8話・旅立ち
早朝、嫌味なまでに晴れ上がった青空の下でアオイは大きなあくびを一つ漏らした。
「……アオイ君」
「おはようございます、モガリさん」
アオイは一睡もしていない顔をこすり、固まった腰を叩く。仕事柄徹夜は慣れているが、徹夜明けの晴天にはいつまでたっても慣れない。
しかし今日は久しぶりに爽快感のある朝だ。
屋根の隙間から差し込んだ嫌味なくらい明るい光は、クリスマスローズの花びらを輝かせていた。
……そして、その花の隣で尻尾を振る一匹のロボット犬も、朝の日差しを受けてきらきらと光っている。
「ポチが……」
モガリがぽかん、とした顔で呟いた。
普段は澄ました顔ばかりで、心底驚いた顔など見せやしない……そのモガリが、初めて驚いた顔で固まっている。
彼の荷物が音をたてて地面に落ちる。忠犬よろしく、ポチが落ちた荷物を威嚇する。
ポチの声を聞いてますます目を丸めたモガリを見て、アオイはしてやったりと微笑んだ。
「モガリさん、廃材漁りにもっとも必要な才能はなんだとおもいます?」
手についたオイルの汚れを布で拭い、アオイはポチの背をたたく。急ごしらえだが、しっかり動いている。温度センサーも完璧に元通り。
「廃材漁りに……必要な才能?」
「手先が器用で、何でも直せることです」
アオイが手にしているのはドリルとナイフとネジがいくつか。廃孤児院を漁れば、いくらでも道具は手に入った。
居住地区に越す人間が、古びた工具入れなど持っていくはずがない。
そんなアオイの勘はあたり、錆びていはいるが使えそうな道具を発掘した。
掘り起こした土まみれのポチを前にどうなることか心配だったが、恐る恐る毛皮の下を裂いてみれば、普通の家電とそう変わりはない。
宇宙から連れてくることを前提にしているせいか、他の家電よりもシンプルで強い作りになっている。
プログラムはちんぷんかんぷんだが、目にみえて千切れているケーブルを直すことはアオイにだってできる……廃材漁りは大抵、壊れた家電を直して売るのである。
「ただ応急処置ですよ。あちこち部品は劣化してるし、交換は必須ですが」
劣化した電源は、早急に交換しなければいつかまた動きを止めてしまうだろう。
しかし、応急処置としては十分だ。
シスターへの祈りを捧げ、電源を押したのはちょうど明け方のこと。
朝日とともにポチの尻尾が動いたのを見て、アオイは心の底からよかった。と呟いた。
「ポチ!」
尻尾を振って飛び上がるポチを、モガリが抱きしめた。痛いくらい尾を振るその風がアオイの髪を揺らす。心地いい風だ。
「アオイ君、君には素晴らしい才能があると思っていたんだ!」
「手土産なしで仲間に入れてもらおうなんて、そんな素人じゃないですから」
「仲間?」
ポチを抱きしめたまま、モガリが不思議そうに首を傾げる。アオイは膝についた泥を払い、顔をそらして伸びをした。
「……仕事を、手伝います」
早口に言えばモガリの目が丸くなる。その顔が小憎たらしく、アオイは吐き捨てるように言葉を続けた。
「別にあんたを信用したわけじゃないです。ただ……モガリさんは目くらましに使える。あたしも追われてるので」
「打算で結構。僕も君がいると弾除けになってくれて有り難い。それに一人でとる食事にそろそろ飽きて来た頃だ」
モガリの顔に笑顔が浮かんだ。眉を垂らして口角を上げる。そんな顔をすると、幼い子供のようにも見える不思議な男だ。
彼はポチの頭をむちゃくちゃに撫で回し、何度も何度もその毛深い額にキスをする。
「ああ、ポチ。本当におかえり。君には仕事終わりに頼みたいことがあったんだ……ほら、これだ。わかるかな。これが……そうそう、これだよ。これがこの辺りにあるはずなんだ」
モガリはポチを抱えると、なにかの絵が描かれた紙を見せつける。
かと思えば、孤児院の裏へと駆け出た。ついていけば、そこには鬱蒼と生い茂る雑草の森だ。奥は公園だったのか、巨大な木々が林立している。
庭の片隅にはバラ園でもあったのか、アーチ状の鉄柵も見えた。いずれももう雑草に覆われ自然に戻ってしまっているが。
腰まで伸びた雑草をかき分けて、モガリはどんどんと進む。途中で坂道になっているのだろう。白髪交じりのモガリの頭はだんだんと雑草に埋もれていく。
「モガリさん!」
慌てて追いかけるが、あっという間にモガリの体は雑草に飲み込まれて消えた。
「モガリさん、何があるか分からないところへ飛び込まないでください」
「だいたい分かるよ。それに、ちょっとくらい怪我をしたって、僕はこの中にほしいものがある!」
雑草の一角が揺れ、モガリが答えた。雑草の中で眠っていたらしい鳥たちが慌てて飛び出していく。暖かな風が雑草を揺らし、爽やかな音をたてる。
遠くに見える木々は穏やかに揺れる。土と砂と緑の匂いだ。日差しは温かく、目の前はただ、ただ、明るい。
怒鳴り声も赤色灯も血の匂いもなにもない……なんて穏やかな日だ。とアオイは目を丸くする。
その中で、モガリの明るい声だけが響く。
「さあ。探しておくれ、ポチ」
モガリはアオイの言葉も聞かずポチを雑草の中に放り投げたようだ。ポチが雑草を踏み抜いていく音が響く。
「まだケーブルの溶接が甘いんだからポチを走らせないでください」
「ああ、やっぱり!」
アオイの言葉を遮るように、モガリが叫んだ。雑草が揺れ、やがて彼はひょこりと雑草から顔を出す。
振り上げた腕の先に、赤い果物が掴まれていた。
「見てご覧。ここは昔いちご農園を作った、と依頼主の自伝に記載があった。まさかと思ったが、自然のまま育つとは。ここまで塩の被害はなかったとみえる。素晴らしい。地球の恵みだ!」
叫び終わると彼はまた雑草の中に沈み込んだ。続けてポチが興奮するように別の場所で鳴く。と、モガリも叫ぶ。
「ああ、ここにも。ここにも……なるほど、気候があうんだ。ここだけはいつまでも冷えているから」
「あの……ついていくのはいいですけど、でも食べ物の説明はいらないです」
「アオイ君。さあ行こうか。雇用契約書はそのうち……ただ僕からの条件は、1日三回の食事をきちんと食べること。人を噛まないこと。それだけだ。どうだいシンプルだろう」
黒のスーツをボロボロに汚して、モガリがようやく雑草から這い出してきた。腕にはいちごを山のように抱きかかえている。
その足元ではポチが自慢そうに鼻を高く突き出して、興奮気味にきゃんと鳴く。
「アオイ君。仕事はあきれるくらいにあるんだ。ああ、その前に食事だね」
「ほんとうに、食事のたびにうんちくは必要ないですからね」
念押ししたアオイの言葉をモガリは何一つ聞いてない顔で立ち上がった。
そして彼はまるでスキップでもするように庭の片隅を陣取ると、石を積み上げ簡易かまどを作り始める。鞄から様々なものを取り出し、恐ろしいほどのスピードで食事が整えられていく。
「まずは昼ごはんだ。ちょうど小麦粉がある。もちろん純粋なものではないがね。これもなかなか、いけるよ。バターと甘味料もあるから、これでスコーンを焼いてみるのはどうかな。石のかまどをしっかり温めて……」
「いや、だからうんちくは」
「ポチが見つけてくれたおかげで、いちごのジャムだって作れるよ。すばらしい。そうそう、そもそもスコーンというのはね……」
「モガリさん」
「ああ! しまった、紅茶のストックを切らしてしまった。次、配給車を見つけたら、紅茶を仕入れよう。美味しいのがあるんだ、君にもきっと口に合う」
太陽の光がゆるゆると大地を染める。その中で、モガリの明るい声とポチの尻尾をふる音が響く。
彼の作り上げる料理の煙と香りに包まれ、アオイは反論を諦め膝を抱えた。
……どうにも、想像していたより賑やかな旅になりそうである。