11話.九月は競い合う花々の祭典!?《後編》
~10より~
ふわん、ふわんと漂ってきた匂い。
それは金木犀の香りだった。
街の顔役、ガウェイン氏のブースだ。
金木犀で囲った真ん中に、凝った造りの青銅ベンチがおいてあり、その後ろに一本の銀木犀が花を湛えていた。
ベンチに一人の紳士が腰掛けている。
年の頃なら、老年に差し掛かったという処だろう。
がっしりとした身体に白いものの交じり始めた赤い髪。
「やあ、ガウェイン。盛況ですね」
紳士の顔に穏やかな笑みが浮かぶ。
改めて手中の渋い樫の木のステッキを握り直し、彼は成果を見上げた。
青い美しい空を、金木犀が縁取っている。
いつまでもここに居たい。
そう思わせる程、美しい光景だった。
「楽しんでいらっしゃいますか?ヤン先生。そしてユキさん」
あたしは大きく頷いた。金木犀も大好きだったからだ。
「はい!この匂いが大好きなんです。お花をハンカチに少し貰ってもいいですか?
学校の、行き帰りの道にもよく咲いていて、そこでもあたし─────」
そこまで言って、あたしは不意に口を噤んだ。
息苦しくなった様子を隠す様に、あたしは不自然に明るい声で続けた。
「あたし、いつも散り掛けの花を挟んで、ポケットに入れておくんです」
匂い袋みたいになるんですよー。
そう笑うと、老紳士の笑顔にも慈しみの色が混じった。
「どうぞ、お好きなだけ。貴女の様な可愛らしいお嬢さんになら、彼等も喜んで花を分けてくれるでしょう」
ありがとうございます。と、頭を下げたあたしはふと、紳士の後ろにある銀木犀に小さな銀のリンゴが、同じく銀の紐で結び付けられているのに気付いた。
辺りを見回すと、ブースを訪れた人々が金のリンゴを同じく枝に結び付けている。
「願掛けですよ。なりたい未来をリンゴの中に託し、ああして祈っているのです」
彼等はマリエッタ達、きれいな娘達に願いを書き込んだ小さな紙片を渡して、作り物のリンゴに入れて貰い、枝に案内されている。
ガウェイン氏は、皺のある優しい手に、銀のリンゴを一つ乗せていた。
「このコは特別でしてね。私が望んだ方々にしか差し上げておりません」
「……先生は?」
振り返ると、先生は紳士に負けぬ程老成した微笑みを浮かべて、静かに首を振った。
「私には必要ありません。それは貴女の分ですよ」
あたしは…あたしは───────
断ろうとした矢先、ガウェイン氏があたしの手を取り、銀のリンゴを握り込ませた。
「どんな未来をお望みですか?」
あたしは金木犀の香りに息を詰まらせる。
僅かに顔が歪んだ。
「──────分かりません」
正直な気持ちだった。
何故だか、明るい未来も、恋人と過す夕べも、溌剌とした大人の自分も何一つ。
心に浮かんで来ない。
イメージすら結べない。
「大人に…なりたくない。学校へも‥行きたく…」
思わず漏らした本音に自分で愕然として、あたしはとうとう俯いてしまった。
ザッ、と音がして、跪き、目の高さを合わせた先生の、優しい緑の瞳が瞬いていた。
「ユキ、手を出して下さい」
先生はリンゴを握り締めたあたしの掌を開かせると、陽射しに煌めくそれに指を鳴らした。
映像が閃く。
多い髪を緩やかに編んで、微笑っている元気で明るそうな娘。
それは『あたし』の未来の姿だった。
見る間に光になり、リンゴの中に吸い込まれてゆく。
「はい、出来上がりです。さあ、一番いい枝に結んで下さい」
そう言って強引にあたしを銀木犀の前に立たせると、花の振るう一枝に導いて。
リンゴを結んだあたしと先生を、やはり青銅のベンチに腰掛けたまま、優しく老紳士は見送っていた。
みせばや、という星が寄り集まった様なピンクの花が周りに咲く、池の中の飛び石を、音符に見立てたブースで、妖精の衣装を纏った子供達が長閑な音楽を奏でている。
《天使の足音》
タ‥ラ・ラットッ‥タ・ラララ…♪
小さな足が石を踏む毎に、ドレミの音階が旋律を奏で、夕暮れの空気を和ませた。
「先生」
「何でしょう?ユキ」
あたしは先生の顔を見れずに俯いたままだ。
「どうして何も言わないの?」
先生は何も答えない。
「大人になりたくない、なんて。学校に行きたくない、なんて。駄目だよ、って何で言わないの?」
あたしは先生の褪めた蒼いジャケットの袖を引っ張った。
「────逃げちゃ駄目だ、ってどうして言わないの?」
少し、冷たい風に身を震わせて呟くと、先生はふわり、とジャケットを脱いで、あたしを包み込んでくれる。
「それがどうしていけないのです?」
そのまま腕であたしを囲い込んで、頭を優しく撫でた。
先生の匂い、お日様の匂い。
何故か安心出来るその匂いに包まれ。
「逃げる事は解決にはならない。ですが、それは《悪》ですか?─────私はそうは思わない」
先生の言葉は“そうしなくちゃいけない”と頑くなに思い込んでいた、あたしの塊を容易く砕いた。
競り上がる熱が、喉の奥に集まって、そこだけが灼熱に焼かれている。
繰り返し、波が寄せては返す様に、静かな語り掛けは心に染みていく。
「近くにいると途轍も無く大きく見える事が、離れて見ると意外と、そうでも無かったりしませんか?
立ち向かう勇気はその土壌無しでは芽吹きはしないのですよ。それに」
「それに?」
あたしは先生の言葉を継いでみる。
見上げると、糸の様に目を細めて微笑っている先生がいた。
「貴女の内なる勇気を信じていますから」
それは、逃げ続けるだけの女の子では無く。
いつか、凛と顔を上げて。
先生は、あたしの『未来』を信じてくれるのだ。
「さあ、行きましょう。そろそろメインイベントが始まりますよ!」
陽が落ちて、夕闇が薄闇に塗り替えられる時間に、あたし達は入口に預けていたカボチャランタンに火を灯した。
トールとゆうかさんも合流して、静かに参加者全員が時を待った。
シュー。シューッ!!ポォオオオオオオオオゥ…‥・
汽車の汽笛が遠くから聞こえてきた。
オーケス《トラ》が荘厳な音楽を静かに奏で始める。
それは何と、夜空に現れた黒いSL。
その姿に合わせて 、段々大きく、高らかに響き渡った。
「銀河鉄道…?」
先生は驚いているあたしを余所に、SLのステップを踏むと、ひょいと顔を出した。
「乗らないんですか?ユキ」
俄かにあたしの心は涌き立つ興奮に弾み出す。
「──────乗るわ!!」
先生はにっこり笑うと、あたしに右手を差し出した。
落ち着いた木の感触を持つ車内の柔らかい座席に腰掛けると、あたしは皆がしている様に風を切り、動き出した蒸気機関車の窓をいっぱいに開け、身体を外に乗り出した。
星に煌めく夜空。地上には蒼い竜胆が、一面に揺れていた。
「先生、綺麗ね!本当に綺麗ね!!」
先生とあたしの黒い髪が、風に踊る様に逆巻いている。
その景色は勇気を呼び起こしてくれる。
一つになる歓声、あたしだけが“別の存在”なのでは無いのだと教えてくれる。
ただ、多くの中の一個なのだと、それだけなのだと。
煌めく星々と、空を翔ける汽車と、ヤン先生の笑顔がそう物語っていた。
★
気が付くと、あたしは先生の背中で揺られていた。
「随分、楽しかったみたいだな」
ゆうかさんの声がした。
返事をしたいけど、どうにも眠くて、全然目が開かない。
「ええ。ユキも貴女に似て、花が大好きですからね」
ヤン先生に、マロ君が“にゃん”と同意した。
「竜胆を沢山戴きました。ユキが泊まる客間に飾ってあげましょう」
トールの弾む声に、ほっぺが緩んだ。
「竜胆が好きで、金木犀が好きで、コスモスが好き、か…」
ゆうかさんの声が何だか寂しそうに響いた。
「ゆうか」
「いいんだ。────まだ、ユキならきっと間に合う」
あたしは何かを言わなくっちゃ、と焦った。
それほど、切ない言葉だった。
でも、眠くて眠くて。
「あ、あれ。オーケス《トラ》じゃないですか?送ってくれるんですかねぇ?」
これはトール。
「…ヤン、お前達は乗せて貰え。私はマロに乗って帰る」
熟女が何だか切羽詰まっていた。
「でも、ビリーは道を塞いでますが。ゆうか」
先生は淡々と言った。
隠せない人の悪さを滲ませて。
「《羽薬》持ってンだろ、寄越せよヤン」
「生憎と持ち合わせていません。ほら、手を振っていますよ?確か、彼の声は貴女好みではありませんでしたか?」
その合間にも彼の人の足音が近付いてくる。
「ああ、確か‥山寺●一とかいう声優に似た声とか言ってましたね!
て、事は…いよいよ大年増にも春が─────」
「喧しいわッ、小僧!!!」
ドバキィッ!!!という激しい打撃音と共に“ぐはァッ!”という断末魔の叫びが辺り一面に響き渡る。
熟女が美少年を殴っている間にやってきたらしい、虎さんのイイ声がする。
「お待ちしていましたよ、皆さん。通り道ですから、近くまで送って差し上げましょう」
「は、放せっ!!」
捕まったナ。
「─────レディは特別に御自宅まで」
虎さんの闇夜に光る目が見える様。
あたしは小さく、「ムニャムニャ…霜降り…」と、呟いた。
~10月に続く~




