17話.十一月は読書月間、貸出は遥か古代図書館で(後編)
12月のお話はクリスマス前に投下します。
クレヨンは本当に一番好きな作品なので、自分も好きだと言ってくれる方がいらっしゃればイイなぁ。
目の前に居るのは、疲れた顔をした男の人だった。
歳は三十代前半、といった処か。
手を握り、絶えず話し掛けてくる。
『今日は秋桜を持って来たよ。竜胆が枯れてしまったからね。美雪の言ってた通りだよ。
あの花は蕾を全部咲かせるのが難しい』
ピッ、ピッ、ピッ、と規則正しい機械の音がする。
『追い詰めるつもりじゃ、無かった。
ただ、このままじゃ駄目になると思ったんだ』
手の甲に熱い、滴の落ちる感触。
あたしは耳を塞いだ。
聞きたく、ない。
この先をあたしは多分、『知って』いる。
閃く光。
衝撃。
男の呼び声。
抱き締めたポンタの暖かさ。
喉につかえた熱い塊。
「───────助けて、ヤン先生!!」
あたしはビーズの薔薇を足下に叩き付けた。
飛び散るピンクの粒が、ふわんふわん、と浮いて、あたしの回りに輪を作り出す。
気付くと月の様なまあるい、黄色い足下。
それが立体になる。
あたしは月の兎のように。
ふわん、と跳ねる。
『今、貴女は月に居るのと同じです。落ちても大丈夫ですよ』
ヤン先生の優しい声がした。‥様な気がした。
途端、星空の中に落ちてゆく。
まるでアリスだ。
目指すは足下の明るい穴。
穴の中に、穏やかな顔をした、優しげな男の人が居た。
あの人、『師匠』さんだ!!
何の根拠も無い、直感。
でも外れてないと思う。そうとしか、思えない。
『会えば、直ぐに分かるよ』
ゆうかさんの言った事は本当だった。
とびきり師な服を着ているワケじゃない。
普通の白いシャツにスラックス。
白いお髭を生やして、杖をついてる格好でもない。
ごくごく普通の男の人。
三十代後半から四十前くらい?
駅で擦れ違ったら、そのまま記憶に残らないかもしれない。
でも、話したら一生忘れられないかもしれない。
普通じゃないのは、声音と瞳の光だった。
柔らかいファーの椅子に腰掛けて、対峙しているのは何とヤン先生。
『探しているのはコレ?』
簡単に取り出したのは、清風さんお探しのタイトル。
頷くヤン先生を、珈琲を口にしながら面白そうに見ている。
『何故、これが欲しいのかな』
先生は表情を変えずに、師匠さんに答える。
『それは、清風の頼みで探しに来たのです』
『…それは先生じゃ、ない。────そうだね』
沈黙の青年。
大人だと思っていた先生も、この人の前では若く見える。
『催眠術。まあ、これを使えば確かに完璧。掛かるね、間違いなく。ましてや、使い手が神なら。と、いうか、何故神にコレが必要?
─────結論。本気で彼が使いたい訳じゃ無い』
大分、穴に近付いて来て、二人の細かい表情が分かる距離まで落ちていた。
少し背景も見える。
白い壁。まるで天体観測所。でも、本も一杯だ。
うーん、所謂、学者さんのお部屋みたいかな。
『誰に渡すつもりだったのか、これが重要』
ヤン先生は下を向き、一度大きく溜息を吐いた。
『ユキ、という少女にです。彼女が直々に受け取る様に指示されています。
ゆうかは…彼女で無ければ、本は見出だせないと言っていました』
視線を合わせた先生は至極、真面目な顔をしていた。
『清風の思惑が何であれ、それは私に渡して戴きたい』
師匠さんは本を伏せた。
ぱたん、そんな乾いた音がして、そこに彼の肘が乗る。
『過保護は誰の為にもならない。これは選択だよ、先生』
アルカイックスマイル。
不思議な笑みを浮かべて、彼はヤン先生に掌を閃かす。
1・2・3。
そんな声が聞こえて、ぐらりと先生の身体が傾いだ。
つん、とその額を突く師匠さん。
『────いらっしゃい、ユキ。ようこそ、私の庵に』
ズボッ!!
そんな音を立てて、落ちた先は、何と時の展望台。
…だと、思うよ。
琥珀の瞳をした師匠さんが占拠してたけど。
なんか、奥にお布団とか置いてあるし、生活用品一式揃ってるし。
天使の絵が飾ってある。
構図は何だ、その。
ネ●とパトラッ●ュが天に召されてる様な。
《フラ●ダースの犬》、いいよね。
見上げると望遠鏡。
まさか、あたし、あのレンズに向かって落ちて来たの?
「びっくりしてるの?まあ、仕方無いか。夢幻階段、使ったんだ。それで、迷った。ラブコメの女王はどうしたの?一緒だった筈だけど」
師匠さんは独特な話し方であたしを迎えてくれた。
多分、歓迎してくれてるんだと思う。笑顔だし。
ラブコメの女王‥‥そんなジャンル得意だったのか、ゆうかさん。
座り込んで、目を白黒させているあたしを、よいしょ、と引き上げ、ヤン先生が昏倒している、ソファ側の椅子を引き寄せて、座る様に促してくれた。
でも、あたしはヤン先生が心配で。
「師匠さん、ですよね」
「うん、何故か皆、そう呼ぶね」
「ヤン先生をどうしたんですか?」
揺すっても起きない先生に、あたしは不安で師匠さんに尋ねた。
「これは必然。─────そして、選択」
すっ、と差し出されたのは探していた催眠術の本。
それは結構分厚い装丁で、深い苔の色をしていた。
「ここにある本に書いてある事は、全て熟知しているから、呼ぶ人は私を、そう《マスター》と呼ぶ」
その声。一気に引き寄せて、癒すようにあやすように、包み込む。
「水神龍は知っている。誰にも言えなかったね。『もしかしたら。先生もゆうかさんも、あたしの知らないあたしの事で、同情して憐れんで、一緒にいてくれるだけなのかもしれない』」
彼はひょい、と、あたしを抱き上げ、自分が座っていた椅子に降ろした。
天使の形をしたポットから注がれたのはホットミルク。
それは暖かい焼き物のマグカップで、師匠さんはそっとあたしに持たせた。
表面が細かく波打っているのを見て、あたしは自分が震えている事に気付いた。
「君は君自身の《謎》なんかより、ずっとこちらの方が怖い。
だから、痛くても苦しくても、隠された全てを知りたくて、ここに来た」
「師匠さん…」
「先生は私がその本の通り、催眠術に掛けただけ。安心して、それを飲んで」
ホットミルクには生姜と蜂蜜が入れてあり、一口啜ると身体がホカホカと暖まった。
師匠さんはどうしてあたしの秘密を知っているんだろう。
「知ってはいないよ、《識って》いるだけ。
ここは【古代図書館】。全ての知識が波の様に打ち寄せる、時のポケットだから」
不思議な不思議な古代図書館。
人の心の数だけ、人の本もあるんだろうか。
あたしの本もあるんだろうか。
「さて、女王を探しに行くかな。君はここに居て、留守番をしててね」
身軽に踵を返すと、彼は思い出した様に振り返った。
「君の知りたい答えを私は持たない。それを持つ人はそこに眠る彼だけ」
悪戯っぽく、ウインクをして。
「彼は一つだけ、真実を語る。良く、考えて。
本当に聞きたい事を」
───────尋ねるといい。
そう言って高く、二つ指を鳴らした彼の姿が消える。
深く、深く眠る先生。
切ない想いが胸一杯に広がる。
だらり、とソファからはみ出した彼の大きな手を胸の上に戻して。
その上に頬を乗せた。
何度も何度も抱き締めてくれた腕。
この優しい手が、あたしの頭を数え切れないくらい撫でてくれた。
喉につかえた熱い塊を、この人だけが癒してくれた。
「…ヤン先生…」
同情だけ、だったの?憐れみだけ、だったの?
あたしは何を秘めているの?それは過去なの、未来なの?
「──────はい」
先生の優しい、いつもの声がいつもの様に応えてくれる。
二人だけ。
この空間に二人きり。
一つだけ、彼は、真実を語る。
《たとえ、それがどんなに辛い真実でも》
「教えて欲しいの、先生」
止まらぬ涙を零しながら、あたしは先生に尋ねた。
「どんな事でも。それが貴女の望みなら」
澱み無く、応えるあたしの先生。
「ヤン先生」
ああ、胸が張り裂けそう。
しゃくり上げながら、
それでもあたしは、聞かなきゃならない。
じゃなきゃ、もう一歩も進めない。
「先生、あたしを好き?」
無条件に人から好かれる程、心が綺麗だなんて思った事は無い。
だけど、彼にだけは。
彼が隠すのなら、それでもいい。
過去も未来もどうだっていい。
この人が大事だから。──────だから、
「本当の気持ちを聞かせて」
その答えは。
「───────くだらない」
何かが砕ける音がした。
わなわなと慄くあたしの身体。
もう駄目だ。
もう、
もう、
もう‥。
ずるり、と力が失せた身体を、力強い腕がぐい、っと引き上げた。
慣れた感じで膝の上に抱き込まれ、顔を上げると、それは。
「‥ヤン、先生?」
彼はまだ催眠状態から覚めていない。
緑の瞳は定まらず、煙る様なフィルターが掛かっている。
「本当に、何を尋ねるかと思えば」
突き放す様な声なのに、涙を拭う指先は優しかった。
「『彼』から言われるまでも無い。
私は、ずっと前から貴女を知っていた。
貴女が世界を同じくした時、どれほど嬉しかったことか。
それが、私を苦しめる。貴女の苦境を知っていて、それでも私は、それを喜んだ。
貴女が、私の手を取るしか無い、この運命を」
その声は苦渋に満ちていた。
自分だけが苦しいのだと、そう思っていた。
なのに。
あたしを想って、この人は苦しい。
恥ずかしい。
それは、泡となって消えてしまいたいくらいに。
なのに、─────どうしよう、嬉しくて堪らない。
「貴女が、好きですよ。ユキ」
心から、紡がれる、彼の、『ほんとう』。
「何ものにも代え難い程に」
恥ずかしくて死にそうです。嬉しくて死にそうです。
たった一人のこの人が、あたしを好きだと言ってくれた。大事なのだと、応えてくれた。
人は支えられて生きている。
強くなんか、ない。弱くなんかも、ない。
でも、たった独りでは寂しくて、きっと凍り付いてしまう生き物。
先生の言葉で、あたしの中に灯ったこの小さな炎はもう、決して消える事は無い。
どんな強い風が吹いても、どんなに冷たい雨が降っても。
想いを糧に明々と燃える炎は、あたしを、この上なく暖めるだろう。
「──────ありがとう、先生」
あたしは、先生を抱き締めた。
いつも、抱き締められていたから。
回らぬ腕で、それでも自分の力で、抱き締めた。
力の抜けた先生の身体が、そのまま再びソファに沈む。
「聞きたい事は聞けたかい?」
師匠さんの優しい声。
「なんだ、ユキ。ヤンを押し倒したのか?よせよせ、やめとけ。そんなムッツリ、どんなプレイを強要されるか分からないぞ」
これはゆうかさんの声。
「……何だか、大層失礼な事を言われている気がするんですが。……ユキ?」
額に手を置いて、軽く頭を振りながら、青年が半身を起こした。あたしごと。
「うん。先生、清風さんのお遣いね、果たせたよ」
本を取って先生に見せると、彼はでかした、と言わんばかりに微笑った。
「さすがはユキですね。じゃあ、さっさと双子の娘さん達に渡して帰りましょう」
「トールを預かり所から引き取るのも忘れるなよ、ヤン」
余計な事を思い出した、という様に顔を顰める先生に皆で呆れて。
「そういや、あの後、勝負はどうなったの?」
本を双子に託し、大扉を後にしながら、あたしは明るい顔で先生を見上げた。
「勿論、勝ちましたよ。お嬢さん達には申し訳ありませんでしたが」
そう言いながら、満足そうな先生の顔。
ああ、それで、二人は別れ際に再戦を誓ってたんだ。
本当にヤだったんだね。…でも、先生大人気ないなあ。くすくす。
「さあ、帰ってお茶にしましょう。とっておきのジャムを出しますから。暖かい紅茶に入れて」
トールもご機嫌で、光る魔方陣の写しに足を掛ける。
移動の瞬間に、先生はあたしの耳にこっそりと囁いた。
「─────今度からは術なんか、使わなくていいですからね」
お、覚えてるの!?先生ッ!?
「貴女が、世界で一番好きですよ」
ああ、もう、あたしもデスよっ。
~十二月に続く~




