第48話 動乱の予兆
デガンド帝国。
この世界の二大国のひとつである。ガルリア大陸中南部に位置する。強力な軍事力で周辺の小国家や異民族の併合や統合を繰り返しこれまで領土を拡大してきた。
現在、国土は西は海岸線に、東と北はマルチ山脈から伸びる険しい山麓地域まで、そして北は大陸中央部にあるもう一つの大国バッハアーガルム法王国との国境に接している。地形的、地勢的な意味での限界に達したため、拡大路線は一段落している。
現在は国内の資源開発や産業育成などの富国政策と軍備の研究開発並びに増強に力を入れている。大陸を南北に縦断するベルン街道の整備など貿易政策にも注力しており、世界経済への影響力を高めている。
現皇帝はラーセン・オミュウス。武人肌の多い帝国にあってなお『竜人皇帝』と称されるほどの武士だが、それ以上に智略家である。内政はもとより外交にも積極的で、インフラを整備し周辺国含めて経済発展を促進しており国民の信も厚い。所得向上、消費促進、税収アップ。ラーセノミクスである。
シュバルが語った魔大陸調査船団や飛行船開発もラーセン皇帝の施策だ。この二つは直接的には失敗したものの、大型遠洋航行船の造船技術や内燃機関の開発、天測弧度法による高精度なナビゲーションやプロペラ・スクリューの発明など様々な技術が派生し、多くの成果が生まれている。
すでに齢40歳を数えるが、未だ若々しく、活気に溢れる偉丈夫だ。ちなみに妻は10人、子どもは14人いる。あちらの方も壮健である。
一方、デガンド帝国の北に位置するバッハアーガルム法王国。
この世界で最も起源の古い国で、創造神を主と仰ぐ宗教団体である大聖会が母体となった神聖国家である。創造神に名前はなく、神、または主といえば創造神を指す。いわゆる唯一神である。そしてこの世界に存在する宗教は大聖会(とその分派)のみだ。
創世神話は史実として広く受け入れられており、国や地域によって多少ローカライズされているものの、神は創造神ただ一柱で、ゆえに創造神を祀る大聖会がただ一つの世界宗教なのである。
なお、大魔王ヴュオルズが語ったとおり創世神話の時代の記憶を持つ魔族がまだ健在であるように、後世において誇張されたり誤った部分はあるかもしれないが、創造神がこの世界を造ったことは事実だ。つまり神は本当にいる。ここはそういう世界である。
それはさておき、法王国は大聖会の総本山を有する不可侵国家だ。法王国に敵対することは神に敵対するのと同義である。あだなすものは神罰を受ける。一方、世界各地の都市や大きな街にはかならず大聖会の教会があり、国の豊穣や安寧を祈る儀式から平民の暮らしのなかの冠婚葬祭まで幅広く司る。学校や孤児院、印刷所、製薬工場、さらに醸造所なども経営し教育と雇用開発も担う。また美術館や図書館も有している。各地に根差した教会はこの世界の生活基盤となっているのだ。そして世界中の王族、貴族らをはじめとする多額の寄付や寄進が教会を通じて法王国に送られる。富国強兵を進めるデガンド帝国同様、法王国も莫大な資金を有しているのである。
もともとは大聖会が興した国だが、今日では政治と宗教は名目上分かたれており、大聖会の教皇が任命する法王が法王国のトップである。
現在の法王はウーティカ・ヴォスノアール・アダムズ13世。大聖会教皇はチュネーマン・ジロッド・アルドゲームである。
バッハアーガルム法王国が宗教文化の中心であるのに対し、経済的な中心がデガンド帝国という構図だ。そして水面下はともかく、表面上二国は互いに友好的関係にあった。今までは。
両大国を南北に繋ぐベルン街道に不穏な動きがあった。
デガンド帝国領内の宿場町で人々が騒ぎはじめた。煉瓦舗装された路の彼方、南の方角から地響きが聞こえてくる。帝都の方向だ。低く唸るような音に加え、ミシミシ、バキバキと石が割れる音もする。宿屋の窓から街道を見下ろすと、黒煙がいくつもたなびくのが見え始めた。
「おお、あれは」
「わが国の戦車大軍だ!」
「なんかのパレードだっけ?」
「建国記念日はまだ先だが……?」
ベルン街道を北へ進むのはデガンド帝国が誇る新型戦車大隊である。
デガンド帝国の戦車は戦闘用馬車のことではない。炸薬で鉄の弾を発射する大砲を積載し蒸気機関で車輪を回し自走する近代的な戦闘車両だ。履帯も旋回砲塔もないので地球における分類では自走砲にあたると思われるが、帝国では戦車と呼んでいる。前面に鉄の装甲版が取り付けてある装甲車両だ。軍備増強政策の下、すでに何世代も進化している。その最新鋭戦車だ。
その数およそ千両。通過した後は重さで煉瓦が割れ街道が無残な姿になっているが、気にする様子もなく進軍する。なお、旧型は同盟国に売却されたり、兵装を外して民間に払い下げたりしている。軍放出品は性能も良くカッコいいので高値で取引される。
新型蒸気機関とはいえ戦車は重量ゆえに速度が上がらず、随伴する兵站部隊から燃料を補給しながらなので1日あたりの踏破距離は馬車と大差ないが、それでも7日もあればバッハアーガルム法王国との国境まで到達するだろう。
街道沿いの街々には軍部からの事前通達はなかった。戦車大隊の進行は目撃した南の街から出立した早馬によって北部の各街に情報がもたらされた。事実上ベルン街道が通行不可能になるからだ。宿場町としては痛い話だが、軍部の行事なら仕方がない。予告がないのはなんとも不可解ではあったが。
一方、バッハアーガルム法王国にも動きがあった。戦車大隊の進行についてはとうに察知していた。しかし外交ルートでは何も言ってこない。まだ帝国領内での行軍であるので敵対行為とまではいえないが、示威的にすぎるにもかかわらず。
法王国側も、国境付近に魔導大隊の展開を始めていた。騎馬による移動なので魔導大隊の展開は早い。というより、戦車大隊が動き出したのとほぼ同時に魔導大隊も防衛線の構築を始めていた。
まるで二国間でタイミングを合わせる打ち合わせがあったかのように。
かくして国境線を挟んで二大国の一個大隊の戦力がにらみ合うことになる。
一触即発であった。
一方、マルチ山脈中央部。霊峰ガルダ。
四天龍の一体、雷龍ライディマンダーの根城だ。
一日も途切れることなくガルダを覆っている巨大積乱雲から、その100メートルに及ぶ巨体が抜けだした。
鉄槌のような雷が次から次に山脈に落ち、轟音が絶え間なく響く。
落雷を生じさせながら、ライディマンダーは北西に向かっていた。進行方向には山脈をナイフで削ったかのようなガウゴーン渓谷、そしてその西の端にはアドセットの街がある。
過去、霊峰ガルダから出ることのなかったライディマンダーがなぜ突然動き出したのか。
その理由はわからないが、アドセットの街に危機が迫っていた。
◇◇◇◇
「造った!?」
「フェンちゃんあいさつ」
「初めまして、フェザードラゴンのフェンです。生まれたてのふつつかものですが皆様よろしくお願い致します」
ちみっこい頭を下げてシュバルたちに挨拶する手乗りドラゴン。声は人間の少女そのものだ。そして礼儀正しい。
「……ついに生命創造の域に達したのか。エルフ姫」
シュバルがため息をつく。
「卵なら前から作れたんですが、無精卵しか無理でした。『奇蹟』とのコラボで造れるようになりました」
「さすがはセシル様っす。新しい魔物を生み出すとはすごいっす」
「フェン、大きくなって」
「承知しました、お母様」
セシルの掌から飛び降りると、会議室いっぱいのサイズまで一気に成長した。
形態も丸っこい幼児体型から精悍なドラゴンへと変化した。
「むむっ」
「すげえなセシル! でかくもなれるのかこいつ!」
「えらくかっこいいっすね。ちょっとくやしいっす」
「時間を操作して未来の肉体を持ってこれるの。フェン、元のサイズに」
「承知しました、マイマザー」
一瞬で小さく縮み、セシルの掌に戻る。
「フェン、亜空間に戻りなさい」
「承知しました、マイマザー」
フェンの姿が消えた。
「フェンには高次演算能力を付与したの。だから、時間制御も亜空間への待避も、瞬間移動も出来るわ」
「それ、あたしよりすごいっすね。あたしは瞬間移動と亜空間格納だけっすから……」
「でもフェイは人化は出来ないわよ」
「おっ、勝ったっす!」
ガッツポーズをするアラデ。セシルと一緒にいるせいで地球文化に毒されつつある。
「確かに限界を突破したようだな……」
「ギフトって、与えられた力だからギフトなんですよね。ギフトを自分で限界突破させちゃったらもうギフトではないのでは」
「気にしてるのそこかよ!?」
マークスがずっこけた。彼もセシルに毒されつつあるようだ。
「確かにギフトが変化するなどという話は聞いたことがない。ギフトについての情報がそもそもあまりないから絶対とはいえないが。大魔王のギフトが『進化』だったから、ギフトも変えられるものなのかもしれない」
「シュバルさん、大魔王がえっちゃんの『破壊』を『模倣』したものはそもそも劣化版でした。進化というより、ギフトに関しては元レベルに戻そうとしていた様子です」
「なるほど。さすがはギフテッド同士だな。わたしにはそこまでわからなかった」
「で、セシルはその新しいギフトの扱いに困っているのか?」
「別に困ってないわよマークス」
「ならいいじゃないか。より強力になったんなら、『憑依者』対策として心強いしな」
「そうっすよ。ギフトはギフトなんすから、便利に使えばいいっす!」
「そうね。そうするわ。ありがとう、アラデ」
「ふむ。他に意見や質問はないか? ……ないようだな。これでプレゼン会議は終了とする」
プロジェクターやタブレットを片付けていると、会議室に通話が入った。天井スピーカーからのオープンチャネルである。
『会議中申し訳ありません、アントロです』
「アントロ、今終わった。構わないが、なんだ」
『レッドビショップからの無線です。ホワイトルークに緊急とのことです』
レッドビショップはアドセットの街のギルドマスター、バララッドだ。そしてトランシーバーで掛けてくることは緊急案件に違いない。トランシーバーの着信端末は食事のこともあって展望食堂にある。
「わかりました、アントロさん。こっちで取ります」
セシルがタブレットで艦の電話交換機を操作し会議室に外線を繋ぐ。
『……イトキングツー! チェックメイトキングツー! チェックメイトキングツー!』
「こちらホワイトルーク。聞こえる? レッドビショップ、オーバー」
『おおっ、やっと繋がったかセシル!』
「ホワイトルークよ。レッドビショップ、今そっちは朝の6時くらいでしょ。早起きね。オーバー」
『それどころじゃない! 雷龍が! 雷龍が!』
「雷龍が? それじゃわからない。レッドビショップ、状況を手短かに報告して。オーバー」
「なんかやらかしたんすかね、あのライディマンダー」
アラデが雷龍と聞いて露骨に顔をしかめる。
『雷を落としながら山からこの街へ向かって飛んで来ているんだ! 稲光で空が明るい。どんどん迫ってきてる! セシル、お前今どの辺だ!?』
そういわれれば、通話に爆発のような音が混じっている。
「えーと、どこといわれても説明が難しいんだけど、海の向こうよ。オーバー」
『なにっ! そうか、もうそんな遠くなんや。そうなんや……。もうしまいや。エルベット軍はさっさと引き上げよったんや…。こんなんなるんやったら軍師の指名依頼を受けてりゃえかったんや』
所長が関西弁モードになっている。仮にエルベット駐留軍が全軍で立ち向かっても雷龍には勝てない。だが、住民の避難への協力はあったろう。しかし軍が去った今、絨毯爆撃のように迫り来る落雷から逃げる手段がない。
また、セシルが雷龍に勝てるなどとは微塵も思っていない。だが、あの空飛ぶ機械なら、確実に何人かは救える。
一縷の望みを託しセシルに連絡したバララッド所長だが、もはや打つ手なしである。
選択を間違えたとギルマスは悔いているのだ。
そして有事に際し予想通りアドセットの街を切り捨てたエルベット駐留軍にセシルは腹を立てた。
エラそーなくせに腰抜けね。あの軍師!
「レッドビショップ。あきらめないで。助けを送るわ。オーバー」
『なんやて? 助け? 逃げる方法あるんか!? ほんまか!!』
「逃げる? なんで? 雷龍をなんとかすればいいんでしょ。オーバー」
『は? 雷龍って、お前知っとんか? 四天龍やで。めちゃくちゃつええ伝説の魔獣なんやで!』
「知ってるわよ。すぐに終わるから、そこで空でも眺めといて。オーバー」
そしてセシルは再びフェザードラゴンを掌の上に出現させた。
「聞いてたわね、フェン」
「はい、マイマザー」
「じゃ、ちょっと行ってちゃちゃっと片付けてきて。あっでも命までは取らないでね」
「承知しました。マイマザー」
フェザードラゴンは瞬間移動した。




