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9.八月は空を駆けて!



 


夏休みも残り少なくなった今、皆どうしてる?

あたしは相変わらず、ヤン先生んチに入り浸っているんだけど。






「トールぅ。本当にごめんねぇ?もう、赦してよー」



「………………」






何だかんだ言いつつも、

きちんとお茶の用意をしてくれる美少年は、機嫌悪そうにしている。




それもその筈、先月あたし達は揃って竜宮城にお呼ばれしたのだが、誤って時の迷宮に迷い込んだあたしは、まあ、その、ちょっとしたショックを受けてね。



危うく彼を忘れて置いて帰るトコだったのだ。





今日は冷たいヨモギのハーブティー。

爽やかな香気が残暑に疲れた身体に優しい。

お茶受けは、夏蜜柑のシロップ漬を乗せたレアチーズケーキ。



木の香りが森の中を思わせるヤン先生のお家。


風鈴がチリン、チリンと音を立て、

離れた山からの冷たい空気を運んでくれる。


直通なんだって。






「やれやれ、男がいつまでも女の子に腹を立てて。

にっこり笑って、水に流す程度の事が出来ない様ではまだまだ半人前ですね」



怪しげな色の液体が残ったフラスコを片付けながら、肩を竦めるのはやっぱり、この家の主人。


永遠の24歳だ。




「お言葉ですが、貴方にだけは言われたか無いですよ。何、すっかり自分を蚊帳の外に置いてるんですか先生」



かなりヤサぐれた視線を、師に送る弟子。


一生懸命、『震』公子と竜宮の闇から守ってくれようとした彼を、一時でも忘れた自分に大きく溜息を吐くと、あたしはどうしたら許して貰えるか、考えて……





「よし!トール、こういうのはどう?

お詫びにあたし、一個だけ何でも君の言う事をきくよ」






その場の空気が凍った。



たっぷり10秒。







「それでも駄目?」




機械仕掛けの様な動きで、彼の秀麗な顔がこちらを向いた。




「貴女が僕の言う事をきく?」

「うん」




手応えを感じたあたしは、椅子から飛び降りて、

トールの菫色の瞳を覗き込んだ。




「────────何でも?」

「何でも!」




暫く思考の海に沈んでいた美少年はいきなり、ぶふぅ!!!と鼻血を吹いた。



「どひゃあッ!?」




ヤン先生が投げ付けたビーカーが彼の額にブチ当り、あたしは危うく難を逃れた。




「ふう。────ユキ、一応そんなナリでも男は男。

自覚の無い貴女には難しいかもしれませんが、あんまり天然男ゴロシを炸裂させない様に」





   天然男ゴロシ?






「何か必殺技の名前みたいだね、先生」

「ある意味、必殺ですが」




微妙に噛み合わない会話に首を傾げていると、先生は一枚の封筒をポケットから取り出した。



緑の瞳が何かを思い出したらしく、大きく瞬いた。




「そういえば、ユキに震公子から宴の招待状が届いていたんでした」



差し出されたソレをあたしは押し返す。



「断っといて、先生」

「いいんですか?」



うんざりした顔をして、あたしは首を振った。

「いいの。あたし、マザコンな人は嫌いだから」





ドサリ。






派手な音を立てて、倒れているのはなんと、先生。




「どどどうしたの、ヤン先生!?」




ぷるぷる震えている青年は、息も絶え絶えに呟いた。



「(頑張れ、私。頑張れ、私)‥ユキ、貴女は御存じ無いかもしれないが、男の半分はマザコンなんですよ?

母親の影響を受けない男など」



「えー、マジィーチョ→ウザいんですけどー、ソレぇ」






    ザックリ。







何だか物凄い効果音と共に、黒髪の青年はピクリとも動かなくなった。




「うわ、先生?先生ェ、大丈夫ッ!?」




相反してむっくり起き上がったトールが、したり顔で頷いている。



「そうですよね、マザコンなんて“ナシ”ですよね」



フフフフと黒い笑みを浮かべて、先生を見下ろしている。

何か、今にも妖しくその周りで、ダンスでもしそうな勢いだ。




これは‥矛先を変えた方がイイよね?




「それはそうと、『お願い』決まった?トール」

尋ねると、トールは優しく微笑んだ。



「そうですね、それでは、次に先生が新しく創られる薬の試飲をお願いする、というのでは?」



お茶のお代わりを貰いながら、目を丸くしていると、

「それが弟子入りの条件なんですよ」



少年が苦笑する。



「先生は毒だけは創らないから、効果を確かめる為に僕が試飲してるんです」



はあ、と肩を落としてみせる。



「意外と毎回、大変なんですよ、コレが。

この人、薬だからといって味には無頓着ですしね」





…何を創っているんだろう、先生。





「分かった、じゃあこれでチャラだね」

「はい」



あたし達が指切りをしていると、







びーびーびーびーッ!!!!!!!






庭のユキバボウシが一斉に警報を鳴らした。

ウスユキソウが花弁から光を放つ。

ウツボグサが沢山の花の蕾を膨らませる。






びゅううううううぅしぃいいいっ─────!!





「あちちちちちィ~ヤン先生助けてぇ!?」






いつもの様にいつもの如く、いつもの迂闊劇が展開されていく。




「あー毎度の事ながら、俺、燃えてる場合じゃないッ大変なんだよ!!」

「だから、何ですか?」



「町の顔役ガウェインさんとこの娘さんが、チョー・ハイパー・アンダーグラウンド級鬱病になっちまったんだよ!!俺、同級生だから放っとけなくて!!」



先生はふむ、と顎に手を当てて、やがて頷いた。

あたしの方を向き直り、


「マリエッタですか…。

過去にガウェインから相談がありましたが、その時は─────ああ、“偉上茸”を使ったんでした」



先生は薬品を詰めた瓶の棚を眺めて眉を顰める。



「切らしてましたか。やはり採りに行かねばなりませんね」



「それって茸なの?何処に生えてるの、先生?あたしも行きたいな」




多分、先生は連れて行ってくれるつもりで竜宮の話を確認したに違いない。




また、冒険に誘ってくれるんだ!!




期待通りにヤン先生は微笑って、頷いた。

「ええ、お連れしましょう。ユキ」



青年は大きなポケットの付いた、白いフリフリ裾のエプロンを取り出すと、あたしにふわりと着せ掛けた。



緑の瞳が優しく瞬く。



「“偉上茸”は浮き島群にしか生えて無いんです。とても楽しい場所ですよ」







      ★





久しぶりにデカ燕君が恋人同伴で連れて来てくれたのはなんと、大湿地帯。



「さあ、これを噛んで下さい。柔らかくなったら、

出さずに飲み込んで」



それは数枚のガムだった。

 




ええ~、飲むのー?コレ。



「普通のガムではありませんから、大丈夫ですよ。

まあ、試してご覧なさい」



先生とトールは腰で巻くタイプのエプロンを着けて、チョコミント味のガムを噛み始める。



あたしも彼等に倣って包みを剥いて噛むと、ゴックン、と飲み込んだ。




ふわ、ふわわふわふわわわぁん、ふわぁん。




すると、なんと。

身体が地面から離れ、空中に浮き始めたではないか!



ヤン先生は、はしゃぐあたしの靴底に、靴底型スポンジをポン、ポン、とくっつける。



「ガムが胃の中で膨らんでいるんですよ。数時間は保ちますから。さ、行きましょう」



先生の言葉に従って、先に浮いたトールに手を取られ、あたしはフワリフワリと空を昇って行った。



傍らの美少年の銀髪がキラキラと光を弾く様を見て、まるで天使みたいだなー、とか思っていたら。



雲をずぼ、っと突き抜けた。





壮観だった。





青い空、足下に広がる雲海。

そこに無数の小さい島々が浮かんでいる。



それは決して目障りな程の大きさでは無く、景観を乱す程の数でも無く、


数mの直径。なのに泉から水を滝の如く地表に溢れさせている浮き島も少なくは無い。




「あそこに目指す茸があります。

金色に輝いていますから、直ぐに分かりますよ。

採れたら、エプロンのポケットに。それが一杯になったら終了です」



では、と。


黒髪の青年は左右を確認して、丁度浮き島同士の間に来た時、あたしを優しく引き寄せた。



「手分けしましょう」



言うなり、弟子を思いっきり蹴り飛ばした。



両足を揃えたドロップキックの要領で繰り出された、その勢いで、こちらは反動で、それぞれの浮き島に跳んだ。




「わあ先生、乱暴~。

前回の反省は皆無だね」

「フフ、弟子とは師の試練を乗り越えて強くなっていくものですよ」




腰に巻いた、ロープの先に付いた鉤を投げ縄の要領でヒュン、と投げる。



カツ、と島の大地に引っ掛かって身体が固定された。

湧き出す水に靴底のスポンジを浸し、重みを増した。

 


これで普通に歩けるのだ。


絨毯の様な緑色の苔を柔らかく踏んで、あたし達は茸探しを始めた。





「あったよ!先生、コレでしょ?」



その物体は茸らしく無く、大陽の光を燦々と浴びて、堂々と生えていた。


思わず触ろうとすると、先生の大きな手があたしを止めた。




「これは引き籠もる程の鬱を、一発で奮起させてしまう程、プライドの高い茸なんです。

故に、採り方は─────」



褪めた蒼いジャケットを、ざっ、と翻し。


先生は片膝を付いた。

まるで、中世の騎士の如き恭しさで。




「“偉上茸”どうか貴方の偉大なるお力を我が手に!!」







     ポロリ。







金色に輝く立派な茸が先生の掌に落ちて来た。




「と、こんな風に」

「……なるほど(どんだけ高いんだプライド)」







あたしと先生は島々を巡り、ポケットを一杯にした。

向こうの島でトールが微笑って、手を振っている。

あたしもぶんぶんと元気に振り返した。





「随分集まりましたね。ちょっと休憩しましょうか、ユキ」


冷たい水の流れる場所で、先生は腕を一振りして柔らかいシートを取り出すと、広げてあたしを誘った。




「あー。喉、乾いちゃったよ~」



あたしは溢れる水に手を伸ばした。




不意に幻影が重なる。




自分の手に二重に現れた、大人の腕。



その瞬間、あたしは自分の身体の《在るべき部位》を見失った。




ぐらり、と傾ぐ小さな身体。

再び起こる、刺す様な頭痛。






    「ユキ!!」






先生の声。力強い、あたしを掴む腕。唸る風、風、風の…?




眼前に雲海があり、顎に当たる紐の感触。



目の端に映る、クレヨンを入れた袋が、ぷらん、と下がっている。




8月になって、クレヨンは紺碧の色に変化した。


たった一本のクレヨンが、様々に色を変えて行く様は実に自然で、楽しい事としか思っていなかった。


よくよく考えれば、物凄く不思議なのに。


不思議な事が週間化してしまい、あまり深く考えなかった。






“いつもなら、そんなのは有り得ないのに”






…いつも?いつもって、いつだ?


 

あたしは青年の腕一本で支えられていたらしい。

ぐいっ、と力強く引き戻されて。





「まだ痛みますか?────さあ、これを飲んで」




先生は近くに茂る大きめの葉っぱに水を掬うと、それに粉薬を溶かした。



ぐるぐる巡る考えは取り留めが無く、次々に浮かんでは消えていく。

グレープの味がするそれが、喉を爽やかに通り過ぎて頭痛を消していった。





「せんせえ‥なんで‥頭が痛いって、分かったの?」





先生は何も言わなかった。



冷たい水に浸したハンカチをあたしの目許に乗せてくれる。




「クレヨン、で扉を描いて、落ちて来るあたしが、

どうして分かったの?」



「───────ユキ」





先生の苦しそうな声。

それでも、あたしは知りたかった。




否。“知らなければ”ならなかった。




「‥『彼』によって導かれた旅人は貴女が初めてではありません」




ハンカチを額にずらして、あたしは目を開けた。



優しい、初夏の緑を閉じ込めた様な瞳があたしを見つめていた。

 


「『彼』って、あの、頭の中に響いた声の人?」

「そうです」




「先生、その人は誰なの?」



暫く、沈黙があった。

そっと、放される腕。

大きな岩に凭れ掛けさせられて。



先生は立ち上がり、真っ直ぐ雲海と島々に注ぐ大陽の光に身を曝した。


風に黒髪が靡いている。

顔は見えなかった。





「いずれ、分かります」





その声が余りにも静かで、質問を許さない程に決然としていたから。



あたしは忘れてしまっていた。

『誰が』あたしの前に来たのか。

その人は『何処へ行ったのか』。



『何故、ここに来たのか』。




「‥じゃあ、クレヨンは、何で毎月色を変えるの?」



ちょっと、拗ねた声になったかもしれない。

だって悔しかった。




お前は子供だから分からない。

そう言われた気がしたから。




ねぇ。それくらい、教えてくれたっていいでしょう?





先生はやっと振り返り、目を糸の様に細めて、暖かく微笑った。




「だって、その方が楽しいじゃないですか」





あたしを抱き上げて、先生は靴底の水を飛ばすと島の地面を蹴って、大きな雲に近付いた。



それには既にトールが乗っていて、雲で出来た白い舵を回している。




「え!?これ、船なの?」

「はい。トールが表面加工していますから、降りても大丈夫ですよ」




雲の固まりは大きく、先生はあたしを抱いたまま腰のロープを投げて引っ掛けると、見事に着地した。




「さあ、家に帰りましょう」




先生があたしの頭を撫ぜた。

あたしは唇を尖らせると、先生の袖を引っ張って。




「上手く誤魔化せたと、思っているでしょ?先生」




先生は苦笑して、あたしの鼻の頭を指で軽く小突く。



「いいえ。貴女は賢いから。

‥でも、今は不問にしておいて下さい」






いずれ、必ず。時が来れば。






そんな声が雲を抜けた先に広がる、下界に差し込む光に融けていった。






      ★







あたしは“はっ”と意識を取り戻した。



見ると、トールが陶酔した表情であたしの足下に跪き、今、まさに爪先に接吻しようとしている瞬間だった。




「いやああぁっ~!?何してんのーッ、トールゥ!!」

あたしは手にした鞭とロウソクを放り投げ、



……鞭とロウソク?




「─────見事な男心の精通した女王様っぷりでしたよ、ユキ」







     はあ!?







足下に縋り付いて来るトールを拒みながら、あたしは直前の出来事を反芻した。




えっと、確か。

約束だったから、“偉上茸”から創られた薬を、

トールの代わりに飲んだのよね。

それから、それから…?






記憶が無い─────ッ‼︎⁉︎






「ああ、その茸は、別名“高慢舞茸”とも言いまして。

マリエッタの様な、重症の鬱病には劇的にアクティブになる薬になるのですが、健康な者が使うと、その…」






女王様になるってかぁーっ!!






「実は珍しく“下僕茸”も採れまして。─────で、ついトールの香茶に」

「入れたんだ!?」






ドアを開けると、あたしは必死にキャティを捕まえて走らせた。




非人間的な速度で追い上げて来る美少年。








 「先生のバカーッ!!」







あたしの叫びが、熱い風が吹く草原に木霊していった。








    ~9月に続く~



 

 



 




 

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