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沙希、魔城に立つ

 彼女――湯浅(ゆあさ)沙希(さき)は目を開けた。


 天井が見えた。だがそれは彼女が就寝前に見たはずの自室の天井とは大きく異なっており、石造りの天井から黒いシャンデリアがぶらさがっていた。

 起き上がってみると、そこはまるで知らない場所だった。二十畳近い広さの石造りの部屋の中央には大きなクイーンサイズのベッドが置いてあり、彼女はその上で眠っていたようだった。部屋にはカーテンがかけられた大きな窓があり、彼女はそこに近づいてカーテンの隙間から外を見下ろした。

 窓の外には草木一本生えていない灰色の大地が広がり、遠くには黒い山々がそびえていた。山の頂上からは噴煙がいくつか上がっており、それが火山であることが分かった。初めて見る光景に、彼女はここが自分のいた世界とは異なるものだと理解した。そして彼女は呟いた。

「そか。夢だ、コレ……」

 それにしては随分現実味のある夢だと思いながら、彼女は頭をぽりぽりと掻いた。ふと、その手が雪のように真っ白であることに気付いた。

「すっごい色白……。しかも肌スベスベだし」

 自分の腕を触りながら、聡明な彼女はそれが本来の自分の身体でないことも即座に理解した。そして、今の自分の身体が一体どういうものなのかを見ようと、部屋の片隅にある鏡の前に立った。

 そこには、絶世の美女の姿があった。手足はすらりと細く、小さな顔にはすじの通った高い鼻と切れ長の目、その瞳は小さな赤い光を帯びており妖艶な魅力を放っていた。さらに、彼女がその透き通るような銀色の長い髪を触ると、それはきらきらと光りながらふわりと揺れた。 

「すごい……! 外国の女優みたい!」

 彼女は歓喜の声をあげた。すると、その声に気付いてか、部屋のドアの外からノックの音と共に呼ぶ声がした。


「お目覚めで御座いますか、サキュバス様」

 その声と共に部屋のドアが開き、そこから黒い人型の塊が現れた。子供ほどの大きさの、泥で作られたその塊はゆっくりと部屋の中に入ってきた。沙希はそれを見て驚いたが、夢の中だからそういうこともあるのだろうと納得した。泥の塊は彼女の目の前で止まり、恭しくお辞儀をした。

「おはようございます、サキュバス様」

「ん、夢の中で言うのも変だけど、おはよう。……で、ここはどこで、どういう設定?」

 すると、泥の塊はその顔の一部をぐにゃりと歪め、小さく「ウウウ」と唸るような声を出した。人間のそれとは異なるが、恐らく微笑んだのだろうかと沙希は思った。泥の塊が口を開いた。

「これはご冗談を。ご自身の城をお忘れで?」

「城? ああ、ここ、あたしの城なんだ」

 先ほど窓から見た景色が相当な高さから見下ろしたものであったことや、この非常に広い寝室から、彼女はこの城が相当大きなものであると考えた。

「あたしの城かあ。ってことは、あたし、女王様ってことかなー」

 と、ひとりにやける沙希に、泥の塊が語りかけた。

「すでにご朝食の用意はできております。どうぞ、ホールへ……」

「朝食か。うん、お腹はすいてる。ところで、あなたの名前は何ていうの?」

「私たちホムンクルス(人工生命体)には名前などありませぬ。

 ただ、貴方様はよく私のことを"小さい奴"もしくは"クライン"と呼ばれますが」

「じゃあ、朝食会場まで案内して、クライン」

 沙希はワクワクしていた。このような立派な城の主である人物に、どのような豪華絢爛な朝食が出されるのだろうか、と期待に胸を膨らませていた。


 沙希は寝室を出て、クラインに案内されるまま石造りの廊下をゆっくりと歩いていた。どこまでも続くかと思わせるその廊下は薄暗く、その行き着く先は暗闇に包まれて見えなかった。足元にはひんやりとした空気が流れていた。彼女はクラインに言った。

「なんか、陰気なとこだねー。もっと照明とか付けたらどう?」

「またそのような冗談を仰るとは、本日はお目覚めが一際よろしかったようですな。

 言うまでもありませんが、我々魔族にはこのような雰囲気が最も良く合うのです」

「魔族か。こないだ読んだ小説にそういうの出てきたかな」

「魔族の女王ともあられるお方が、まるで人間のようなことを仰いますな」

 クラインはまた唸るような声で小さく笑った。それを聞いて、沙希は呟いた。

「そか。あたしは魔族の女王っていう設定なのか……」


 廊下を進み、階段を下りたところにホールがあった。沙希とクラインがそこへ入ると、大きな部屋の中に長方形のテーブルが置いてあり、その一席にフォークとナイフ、ナプキンが設えてあった。

 クラインに促されるまま沙希がその席に着くと、すぐさまホールの奥から料理の乗った皿を持った泥の塊たちが現れ、彼女の前にそれを丁寧に並べだした。給仕係の泥の塊たちはクラインより一回り大きく、沙希はクラインが"小さい奴"と呼ばれていることに納得した。

 彼女は目の前に置かれた料理の数々をまじまじと見て言った。

「なんだか、見たことの無いものばかりね……。これは肉、のようだけど?」

 沙希は中央の皿に乗った赤黒い楕円形の物体をフォークでつつきながら問いかけた。それを見て、傍らに立つクラインが淡々と答えた。

「本日は活きの良い大ネズミが入りましたので、それを丸焼きにしております」

「うえ、ネズミの丸焼き……? じゃあ、こっちの丸っこい煮玉子みたいなのは?」

「それは、大王ムカデの肝の燻製ですな。毎日食べられておられるものと同じですが?」

「ム、ムカデぇ!? それを毎日食べるってのはいくら夢でもちょっとキッツイなあ……。

 えーと、じゃあこっちのスープは何が入ってる?

 当然変なもの入れてるのは分かってるけど、あえて聞いてみるわ」

 深底の皿に入ったそのどろどろとした液体は鮮やかな緑色で、その中には黒色の固形物がいくつか入っているのが見えた。クラインはまた淡々と答えた。

「それはコウモリとコガネムシのスープですな。本日はさらにトレントの樹液も入っております」

「と、とれ……何?」

「トレント、ですな」

 この世界でのトレントとは、老木に邪悪な意思が宿って動き出した魔物のことを言った。そのトレントが何のことかはよく分からなかった沙希だったが、恐らく知らないほうが幸せである類のことだと感じてそれ以上は追求しなかった。そして、彼女はバスケットに入った真っ黒なパンを取り出して言った。

「えー、まあ、いいや。こっちの不自然に黒いパンは?」

「そちらはいつも通りのごく普通のパンですが……」

 ムカデを毎日食べているような連中だ。当然普通じゃないな、と感じた沙希は、掘り下げて聞いてみた。

「……パンの材料は? 小麦粉?」

「普通の、巨大アリを乾燥させて挽いた粉、でございますが?」

 彼女は思わず手に持っていたパンを皿の上に放り投げた。そして、テーブルをバン、と叩いた。 

「それが普通って……、一体どういう食生活なのよ、ここは!?」

 給仕係の泥の塊たちは沙希のその様子を見てすくみあがった。クラインがおずおずと口を開いた。

「お、お、落ち着いてください、サキュバス様。本日の朝食に何かご不満でも?」

「不満も何も、不満だらけよ! 何でこんな変な料理ばっかりなの!?」

 彼女は席から立ち上がり、激しい剣幕で怒鳴り散らしながら目の前の皿の数々を指差した。すると、クラインが深々と頭を下げて言った。

「も、申し訳御座いません。本日のご朝食はお気に召さなかったご様子ですな。

 これを作った料理長は後ほど首をはねて丸焼きにし、今夜のメインディッシュにでも致しましょう」

 それを聞いて沙希は口元をひきつらせた。

「く、首をはねるって……? しかも、今夜のメインディッシュ……?」

 クラインの言葉に意表を突かれて少し冷静さを取り戻した沙希は、ゆっくりと席につき、左手で髪をかきあげた。そして、おもむろに口を開いた。

「あのさあ、あたしは別に料理長をどうこうしろとは言ってないわけよ。

 そもそも、料理長とかそんなの食べたいとも思ってないし。

 あたしはね、もう少し人間らしい食事とか出せないのかって言いたいの!」

「に、人間らしい……?」

 クラインは我が耳を疑った。まさか魔族の女王の口から"人間らしい"などという言葉が飛び出すとは夢にも思っていなかったからだ。戸惑った様子のクラインに、沙希はまくしたてるように続けた。

「そう。例えば、肉だったらビーフとか、チキンとか。

 牛や鶏が食べたいのよ。こんなしなびたようなネズミの肉なんかじゃなくてね」

「しかし、そのような肉は下衆な人間どもの食べるもので御座いますゆえ……」

「あたしが食べたいって言ってんの!!」

 沙希はまたテーブルをばん、と叩いた。その音でクラインは肩をすくめた。

「は、ははっ! では、すぐにでも人間の集落を襲わせて調達を……」

「ちょっと待ったー!」

「はい?」

「今、集落を襲うって言った……?」

 沙希は怒りを湛えた目でクラインをぎろりと睨みつけた。彼女の瞳の奥の赤い光が鋭さを増したことに気付いたクラインは、慌てて説明した。

「ですから、牛や鶏は人間の家畜ですので、それを育てている人間の集落を襲いまして……」

「ダメ! そんなの絶対やっちゃダメ!

 そうやってすぐ暴力で解決するから、皆から見捨てられてこんな貧相な食生活になっちゃうんだわ!」

 どうやら魔族というのは非文明的かつ暴力的な生物のようだ、と彼女は認識した。せっかくだから、ここはひとつ女王として彼らを教育してやらなければならないとも思い始めていた。

 クラインがおずおずと問いかけた。

「で、では、一体どうすれば……? この近辺では野生の牛や鶏はなかなか見つけられませんが……」

「人間からお金で買うのよ! 少しだけ譲ってもらうの。酪農家の人たちに」

「お、お金……? 人間どもから頂いた金貨や財宝などはいくらかありますが……」

「そう、その金貨で買ってくるの! ……まあ、その金貨や財宝の入手経路はこの際問わないけどさ。

 そうやって社会的な関わりを持っていかないと、いつまで経っても人間社会に溶け込めないんだからね!」

「人間社会、ですか……。しかし、売ってくれるでしょうかね?」

「売ってくれなくても一生懸命頭を下げれば大丈夫よ。熱意は伝わるわ、きっと」

 沙希の熱弁は留まることを知らず、ついにクラインが折れた。

「ま、まあ、仰せとあれば骸骨兵どもに金貨を持たせて近くの村に向かわせます……」

「あ、ついでに玉子と牛乳もね。朝食には欠かせないから。あと、レシピも聞いてくるとなおOKよ」

「はあ……」

「それと、ムカデとかコガネムシとか、こういう昆虫系を料理に入れるのは絶対禁止!」

 それを聞いたクラインは思わず身を乗り出した。

「しかし、昆虫は考えうる中でも最高の食材なのですが……私どもの主食ですし……」

「ダメよ! あんた人間の気持ちになって考えてみなさい。

 隣にいる人が虫なんかばりぼり食べてたら、その人と仲良くなろうと思ったりする?

 無いでしょ? 当然の理屈よ!」

「は、はあ……。なにぶん、人間の気持ちがよく分かりませぬものでして……」

 一体いつから女王は斯様に人間寄りの思考をするようになったのだろう、とクラインは疑問に思った。

 そこへ沙希が早口でまくしたてた。

「だから、そうやって理解しようとしないから、いつまで経っても人間になれないんだってば!」

「いえ、別に人間になりたいなどと思ってはおりませんが……」

「そんなこと言って、後になってどこかの妖怪人間みたいに"人間になりたーい!"なんて叫んでも遅いんだからね!」

「はあ。妖怪人間とは聞いたこともございませんが、奇特な種族もいたものですな」

 魔族にとって人間は決して相容れることの無い存在であり、憎むべき相手、さらには己より低次の存在として見下すべき敵でもあった。そんな人間になりたいなどという考えは、魔族の誰にとっても思いもよらぬことである。

 そこでクラインは、ははあ、さてはまた冗談を口にされておられるのか? と考え、顔を歪めて愛想笑いを浮かべた。すると、それを見た沙希が怒鳴った。

「何笑ってんのよ!」

 クラインは慌てて表情を平素に戻して深々と頭を下げた。

「は、ははっ! 申し訳御座いません!」

 クラインは謝罪したものの、沙希は彼が笑ったことに激昂していた。そして椅子から立ち上がって彼を叱り付けた。

「あのね、もう少し人間から色々学ぶべきよ!? 暗い部屋でこんなグロいもの食べてるから、そんな物騒な考え方ばっかりになっちゃうんだわ! そもそも、健全な精神というものは――」

 沙希は大声で滔々と語った。クラインは頭を下げたままその熱弁を聞いていたが、その話の半分以上は彼ら魔族にとって到底理解できかねるものだった。

 そんな彼を一通り叱りつけ、沙希はふう、と一息ついて言った。

「もう、今日は朝食はいらないわ。早くこれ下げて!」

 それを聞いたクラインは給仕係を呼びつけ、その皿を下げさせた。沙希は高ぶった自分の感情を落ち着かせようとテーブルに両肘を付き、俯いてゆっくりと目を閉じた。視界が暗くなると同時に、その思考が徐々にぼやけていくように感じた――




 沙希は目を開けた。


 天井が見えた。

 彼女はいつの間にか横になっており、窓から差し込む陽光に天井のシーリングライトがオレンジ色に照らされていた。

 彼女は起き上がり、部屋を見渡した。自分の部屋――就寝前と同様の光景が広がっていた。

 部屋のドアの外から母親の声が響いた。

 「沙希、早く起きないと学校に遅れるわよ!」

 沙希は目を擦り、そして頭をぽりぽりと掻きながら呟いた。

 「変な夢見ちゃった……。美奈のこと笑えないな、こりゃ」




――――――


 翌朝、カンパレア王国より遥か北の魔族の城で、魔族の女王サキュバスは朝食の席に着いた。

 給仕係の泥の塊たちが並べた料理を見て、彼女は目を丸くした。

「む? 今朝の朝食は一風変わっておるな……?」

 クラインが答えた。

「はい。昨日のご指示通りに作らせました」

「指示……? 記憶に無いが……まあ、ひとつ食してみようか」

 彼女は神妙な顔つきで皿に乗った黄色い塊にフォークを伸ばし、それを口に放り入れた。すると、瞬く間にその表情が緩んだ。

「ほぅ、面白い味じゃのう。これは何という料理じゃ?」

 クラインは料理長から預かっていた手元のメモ書きを読み上げた。

「えー、と、"きのこの玉子炒め"というもののようです。鶏の卵ですな」

「ほほぅ、鶏の卵とは斯様に美味なものであったとは思わぬ発見じゃ。こちらは何じゃ?」

 彼女は皿の上の細長い筒状の物体を指差して問いかけた。

「えー、人間どもが豚の肉から作る"ソーセージ"というものを茹でたもののようですな」

 それを聞いたサキュバスの表情が少し強張った。

「ほう、人間どもの料理、と?」

 一瞬フォークを持つ手を止めたサキュバスだったが、その美味しそうな香りがぷんと鼻につき、そのソーセージにフォークを突き刺して興味深そうに眺めた。

「まあ、一興じゃ。食べてみるか」

 それを口に入れてみると、パリッという音と共に口の中でソーセージの皮が弾け、肉汁がじんわりと口腔に広がった。彼女の頬がほころんだ。

「ほほぅ、これは面白い。人間どもの食文化はなかなかあなどれんようじゃな。このパンも実に旨い」

 ライ麦で作られたパンをほおばりながら、彼女はじつに嬉しそうな笑顔を浮かべた。


 そして朝食を食べ終わり、彼女は満足そうに言った。

「ふむ、料理長には褒美をとらせねばならんな。呼んで参れ!

 人間どもの料理がこれほど旨いなどと、わらわには考えも及ばなかった。実に素晴らしい発想じゃ!」

「はあ……」

 その言葉を聞き、クラインはゆっくりと厨房へ向かった。

 その道中、一晩明けた女王の態度の差に妙な違和感を感じて首を傾げた。



 沙希は美奈よりも幾分か賢く、物怖じしない性格です。


 今後もこの調子でガンガン魔族の皆さんを引っ張っていかせようと思います。

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