第46話 『奇蹟』と『守護』
宇宙際。
異質な宇宙同士の間である。場所ではなく概念上の存在だ。宇宙と宇宙の間にあるソレは位置も広がりもない。光も時間もエネルギーもない。それらは宇宙に属するもので、宇宙際は宇宙ではないからだ。ゆえにただ概念としてある。
ある宇宙には、量子的な平行宇宙、繰り込みによる高次元宇宙、相対的な過去と未来など、派生した宇宙が無限に存在する。しかしそれらは異質な宇宙ではない。物理的あるいは数学的に関連したひとまとまりだ。これらをひとつの宇宙圏と呼ぶ。数学において抽象化されたひとまとまりの構造を扱う『圏論』という分野があるが、それと同じ意味の『圏』だ。
ここでいう異質な宇宙とは、ある宇宙圏とは何の関りも持たない、物理法則や数学的性質すら異なる宇宙のことだ。
異質な宇宙も無限の要素宇宙を持つひとつの宇宙圏であり、そしてそのような宇宙圏もまた無限に存在する。
異質な宇宙圏の間の超物理、超数学的できわめて概念的な場所。どの宇宙からも隔絶した真の意味での空虚。
それが宇宙際である。この『際』は、国際の際と同じ意味である。
『憑依者』とセシルたちに呼ばれたソレは、この宇宙際にいた。正確には戻っていた。
宇宙際に『憑依者』の上位存在があった。
上位存在である『憑依者』の本体はある理由によりこの宇宙際から動けない。ゆえに『憑依者』のような小さな端末をあの世界に送り込むしか仕方がなかった。
端末は精神体ゆえ、現場で肉体を調達する必要もあった。憑依した相手を操る程度の能力しかない矮小で幼稚な端末であるが、報告によれば今回は相手を出し抜けたようだ。
確かにかの世界からの転移者二人を抑えたのは大きなアドバンテージといえる。新たな邪魔が現れる前にすみやかに行動すべきだ。
上位存在は、『憑依者』と同様の端末を多数作り出し、あの世界に送り込むことにした。
蹂躙というには余りにも心もとない戦力だが、先導する『憑依者』は嬉々とし端末たちを率いて向かっていった。
大将役で喜んでいる程度の低い精神体だが、これが褒美だと思っているならそれはそれでよかろう。
上位存在は、ひとり結果を待つことにした。
時の流れすらない宇宙際で。
◇◇◇◇
その閃光は展望食堂からも見えた。しかし一瞬で消失した。
「今のはなんだ?」
「さあ。セシル様の部屋からみたいでしたっすが」
「大丈夫なのか?」
「大丈夫っすよ。セシル様っすから! またなんか実験してるんじゃないっすかね」
なんだよその自信。セシルを信頼するのはわかるけどさ、と悦朗は思う。でも音も振動もなかったから爆発ではなさそうだし、光ったぐらいほっといても大丈夫か。
セシルの部屋に勝手に行くのはアラデにダメ出しされてるしなあ。
でも実験するくらい元気なら飯喰いに降りてくるんじゃないの?
たしか時間ずらすと迷惑なんだよね。時差的な問題で。
などと思いつつビフテキ+ハンバーグ定食をもぐもぐしていると、エレベータが開いた。
「チェックメイトキングツー、チェックメイトキングツー。こちらホワイトルーク。ゴールデンクイーンにコール。オーバー」
出てきたのはセシルである。降りて来るや否やいきなりコンバットライクな通信を始めた。
なんだやっぱり元気じゃんか、ちょっと心配して損したと悦朗は思った。
ほらね、とどや顔するアラデに苦笑しつつ。
『チェックメイトキングツー、チェックメイトキングツー、こちらゴールデンクイーン、オーバー』
「おかみさん、こんばんわ! いやもうおはようございますかな? まだ定食なんか残ってる? オーバー」
『セシルちゃん、今日は遅かったねえ。大丈夫、ちゃんと残してあるよ。串揚げ、タンシチュー、トンテキ、から揚げ。どれがいいかい? オーバー』
「揚げ物は今はいいかな。タンシチュー定食でお願い! オーバー」
『了解。ちょっと待っててね。オーバー』
油は高価なうえ安定調達が難しく、これまで黄金の止まり木亭では揚げ物料理はほとんど提供していなかった。香辛料同様プリンセス・アレー号で精製した魔大陸産のパーム油や豚脂を試験的に送ったところ、翌日メニューが揚げ物一色になった。業務で揚げ物に手を出すと、途中でやめると却って手間やコストがかかる。それにIH調理器なので温度管理が楽というのもあったようだ。
そしてセシルは揚げ物祭りに食べ過ぎて胃がもたれたのである。
「おお、セシル、その、いろいろすまなかったな」
タンシチューをトレーで運んできたセシルに悦郎が声を掛ける。
「何他人行儀なこと言ってんのよ、えっちゃん。家族じゃない。助けるのは当たり前よ」
そう言いながらセシルは当たり前のように悦郎の隣に座った。アラデはテーブルの向かいに座っている。
「セシル様とエツロウ様はきょうだいなんすよね」
「え? えっちゃん姉弟ってアラデに話したの?」
「うん。だって実際そうだろ?」
いけない。えっちゃんとの結婚大作戦が水の泡だ。ここははっきりさせておかねば。
「でも、義理の姉弟で血は繋がってないんだけどね!」
「そうなんすか!? じゃあ赤の他人だけど家族なんすか。人間は複雑っすね!」
「そもそも夫婦がそういうものだしね。別に複雑じゃないわよ」
「そういやそうっすね」
良かった。イイ感じにごまかせたような気がする。家族だけど血は繋がっていない。ここ大事。
安心しつつタンシチューを頬張る。うん、美味しい。タンがトロトロで噛まなくても口の中でほぐれる。圧力鍋を使ったのだろうか。おかみさん、調理器具の使い方凄い勢いで上達している気がする。
「でもえっちゃんが普通に戻ってよかったわ。俺様ムーブもカッコよかったけど、操られたままじゃ困るもんね」
「うん。ホントすまん。そして、……ありがとう、セシル」
えっちゃん今ありがとうって言った!
すごい!
今までそんなこと言ってくれたことあったっけ? いやない!
「セシル様、なんか顔赤いっすよ。まだ熱があるんじゃないっすか?」
「大丈夫よアラデ。全然平気」
「で、セシル、さっきアレー王女に聞いたんだけど、俺ハルド王国に戻らにゃならんのか?」
「あっ、そうなんだ。後で説明しようと思ってたんだけど、姫殿下に聞いたんなら話は早いわ。なんでも王様がえっちゃんを追放したせいでみんな怒ってるんだって」
「らしいな。なんでそうなってるのかいまいちわかんないんだけど」
「なにいってるの、そりゃえっちゃん追い出したりしたらみんな怒るの当たり前よ!」
しかも王女を使って罠にかけるなんて。
なんてことすんのよハルド王! サイアク!
セシルは悦郎贔屓バイアスなので、ハルド国民の怒りにすぐ納得したが、自分に自信のない悦郎には全くピンと来ない。
「そうなんかな。俺が戻ってなんかよくなるなら、まあ戻るかな。あそこ居心地は良かったからな」
三食昼寝付きひきこもり読書生活のことを悦郎はいったのだが、セシルはメイドと上の王女のことだと勘違いした。
「でも長居する必要はないわよ」
「そうなのか?」
「だって、これからはえっちゃんわたしと一緒に暮らすでしょ?」
「えっ、そうなの? なんで?」
「いやだって、家族だし。姉弟だし」
「セシル、どっかに家あるのか?」
「まだないけど、『創造』で造れるし」
「家事分担制?」
「わたしが全部やるわよ」
「いや、それはちょっと違うような気がする……」
「ええ……、じゃあ分担?」
「それも面倒くさい。俺、ここしばらく繭で一人暮らししてたけど結構快適だった」
プリンセス・アレー号に貼り付いていた繭のことはすでにセシルも知っている。悦郎がどこに潜んでいたのかを防犯センサーを逆に辿って割り出していたからだ。岩の削り出しで造ったカプセルホテルだった。
「じゃあそういう小さな専用部屋も作るから」
「うーん。とりあえずはハルド王国に行くんだよな。なら、その後でこれからどうするか考える」
「ええ、そこはこの世界にたった二人の姉弟なんだから共に暮らそうって力強く言ってよ」
「そういうキャラじゃない」
「んもう」
とすねてみせるが、セシルは内心嬉しいのだ。悦郎とこんなに長く会話が続いたことはない。異世界様様である。
だが、これまでセシルの言うことに異世界人たちは素直に従っていた。それは、多重化した平行世界のうちからセシルが願った未来を無意識に選択するからだ。結果的にセシルの言うとおりになるのである。
だが、悦郎には通用しなかった。それはセシルの選択を無意識のうちに『破壊』しているからだ。
二人は全く気が付いていないが、バックグラウンドではギフト同士が熱い戦いを繰り広げているのである。
「あのー、あたしお邪魔みたいなんで、別テーブルに行くっすね……」
アラデが席を立つ。繰り返すがアラデは常識人である。気も遣うのだ。
その後もたわいないおしゃべりがセシルとエツロウの間で続いた。
いつの間にか、アレー王女やシュバルらも微笑みながら二人のやりとりを見守っていた。
ハンターたちはセシルを取られたような気分らしくやや機嫌が悪かったが。
屈託なく笑うセシルの中で新しい力が育ち、固まり、そして急速に馴染んでいっていた。
その名は『奇蹟』と『守護』
新たなるアルティメットギフトの誕生であった。




