第148話 隠れ里の宴と、交わされた理想
広場を包んでいた息を呑むような静寂は、二人の戦士が剣を収め、固い握手を交わした瞬間に破られた。
谷の底から湧き上がるような、割れんばかりの歓声と拍手が、隠れ里全体に響き渡った。
ローランの側近である顔に傷のある魔族、ガロが進み出て、ヴァンの前で深く、そして真っ直ぐに頭を下げた。
「……非礼を詫びる、人間の戦士よ。いや、ヴァン殿。我々は人間というだけで貴方を疑い、問答無用で刃を向けた。ローラン様の御眼鏡に狂いはなかった」
ヴァンは淡々と頷き、短く返した。
「気にするな。お前がこの里を、そして背後の仲間を護ろうとした結果だ。戦士として当然の警戒だろう」
その言葉に、ガロは虚を突かれたような顔をした後、感極まったように顔を上げた。自分たち魔族を忌まわしい存在としてではなく、護るべきものを背負った一人の戦士として認めてくれたのだ。
ローランもまた、ヴァンの飾らない言葉に満足げに微笑んだ。
「皆、聞いてくれ!」
ローランが広場に響き渡るよく通る声で呼びかけると、殺気立っていた里の戦士たちは一斉に静まり返り、彼に注目した。
「この者たちは、人間の国の腐敗に抗い、行き場を失った我々の同胞をここまで送り届けてくれた恩人だ。今日この日、我々は新たな友を迎え入れた。今宵は里を挙げての宴を開く!」
再び歓声が爆発する。ローランの言葉には、決して押し付けがましくない不思議な温かさと、人々を惹きつけてやまない圧倒的なカリスマがあった。
ローランはヴァンたちに付き添い、荷馬車から降りてきた難民たちのもとへ歩み寄った。
王都の奴隷だった犬の獣人の少年や老ドワーフたちは、立派な白銀の角を持つ竜人の姿に圧倒され、思わず後ずさってしまう。人間の貴族たちよりも遥かに気高く、強大な存在に見えたからだ。
しかし、ローランは自ら泥だらけの地面に膝をつき、獣人の少年と同じ目線になって優しく微笑みかけた。
「長旅、よく頑張ったね。もう怯えなくていい。ここは、誰も君たちを鞭で打たないし、鎖で縛ることもない。今日からここが、君たちの家だ」
その言葉と、頭を撫でる大きく温かい手に、少年はポロポロと大粒の涙をこぼし、ローランの胸に泣き崩れた。老ドワーフたちもまた、安堵の涙を流しながらその場に崩れ落ちた。
「おいおい、宴を開くってのに、美味い飯がねえと始まらねえぞ!」
空気を明るく変えるように、バクスが腕まくりをして前に出た。
「俺は料理人のバクスだ! 里の厨房を貸してくれ。俺がこの大将に拾われてから培ってきた、特製の魔物料理をたらふく振る舞ってやる!」
「なら、俺は要塞から美味い酒樽を運んでこよう。宴の準備なら任せておきな!」
バルガンも豪快に笑いながら、里のドワーフたちに声をかけ、あっという間に酒と機材の運搬を取り仕切り始めた。
その様子を見ていたルミナも、「なら、私は物資の分配と管理をお手伝いしますね」と、里の者たちの中に自然と溶け込んでいく。
夜になり、谷底の広場にはいくつもの大きな焚き火が焚かれた。
バクスが腕を振るった極上の肉料理と、里で採れた新鮮な野菜のスープが振る舞われ、種族の壁を超えた笑い声が響き渡っている。
広場を見下ろす少し高い場所に建てられた、質素だが風通しの良い長の屋敷。
その縁側で、ヴァンとセリア、そしてローランの三人が、小さな杯を傾けながら語り合っていた。
「……それにしても、驚いた。まさか人間の中に、あれほどの器を持つ者がいるとは」
ローランが、杯の中の澄んだ酒を見つめながら静かに口を開いた。
「戦いの最中、あなたが二つの強大な魂を同時にその身に宿したのを見た。魔力を持たないあなたが、あれほどの規格外の力を御するとは。よほど純粋で、一切の邪念がない揺るぎない意志の器でなければ、魂が反発して内側から弾け飛んでしまうはずだ」
「彼の身体は、世界の理から外れた特別な器なの」
セリアが誇らしげに、しかし静かな声で答えた。
「治癒魔法すら使えない異端の同化召喚師だった私を、彼は相棒として受け入れてくれた。彼が傷つくことを恐れず、常に仲間を護るために前に立つからこそ、私も迷いなく最強の魂を彼に預けることができるわ」
ローランは深く頷き、ヴァンの黒曜の鱗鎧を見つめた。
「ヴァン。王都が災害級魔物によって消滅したという話は、風の便りに聞いていた。……あの驕り高ぶった人間たちが、魔法の通じない怪物になす術もなく踏みにじられたと」
「ああ。だが、自業自得で片付けるには、被害が大きすぎる」
ヴァンは淡々と答えた。
「王都が消えたことで、人間の社会システムは完全に崩壊を始めている。周辺の国々は自分たちの権力と資源を奪い合い、同じ人間同士で鎖を繋ぎ合う始末だ。世界中に逃げ場のない難民が溢れ出している」
ローランは悲痛な表情で目を伏せた。
「私がこの隠れ里を作ったのは、そんな行き場のない者たちを護るためだった。私は竜と人間の間に生まれた混血だ。竜からはひ弱な失敗作だと蔑まれ、人間からは恐ろしい化け物として石を投げられた。どこにも居場所がなかった」
ローランの声には、決して癒えることのない深い孤独の記憶が滲んでいた。
「だからこそ、種族など関係なく、誰もが平穏に暮らせる場所が欲しかったのだ。人間から奪われ、迫害されてきた同胞たちを少しずつ集め、この過酷な辺境の谷にようやく一つの里を築き上げた」
ローランの知性とカリスマの裏には、彼が背負ってきた虐げられた者たちの壮絶な悲しみと痛みが隠されていたのだ。
「だが……」と、ローランは顔を上げ、真剣な竜の瞳孔でヴァンを真っ直ぐに見据えた。
「この隠れ里も、いつかは人間に見つかる。それに、ここ最近の魔物の異常発生は、ただの自然災害とは思えない。世界全体が根底から狂い始めている今、こうして隠れ住むだけでは、いずれ里ごと飲み込まれてしまう限界が来るだろう」
ヴァンは杯を置き、夜空に瞬く星を見上げた。
「隠れる必要はない。お前は十分に強い。そして、お前を信じている里の奴らも、ただの弱い逃亡者じゃない」
「ヴァン……?」
「俺は、俺の剣が護るべきものを自分で決める」
ヴァンの低く、静かな声が、夜の風に乗って縁側に響く。
「人間の国が腐り落ちていくなら、俺たちが新しい場所を創ればいい。種族も魔力も関係ない。己の足で立ち、互いの背中を預けられる者たちが、胸を張って笑える国をな。俺は、そのためにこの未開の地へ来た」
現実主義でありながら、どこまでも真っ直ぐで力強いヴァンの言葉。
それは、ローランが長年胸の奥底に秘めながらも、現実の過酷さを前に口に出すことができなかった「理想」そのものだった。
「……誰もが平等に暮らせる、新しい国」
ローランの瞳に、かつてないほどの強い光が宿った。
彼は立ち上がり、ヴァンの前に歩み出て、再び右手を差し出した。
「ヴァン。あなたの圧倒的な力と、いかなる偏見も持たないその魂に、私のすべてを賭けさせてはくれないだろうか。私と、この里のすべての民は、あなたの思い描く理想の道を共に歩みたい」
ヴァンは立ち上がり、ローランのその手をしっかりと握り返した。
「俺一人では国は創れない。お前の知恵と、里の奴らの力が必要だ。よろしく頼む、ローラン」
剣を交えることで芽生えた戦士としての信頼は、今ここに、世界を変えるための確固たる同盟へと昇華された。
凄まじい力を持つ戦士と、虐げられた者たちを導く竜人の青年。彼らが手を取り合ったこの夜が、やがて歴史に刻まれる多民族国家の、真の始まりの刻であった。




