22 破断
自宅のリビングで、東川はテーブルを見て項垂れている。
衛藤を守りたいという意思で行動した。メカ野郎と和解の場を設け、懐中時計を届けに走った。それなのに、衛藤の命が奪われてしまった。しかも、衛藤の形見である懐中時計を利用して、衛藤の『世界を守る』願いを叶えるための装置を止めてしまった。
東川の人生における『失敗』が、また1つズシリと重なる。
――明那ちゃんを失った時から、何も変わってないじゃないか。
東川の心の中で、自身を責め立てるような言葉が浮かんで離れなかった。
佐倉は思い詰めたような東川を気遣うように眺める。
「ケンくん、何かあったよね?……ずっと辛そうな顔してる」
佐倉はいつもの淡々とした口調と違い、ゆっくりと吐き出すように尋ねた。
東川は息を吐き、俯いたまま答える。
「衛藤さんを守れなかった……メカ野郎に殺されて……。俺が、衛藤さんの懐中時計を届けようとしたら、あいつが急に」
佐倉は東川と向かい合うように座り、東川の顔を窺う。
「衛藤さん、ってこの前行ったAPUSの……?」
「そうだよ……あの優しい人が」
東川は言葉に詰まり、膝の上で握る手に力が入る。肩が小刻みに震えていた。
「辛かったね」
佐倉は東川を見たあと視線を落とし、小さく呟いた。
東川はゆっくり顔を上げて佐倉の首元を見る。
「しかも、俺は……衛藤さんの遺品の、懐中時計を使って、あの人の願いを裏切るようなことをしてしまった」
東川の言葉に佐倉は固まる。
「懐中時計?衛藤さんの、願い……?」
佐倉の口から絞り出したような小声が漏れた。佐倉は部屋の隅に放置された自分の懐中時計に目をやる。その目線は、恐れと不安が混ざっているようだった。
東川は動揺する佐倉を見て、息を吞み込んだ。そのまま目を閉じて思い出す。懐中時計のことを、誤魔化すように「一目惚れして買った」と言った衛藤。メカ野郎がAPUSの装置を止めるときに懐中時計を使った光景。そして「お前が持っていると危険な目に遭う」と言われたこと。
「その懐中時計、普通のものじゃないよな?……一体それ、なんなの?」
自分でも声が震えているのがわかる。佐倉を問い詰めながら、どこかで否定してほしいと願っていた。
テーブル越しに東川の揺れる視線を受け止めながら、佐倉は心がひりつくような痛みを感じていた。
本当は、懐中時計がどんなものか知っている。でも、それを口にしたら彼を巻き込み、危険に晒してしまう。
「……それは言えない」
佐倉の口から出たのは、短くて硬い一言だった。
東川は息が詰まる。
その一瞬で、信じてきたものが音を立てて崩れ落ちる感覚に襲われた。
佐倉のことを考えてやってきたはずだった。彼女が怖がることは避けてきたし、危険に晒すことがないように努力をしてきたつもりだった。
それなのに、佐倉からは信用していないと言わんばかりの答えが返ってきたのだ。
「言えない……?俺はずっと、佐倉ちゃんのために考えてきたのに」
東川の言葉に、佐倉は唇を噛んで俯く。
「何か隠してるのか?……それがどんなやつか知ってたら、衛藤さんを守れるように立ち回れたかもしれないのに」
東川の言葉は佐倉の胸に容赦なく刺さった。本当のことを言えないもどかしさと彼の独りよがりな善意への苛立ちが、佐倉の頭を熱くする。
佐倉はしばらく呼吸を乱しながら言葉を失っていた。
「隠してるわけじゃないけど……」
掠れた声が零れ落ちる。
――ケンくんが私のことを思って動いてくれてたことくらい、私が一番分かっている。でも、今の彼が見ているのは私じゃない。『誰かを守る彼自身』に執着している。
佐倉はテーブルを押さえ、睨むように言い放った。
「ケンくんは助けたいって言いながら、人の気持ちなんて見てないじゃん。前もそうだった。私のためって言ってるけど、やろうとしてることが独りよがりなんだよ。衛藤さんを守れなかったのだって……ケンくんの行動の結果でしょ?私のせいにしないで」
佐倉は立ち上がってずかずかとキッチンに向かった。
東川は打ちのめされたように押し黙った。佐倉の口から強い言葉が飛び出すのは予想外だった。彼女から痛いところを突かれたような気がして、喉の奥で小さな呻き声が漏れそうになるが、押し殺す。視線を落とし、膝の上で手を握り直した。
佐倉は冷蔵庫を開け、牛肉のパックに一瞬手を伸ばしかけたが、力なく引っ込める。
代わりに上段のタッパーを取り出し、無言でレンジに放り込んだ。
チンという音が響くが、東川はテーブルで項垂れたまま動かない。佐倉は視線を向けるが、声をかけることもできない。
温めた肉じゃがを皿に分けると、片方は形の崩れたじゃがいもばかりになった。佐倉は一瞬迷った末、きれいに盛れた方を東川の前に置く。白い湯気が立ち上り、東川の表情はもやの中で霞んでいた。
東川はまるでそこに何も存在していないかのように動かなかった。
佐倉は自分の皿を持ち、キッチンの隅に腰を下ろす。
「……いただきます」
リビングとキッチンを隔てるドアが、二人の食卓を断ち切っていた。
スプーンが皿に触れる乾いた音だけが響き、二人の間の空白を際立たせていた。




