16話.十一月は読書月間、貸出は遥か古代図書館で(中編)
「何処のシフォンケーキか識りませんが、人体をそれに見立てて楽しいのは男女間のみの話ですよ」
先生が、全き人格者失格な発言をした。らしい。
というのも勿論、それが、あたしの左右の耳に指で耳栓をしながら、だったから。
「鬼畜に慣れる処か、罷り間違い惚れてしまう事など、天地が引っ繰り返っても有り得ませんね。経験者が言うんです。間違いありません」
あたしの目の前で口をパクパクさせる姉妹。
だって、聞こえないんだもん。
「何を言うんです、トールさん!!貴方がユキちゃんを好きだ、と言うんだって、裏を返せば、ヤン先生を取られたくない切ない男の子心の裏返しでしょう!?」
「そうよ、内心ではそんな女の子より、僕を抱っこして、一緒にお風呂に入って欲しいとか、イケナイ診療をして貰いたかったり、魔法で身動きを取れなくして、無理やり後ろからピーでピピッピー、ピッピ、ピーしたり、先生のピーピー、を口にピ──────」
何やらうっとりと語り出しているらしいL瑠。
だって、聞こえないし。
「何で、そんなに具体的なんでスかッ─────!?」
顔を真っ赤にしながら、思わず一歩前に出るトール。
それをヤン先生が遮った。
一瞬抜けた指の耳栓はゆうかさんが引き継ぐ。
「貴方ではまだ、役不足です。ここは私に任せて、
下がりなさい」
凛、とした先生が袖を捲って、前に出る。
「ふふふ、やはり先生が出て来られた」
「愛しい弟子は自分がいたぶる分には構わないけど、他人にされるのは我慢なりませんのね?」
益々、妄想を膨らます双子っコ。
「ふっ、─────まだまだ青い」
鼻先で軽く嘲う先生は、悪辣な笑みを浮かべた。
自らの矜持が女性に対する敬意を僅かに上回った、といった処か。
「八歳まで寝世界地図描きの何処に欲情を催すのか、そのポイントが今二つ良く理解出来ませんが、知識だけだというなら、私も腐海の専門家に些少ながら御教授戴きましてね」
「先生ええええぇええッ!!」
思わぬ過去の失態をさらりと披露され、トールは巡回中の《警備カニ》に『図書館では静カニ!』と、どっかに連行されて行った、らしい。
あたしは真上のゆうかさんを仰いでみるが、熟女はフルフルと首を横に振った。
まだ駄目なのか。
「いい歳こいた健康な青年に、未だ浮いた噂一つ無いなど、世間では考えられませんわ。
─────と、なるとやはり身近で禁断の愛に耽っているとしか」
「自らの基準だけで物事を判断するのはどうかと思いますが。
まだ、ゆうかやユキとの間を邪推された方がマシというものです」
K姫に指差され、即答した青年にゆうかさんが苦い口調で噛み付いた。
「おい、私達を巻き込むなよ。ムッツリスケベ」
「誰がムッツリですか。曲線も無いクセに」
瞬殺。
ゆうかさんの回し蹴りが、先生の後頭部に炸裂した。
何処からともなくクルクルと回りながら現れたイソギンチャクが、勢いよく床に激突した青年の、額から流れる血を掃除しだした。
「…とにかく、ロリータやら、熟し過ぎて何やらドリアンな関係とは、全く関与していない私ですが、貴女方が得意げに語る特殊知識が、極められていない事だけは理解しています」
ダメージを感じさせないままの口調で、一枚のデカいシートを袖の一振りで出した青年は、それを自分の額にペタリ、と貼った。
再び、すぽっ、と指で耳栓されたあたしは、スタスタと歩くゆうかさんに背中を押され、その場を後にした。
「そもそも、濡れ場において往々にして怪しい潤滑液が登場する様ですが、彼の器官にその様な分泌腺は存在しません。精々カウパー腺液ぐらいでしょう。
かつ、初体験にも関わらず、スムーズに性交が行われ、あまつさえ快感が得られる仕組みは、どう考えても無理があるというものです」
「そこは、クリームやローションなどの様々なオプションの力を借りて…」
「経験者に伺った処、排泄器官に逆の用途を持たせた場合、大層な苦労が必要な様ですよ?専用の拡張用器具まであるとの事です。
ましてや、熱り立ち性欲の虜になった者にそういった器官への配慮が期待出来ると思いますか?
聞いた処、手術は三回が限度だそうですよ────」
フェードアウト。
とたとたと、すっかり三人の姿が消える所まで押されて、耳を開放されたあたしの目の前に、飲み物を扱うカウンターが現れた。
海賊船にはためく様な髑髏の大きな黒い旗を背にして、シェイカーを振る女の人が居た。
ゆうかさんは慣れた様子で椅子に座ると、あたしを手招きする。
「小姐、一年ぶりかな。元気そうで何より」
よいしょ、と座ると、穏やかな笑みを浮かべた女の人は、あたしに暖かいおしぼりを広げて差し出した。
テレビドラマで見た、カクテル・バーで働いている人みたいな服装で、中性的な雰囲気だ。
「ありがとうございます」
と、受け取ると、花の様な笑みを浮かべた。
綺麗な女性だというのは分かるけど、何故か年齢が分からない。
二十代にも三十代にも見える、不思議な女性。
「いらっしゃい。貴女も変わらない‥と言いたい処ですが、随分と行儀の良いお嬢さんをお連れですね。
まさか─────」
「娘、じゃない」
「…でしょうね」
彼女は憮然としたゆうかさんを前に平然と応えた。
肩がほんの僅かに震えているが。
「分かってて言ってる分、タチが悪いな」
「まあまあ」
するり、と差し出されたのはミルクコーヒーみたいなもの。
「カルアミルク…タイミングの良い。このコには‥」
目の前にいつの間にか置いてあるグラスに驚く。
「ホワイトグレープジュース?‥これを出してくれるお店、潰れちゃったのに」
あたしはぺこり、と頭を下げると一口、ストローで啜ってみる。
「同じ味だっ!?」
「それは良かった」
真ん丸い目をしたあたしに、ゆうかさんと彼女は、優しく微笑った。
「ところで、師匠の居所を知らないか?清風のリクエストが厄介なんだ」
彼女は考え込む様に視線を落とす。
「そうですね、時の展望台が、最近のお気に入りだという事は知っていますが」
「そりゃまた、行くのが苦労な所に─────」
あああ~、とゆうかさんが頭を抱える。
「唄う案内人は…」「旅に出ました」
即答。
「貴女、まだ方向音痴なんですか」と追撃されている。
「うたう、あんないにん?」
呟くあたしに彼女はきりっ、とした表情で、
「基本的に全裸です」
……いえ、そういう情報が聞きたかったんじゃ無いんですけど。
「今度、勝負Tシャツを餌にワナを仕掛けようかと、目論んでいるのですが」
何だか、二人の間には親密な(?)関係がある様だ。
「好きにやってくれ。とにかく、今は捕まらないワケだな」
頷いた彼女に溜息の熟女は、勘定をカウンターに置くと、あたしを椅子から降ろした。
「よし、仕方無い。探しに行くか。ああ、美味かったよ小姐。またね」
肩越しに手を振るゆうかさんに彼女が、
「─────彼女が、貴女の《時》を引き継ぐ者ですか?」
と、尋ねた。
ゆうかさんは振り返らない。
「ゆうかさん…」
彼女の顔も熟女の顔も、何の変化も無かった。
「─────いいや、このコの《時》はこのコだけのものさ。小姐、もう私の心配はするな。それは無駄な事だ」
静かな、寂しい笑み。
彼女は全てを飲み込んだかの如く、軽く一礼した。
ぽぉん、と軽く背中を叩かれ、あたしはゆうかさんに肩を抱かれて歩き出した。
静謐な空気の館内が、まるで広大な棺の様にその時、初めて感じた。
「さて、と近道はあるかな?」
館内地図をパラパラと捲り、熟女が首を傾げる。
そういえば、ゆうかさんも方向音痴だったなんて。
あいたー、といった感じに額を覆うと、ゆうかさんとあたしは、目印を頼りに一つの時計模様の扉の前に立った。
「いいか、ユキ。これから、ちょっと厄介な場所を通る。
《夢幻階段》と言ってな、しっかりと目的を持って行かないと、そこに辿り着けない」
ポケットからピンクの薔薇を模したビーズのチョーカーを取り出すと、あたしの首に手を回し、付けてくれる。
「うわあ、綺麗‥コレ」
「私のお手製さ。一時期、凝っていた時があってな。万が一逸れた時は、誰かの顔を思い浮かべて叩き割れ。
中にヤンの薬が仕込んであるから、導いてくれる筈だよ」
キイ、と音を立てて閉まるその扉の向こうに、まるで抽象画か騙し絵に出てくる様な階段が現れた。
踊り場に様々な扉が付いているが、近付くと消えてしまう。
上も下も分からなくなる程の、無限に続く階段を、ずっと一つの事を考えながら歩くのは難しい。
「ゆうかさん、今、何かが通った」
熟女は繋いだ手をぎゅっ、と強く握った。
「…しまった‥それを忘れてた。駄目だ、ユキ。時の展望台だ、そこに辿り着く事だけを考えろ」
《ミ・ユキ‥お‥を‥戻って…》
続いて響き渡る、縋る様な男の声。
「何だか、声が聞こえるよ。あたしを、呼んでる」
ぶるぶると震え出す自分の身体を、あたしは堪らなくなって、熟女の手を振り切り、抱き締めた。
「しっかりしろ、ユキ。引き摺られるなッ!!」
途端、あやふやになる足下。
ぐにゃり、と全てが歪んだ。
「どうして隠して、いるの?‥ゆうかさん。せん、せいも‥あ、たしに秘密‥を…」
そう、ずっと疑っていた。
あたしは多分、偶然この世界に迷い込んだんじゃ、無い。
乙姫も、ゆうかさんも、秋の女神も、先生も。
皆、何かを、あるいは全てを知っていて、あたしに隠している。
先生はいずれ分かると言ったっきり。
何にも教えてくれはしない。
そして、全てが消え失せた。
~後編に続く~




