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島は月の形をしている  作者: 大石安藤
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出漁の時

14・教育

 暦の導入と共に教育制度も改革された。6歳から12歳までの基礎学校が義務教育で、約3分の1の児童がここで教育を終える。その先の上級学校は4年制で、各市に2校ずつある。更に先の大学校は首都に2校のみで、ここまで進学する者は全体の9分の1程度にまで減る。専攻する学科により、学業年数は異なる。更なる高等教育、または島の学校には無い学科、もしくは上級学校を卒業した後に専門教育を希望する者は海外に留学することになる。

 島民の特質から、留学にはかなりの身体的負担がかかる。そのため短期留学を繰り返すこととなり、学業を修めるためには長い時間と高額の費用が必要となる。留学に関する奨学金制度ができてからは若干の伸びが見られる。留学は医療関係を専攻する者が最も多い。

 島民の識字率は押し並べて高い。



 雨はいつもより遅くに降りだし、短時間で止んでしまった。湿り気を帯びた風が島を巡り、どの家でも夕食の支度をする時間になった頃、浜でできる準備はすべて終えていた。

 クポリはゼネを家へ帰した。あとゼネにできることといえば、体を休ませておくことぐらいしか思いつかない。

 友達と出漁の儀式の時に会う約束をして別れた後、家へ戻ったゼネは、勢い込んで両親に出漁の話をした。

「明日の夜明け前? 一番船になったの? なんでそれを早く言いに来ないの。じゃあ儀式もやるんでしょう? ああ、でもそれは船でやるからいいのよねえ。やだ、違うわ。大事なのは、初漁のお祝いが明日の夕方ってことじゃないの」

 母のユアンは慌てて立ち上がった。

「おばあちゃんの家に行って、お祝いの話をしてきてちょうだい。場所もおばあちゃんのところの方が広いから使わせてってお願いしておいて。かあさんも後から行くから。やだ、最初にケイシさんのところよ」

 それだけ言い置き、走り出て行ってしまった母の背に、「そんなに慌てなくても大丈夫じゃないかなあ」と呟きながら炊事場を覗くと、ゼネは母より慌てて父親の元へ戻った。

「とうさん、ご飯は?」

「ああ?」

 仕事場から帰ったばかりのホービンは、なにもかも中途で投げ出された竈を見て、「ひとまず、ばあちゃんのところに行ってこい」とゼネを送り出した。



 少年と歩いていく道々、知らせを聞いた友達が家から飛び出してきては、ゼネと興奮した話を交わす。そんなゼネの浮かれた声が聞こえていたのだろう。カラタの家では、険しい顔の姉が待っていた。カラタに用件を伝えてから食事を始めたゼネに、サナは少年と同じようにぴったりとついて回った。

「まったくもう、明日なんて。やけに急じゃない。いつももっと遅いでしょう」

「そんなことないよ。あとは天気と島と潮しだいって時期なんだって言ってたもん。それに準備だってできているんだから」

 クポリが出漁の時期を決めた要点を匂わせてくれたのがゼネには嬉しくて仕方がないのだが、サナはそんなゼネの様子がなんだか悔しくて仕方がない。

「でも儀式はどうするのよ。今年最初の漁なら、儀式をしなくちゃ。・・・そうか、じゃあ、儀式は明日の漁の前にやるのよね、もちろん」

「うん。さっきバシシャンを集めた」

 ゼネは食べ物を口に押し込みながら、姉の怒りが早く収まるように祈った。だがそもそも怒りというものは、自分自身で増幅させてしまう傾向がある。

「あ、でも、お祝いの準備をしなきゃいけないじゃない。あんたの初めての漁だもの、やらなきゃいけないことは、ものすごくいろいろあるんだから。せめて2、3日は早く言ってくれないと困るのよ。ほんと、いろいろあるのよ」

 いらいらの度合いが高まっていくサナを、ゼネは必死に宥めようとした。

「しょうがないじゃない、出漁の日なんて、大概、間際にならないとわからないんだから。きっとかあさんがちゃんと考えてくれるよ。後で来るって言ってたし。それにさ」

 宥めようとする言葉が、怒りを更に増幅させることもままあることである。

「俺、お祝いなんて別にいいよ」

「なに言ってんのよっ。そんなわけにはいかないのっ」

「だ、だって」

 ほとほと困ったという顔でろくに食事もできない甥を助けるべく、ウラカンは苦笑しながら腰をあげた。

「まあまあ、サナ、落ち着いて、ほら」

 小振りの椀を差し出しすと、渋るサナに無理やり持たせる。

「おいしいから。ちょっと飲んで」

「・・・うん」

 コアツァが酒を飲む時ようにひと息でぐっと飲み干すと、サナはまた口を開こうとしたが、横でにこにこしている叔母の顔を見たら、さすがに続けられなくなった。

「ね、落ち着いたでしょ。決まったことなんだから、そんなにぐずぐず言わないの。サナだっていろいろあったんだから、ね、わかるでしょ」

「それは、そうだけど」

 懸命にもゼネはうんうんと頷くだけにとどめ、口を挟もうとはしない。その横では少年がぱっちりとした目を丸く見開いてサナを見つめている。サナの肩からも、少しだけ力が抜けた。

「・・・そりゃあ、仕方ないけど」

「そうそう」

 ウラカンがサナの肩を軽く抱いた時、カラタが顔を出した。

「ゼネ、足りないかい?」

 ゼネは「そんなことないよ」と言いながら、皿をひとつ空にした。

「まだたっぷりあるからね。ユアンもじきに来るんだろうね。そう言ってた?」

 ゼネが口の中のものを飲みこむ前に、ウラカンが頷いた。

「すぐに来るみたいよ。ホービン兄さんも一緒に来るだろうし。イルゲ兄さん達にも知らせないといけないわねえ。誰に頼んだらいいんだろう。サイッド兄さんは儀式には間に合わないわね、遠すぎるもの。あそこには電話をかけるしかないかなあ。あれ、苦手なのよねえ。でもお祝いに来てもらうためにはなんとかしないといけないものね。サイッド兄さんのことだから、どうやってでも来るだろうけど。ホウチャン兄さんに頼めればいいんだけどなあ。こういうことは得意だろうし。ついでにイルゲ兄さんに連絡取ってもらえれば一番具合がいいんだわ」

 サナは口を挟む気も無く、ゼネは忙しなく食べ物を口へ放り込む。

「とにかく儀式が終わってからは休む暇も無いわよ。いくら手があっても足りないでしょうね。もちろん私も手伝うわよ。寝てばっかりもいられない。クポリの時みたいに近所のおばさん達が手伝ってくれるだろうけど、お酒の仕度ぐらいできるからね。ああ、そうそう、いるものも沢山あるだろうから、買い出しにも行かないといけないわねえ。馬車がいるね」

 どこまでも際限ないウラカンの言葉に、カラタは「そうだよねえ」といちいち頷きながら、それでもちゃんと間合いを見計らうと、出来上がったばかりのゼネのシャツを皆の前へ広げて見せた。

「わあ、きれい」

 あんなに膨れていたサナも感嘆の声をあげずにいられないぐらい、それは見事な出来栄えだった。薄い青地にとりどりの刺繍をほどこしたシャツは、ゼネにとてもよく似合う。これほどきれいなシャツを着るならやっぱり、見送るだけの見習いよりは下っ端でも出漁できる海獣漁師にふさわしいと思える。

 誰もが明日の漁の興奮に包まれていたところへ、ホウチャンとゲンナが大型の馬車を繰ってやってきた。



 ゼネは真夜中に目が覚めた。まだ月は昇っていない。夜明けには間がある。もう一度眠ろうと目を瞑ったが無駄だった。

 ゼネのお祝いやら、未明の初漁の儀式やらと、大人達はウラカンが言っていたとおり準備に大わらわで、いまでも横の部屋では、声を潜めながら動く気配がしている。カラタもユアンも、今夜は寝ずに仕度に追われるのだろう。ゼネは家に帰り、クポリと一緒に儀式に向かうことも考えたのだが、ここできれいなシャツに着替え、両親と祖母や姉、叔父達に見送られて船に行く方が出漁という気持ちが盛り上がるような気がしてそのまま居座った。

 昼の疲れもあったせいか、食事をした後には横になったらすぐに眠りに落ちたのに、いまはどれほど自分に言い聞かせても、ちっとも眠れそうにない。

 風に乗ってきた森の香りが鼻を擽る。寝返りを打つと、横で寝ていた少年と目が合った。白い顔の中に丸く開いた黒い瞳が、開けきった戸口から入る星明りを映している。

「起こしちゃった?」

 少年はなにも言わない。ゼネをただじっと見つめる白い顔の、赤く薄い唇が笑みを作った。隣の部屋の物音。同じ部屋で寝ている姉の寝息。風が運ぶ森の音。少年はどんな音を出すことも無く、ただひたすらにゼネを見つめている。

「起こしちゃったみたいだね。俺、眠れなくなっちゃったよ」

 ゼネは体を起こすと、縁側へそっと滑り出た。少年もゼネの後に続いて出てくると、縁側の端に腰掛ける。ふたりはぶらぶらと足を揺らしながら、しばらくの間、静かに夜を見下ろしていた。

「あのさ、俺、夜が明けたら漁に出るんだ」

 少年にはなにも伝わらないのだとわかっていたが、ゼネはきちんと話をしておいた方がいいと感じていた。言葉は伝わらなくても、ゼネの気持ちは伝わるかもしれない。こんなにまっすぐに、ずっとゼネを見つめているのだから。

「おまえはさ、明日の船で大陸に行くことになったんだ。叔父さんがそう言ってただろう? わかったかな?」

 ホウチャンがカラタの家へ来たのは、少年を乗せる船が決まったと伝えるためだった。はじめは一週間後に出る貨物船がちょうどいいと決まりかけていたらしいのだが、明日出航する大型の観光船が定員割れをおこしていると聞いて、急遽その船に乗せてもらえるように話をつけてきたと言っていた。こんな小さな子供をいつまでも島に置いておくわけにもいかないと、ホウチャンはあちらこちらへ働きかけたらしい。

「叔父さんとゲンナが、船に乗って大陸まで一緒に行ってくれるって。だからなんにも心配いらないんだよ」

 少年はゼネを見ている。ホウチャンがゼネに言ってくれたように、ゼネは少年に、心配はいらないと何度も繰り返した。

「叔父さん達が大陸に連れて行ってくれたら、きっとすぐにとうさんとかあさんに会えるし、家にも帰れる。嬉しいだろう?」

 少年はゼネの笑顔に返事をするように、にっこりと笑った。

「でも、でもね。俺達は、もう会えないと思うんだよね」

 少年はにこにこと笑っている。やっぱり、ゼネの言うことなど、まったくわかっていないようだ。

 ゼネは少し躊躇ったが、そのまま話を続けた。

「もしも、おまえがまたこの島に来ることがあれば会えるかもしれない。その時は、とうさんか誰か、大人の人に連れてきてもらうといいと思うな。でもさ、おまえが住んでいるところがどこかはわからないんだけど」

 ゼネの頭にふっと、海の底にあるという島の景色が浮かんだ。そこには、ここと同じように大きな森がある。でもその森は長く太い海藻で出来ていて、常にゆらゆらと揺らめいている。鳥の代わりに魚たちが出たり入ったりを繰り返している。

「・・・俺は、俺、きっと、そこには行けないと思うんだ。どこだとしても」

 大好きなウラカンの顔を思い浮かべると、ゼネの表情は曇った。あんなにきれいでたっぷりと柔らかなウラカンが、ほんの3ヶ月島から離れていただけなのに考えられないほど痩せてしまった。そのことはゼネに、かなりの驚きと悲しい気持ちを与えていた。とてもはりきっていたゼネのお祝いの仕度も、ウラカンはすぐにばててしまって、早々に屋根裏の部屋に引っ込んでいる。

「行けないだろうなあ・・・」

 ゼネは少年を束の間見つめてから、話を戻した。

「おまえの乗る船は昼すぎに出るって言ってた。俺が漁から帰る頃には、もう島を出ているだろうな。使う港も違うんだ。俺はあの浜の漁港だけど」

 ゼネが指差した先に、いまは闇と溶け合って見えない海が広がっている。

「観光船っていうのは中の市から出るんだ。この間、行っただろう? ここからはちょっと遠いんだ。だから見送りには行けない。たぶん、もう、これっきりだと思う」

 ゼネはぎこちない手つきで、少年の柔らかな髪をそっと撫でた。

「俺、弟とかいないから嬉しかったんだ」

 どこに行くにもついて回るシイラがいるコーマを、ゼネはいつも羨ましく思っていた。家族の中に自分より幼い者がいることも、自分を尊敬を込めて見つめてくれる瞳があることも。ほんの短い間だったけれど、少年の存在はゼネをくすぐったくも誇らしい気持ちにさせたのだ。

「淋しいけど、仕方がないな」

 ゼネが視線を海へと戻すと、少年の頭も海へ向いた。海は昼間のようにはっきりと輪郭を見せない分、波の音とともに、すぐそこにあるように感じる。

「俺、海獣漁師になるんだ」

 ゼネの視線は、暗い海を越えて青い波間を走っている。波の上に高く飛び上がる海獣の姿もしっかりと見えていた。

 どれだけ反対されても、ゼネは自分が海獣漁師になることを確信していた。彼の中では決まりきった、わかっていることだった。この夜明けに、それはただの戯言では無くなる。

 ゼネは胸の前で、ぎゅっと両の拳を握った。少年は不思議そうにそれを真似た。そんな少年を見て、ゼネの顔は大きくほころんだ。

 もうすぐ月が昇る。昇って中天を越えたなら、漁期最初の儀式が始まる。

 そうしたら出航だ。船はあの海原を駆け抜けていく。海獣に立ち向かう2艘の船。クポリが長い腕をしならせて槍を放つ。

 思うだけで胸が高まる。

 ゼネは少年がじっと見つめているのを感じ、はっと気持ちをここに、縁側の上へと戻した。改めて少年の顔を見やり、笑いかける。

「一緒にいて、おもしろかったよ。元気でな」

 ふたりは月が昇るまで、黙ったまま寄り添って座っていた。



 バシシャンは芽を出した時からすでに枯れているように見える草で、火をつけると勢いよく燃えあがり、黒い種を弾き出す。パンパンと音をたてて燃える炎は、形や色を様々に変え、独特の匂いを種よりも広く撒き散らす。それは見る者によって異なる幻想を呼び起こさせる。海に関する儀式には不可欠なものだ。

 海獣漁では、漁期最初に出漁する船が儀式を司る。この儀式は神に大漁を願い、無事に漁期を迎えた感謝を捧げる。漁期最後の漁を終えた日にも感謝と、獲物の冥福と許しを請う儀式を行う。漁期最初の儀式を仕切った船は、最後の船になったとしても終わりの儀式は仕切らない。その時は、その前に漁を終えることを決めた船の頭に譲ることになっている。儀式は各港ごとに行われるから、このふたつの儀式の時期には、島中のどこからもバシシャンが消えてしまう。

 ゼネ達の船のある漁港の最初の儀式は、やはりコアツァ達が仕切ることになった。頭はもちろん、コアツァだ。

 バシシャンは船に乗る各船員の前、海に向かって立つ彼等の前に、うず高く山にして積まれている。ひとつ、目立って高く積んだ山の前には、顎髭を胸につくほど伸ばし、白に緑の縁取りの服を着た宗教指導者が立っている。これから祈願を始めるのだ。

 ちなみに、漁期最後の儀式の時には、バシシャンの山は大きくひとつだけ作り、宗教指導者がその前に立って、船員達は背後に一直線に並ぶ。

 満月は西の端、森の方角へ向かって動いている。沈むといくらもたたないうちに日が昇る。コアツァ達は誂えたシャツを身につけ、緊張した面持ちで立っていた。遠巻きに村中の人々が、じっと儀式の様子を見守っている。

 宗教指導者が詠唱を始めると、2艘の船に乗らない漁師達が、バシシャンの山に酒をたっぷりかけはじめる。漁港の、海獣漁以外の者も全員だからかなりの数の漁師達が、どんどんかけていくので、ゼネは酒の匂いで息がつまりそうになった。

 全ての人がかけ終えると、コアツァ達は一歩前へと進み出た。ゼネも隣のクポリに合わせて足を前に出した。

 全員が右手に持った松明を高々と掲げる。目前で祈願を捧げていた老人の声が止んだ時、今度はコアツァの自慢の喉が、儀式の言葉を朗々と唱え始めた。高く低く連なる言葉は空へと昇り、天の神へと届けられる。ゼネにはコアツァの声を聞く、尊い姿が見えるような気がした。

 言葉が途切れ、コアツァが右手を動かした。それを合図に、バシシャンの山に向かって一斉に松明が投げ込まれる。バシシャンの焼ける匂いがぱあっと辺りに広がり、炎は天を焦がし、観衆は息を飲み目を瞠った。

 去年まで、ゼネは背後の群集の中にいた。同じように、儀式の度に息を飲んだ。

 今年はバシシャンの前にいる。水平線から色を変え始めた海の前で赤々と燃え上がる炎は熱く、弾け飛ぶ種は顔も体も容赦なく打ちつけたが、痛みさえ気にならなかった。その痛みすら期待に拍車をかける役割を果たし、ゼネは高く揺らめく炎に見惚れた。

 見惚れながらも、クポリに教えてもらった詠唱の言葉を、兄達に遅れないように天に響かせる。自分の前で繰り広げられる幻想に捕らわれないよう気をつけながら、短いが難しい言葉をいくつもいくつも神に向かい投げかける。そんなゼネの姿を惚れ惚れと、けれどどこか不安も感じながら、両親や姉、祖母や叔父叔母達が見守っていた。

 バシシャンの山が崩れ落ち、辺りに漂った匂いは微かになり、観衆のため息とともに炎が消える頃、見計らったように詠唱が終る。

「行くぞ」

 ゼネは兄の声を聞いた気がしたが、気のせいだったのかもしれない。クポリは口元を引き締め、誰よりも早く船に跳び乗った。高い船縁を軽々と越え、さっと片腕を振る。漁港中の漁師達が、力を揃えて2艘の船を海へと押し出す。転がるように船に乗り込んだゼネは、大きな掛け声と共に、男達の満身の力によって海原へと送り出された。

 風が帆を膨らませた。浜にいる時は感じられなかった風が、いま、船を沖へと追い立てている。船を押し出してくれた漁師達も、船と一緒に横を駆けている友人達も、誰もが手を大きく振って歓声をあげている。

 去年まで、ゼネはあの中にいた。ああやって駆けながら、海へ出て行く兄達を見送っていた。左右に大きく手を振った時、ゼネはふいに目眩を感じて、船縁をぎゅっと掴んだ。

 遠くなる砂浜では、村中の人々がゼネの乗った船を見つめているに違いない。船からでは、すでにそれぞれの区別はつかなくなった。走ってきた友達も、ずっとゼネを見つめていた少年も、もうどこにいるのかわからない。ゼネがこの浜に戻ってくる前に、あの小さな男の子は、もっと大きな船に乗ってこの島を後にする。

――お別れだな。

 沖に出るにつれ、そんなちょっとした感傷すらも、ゼネはどこかに置き忘れてしまった。

――漁に出たんだ。俺も漁師になったんだ。

 すでにゼネの胸には、期待と興奮しか無かった。


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