第1話 おじさんと魔女とゴキちゃん
無職、38歳、田舎暮らし。
俺のことである。
ひょんなことから仕事を辞め、家賃が安い田舎のアパートに引越した。
現在収入はないが、貯金を切り崩して生活をしている。
今のところ何とかなっている。
「フ〜〜……」
ベランダに折り畳み椅子を出し、そこで日光を浴びながら煙草の煙を吐き出す。
光合成をしながらの至福のひと時。
仕事を辞めてから始めた煙草も、今ではもう習慣となっている。
学生や会社員が通勤通学をしている朝のこの時間帯。
何にも追われることなく、煙草を吸いながらセロトニンを生成できるなんて、幸せだ。
まぁ、そんな平穏な時間も、
ドカーン!
アパートを揺るがす程の隣室からの爆音で、終わりを迎えるのだが。
「佐藤! 助けてくれ!」
隣の部屋のベランダの窓が開く音と共に、女性のヘルプが聞こえてくる。
ちなみに、佐藤とは俺のことだ。
佐藤由利。
全国ありきたり苗字のナンバーワン。
「今行くから待ってて」
「早く! 早く来てくれ!」
「はいはい」
俺は適当に返事をしながら、手に持つ灰皿に煙草を押し付けて消し、隣室へと向かった。
玄関を出て、隣の202号室のインターホンを鳴らす。
中から「開いてる! 早く!」と声が聞こえる。
「おじゃましまーす」
ドアを開けて中には入る。
うわっ、と声を漏らしてしまう程、中は散らかっていた。
いろんなものが散乱する部屋の中で、女性が1人、手に1本の棒を持ちながら涙目でこちらを見て突っ立っていた。
「佐藤、奴が出たんだ! 助けてくれ!」
女性は床に転がる散乱物を器用にぴょんぴょん飛び越えながら、俺の背中に隠れる。
202号室の住人である雪野椿、23歳だ。
雪野さんは俺の背中に隠れつつ、手に持つ棒で部屋の奥を指しながら、「あそこ! あそこにいる!」と悲鳴をあげる。
俺は棒が刺す方向を、目を細めながら見てみる。
カサカサ、と動く黒い物体。
ゴキちゃんだった。
「殺虫スプレー使えばいいじゃない」
「スプレーは処分する時面倒くさいから買わない!」
「さいですか」
自らの命に関わる話をしていることを察知したのか、ゴキちゃんが羽を広げ、ブーンとこちらにタックルを仕掛けてくる。
「おっと」
俺は咄嗟に避ける。
冷静にしてはいるけれど、俺もゴキちゃんが好きなわけではない。
俺が避けたことで、ゴキちゃんは雪野さんの顔を目掛けて飛んでいく。
「いや────! 来るな────!」
雪野さんは悲鳴を上げながら手に持つ棒──触媒をゴキちゃんに向ける。
「吹き飛べ────!」
俺は咄嗟に、両手を顔の前で交差した。
瞬間、触媒から放たれた衝撃波が、ドカーン! と周囲の物を吹き飛ばしながらゴキちゃんを襲う。
埃が舞う。
俺は咳き込みながら、片手で舞う埃を払う。
埃は少しずつ収まっていき、俺は雪野さんの方を見た。
なんと、衝撃波を耐えてみせたゴキちゃんが、雪野さんの顔に張り付く。
「────────!」
声にならない悲鳴を上げ、雪野さんはその場に倒れた。
「絶対、魔法よりも殺虫スプレーの方が安全でしょ」
散らかった部屋を見渡しながら、俺は小さく漏らす。
とまぁ、俺の部屋の隣には、魔女が住んでいたりするのだ。
魔法より殺虫スプレーの方が強いと思う。




