第29話 大魔王の秘書
セシルはラルシオーグの隣に降り立ち、背中のバックパックを亜空間に収納した。空中戦でないなら邪魔でしかないからだ。
しかし、でかい。
ラルシオーグはセシルよりも頭一つ大きかった。
女性相手にセシルが見上げる格好になることは滅多にない。
そして、その背の高さもさることながら、胸。
体に密着した服を着ていることもあって、暴力的なまでに強調されている。
セシルも決して小さい方ではないが、というかむしろ大きい方だが、そのセシルすら圧倒される肉感だった。
彫りの深い顔立ちと妖しい眼差し、そしてスリットの深い深紅のドレスも相まって、妖艶という言葉がそのまま実体化したような女性だ。
「あたくしはラルシオーグ。大魔王ヴュオルズ様の秘書でございます」
「秘書!?」
大魔王の側近って、秘書なの? 女幹部ミストレスなんとかとか女帝ウイドゥなんちゃらとかじゃないの?
「大魔王様は人間でいえば社長。そのお世話をするのが秘書であるのは当然ではありませんか」
「大魔王って社長なんですか!?」
「魔人会社を率いておられるのですから、当然職責は社長でいらっしゃいますわ」
あれ? 自動翻訳システムが『魔人社会』を『魔人会社』と誤訳しているのかな? でも信頼性と柔軟性の高い自動翻訳システムさんだから、きっとこの女性が『会社』というニュアンスを含んで喋っている……のよね。
会社に近いということは、魔人社会は組織化された上意下達的ながちっとした階層社会、なのかな?
そもそも、会社も社会も語源は同じだっけ?
カンパニーって一緒にパンを食べることから来てるんだぜってえっちゃんが得意そうに言ってたような……。
わたし、どうも語学は苦手だわ。
「じゃあ、ここに住んでる魔人さんたちは、大魔王の社員さんなんですか?」
「貴女の理解が早くて助かりますわ。そのとおりでございます」
「労働し賃金を稼いでいる、ということですか?」
「魔人たちはそれぞれの得意分野に見合った働きをし、大魔王様の利益に貢献し、業績の対価として褒章を得るのでございます」
「なるほど、確かにそれは会社ですね……」
「認識のすり合わせが出来たところで、貴女、お名前は?」
「あっ、これは挨拶が遅くなりました。わたしはハンターのセシルと申します」
口調は慇懃だが、あたくし偉いですのよオーラが出まくっているラルシオーグに、つい呑まれてへりくだってしまうセシルである。
「先ほどシェゼンに東方の魔人のことをお尋ねでしたね。それで、セシルさんは東方の魔人の家族だとかおっしゃっておられましたね」
「家族というか、血は繋がってないんですけど、姉弟みたいに育ったんです」
嘘は言ってない。みたい、ではなく姉弟そのものではあるが。
そういえば空中に崩れ落ちたシェゼンはもういない。自分の役割が終わったので退場したのだろうか。
上司が出てきたら部下はお役御免なのは、確かに会社のようである。
「なるほど。件の東方の魔人は5日前、ここに来ました」
「5日前! ここに!」
まさかのニアミス!
しかしセシルがこの世界に来てまだ3日なので、どうやっても間に合わない話だった。
「そして大魔王様を傷つけ、側近2名を倒し、捜索に向かった幹部3名をも部下諸共殺したのです。あたくしたちにとって東方の魔人は大罪人といえるでしょう」
「え……」
「東方の魔人はここにはもういません。おそらく貴女方人間の大陸……、ガルリア大陸でしょう。捜索に向かった3名は人間に大陸の北の森に向かってすぐに殺されましたから」
ん?
「その3名って、『不死の王』『奈落の竜王』『始祖の獣王』では?」
「あら、よくご存じでいらっしゃますね」
「すみません、その幹部3名やっちゃったのはわたしです!」
「なんですって!?」
これはまずい。後半3名については完全な冤罪だ。前半はえっちゃん自身なんだろうけど。
でも、ああもう、やっぱりえっちゃん既に大魔王討伐クエスト単独で始めてたのね!
ひとまずここは誠意を示さないといけない場面よね?
「ごめんなさい! お詫びにここに戻します!」
不死の王は地球内核にいるから……。特定。
セシルは転移で不死の王を部下共々呼び寄せた。
「お、おお!? 体が軽く」
「不死の王!」
「こ、これはラルシオーグ殿。してみるとここは魔王城のバルコニー? あの永劫の業火からお救い戴いたのですね!」
不死の王と2名のお付きアンデッドが跪く。不死の王はマントに王冠、王錫を持った大型の人型骸骨、お付きは甲冑を被った中型の人型骸骨だった。
「不死の身とはいえ、破壊と再生をミリ秒単位で繰り返され続ける苦痛と絶望。永遠とも思える灼熱と高圧の地獄に、流石に精神が折れるかと思いました。救援、感謝の極みでございます」
「不撓不屈で知られる不死の王の心が折れるとは!?」
「はい、恐るべき牢獄でございました」
「な、なんと……」
ラルシオーグは驚愕の目でセシルを見るが、セシルはそれどころではなかった。
(マルチセンサー極限まで拡大。ダメか、さすがに届かない。ログを遡り距離と方位を逆算。精度50センチ四方まで特定。……。計算完了、頼むから位置がずれていないでよ! 亜空間に射影、捕まえた!)
奈落の竜王と始祖の獣王、およびそのお付きは死んでいるので位置の特定が難しい。倒れた場所の方角と距離をセンサーのログを掘り起こし、10のマイナス7乗以下の誤差で確定、遠隔操作で死体を亜空間に収納したのである。
北の森に魔王の死体を荒らすような魔物はおらず、倒れた位置にぴったりそのままあったのは幸いだった。
しかし本当に大変なのはここからだ。死体を亜空間で量子化し、多重存在にする。未確定状態に戻し、無数の多元宇宙から、生きている可能性を集束させる。
アルティメットギフト『再生』の原理が分かり、ようやく実行することが出来るようになった生命の再生、復活だ。
が、ぶっつけ本番である。さすがに練習のためだけに生き物を殺したりは出来なかったのだ。
(……生きている可能性宇宙が、ない! ない! ない! ない!)
無数の多元宇宙にも、可能性がゼロなものは存在しない。何百万ページもある事典をめくるように必死で可能性を探す。
(ない! ない! ない! ……。あっ! そういえば、魔物は時間が経てばいずれ再生するってアラデが言ってた! 過去でも現在でもない、もっと未来、未来の可能性を探って……。あった!)
ついに見つけた。一つ見つかれば、そこから蜘蛛の子のように可能性が広がり、派生し無限に展開する。そして無限に存在する『生きている可能性宇宙』を最適化、時空を超え集束させる。
集束した可能性を現在の4次元時空に射影し事実として確定させる。
「ぐわは!?」
「おごうっ!?」
奈落の竜王と始祖の獣王、およびそのお付きがバルコニーに出現した。
「奈落の竜王に始祖の獣王!」
「これはラルシオーグ殿。わしは一体なぜ魔王城に戻っておるのだ? 東方の魔人探索に出向いたばかりだったと思うのだが」
ライオンのたてがみを纏った筋肉の塊のような褐色の偉丈夫の始祖の獣王が目をぱちくりさせている。ちょっとかわいい。
「始祖の獣王よ。我らはあの娘に殺されたのだ。そして我の呪詛すら返り討ちにあってしもうた。なんとも恐ろしい娘よ」
虹色の角を生やし、銀色の長い髭を蓄えた龍頭の神官服の男、奈落の竜王が恨めしそうにセシルを見た。そしてブルっと震えた。
アラデを操ったことを言っているのだ。
「三人ともよく戻りましたね。そなたらを喪った時は大魔王様からひどくお叱りを戴きましたが、帰還をお知りになればお喜びになられるでしょう」
「ありがたきお言葉」
「ではそれぞれ屋敷に戻って休みなさい。あたくしはこの人間と話がございますゆえ」
「承知仕りました」
「今後については追って沙汰いたします。」
三魔王とその取り巻きはバルコニーから城内へ去っていった。
「さて、貴女、どういうおつもり?」
「三魔王の件は、えっちゃん……。東方の魔人のせいじゃないというのをはっきりさせたかったんです。それと後先なしに殺しちゃったので、悪かったなあというお詫びです」
「すでにあたくしはこの件で大魔王様に厳しく折檻を受けた後です。今更ですわ」
それは知らんがな。
「弁解させていただければ、三魔王の来訪により土着の魔物が森から追い出され、人間の街や村を襲うところでした。これを止めるには、原因である三魔王を排除するのが適切だったのです」
「……左様ですか。確かにそのことは失念していましたね。縄張りを荒らしたのはこちらが先ということですね」
「生物を転移する方法を知ったのはつい先ほどなので、知っていれば今のように魔大陸に戻すことも出来たかもしれませんが」
嘘である。あの時点では魔大陸の場所を知らなかったからだ。海に捨てたりは出来たかもしれないが。
「なるほど。事情は分かりました」
「では、お詫びは伝わったということですね」
「もちろん、三魔王を戻していただいたことには感謝いたします。貴女の罪も不問にいたしましょう。しかし、東方の魔人はここでの狼藉だけでも、あたくしたちにとり大罪人であることに変わりはありません」
「東方の魔人をどうするつもりなんですか?」
「もちろん、見つけ次第死をもって償っていただきます」
「側近二人が死に、大魔王も傷ついたのですよね。それに東方の魔人はハルド王国の全魔物を2週間で全滅させたと聞きます。勝てる見込みはあるのですか?」
「貴女に教える意味があるのかわかりませんが、大魔王様はそのお力をお持ちです。大魔王様なのですから」
若干意味が分からない。
お姉さまはお姉さまになったのですとか、大魔王は勝ちます大魔王だからとか、そういう根拠のない自信みたいなのがこの世界の普遍的思考パターンなのかしら?
「東方の魔人が謝罪しても駄目ですか? 和解することは出来ませんか?」
「謝る? 謝っても罪がなくなることはありません」
「それはそうですが、大魔王の傷を治し、側近2人を復活させたらどうですか」
側近についてはセシルがこの世界に来る前に倒されているので、復活出来るかどうかは正直わからない。が、悦郎がいれば何となくイケそうな気がするセシルであった。
「大魔王様の体の傷は既に癒されています。が、東方の魔人は大魔王様の心を傷つけました。大魔王様の心は東方の魔人に打ち勝つことで平常を取り戻されるでしょう。故に和解はあり得ません。東方の魔人についてあたくしが話せることは以上です。納得したらお引き取り下さい。魔人会社に領空侵犯や不法入国などの罪はありませんが、頭の上にあのようなものがおると気になります」
ラルシオーグはプリンセス・アレー号を指さした。
「え、そういうのないのに攻撃してきたんですか?」
「縄張りに入って来たよそ者を排除するのは当然ではありませんか」
それを領空侵犯とか不法入国というのではないの?
それとも魔人会社には領土、とかいう概念がそもそもない?
だとしたら、確かに人間の社会や国家とは違う概念ね。近代国家は領土・国民・主権・外交が必要不可欠な構成要素だったわね。ああ、外交もしてないか。
「大魔王はどう考えているのですか」
「あたくしの答えが大魔王様のお考えそのものです」
「話が進みません。大魔王に直接会わせてください。体の傷は治ったのですよね?」
「大魔王様が貴女にお会いになることはありません」
「では勝負しましょう。ラルシオーグさんが負けたら大魔王に会わせてください」
セシルは掛けた。
これまでのやり取りからして、魔人の流儀ならこれでいけるはず!
「あたくしが勝ったら何を差し出していただける?」
「東方の魔人をここに連れてきましょう」
「承知!」
ラルシオーグの姿が急に消えた、と思った瞬間、セシルはプリンセス・アレー号に激突していた。




