21 迷走
アルバイトのシフトが終わり、帰宅した東川は自室のテーブルに突っ伏した。
衛藤が死んでから、抜け殻のように何も手に付かず、ただぼんやりとしてしまう。
顔を上げて、テーブルの端に置かれた懐中時計を眺める。ゆっくり手を伸ばして懐中時計を掴み、顔元に寄せてそれを見た。佐倉のものとはそっくりだが、裏面に傷はなく、雑に扱われていた割には綺麗な状態だった。
「衛藤さんのこと、守るはずだったのにな」
東川は呟く。懐中時計を手にしたままゆっくりと立ち上がり、部屋の隅に向かう。その瞬間、玄関から物音がした。
「佐倉ちゃん、帰って来たんか」
東川は急いで懐中時計をポケットにしまう。
「ただいまぁ!」
佐倉が買い物袋をキッチンの床に置く。東川は「おかえり」と小声で答える。
「ケンくん今日元気なさそうだったからさ、美味しいもの食べて元気になろ!よく分かんないけど、嫌なことがあったなら、話したくなった時にいつでも言ってよ」
佐倉は淡々とした口調で言いながら、袋から牛肉のパックとキャベツ、ニンジン、玉ねぎなどの野菜、焼肉のたれを次々と取り出す。手際よく冷蔵庫にしまいこみ、リビングに上がった。
「ありがと」
東川は寂しげに微笑む。佐倉は座椅子に座ってテレビを点けた。
インターホンが鳴る。
東川がモニターを確認すると、メカ野郎の姿があった。
佐倉はビクっとしてクローゼットの中に隠れる。東川はその様子を驚いたように見たあと、玄関に向かった。
「……なんの用」
東川はぼやけた表情で玄関のドアを開けた。メカ野郎は無表情で立っている。
「衛藤の懐中時計の行方を知らないか」
メカ野郎の問いに、東川は険しい顔つきになる。
「……衛藤さんの懐中時計を、何かに使うのか?」
東川は眉間にしわを寄せてメカ野郎を睨む。
「持っているなら渡して欲しい。俺らの仲間を守るために。暴走した攻撃装置を停止させるのにあいつの懐中時計が必要なんや」
メカ野郎が答えると、東川は奥歯を食いしばって下を見た。そのまま、押し殺したような声で言う。
「……なんだよそれ。衛藤さんの命奪っといて、遺体も回収しておいて、最後の形見だった懐中時計まで奪おうとして。しかもお前の都合に利用するのかよ。衛藤さんはお前の道具じゃねえよ」
東川はポケットに手を入れ、衛藤の懐中時計を握りしめる。懐中時計は東川の手を冷ますように熱を奪っていく。これを渡したら衛藤が本当に消えてしまうのではないかという思いがよぎる。
東川は温くなった懐中時計を握りしめたまま黙り込む。
「このままだと仲間が危険な目に遭う。人助けと思って協力してほしい」
メカ野郎の言葉を聞き、東川は目線を上げて言い放つ。
「お前の都合なんて知るか……」
言いかけたところで東川はメカ野郎と目が合った。メカ野郎は顔を歪めて東川を見据えていた。
東川は目を見開いて押し黙る。
メカ野郎の反応から、本当に懐中時計は必要なものなのだろうと東川は考える。しかし、相手は衛藤を殺害した張本人だ。東川は答えを決めかねていた。
そのまま二人は互いの心中を探るように見つめ合った。
「渡したくない」
東川は小さく息を吸い直す。
「けど、仲間を助けるっていうことにだけ使うなら、お前に貸す」
東川は懐中時計を取り出し、名残惜しそうに一目見てからメカ野郎に渡す。メカ野郎は「ありがとな」と呟き、懐中時計をリュックの脇ポケットにしまい込む。
東川はメカ野郎を睨んで言う。
「俺はお前が衛藤さんを殺したことを許してない。これが終わったら警察に通報するからな。お前が奪った命の形見を、お前の都合で使うことを自覚しろ」
メカ野郎は真顔で東川を一瞥し、アパートの階段を駆け降りる。急ぎ足でAPUSの方角に向かった。
東川は玄関で立ち尽くす。
「……あいつを警察に突き出すって言ったけど、証拠も何もなくなってるからな……。俺が狂人って言われるだけか」
独り言をつぶやき、軽くなったポケットに気づいて胸の奥がざわついた。
「ケンくん、大丈夫だった?」
玄関ドアから佐倉が不安気に顔をのぞかせる。
東川は佐倉の顔を見て、胸騒ぎが一段と激しくなり、同時に頭を焼かれるような熱さを感じる。
――衛藤さんの形見が誰かを助けるところを。
「見届けなきゃ」
そうしないと、自分の選択を信じられない気がしていた。
東川は佐倉に「ちょっと出かける」と言い残して、夕方の町に飛び出した。
東川はAPUSに向かって走っていた。あの懐中時計が向かわせているような、よく分からない直感があった。
アスファルトを蹴る音が耳に入る。
胸の奥に焦りがあった。
重い腕を持ち上げるように振る。雑居ビルの合間から差し込む夕日に一瞬目が眩みそうになるが、薄目で駆け抜ける。大通りに出て、人をかき分けながら走る。見慣れたコンビニ、そしてアルベルトの脇を過ぎる頃、喉を通り抜ける空気の痛さに思わず咳込んだ。
東川を走らせているのは、細い糸のような意思だった。それは衛藤の形見を人助けに利用させてしまった選択が本当に正しかったのかという不安から来ていた。渡してしまった懐中時計がどう使われるのかを、この目で見届ける。そうしないと、自分の選択が正しかったと思えない。
東川は息を切らして走り続けた。
空になったポケットに手を入れて走る。
「衛藤さん、俺、分からない……」
時計台の横を過ぎる。学校帰りのはしゃいでいる学生の群れの脇を抜ける。
大通りを出て細道に入った時、数メートル前にメカ野郎の背中を確認した。
「メカ野郎、待て」
東川は走りながら叫ぶ。追いかけていた背中が止まる。東川は呼吸を整えながら続ける。
「俺に、衛藤さんの懐中時計使うところ、見せてくれ」
メカ野郎は汗だくの東川を一瞥し、淡々と「いいよ」と返事をした。
そのまま急ぎ足でメカ野郎は歩き出す。東川はあっけにとられてメカ野郎を目で追うが、しばらくして後を追うように走り出した。
メカ野郎が向かったのはAPUSの建屋だった。
建屋内に入ると、人の気配がなく薄暗いロビーが出迎えた。
東川とメカ野郎は電灯のスイッチを探し、明かりをつける。
「……何をしようとしてる?」
東川は眉をしかめてメカ野郎に尋ねる。
「この建屋内にある暴走したシステムを停止する」
メカ野郎は淡々と答え、APUSの廊下を見回しながら歩く。東川は嫌な予感が背筋を伝うのを感じた。
突き当たりに差し掛かろうとしたとき、メカ野郎は何かに気づいて立ち止まる。
「あれか」
突き当たりの重々しい扉を指してメカ野郎は呟いた。東川は扉を見て息を吞む。
それは、東川が以前、衛藤から「立入禁止」と言われた場所だった。
「……そこに、入るのか?」
東川は恐る恐る尋ねる。メカ野郎は平然として「うん」と答え、ずかずかと扉に向かって進む。東川は肩をすくめてメカ野郎の後ろについていく。
メカ野郎は衛藤の懐中時計を取り出し、扉の脇のセンサーのようなものにかざす。センサーの緑色のランプが点灯し、重々しい扉が自動で開いた。
東川は目を丸く見開いてメカ野郎と扉を交互に見た。
扉の中は、APUSの開放的なロビーや応接室と対照的な、質素で閉塞感のある部屋だった。
部屋の奥に暗い画面のモニターとデスクトップ、キーボードがポツンと置かれており、壁際には数多のランプが並んで点灯している。
「ここ、なんの部屋?」
東川は不安気な声で言う。
「基幹制御室だと思う」
メカ野郎は淡々と言いながら部屋の奥に進み、デスクトップのスイッチを入れた。
「怖いんだけど。それ、勝手に動かしていいのか……?」
東川は一歩後退りする。デスクトップが何らかの拍子に爆発してしまうのではないかという危うさを感じていた。
メカ野郎は無言でデスクトップを起動し、謎のソフトを開く。画面に英数字の文字列が現れる。
「……やっぱりか」
メカ野郎は呟いて黒い手帳を取り出した。東川はその手帳に見覚えがあった。
「……それ、衛藤さんの手帳か?」
東川は小声で尋ねると、メカ野郎は「うん」と答えてキーボードで操作を始める。
東川はメカ野郎の事務的な行動に腹が立ってきていた。衛藤の遺品を、ただの道具のように扱う姿。その背中を見て一発殴ってやろうかと考え、右手の握り拳をゆっくり持ち上げる。
その瞬間、背後から機械音声が聞こえた。
『除外対象:ターゲット認識。処分モード実行します』
東川が振り返ると、あの時藤崎を襲った小型ドローンが1機、宙に浮いていた。東川は背中に冷たい汗が滲むのを感じた。
「トロ助、下がれ。俺の後ろに行け」
メカ野郎は焦りを含んだ声で呼びかける。東川は驚いてメカ野郎を見る。
「早く」
メカ野郎は苛立った声を上げながらリュックを探り、デストラクターを取り出した。デストラクターの安全装置を外し、東川に渡す。
「あの機械を急いで打ち落としてくれ。お前ならできるだろ」
東川は愕然としてメカ野郎を見つめるが、メカ野郎は即座にキーボードの操作に戻る。
「ありえないだろ……」
東川は呟き、震える手でデストラクターを構える。覚束ない手取りでドローンに照準を合わせる。そのまま迷わず引き金を引いた。凄まじい轟音とともに、ドローンは真下に落下した。
東川はその轟音に胸が締め付けられる。
それは、衛藤が死んだ瞬間に聞いた音と同じものだった。
「よくやった。敵はまだ来るかもしれない。次来たら同じように頼む」
メカ野郎はデスクトップに目を向けたまま言う。タイピング音が鳴り続ける。
東川はメカ野郎を横目で睨んだ。
「お前、まだ実行マシーンだったんだな。ちょっと人間になれたかと勘違いした俺がバカだったや」
東川は沈んだ声で呟く。タイピング音が止む。
東川がメカ野郎を見ると、メカ野郎は手元の手帳を凝視していた。苛立ったように眉間にしわを寄せてメカ野郎が呟く。
「……ここ、どうなってるんだ。もっと分かりやすく書けや。クソッ」
東川は奥歯を噛みしめる。
――クソなのはどっちだ。
半分冗談のつもりで、手に持っているデストラクターの銃口をメカ野郎の頭に向ける。
引き金に指が触れた瞬間、カチャッと小さな音が鳴る。
『オートセーフティーモード作動、安全装置を起動します』
突如デストラクターから音声が流れた。
東川は「ええ?」と気の抜けた声を漏らし、慌ててデストラクターを手で回し見る。
「何やってるや」
「や、急にこの銃が喋りだして」
メカ野郎は東川の手からデストラクターをひったくり、呆れたようにため息をついた。
「勝手に安全装置入れるなや。さっきの管理ロボを落とせなくなるだろが」
「いや、この銃が勝手に……」
東川は歯切れ悪く言うと、メカ野郎は首を傾げながらデストラクターの安全装置を外し、東川に手渡した。
「……もう少しで終わる」
メカ野郎は小声で冷たく言い放つ。
東川は訝しげにデストラクターを観察したあと、緊張した面持ちで周囲を見回す。隣ではメカ野郎が画面を睨みつけてキーボードを打ち続ける。
しばらく時間が経ち、東川が欠伸をしたとき、隣から「よし」と声がした。
「終わる」
その声を聞いて東川は横のメカ野郎を見た。
メカ野郎は衛藤の懐中時計を取り出し、デスクトップの脇のセンサーにかざす。懐中時計は淡く青白い光を纏い始めた。同時に壁際の制御ランプのいくつかが消灯する。
東川は息を吞み、センサーにかざされた懐中時計に見とれていた。
やがて懐中時計の光が消え、メカ野郎が懐中時計をセンサーから外して下ろす。東川は横目でモニター見て、画面に「finished」の文字を確認した。
沈黙が部屋を包んだ。
「終わった、のか?」
東川は拍子抜けしてメカ野郎を見る。メカ野郎は「うん」と小さく答える。
「何も変わった気がしないんけど……これで、何を救えたんだ?」
東川は眉間にしわを寄せて尋ねる。
「俺の仲間が守られた」
メカ野郎は安堵のため息をつく。東川も緊張がほどけたように息を吐いた。
東川がデストラクターをメカ野郎に渡すと、メカ野郎は衛藤の懐中時計を片手にリュックを開けていた。
「それ返せよ」
東川は低い声で言う。不安と怒りが混じり、声が震えていた。。
メカ野郎は懐中時計を指先で弄びながらちらりと東川に目を向けたあと、顔を背ける。
「返せない。お前が持っていたら、お前が危険な目に遭う。衛藤もそれは望んでないだろや」
メカ野郎はリュックのファスナーを閉め、カチリと冷たい音が響いた。
東川は唇を噛んで黙り込む。拳を作る指に力が入る。
「お前に衛藤さんの何が分かるんだよ」という言葉が喉元までこみ上げた瞬間、それを飲み込んだ。
東川もまた、衛藤のことをほとんど知らなかった。
「あのさ。衛藤さんとメカ野郎って、何者なんだ?なんで傷つけ合おうとしてて、殺してるんだ?……お前ら、何がしたいんや?」
東川が押し殺すように問うと、メカ野郎は目を伏せて答える。
「教えられない。知ったらお前が危険に晒される」
そう言ったあと、メカ野郎は東川をまっすぐ見て続ける。
「……まあ、あいつは悪意を持った敵だった」
東川は絶句して奥歯を噛みしめた。
「悪意……?」
東川が見てきた衛藤は、純粋な善人だった。脳裏に浮かんだのは、アルベルトで「世界を守りたい」と突拍子もなく言う姿、コーヒーにガムシロップを大量投入して子供のようにはしゃぐ姿、まだ叶えられていない望みを語りながら目を細める姿、――そしてAPUSの敷地で衛藤と握手したときの温かさだった。
東川は眉を歪めながらまっすぐメカ野郎を見て言う。
「衛藤さんは、俺にとって……信じたい人だ。間違ってたとしても、俺だけは……あの人の味方でいたい」
たどたどしく言い淀みながらも、眼差しには必死さが滲んでいた。
メカ野郎は目を伏せて黙っていた。
APUSからの帰り道、東川は一人で裏道を歩いていた。
衛藤のシステムを止めたことが果たして正しかったのか、考えるほど頭が熱くなる。彼は「世界を守りたい」と語っていたのに、その手段を止めてしまった。
衛藤の遺志に背いたんじゃないかという自責の念が存在感を強めていった。
裏道の街灯の下、東川の影が夜道に沈むように長く伸びていた。




