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7.七月は竜宮、時の彼方へ(中編)

皆さんご存じ、あの物語の主役が出てくる予定。

竜宮は朱塗りの大御殿だった。



海中都市は上から見ると、まるでリトル京都。



美しいそれに驚いていると、白鳥はツプン、とそこを覆う膜に入り込んだ。



空気はねっとりと湿度が高いくらいの感じでちゃんと、息が出来る。


でも、それは飴のお蔭で、宙をお魚が群れを成して通行しているのを見ると、やはりここは海の中らしかった。



大鳥居を潜ると、美しい輿が用意されていて、点滅するクラゲがそれを支えていた。



「ヤン、ゆうか。──────久しいのう」


黒髪をゆるりと結った切れ長の、瞳が美しい女性が、その中から優雅に降り立った。



「約定通り、一両日お世話になります」


「乙姫、どれくらいぶりかな?」



二人をそれぞれ見やり、頷いた彼女はあたしにふと目を留めた。



「おや、この子が『例の』?」


乙姫は優しげな目をすがめてあたしの向こうを透かし見た。

そうとしか言い様の無い視線だった。



「……大変じゃの」


「乙姫」

「分かっておる」


溜息を吐いた彼女の様子を咎める様に先生が呼んだ。

乙姫は顔を上げた。


「さて、『ユキ』。妾の竜宮によく参られた。些少なれど、宴の用意も出来ておる。さ、中へ中へ」



どういう訳か、乙姫の輿を前から潜り抜けた途端、あたし達は竜宮の中庭に降り立っていた。


そこには既に毛繊が敷いてあり、宴の料理が次々と運び込まれていた。


「ねぇ、ヤン先生」

「どうしました?ユキ」


あたしが青年の袖を引っ張ると、先生は首を傾げた。



「あそこに男のコが居るよ?」



気付かれた、と感じたか。

柱の陰に身を潜めていた、黒髪の少年は脱兎の如く逃げ出した。



「待ちや、震。そこに居ったか!!」



乙姫の比礼がヒラリと海中を舞うと、“震”と呼ばれた男のコの体に巻き付いた。


くん、と軽く引っ張っただけなのに、少年はあっ、という間に目の前に居た。


「これが妾の不肖の息子じゃ。震、と云う。ユキと同じくらいかの?」



震君は緑色の長依を身に纏っている。

目許は乙姫に似ていた。


金色の短剣を腰から下げて、不貞腐れていなければ、さぞ凛々しい美少年なのに。



「あたしは14歳です。震君は?」

「あれはそろそろ、254になるかの?」


乙姫はするりと比礼の戒めを解き、華の唇に金の杯を運ぶ。



「俺は来月で255歳だっ!!」

「どちらにしろ、小童には間違い無いわ」


すっぱり乙姫は少年の訴えを切り捨てた。


「母の客に正面に挨拶も出来ぬ者など、公子どころか一人前の男でもあるまい」


冷やかなその台詞に真っ赤に染まった震はどすん、とその場に腰を下ろす。



「…先生、255歳って子供なの?」

「まあ、うちの13歳は“卵”ですが」


ゆうかさんに騙され、杏の糖酒漬けを食べさせられて引っ繰り返った弟子を、ヤン先生はちらりと一瞥した。



「そう言えば、乙姫。先日、清風にお会いしましたよ」



ヤン先生は世間話の一環として切り出したんだと思う。

だが、乙姫の動きがぴたり、と止まった。



「───────そうか、慈雨祭であったな」


「はい。お健やかな様子でした」


清風さん、乙姫と知り合いだったんだ。

ふぅん、と頷いていると、暖かい手に腕を捕られた。


「お前、人間の子供か?ゆうか殿の子では無いのだろ?」

「お前じゃ無いよ『美雪』。ユキって呼ばれてる」

「どうでもいいじゃないか、呼び名なんて、そんなの」



あたしは少年の手を、ぴしゃりと撥ね除けた。


「そんな事を言うのはね、こっちを“どうでもいい”って思ってるからだよ。

あたしはそんな人と話したくない」


少年は怒気を露にしたあたしを、びっくりした顔で見詰めた。



そうして一気に破顔する。



「俺にそんな事を言う女は初めてだぞ。お前、気に入った!」



あたしは、気に入られたく無い。心底そう思っているのに、この公子様には通じないらしい。


無理矢理手を繋ぐと、立ち上がった。


「母上、この娘暫くお借りします!!」

「母の客じゃ、無体を働くで無いぞ?」



乙姫に分かっております、と返事しながら、彼はあたしの手を引っ張り、既に走り出していた。


ヤン先生を見ると苦笑して、トールに酔い醒ましのアンプルを飲ませている。

それは即効性だったらしく、美貌の少年が直ぐさま後を追い掛けて来た。



「待ちなさい、震殿。一体、ユキを何処に連れて行く積もりですか」



少年はお邪魔虫が来た、と言わんばかりの顔をして、壁の一部を顎でしゃくる。


何も無い、壁…だが、



「竜の宮、海なる命の源を司る神おわします神座なり。御社たる一族の証立て。

一に心なり。一に体なり。一に清なり。三つ柱を以て解錠と為せ」



壁に触れていた処が、飴状に柔らかくなり、あたし達三人をつるりと飲み込んだ。



眩い光。

一面の金色。広大な部屋に無造作に山と積まれた財宝が目を奪った。



「どうだ、ここが竜宮宝物庫だ。ありとあらゆる富がここには在る」



自慢げな彼を余所に、トールはスタスタとあたしの傍に来ると、捕られていた手を取り戻す。



「師、曰く。どんな宝玉も女性の面に輝く二粒の瞳には敵わない、とか」

「さすが、ヤン先生だねー。そこまで言い切られると、いっそ清々しいよ」

「感心処はそこですか…」


キラキラをすっかり忘れて頷いていると、震は面白そうに笑っている。



「この場で我を忘れぬ女も珍しい。益々気に入ったぞ。どうだ、俺の嫁にならんか?」




    はあ?




あたしは余程イヤな顔をしたのだろうか?

少年はつまらなさそうに鼻を鳴らした。


「ヤン殿の様な男が好きなのか?あれくらい俺にもなれるぞ」



そう言うと、瞬き一つの間に麗しい青年に変化し、

トールの手から再びあたしを奪取した。

気が付くと、震君の腕に抱かれていて、あたしはキョトン、としていた。


「俺は母と違って神族の元恋人も居らんしな。ユキだけを大事にしてやるぞ?」


神族の恋人?乙姫にそんな人が居たんだ?



「どうした。お前も会ったんだろう?水神龍“清風”に」


水神龍!

やっぱりあのでっかいの、清風さんだったんだ。



「え?じゃあ、清風さん、震君のお父さんなの?」



あたしの髪を撫でて感触を楽しんでいた竜宮の公子はあからさまに顔を顰めた。



「何を聞いている。俺は“元”と言った筈だ」



「その人の父親は御伽話の主人公ですよ。貴女と同じ人間。そうですね?震公子」


底光りする菫色の瞳はイライラMAXで、視線だけでも乙姫の息子を射殺しそうだ。



「ああ、魔法医師の弟子。

俺の父は亀を助けた唯の人間、浦島太郎だ」



いっそ傲慢とも言える口調で、震はトールに言い放った。


「父親への憧憬からの興味なら、その人に迷惑です。

貴方なら、数多の姫君から縁談が降って湧いている筈でしょう。

酔狂は止して、ユキを放して貰えませんかね?」



震の父が浦島太郎だった事にも驚いたが、トールの本気の怒りの方が優先する。

銀髪は逆巻き、交差した手の指に挟まった5色の玉は、恐らく何かの攻撃用アイテムだ。


あたしは急いで駆け寄ろうとして、震君に止められる。



「俺は本気だぞ。お前を、唯一の妻に迎えても良いと思っている」


「バカ言わないで!あたしは明日家に帰るのよ!!

大体酸素飴が無きゃ、息も出来ないトコにお嫁にいけるワケ無いでしょ!?

乙姫様だって、反対するに決まってるわ!」



震は一瞬怯み、哀しそうな色をその蒼い瞳に浮かべた。


「‥母はそれほど俺に関心は無いさ。

元々、父と情を通わせたのも、龍と別れて心弱くなっていた頃と聞く。


身体の造りの問題なら、俺と契れば済む事だ」




  ……?(契る?)




トールの目尻が吊り上がった。


「ユキ、えっちして彼の精を受ければ、体質が変わると言われているんですよ、貴女ッ!!」





「いえええぇえええエェ──────ッ!!」




ちち、ちゅ、ちゅうがくせえにナニいうだぁッ、このオトコゥ!



「はなはな、放してぇ、ばかぼけしねぇえええっ!!」

「お、前っ案外、口が悪い、なっ!!俺の何処がそうまで不満だ?」


蹴りまで入れて逃れようとするあたしを必死に押さえ付けようとする彼に、



「震公子、ユキを放しなさいっ!」

トール少年は5色の玉を、ヤン先生の如く複雑に砕きながら、空気中で調合し、こちらに放った。




ぱ、ぱぱん、ぱん、ばばぱんっ!!…ずばんッ!!



その“ずばん!!”に吹っ飛ばされて、あたしは空中に放り出された。



その先に、煌めく鏡が鎮座していた。


その綺麗な鏡を割ってしまうと思ったあたしは咄嗟に目を瞑ってしまう。



「─────────時渡鏡が!!」



震の声と同時に駆け寄ったトールに指を掴まれ、あたし達二人は鏡の中に吸い込まれてしまった。







      ★






   真っ暗だった。


指先の暖かい感触が無ければ、怖がりのあたしは不安で泣き出していたかもしれない。



「ユキ、大丈夫ですか?」


「トール、ここ…何処?」



暫くの沈黙の後に、落ち着いた少年の応えがあった。


「…震公子があの鏡が『時渡鏡』と呼んだのを覚えていますか。

僕の記憶が確かなら、それは時の流れを確かめ、操作する為の竜宮きっての神器の事かと」




時の中。




心細くなったあたしは、

少年の腕を手繰り寄せるとしがみついた。


トールは励ます様に握った手をぽんぽんと叩く。


「済みません、ユキ。

僕が冷静さを欠いていた所為で‥」



「?───────事故だよ、トール。

それに助けようとしてくれたじゃん。あのコ、あたしの言う事なんか、まるで聞いて無かった。

お嫁さんなんか、嫌だよ。なりたくない」


益々ギュッ、と握った腕が、僅かに震えていた。



「…トール?」

「貴女だけは絶対に、ここから脱出させます。

行きましょう」



責任感の強い彼は、あたしを巻き込んだと強く自分を責めていた。


分かってしまった。


彼は怖くて震えているんじゃない。

あたしを救えるか分からないこの状況に恐怖を感じているんだ。


あたしより、年下なのに。



「トール、あっちがちょっと明るくない?」


二人で行けば怖くない。

遠くの方に、ほんの僅かに灯が見える。



どうでも、二人で脱出するんだ!

あたしはそう心に決めて、強く歩き出した。



近付くにつれ、灯はどんどん大きくなり、いつしか空間全部が薄青の光に包まれていた。

 






ぱん、ぽ、ぱんぱん、ぽん、ぱぱん。


ぽん、ぽぽんぽん、ぱん、ぽぽん。



小さな光があちこちで膨らんで弾けている。

その音が不思議な音楽を奏でていた。



地面一面に白いサギ草が揺れている。

その幾つかは、本当に鷺となり、地面で丸く眠っていた。



深い緑苔で出来たフカフカの椅子に、一人の老婆が座っている。




「─────ほう。珍しいもんじゃ、客が来た」



深海から響く様なその声に、ぞくりと背中が震えたが、あたしは勇気を振り絞った。



「こんにちは。ちょっとお邪魔してもいいですか?」


老婆は少し興味を惹かれた様子で、水パイプをくゆらせた。


「おお、礼儀正しい嬢ちゃんじゃ。おいで、退屈しとったんじゃよ。

‥坊主も袖から手を出しな。人の住処で物騒なモン、ちら付かせるのはお止し」



トールの眉が神経質そうに寄せられた。


だが、反抗しても得は無いと判断したか、あっさりと老婆の勧めに従った。



「アタシはヴィクル。この《時の回廊》の管理人さ。

ああ、いいよ。何にも言わなくて。

当然、全ての《時》に精通しているからね、アンタ等の事情も知っとるよ。乙姫の小さなお客さん達」



ぷかり、と水パイプから音がする。



なら、と身を乗り出したトールに、老婆は煩そうに手を振った。


「脱出の手伝いは無理だよ。

アタシゃこんな年寄りでね。慣れた管理は出来ても、綻びを創る力は無いのサ」



目の前でしゅん、としたあたしがおかしかったのか、老婆は低く笑った。


「まあ、そう悲観したモンでも無い。

要はアンタが《時の回廊》を無事に渡り切れば良いだけの事。

《時》に惑わされず、

《案内人》を見つけ出し、

《助け手》の手を取りさえすれば出られるよ」



      ?



首を捻っていると、勝手にその辺のテーブルでお茶の支度をしていたトールが、考え深い声で言った。


「どちらかが竜宮関係者で、もう一方が先生ですね。

あの公子は粗暴ではありましたが、暗愚では無さそうでした」


渡されたお茶を嗅ぐと、ハーブの香りが漂う。



「この騒ぎはすぐに知らされた事でしょう。

となれば、連れ戻そうと力を尽くして下さる筈。

問題は、こちらの《位置》なのですが…」

「そっか、見つけて貰わなきゃ、出口に《案内》して貰えないもんね」



「まあ、頑張りな。《時》に惑わされずに、《合図》が出せれば、アンタの勝ちサ」




合図?




またまた意味不明の言葉を吐いて、老婆は横に眠る鷺の一羽を、パイプでコツリと叩いて目覚めさせた。



鷺はゆるり、と首を擡げ、大きく翼を広げた。



その途端、景色は消え失せ。

トールも老婆も見えなくなって。

白い鷺だけが闇の中に浮き上がっている。




『決まりでね。回廊を渡れるのは一人ずつ。

せめて灯くらいは持たせてあげるよ』




鷺は見る間に丸い提灯に姿を転じた。

あたしに残されたのはそれだけ。

そっと光を持ち上げると、首に下げていた笛が顎にコツリと当たった。



「これ‥何を呼ぶんだろ…」



吹いてみようか。先生がくれた笛。







ひょっとして届くかもしれない。








フィイイイイイイーィィ!!








ふぃいいー、ふいぃー。





木霊する音が空間を切り裂いた。









    ~8に続く~


 



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