表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/36

20 罪

「ぼちぼち始めましょう」

 初老の優しい顔をした監査官が、徐に声を上げる。

 無機質な白い壁の小会議室で、メカ野郎は3人の監査官たちと対面で座っていた。

 中央の席に座っている初老の監査官は手元のラップトップの画面を見る。

「報告書によると、東川執行官は昨日20時頃に、O世界で衛藤裕丞元ROSA研究員を殺害したとのことですね。これは事実ですか?」

「事実です」

 メカ野郎は初老の監査官をまっすぐ見る。監査官は目尻を下げて穏やかに笑っていた。


「殺害理由は、ROSAの意思による任務遂行ということで、間違いないですよね?」

 監査官の問いに、メカ野郎は拳を強く握りしめて下を向く。


 衛藤を殺そうとした時を思い返す。五島が危険な目に遭っていた。加納の身を案じた。そして、追い討ちのようにμ世界の東川が危険に巻き込まれそうになっていた。

 衛藤を殺してやるという殺意でデストラクターの引き金を引いた。

 それは、ROSAの意思ではなく、メカ野郎個人の意思だったのだ。


「東川執行官~」

 初老の監査官の優しい呼びかけにメカ野郎ははっとして前を見る。

 監査官は穏やかな笑みを維持し続けながら言った。

「重要任務を達成した興奮のあまり寝不足でしたかね」

 メカ野郎は二、三度瞬きをし、小さく息を吐く。

「……いいえ」

「それは、どの問いに対する『いいえ』の返事ですか?」

 監査官の声のトーンが下がる。メカ野郎は息を吞む。監査官を見ると、相変わらず穏やかに笑っているが、目や口の角度が一切動いていない。

「……興奮もしてないですし、寝不足でもありません。私はROSAの意思に従って任務を遂行しました。監査官の話に間違いはございません」

 監査官はうんうんと頷いてラップトップのキーボードを打ち込む。メカ野郎は小さくため息をついた。

 画面を眺めながら監査官は続ける。

「衛藤に更生の可能性はありましたか?」

「ありません。彼はμ世界に転送したROSAの執行官を攻撃するシステムを構築していました。昨日同行した五島さんが被害に遭っています。彼は明確にROSAへの敵意、そして有害性を持っていたと考えています」

 メカ野郎の答えに監査官は頷いてキーボードを打ち込み続け、やがてエンターキーを叩きつける音が響く。監査官は顔を上げて穏やかな笑顔をメカ野郎に向ける。


「殺害時にはデストラクターに搭載したNSDC、ええと『神経遮断・生体崩壊連鎖装置』を使用したんですよね。さっき技術部の人から聞いたんだけど、かなり新しい兵器で、身体的苦痛が発生しないらしいと。人道的な手法で殺し方もパーフェクト」

 監査官は小さく拍手をする。


 メカ野郎は衛藤にデストラクターを発砲した瞬間を思い出す。引き金を引いて一瞬衛藤の身体が小さく跳ねるが、すぐに崩れていくように彼は息を引き取った。外傷もなく、眠るような最期だった。

 そして衛藤は死ぬ直前、メカ野郎を見て穏やかに微笑んでいた。

 その最期の表情が目の前の監査官のにこやかな笑みと重なる。メカ野郎は唇を噛んで監査官から目を逸らした。


 監査官は真剣な表情になり、声を上げた。

「東川執行官の衛藤殺害は正当な行為であったと認めます。本件はROSA内部では任務遂行完了の扱いで、外部に対しては衛藤の事故死扱いで手続きを進めていきます」

 そう言ったあとに監査官の表情が緩み、話を続ける。

「……あ、東川執行官はご自身の処遇を心配なさらないでください。あなたは今日からROSAの英雄ですから」

 メカ野郎は額に手をついて項垂れる。

「倫理監査は終了します。お疲れ様でした」

 監査官の穏やかな声とともにイスを引く音、ラップトップを閉じる音が小会議室に響く。


 メカ野郎は項垂れたまま、しばらく黙り込んでいた。


 やがて監査官らが退室し、小会議室に静寂が訪れる。

 静寂の中心で、深く沈み込むように息を吐き出す音がした。




 五島はベッドで目を覚ました。見慣れない天井を見つめ、ここが自宅でないと察する。ベッドから半身起こしたまま自身の記憶を辿った。

 µ世界に干渉して、ROSA管理ロボのようなものに手足をやられて――そこから記憶がない。

 五島は手足の感覚が戻っていることに気づき、ほっとため息を吐く。その直後、メカ野郎のことを思い出す。

「東川さん、無事だったのかな」

 胸がざわつき、ベッドから飛び降りて救護室を抜け出した。


 急ぎ足で廊下を歩いていると、仁内と出会う。

 仁内は五島を見つけた途端に目を大きく開き、「ゴッシー!大丈夫だった??」と叫ぶ。仁内の勢いに圧倒され、五島はあたふたしながら「なんとか」と答えた。

「昨日の夜さあ、報告書上げるために残業してたら、物凄く怖い顔した東川さんが帰ってきて。見たら倒れたゴッシー抱えてたの。事務所と医務室の人たちで大騒ぎして」

 早口で話し倒す仁内の様子に五島は苦笑いをした。

「……東川さん、無事だったんだ、よかった。後で顔出しに行かないと」

 五島は安堵の表情を浮かべる。仁内は五島を見て静かに笑った後、視線を上に向ける。

「あー、東川さん、今、倫理監査の面談に行ってるかも」

「へ?なんで倫理監査?」

 不穏なワードに五島は怪訝な顔をする。仁内は五島の反応に一瞬困惑するが、気まずそうに口を開く。

「もしかして昨日のこと知らないのか?東川さん、除外対象だった衛藤さんの処分を実行したから、それの監査だよ。っても除外対象の殺害だから、形だけのやつだと」

「殺した?衛藤さんを」

 五島は仁内の言葉を遮る。

「おう。東川さんでかした、って一部じゃもう騒ぎになってるよ。衛藤さんの処分なんて大勢の執行官が上手くできなかったから、ようやくって感じらしいよ」


 五島は仁内の話を聞き流し、茫然としてメカ野郎の言動を思い返す。

 彼は昨晩のµ世界干渉前の時点で「衛藤と面会をする」と言っていた。その時はいつものように落ち着いた様子だった。

 その後、µ世界で暴走した管理ロボの攻撃を受けた。ぼろぼろになった状態で、面会を装って衛藤を騙し討ちした?その体力と気力はどこに?

 そもそも、µ世界干渉前のあの時の落ち着きも全部演技だった?最初からROSAの意思に従う絶好のチャンスだと考えていたのなら。

 五島は背筋が寒くなった。メカ野郎の心境を考えるほど、彼が不気味な怪物にしか思えなかった。


「……ゴッシー?」

 仁内は五島の顔をのぞき込む。五島はびくっとして仁内を見る。

「とりあえずゴッシーが無事でよかった。体調が戻ったら東川さんのことも労ってやってよ……。あ!俺、衛藤さんの執行に関する調査頼まれてるからさ、もしかしたら東川さんにいろいろお世話になるかも。まあ、ゴッシーもお大事にね」

 仁内は優しく声を掛けると、小さく手を振って五島の元を離れた。


 五島は動揺を落ち着かせるために、その場でゆっくりと深く息を吐いた。

 歩き出そうと右足を踏み込んだ瞬間、「五島さん」と背後から声がした。

 メカ野郎の声に振り返ろうとするが、動作が遅れる。首筋からかかとまでが凍り付いたような感覚になり、全身を強張らせてメカ野郎の首元に視線を上げた。

「……ちゃんと歩けてそうでよかった。まだ動きづらそうにしてるけど、体調は大丈夫か?今日は休みでいいから、体調が万全になるまでゆっくりしてるといいよ」

 怪物とは程遠い優しい声だった。五島は何を信じたらいいのか分からず、言葉を詰まらせる。無事でよかったこと、助けてくれたことへの感謝、任務遂行の労い、衛藤殺害の動機が分からずに恐怖していること。言いたいことが喉の奥で絡まる。

「東川さん、昨日はありがとうございました。……何があったのか、時間あるときに聞かせてください」

 五島はなんとか言葉を絞り出す。メカ野郎はスマートフォンを取り出して画面を一瞥し、「今からでもいい?」と言う。五島は「うぇ?」と裏声を上げたあと、ぎこちなく頷いた。



 五島は小会議室の窓を開ける。外を見ると、目が眩むほどの青空が広がっている。風が全く吹かず、頬をじりじりと焼かれるような感覚に思わず顔を窓から背ける。そのまま小会議室の窓側のイスに座り、真っ白な壁を見る。

 呼吸が浅く、鼓動も早い。

 これからメカ野郎が語るであろう衛藤殺害の状況について、受け入れる覚悟がまだできていない。顎に手をつき、不安まじりのため息を漏らす。


 小会議室のドアからノック音がし、ラップトップを抱えたメカ野郎が入ってきた。

「待たせてごめん。報告書作りながら話させてや」

 メカ野郎は五島の隣の席に座り、「暑。眩し。」と小声で呟く。ラップトップを開けて報告書のフォーマットを出す。同時に倫理監査用の簡易報告書を別ウィンドウで表示させる。五島は眉を下げて奥歯を食いしばる。しばらく画面を見た後、メカ野郎を見ようとしたが、目を合わせられないまま言った。

「……最初に私の方から。昨日は助けてくださってありがとうございました。東川さんは、その、無事だったんですか?」

 メカ野郎はきょとんとして五島を見る。

「うん、大丈夫。本当は五島さんにケガ一つ負わせないようにするのが私の役割なんだけどな。ごめん」

 メカ野郎の言葉に五島は顔の力が抜ける。


「昨日の説明をしようか」

 メカ野郎はラップトップの画面を見ながら言う。

「まず、µ世界に向かったのは、衛藤との面会が目的」

「本当に、『面会』が目的だったんですか?」

 五島は刺すような声で尋ねる。

「……なにこれ、倫理監査の続き?」

 メカ野郎はとぼけたように小声で呟いたあと、五島を見る。五島は真剣な、しかし畏怖を含んだような表情で睨んでいた。メカ野郎は真顔に戻り、話を続ける。

「当初は衛藤と面会をし、あいつがµ世界でしていることの意図を確認する予定だった」

 五島は表情を変えずにメカ野郎を睨みつけている。メカ野郎はラップトップのキーボードを叩いて報告書の上のスペースを埋め始めた。キーボードを打ちながら淡々と続ける。

「µ世界の衛藤の施設に着いた時、衛藤はまだ来ていなかった。そして、我々は管理ロボの攻撃を受けた」

「暴走したROSA管理ロボ、でしょうか。記憶が定かではありませんが、攻撃方法が私の把握しているものと異なっていましたし、デストラクターも効かなかった。何が起こっていたのか……」

 キーボードの音がピタリと止まる。メカ野郎は五島に顔を向けて言った。

「あれは衛藤が意図的に仕掛けた、あいつの管理ロボだった」

 五島の喉がぐっと鳴る。

「衛藤さんが、あの管理ロボを……?」

「うん。あれはROSA管理ロボの自律暴走ではなかった」

 メカ野郎は再びキーボードを打ち始める。五島は唇を噛みしめて俯いた。


 しばらく二人は沈黙し、タイピング音だけが小会議室に響く。

 五島は気まずそうに口を開く。

「衛藤さんの管理ロボの攻撃を受けてから記憶がないんですけど……。その後、どうなったんですか」

「私が管理ロボを処理した」

 メカ野郎は淡々と答える。

「……東川さんはどうやってあの管理ロボを処理したんですか」

「それは後で教えるよ。……五島さんは覚えてないと思うけど、その後定刻通りに衛藤が来た」

 五島はごくりと唾をのんだ。メカ野郎は画面を見ながら続ける。

「管理ロボが衛藤のものであることを確認し、その管理ロボを止める方法を衛藤に問いかけた。でも、あいつは管理ロボを止めようとしなかった。明確にROSAの人間を傷つけようとしていた」

 喉の奥から絞り出すような低い声だった。メカ野郎はメガネを上げて続けた。

「だから、あいつを殺した」

 メカ野郎は画面を睨みつけていた。その姿から溢れる殺意に、五島はぎょっとして目を逸らし、俯く。


 五島はテーブルを見ながら、昨晩の出来事と自身の認識のズレを確認する。衛藤とは本当に面会のつもりでμ世界に渡ったこと、そして攻撃してきたのは衛藤の管理ロボだったこと。衛藤は管理ロボを止めなかったこと。――だから、東川が衛藤の処分を実行した。

 メカ野郎が衛藤を殺したのはROSAの意思が正しいと判断したからであるという事実が見え、五島の中でメカ野郎の不気味な怪物像が消え去っていた。

「衛藤さんを処分すべき対象として、ROSAの意思に従ったんですね」

 五島は落ち着いた声で言う。


 しばらく沈黙したあと、メカ野郎が言った。

「あの時、本気で衛藤を殺してやろうと思った。ROSAの意思なんて、殺意を正当化するための後ろ盾でしかなかった」

 五島は啞然としてメカ野郎を見る。メカ野郎は変わらず鬼のような形相で画面を睨みつけていた。先ほど仁内が言っていた「物凄く怖い顔した東川さん」という言葉とその姿が重なる。


「殺意って……。何が東川さんをそうさせたんですか……?」

 五島は掠れた声で尋ねる。

 その声にはっと我に返ったかのように、メカ野郎は五島の方を向く。目が合った瞬間、メカ野郎の表情が一気に緩んで穏やかな笑みに変わる。メカ野郎の右手が伸び、そのまま五島の頭をわしゃわしゃと撫で始めた。

「え、怖」

 五島は冷めた口調で言う。メカ野郎の手が一瞬止まり、眉を落としてすっと右手を引いた。

「私の理解力が無いせいかもしれないですけど、東川さんって何考えてるか分からないんです。昨日のことも、今こうやって話してもらったおかげで東川さんがバケモンじゃなかったことが分かって、ちょっと安心してたのに」

「ごめん」

 メカ野郎は小さく言って俯いていた。

「あー……突然私を殺したりしなければ大丈夫です」

 五島は戸惑いながらも表情を緩めて言った。

 メカ野郎が何かを言いかけた瞬間、小会議室にギュルゥーと盛大に音が響く。


 五島の腹が鳴っていた。五島は顔を真っ赤にして黙り込む。

 メカ野郎は一瞬きょとんとした後、真顔で呟いた。

「……NSDCの発砲音?」

「なんですかそれ」

 五島は弱々しい声で尋ねる。メカ野郎は苦笑して答える。

「デストラクターに新しく搭載される予定の兵器。私はそれで衛藤の管理ロボを始末した」

 五島は膝を打った。メカ野郎は五島を見て続けた。

「ちなみに発砲した瞬間に轟音が鳴る」

「あああああああああ!」

 五島は恥ずかしさのあまり口から轟音を放った。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ