していない。だから思いっきり、力の限りで、ブン投げてみたいのだ。
「ああ。いいとも。俺はこやつ等よりも強いぜ。泣くなよ」
クマさんと課長の乱取りが始まった。カムイコロは手を抜いて1本背負いで投げられてやった。
「どうだい、こんなもんだぜ!」
「う~う。まげだ~。次は勝つからね!」
2秒で課長は3mは飛んでいった。もう立ち上がれなかった。担架で医務室行きになって、下の双子が看病に付き添う。
医務室では二人して、
「ねえ、お姉ちゃん。ロシアって遠いのかしら」
「そうね、国交が無いから時間が掛かるかしら」
「行きは全員が揃って行けるけれどもさ、私たち巫女に働いて帰りの路銀を稼げって言われているわよね」
「そうね、あの署長は私たちを売りとばしてさ、自分たちだけで帰るつもりよ」
「きっとそうだわ。うら若き乙女を橋為? にするつもりだわ!」
課長は意識が戻っていたが二人の会話を聞いていた。双子はさらに過激? に、
「ああぁ、海外旅行招待に行けると聞いてきたけれども、自分で働いて稼いでいくんだよね。これどういう事かな」
「いいんじゃない、お国のためですもの。おおいに働こうじゃないの」
「私たちは高校生よ、何をさせるつもりかしらね、あの署長は!」
「刑事課から帰りの旅費が出ればいいのよね。お姉ちゃん、そう思わない?」
「そうよ、そうよ。ホント! ケチなんだわ」
若い二人にケチ呼ばわりされて、課長の眉がピクピクと動いていた。そんな課長の表情を見てとる彩香だった。
「もう最後の手段よ。お姉ちゃん、この刑事さんを箱に詰めて持って行こうか」
「いやいや、重くて邪魔になるだけよ。日本海に沈めていこう」
「そうね、それがいいわ」
悠木女史が課長の様子を見に来た。双子はおでこのタオルを取り替えていた所だった。
「どう? 課長さんは」
「うん、まだ死んでない。熱があるからおでこと、左足と胸を冷やしているわ」
「そう、クマさんは手抜きしたんだわ。あと2mは投げれたはずよね」
「ヒグマになって10mを投げれば良かったんだわ、ね? お姉ちゃん」
「生かしておくのもなんだわ。悠木さん、死んだ事にできない?」
「いやねえ、お二人さん。課長さんは熱がひかないようよ。汗だくになってる。もっと冷やしてあげて」
「あら、ホントだ。直ぐに冷たくしてあげようね!」
「彩香! そのロープは何さ。そうか。鴨井は無理よ、梁にしなくちゃね」
「うん、このロープを梁に通して垂らせば・・・・。これでどうかしら」
「上出来よ。こちらも梁に通して、と。これでいいわ。完成ね」
「じゃあ、もういいよね、早く乗っけよう?」
課長はこれ以上はここには居られないと思い飛び起きた。
「課長さん、お加減はよろしいでしょうか?」
「ああ、もう大丈夫だ。みんなの所へ行くよ」
ややふらつきながら急ぎ足で医務室から出て行った。三人はくすくす笑いながら見送った。
「やったね! 成功だね」
「うん、成功よ。今頃は署長に旅費を全額出すと言ってるころね!」
二人は向き合って、ガッポーズをとっていた。で、高笑いを・・・。
課長は射撃練習の木之本署長の横に立ち、
「ちょっと話がある。ここはうるさいから来てくれ!」
「はい、お供します」
静かな廊下に出た所で課長は、
「木之本くん。旅費は全額出すからさ、この俺も連れて行けや」
「またどないしてです?」
「いや、あの上と下もだが、活躍する所を見たくなったのさ」
「まぁそうでしょうとも。この私もそうですからお互い様ですな」
「ははは、そうですな。引き抜きは無し! とは言わんでくれたまえ」
「むろん、引き抜きはダメですよ! 親が黙ってはいませんもの」
双子の活躍で旅費が全額出る事に決まった。恐るべし、ツインズ!
ちなみに医務室では、
「せっかく氷嚢を下げるロープを渡したのにさ、課長さんは出て行ったね」
「3か所も下げるんだもの、これ位丈夫に作らないと? と思ったんよね」
「まさか、私たちの会話にビビッたとか?」
「そんなのありえな~い」
二人はケラケラと笑い出した。
「あんたたち、ラクーンになってるわよ!!」
悠木女史が窘めたのだった。
「私、会計課に行くわ」
悠木女史は医務室から出て行った。入れ替わりに署長が入室した。
悠木女史はすれ違いさまに署長に微笑んでいた。署長は一言言って直ぐに出て行く。
「二人とも、ありがとう。助かったよ」
と。




