プロローグ
聖暦1875年
それは、突然のことだった。俺の目に飛び込んで来たのは絶対見られない母の姿。そうだ、ありえない。普段俺を厳しく見つめている瞳は硬く閉じられ絹のようにきめの細かい肌が紅い染みに染まる。
「母さん!くそっなんで血止まんねえんだよ」
「落ち着け。今みんなに輸血を募ってる」
我を忘れ、母にすがりつく俺をドルクさんが引き剥がす。殴りかかろうと思ったが、瞳に移る哀しみの色を見て冷静さを少し取り戻した。
「そうだよな。今はうろたえてる場合じゃない」
脱げかけたパーカーを羽織り直し、ドルクさんに尋ねる。憶測でしかないが半ば確信を持って。
「母さんをこんな目に会わせたのってさ……」
人間だ。噛みしめるようにそう呟いたドルクさんは、目に涙をうっすら浮かべている。
「ごめんなさい。ドルク」
いつもより少しかすれた声が聞こえた。みんなを率いている凛とした姿からは想像できないほど弱りきっている。
「母さんっ」
「ルーフさん。謝るのは私の方です。貴方を守ると約束しながら、あなたをそんな目に」
早く輸血を!ドルクさんが狂ったように叫ぶ。
「ありがとう……こんな仲間に囲まれて私は幸せだったよ。出来るなら息子の成長を見届けたかったなぁ」
ドルクさんの手を取りながら母が絞りだすように言った。そして、そのまま母はゆっくりと目を閉じた。それからは、一人でずっと生きている。思い返せばその頃からだ。人間を信じなくなったのは。




