第1話|「静寂の忍、死す」
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第1話|「静寂の忍、死す」
前世で組織に裏切られた伝説の忍・シオン。
今世では静かに生きると決めた彼は、異世界でただ一人、
“創造”と“破壊”という神域属性を宿してしまう。
これは、世界最強になりたい少年の物語ではない。
静かに生きたいだけの少年が、
魔族、天使、人類最強部隊、そして世界の秘密に巻き込まれていく物語。
俺は、名前を持たなかった。
いや、正確には名を与えられていた。
だがそれは、人として呼ばれるためのものではない。
任務書に記される記号。
標的を殺すために使われる識別名。
組織が俺を管理するための音。
それが、シオンという名だった。
月のない夜。
燃える城の屋根に、俺は立っていた。
眼下には、数え切れないほどの兵が倒れている。
ある者は喉を裂かれ、ある者は毒に沈み、ある者は自分が死んだことにも気づかぬまま息絶えていた。
血の匂い。
煙の匂い。
焼けた木と、肉の匂い。
普通の人間なら吐き気を催す光景だろう。
だが、俺は何も感じなかった。
怒りもない。
哀れみもない。
達成感すらない。
ただ、任務が終わった。
それだけだった。
「ば、化け物……」
崩れた城壁にもたれかかる兵が、震える声で言った。
俺はその男を見下ろした。
まだ息がある。
だが、助からない。
「違う」
俺は短く答えた。
「道具だ」
男の瞳に恐怖が広がった。
次の瞬間、その瞳から光が消える。
俺は刀についた血を振り払い、闇の中へ身を沈めた。
組織は俺を“影”と呼んだ。
姿を見せず、声を残さず、標的だけを消す。
王も殺した。
将軍も殺した。
罪人も、聖人も、裏切り者も、まだ何も知らない子供すらも。
命じられれば斬った。
俺に、選ぶ権利はなかった。
選ばない方が楽だった。
考えれば、手が止まる。
手が止まれば、任務に失敗する。
任務に失敗すれば、罰を受ける。
だから俺は、感情を殺した。
悲しみを殺し、怒りを殺し、迷いを殺した。
いつしか、人を殺すことよりも、自分の心を殺すことの方が上手くなっていた。
その夜も、任務は成功した。
標的は死亡。
目撃者なし。
証拠なし。
完璧だった。
俺は隠れ里へ戻った。
竹林の奥。
結界に覆われた、地図に存在しない場所。
そこが、俺を育てた組織の本拠だった。
広間には、上官が座っていた。
白髪の老人。
穏やかな顔。
だがその目は、俺が知るどんな刃より冷たい。
「戻ったか、シオン」
「標的は始末した」
「そうか。ご苦労だった」
俺は膝をついたまま、次の言葉を待った。
「次の任務は」
上官は、笑った。
「もうない」
その瞬間、背後に殺気が生まれた。
一つではない。
十。
二十。
いや、それ以上。
天井裏。
柱の影。
床下。
障子の向こう。
俺を囲むように、仲間だった者たちが潜んでいる。
俺はゆっくりと息を吐いた。
「……そういうことか」
上官は扇子を開いた。
「お前は強くなりすぎた」
「命令通りに鍛えられただけだ」
「そうだ。我々が作った。だからこそ、我々が処分する」
爆符が弾けた。
次の瞬間、広間が炎に包まれる。
だが俺はすでに動いていた。
床を蹴り、炎の隙間を抜ける。
飛来する毒矢を指で弾き、背後から迫る忍の喉を柄で潰す。
刀を抜く。
一閃。
三人が倒れた。
悲鳴はない。
忍は死ぬ時も声を出さない。
鎖が足首に絡みついた。
呪符が腕に貼り付く。
体の動きが一瞬だけ鈍る。
その一瞬を、彼らは待っていた。
床に巨大な封印陣が浮かび上がる。
黒い文字が蛇のように這い、俺の影を縫い止めた。
「さすがに、正面からでは殺せぬ」
上官が立ち上がる。
「だから、お前専用の術を用意した」
胸に、冷たい感触があった。
見下ろすと、黒い刃が突き刺さっていた。
ただの刃ではない。
魂を焼く呪いの刀。
体から力が抜ける。
膝が床についた。
「恨むな、シオン」
上官は言った。
「これも任務だ」
恨みはなかった。
怒りもなかった。
ただ、少しだけ。
本当に少しだけ。
もし次があるなら、と思った。
血が喉を上がってくる。
視界が滲む。
天井の木目が、夜空のように遠ざかっていく。
俺は最後に、誰に向けるでもなく呟いた。
「静かに……生きたい」
世界が暗転した。
そして。
泣き声が聞こえた。
最初、それが自分の声だと気づかなかった。
眩しい光。
温かい空気。
誰かの腕の中。
「元気な男の子ですよ!」
女の声がした。
続いて、震える男の声。
「ありがとう……本当に、ありがとう」
俺は目を開けた。
視界がぼやけている。
体が動かない。
指先に力が入らない。
声も出せない。
だが、意識だけははっきりしていた。
生きている。
なぜだ。
俺は死んだはずだ。
胸を貫かれ、魂を焼かれ、確かに命を落としたはずだった。
なのに。
「あなたの名前は、シオン」
若い女が、俺を抱きしめながら微笑んだ。
「シオン。私たちの大切な子」
同じ名前か。
皮肉だな。
前世では道具の名だった。
今世では、子供の名として呼ばれている。
男が俺の顔を覗き込む。
「泣き止んだぞ」
「本当。この子、賢そうな目をしてる」
「はは、まだ生まれたばかりだぞ」
二人は笑っていた。
その笑い声に、悪意はなかった。
命令もない。
殺気もない。
利用しようとする気配もない。
ただ、俺が生まれたことを喜んでいる。
それが、不思議だった。
俺は赤子の体で、小さく息を吸った。
今世では、誰も殺さない。
誰の道具にもならない。
名誉もいらない。
力もいらない。
地位もいらない。
静かに生きる。
それだけでいい。
そう、思っていた。
五年後。
俺は小さな村で暮らしていた。
村の名は、レナス。
王都から遠く離れた、地図の端にあるような場所だ。
畑があり、森があり、小川があり、夜になれば星がよく見える。
前世の隠れ里とは違う。
ここには、血の匂いがない。
父は村の猟師だった。
母は薬草に詳しく、村人の怪我や病をよく診ていた。
二人は俺を大切に育ててくれた。
それが嬉しいのかどうか、最初はよく分からなかった。
ただ、母が頭を撫でると胸の奥が少し温かくなる。
父が笑うと、なぜか安心する。
前世では知らなかった感覚だった。
ある日、父が木刀を持って庭に立った。
「シオン、剣を習ってみるか?」
俺は畑の脇で本を読んでいた。
「剣?」
「ああ。男なら少しくらい身を守れた方がいい」
父は笑って木刀を振った。
構えは甘い。
重心も高い。
隙だらけだ。
だが、俺はそれを口にしなかった。
「少しだけなら」
「よし。まずは構えからだ」
父が俺の前に立つ。
「こうやって足を開いて、相手を見る。いいか、剣は力だけじゃない。大事なのは間合いと」
父の木刀が、宙を舞った。
からん、と地面に落ちる。
父は自分の手を見た。
俺も自分の木刀を見た。
しまった。
体が勝手に動いた。
前世の癖だ。
相手が武器を持ち、間合いに入った瞬間、無意識に制圧してしまった。
「シオン」
父の声が震えている。
「今、何をした?」
「……見えた通りに動いただけ」
「見えた通りってな……」
父はしばらく黙ったあと、苦笑した。
「母さんには内緒にしておこう」
その日の夕方には、母にばれていた。
翌日、俺は村の魔法教師の家へ連れて行かれた。
「魔法適性を見るだけだ。怖がらなくていい」
白髭の教師が、机の上に水晶を置いた。
この世界には魔法がある。
火、水、土、風、雷。
それが一般属性。
光と闇は上位属性。
国家に仕える魔導士でも、持つ者は少ない。
時間と空間は禁忌属性。
伝説に近い。
そして、創造と破壊。
神域属性。
本にそう書いてあった。
だが、実在するとは思われていない。
「普通は一属性。才能があれば二属性。三属性なら王都に推薦される」
教師は穏やかに笑った。
「さあ、手を置きなさい」
俺は水晶に手を触れた。
直後、水晶が赤く光った。
「火属性」
次に青。
「水」
茶色。
「土」
緑。
「風」
紫。
「雷」
教師の顔から笑みが消えた。
さらに白。
「光……?」
黒。
「闇……?」
水晶の内側で、時計の針のような光が回った。
教師が息を呑む。
「時間……」
空間が歪む。
水晶の中に亀裂が走る。
「空間まで……」
父が俺の肩に手を置いた。
「先生、これは」
「黙ってください」
教師の声は震えていた。
次の瞬間、水晶が白と黒に分かれた。
白い光が花のように広がる。
黒い光が、それを音もなく消し去る。
創造。
破壊。
水晶が砕けた。
部屋に沈黙が落ちた。
教師は椅子から崩れるように座り込んだ。
「この子は……国に知られてはいけない」
父の顔が険しくなる。
「どういう意味ですか」
「利用されます。兵器にされる。あるいは危険すぎるとして殺される」
俺は割れた水晶を見つめていた。
またか。
力は、いつも俺を縛る。
母が俺を抱き寄せた。
「大丈夫」
その声は、前世で聞いたどんな命令よりも強く、優しかった。
「誰にも言わない。あなたは、私たちの子だから」
俺は何も答えられなかった。
守られるという感覚を、俺はまだ知らなかった。
その夜。
俺は一人で森にいた。
手のひらに、小さな黒い球を作る。
「破壊」
黒い球が地面に落ちた。
草が消えた。
燃えたのではない。
切れたのでもない。
最初から存在しなかったかのように、そこだけが空白になった。
俺は胸に手を当てる。
一瞬、何も感じなかった。
草が消えたことも。
命が消えたことも。
同じだと思いかけた。
「危険だな」
次に白い光を灯す。
「創造」
消えた草が再び生えた。
元通りになったはずなのに、胸の奥に冷たいものが残っている。
破壊を使うたび、感情が削られる。
そんな気がした。
「この力は、使わない」
そう決めた。
その時、森の奥から唸り声が聞こえた。
巨大な狼型の魔物が、木々の間から姿を現す。
赤い目。
裂けた口。
黒い瘴気。
向かう先は、村だった。
俺は木刀を抜いた。
「村に行く気か」
魔物が地面を蹴る。
速い。
だが、遅い。
俺の目には、動きのすべてが見えていた。
筋肉の収縮。
爪の軌道。
噛みつく角度。
次に踏み込む位置。
前世で磨いた技と、この世界の力が重なる。
俺は木刀を振った。
空間が斜めに裂ける。
魔物の体が、音もなく二つに分かれた。
血が地面に落ちる。
俺は目を伏せた。
「……まただ」
その時だった。
背後の木の上から、声がした。
「見つけた」
振り返る。
黒いローブの男がいた。
額には、魔族の紋章。
男は笑っていた。
「神域属性を持つ子供。噂は本当だったか」
俺は木刀を握り直した。
「誰だ」
「君を迎えに来た者だ」
「帰れ」
男は肩をすくめる。
「無理だ。君は世界を変える存在だ。魔族も、人間も、天使も、竜族も、いずれ君を欲しがる」
「俺の意思は」
「関係ない」
その言葉で、胸の奥が冷えた。
前世と同じだ。
力があるから使われる。
強いから奪われる。
危険だから縛られる。
俺は、もう誰の道具にもならない。
足元から黒い覇気が広がった。
森の空気が重くなる。
木々が震える。
鳥が一斉に飛び立つ。
男の笑みが消えた。
「な……何だ、この圧は……」
俺は一歩だけ近づいた。
「俺を測るな」
男の膝が地面につく。
「馬鹿な……子供の覇気では……」
俺は静かに告げた。
「壊れるぞ」
男の背後の空間に、亀裂が走った。
ぴしり。
闇そのものが割れるような音がした。
男の顔から血の気が引く。
俺は木刀を下ろした。
「俺は静かに生きたいだけだ」
それ以上、何も言わなかった。
遠く離れた王都。
白い塔の最上階で、魔力観測用の水晶が砕け散った。
研究員たちが悲鳴を上げる。
「何だ今の反応は!」
「魔王級か!?」
部屋の奥に、一人の男が立っていた。
銀の鎧。
肩には、人類最強部隊――天魔滅殺隊の紋章。
男は割れた水晶を見つめ、低く呟いた。
「違う」
研究員が振り返る。
「では、何だと?」
男の目が鋭く細められる。
「魔王より、上だ」
夜の森。
俺は一人、月の下に立っていた。
静かに生きたい。
ただ、それだけだった。
だが世界は、もう俺を見つけてしまった。
第1話 完
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