第23話 報酬の金貨とギルドの隅のざわめき
廃棄区画を覆っていた冷たい霧雨が止み、雲の隙間から鈍い陽光が差し込み始めた頃、ヴァンとセリアは城塞都市の裏通りにあるギルドの出張所へと戻っていた。
スラム街にほど近いその支部は、正規の冒険者や高位の召喚師たちが足を運ぶような華やかな本部とは異なり、日陰者の低ランク冒険者や、日銭を稼ぐ野良の仕事人たちが集まる淀んだ空間だった。剥き出しの木材で作られたカウンターの周囲には、安酒の匂いや、古びた革の装備から発せられる汗の臭いが充満している。
ヴァンは、鉄牙の泥蟲の討伐証明となる硬質な牙をいくつも詰め込んだ麻袋を、カウンターの上に無造作に置いた。
カウンターの奥で、無精髭を生やしたくたびれた受付の男が、眠たげな目をこすりながら麻袋の中身を改め、次いでそれを乱暴に秤の上へと放り投げた。
「おいおい、マジかよ……。この廃棄区画の泥蟲の群れ、ここ最近ずっと誰も引き受けなくて放置されてたやつだろ。お前ら、たった二人でこれを全部片付けてきたのか?」
受付の男は、泥まみれの外套を羽織ったセリアと、無表情で佇むヴァンの姿を交互に見据え、信じられないものを見るような目を向けた。
「依頼の規約通り、証明の部位は揃っているはずだが」
ヴァンの低く落ち着いた声が、ざわめくカウンターの空気を一瞬で引き締めた。そのただならぬ気配に、周囲で酒を飲んでいた低ランクの冒険者たちがヒソヒソと囁き合う。
「あいつ、見かけねえ顔だな」
「一見の傭兵か? でも、あの泥蟲の群れを二人で……しかも片方はひ弱そうな魔術師だぜ」
受付の男は慌てて帳簿をめくり、備え付けの魔道具で討伐の事実を確認すると、渋々といった様子で引き出しから銀貨の入った小さな革袋を取り出し、カウンターの端に滑らせた。
「……確認した。間違いねえ、完全な討伐だ。報酬の銀貨五枚。持ってけ」
ヴァンは銀貨の袋を無言で手に取り、自分の懐へとしまい込んだ。
これだけの金額があれば、地下の廃教会での当面の食料と、次の狩りのための消耗品を補うには十分すぎる。かつて勇者パーティーで動かしていた莫大な予算や、高級宿屋の贅沢な生活に比べれば微々たるものだが、今のヴァンにとっては、自らの労働と力によって得た確かな対価だった。
「行くぞ、セリア」
「ええ」
二人がギルドの出張所を出ようとした、その時だった。
「おい、待ちな」
カウンターの横に備え付けられた小さな掲示板の前にいた、一人の男が声を荒げた。ガタイが良く、派手な革鎧を着込んだその男は、この出張所を根城にする中堅の冒険者グループのリーダーだった。彼は先ほどからヴァンの持ち込んだ泥蟲の牙の量と、その異様な手際の良さを遠巻きに観察していたのだ。
「お前ら、本当にあの泥蟲の群れを二人で倒したのか? 嘘をついて他の奴の獲物を横取りしたわけじゃねえだろうな」
男の言葉には、あからさまな嫉妬と疑念が混じっていた。自分たちが見向きもしなかった厄介な低ランク依頼を、見ず知らずの底辺のコンビに片付けられたことが面白くなかったのだ。
周囲の視線が一斉にヴァンたちに集まる。
セリアがわずかに眉をひそめ、冷ややかな視線を向けたが、ヴァンは足を止めることなく、ただ淡々と振り返った。
「嘘だと思うなら、あの廃棄区画に行って確かめてくるといい。まだ死骸の欠片が転がっているはずだ」
ヴァンの声には、挑発するような感情は一切なかった。ただの物理的な事実の提示だった。しかし、その虚無を宿した冷徹な瞳と、先ほどの戦闘で全身に染みついた微かな血の気配が、男の背筋に冷たいものを走らせた。
男はそれ以上言葉を続けることができず、ただ気まずそうに顔をそむけた。
ヴァンはその男を一瞥すると、再び前を向き、セリアと共にギルドの扉を押し開けて外へと歩み出た。
彼らの背中を見送りながら、受付の男は首を傾げ、小声で呟いた。
「……なんだあいつは。魔力の気配は微塵も感じねえのに、妙な圧があったな……」
スラムの掃き溜めで、無名の戦士と異端の召喚師が小さな一歩を踏み出した。その噂は、まだこの時は小さな波紋に過ぎなかったが、やがて都市全体の均衡を大きく揺るがすうねりの始まりとなることを、知る者はまだ誰もいなかった。




