第一話 勘違い転移
「ふぅ……疲れた。もうやめた!」
俺は自室で一人つぶやきながら、数学の問題集を机の隅に放り投げた。
テスト前だから久々に真面目に勉強しようと思ったが、三十分も持たなかった。
どうせ分からないならやらなくても同じだ。そんな雑な言い訳をしながらベッドに転がり、途中まで見ていた異世界転生アニメの続きを再生する。
趣味はアニメとゲーム。
今見ているアニメも、最近よくある異世界転生ものだ。
俺だったら、この能力を持って転生すればもっと上手くやれる。
そんな妄想をしているうちに眠くなり、いつの間にか眠りに落ちていた。
「……さま」
何やら女の子の声が聞こえる。
気のせいだろうか。
「ラクトさま」
ラクト?
聞いたことのある名前だ。
というか、ネット上で俺が使っているハンドルネームだ。
ハンドルネームがリアルで女の子に呼ばれている?
その違和感に急に覚醒し、飛び起きた。
目を開けると、部屋で寝ていたはずの俺は、見知らぬ場所にいた。
薄暗い中でまず目に入ったのは、床に書かれた謎の模様。
そして周囲を見ると、燭台の上の蝋燭で灯りがともされている。
正面には、先ほど俺に声をかけてきたと思われる人が立っていた。
暗くて顔まではよく見えない。
それでも、蝋燭の灯りを受けて淡く光る金色の髪と、こちらに向けられた細い肩の線だけは分かった。
年は、俺とそれほど変わらないように見える。
だが、背筋を伸ばして立つ姿には、妙に大人びた落ち着きがあった。
「お休みのところ突然呼び出してしまい、驚かれているでしょう。私はアリシア・ド・シャンベル。この地を救っていただきたく、あなたをお呼びいたしました」
声は澄んでいて、言葉遣いも丁寧だった。
けれど、その奥にはかすかな緊張が混じっている気がした。
「……は?」
意味が分からなさすぎて、思わず声が出てしまった。
「おおぉ! 本当に成功したのか!」
他にも人がいたらしく、嬉しそうな声が聞こえた。
「お父様、ラクト様が驚かれますのでお静かに。ラクト様、ここはあなたがいらした世界とは異なる世界。私の術式で転移したのです」
つまり、まさかの異世界転移ってこと?
あれって本当に存在したの?
それに、急に救ってくれと言われても困るのだが。
「しかし、無作為に転移させたのではありません。思念共有の術式により、数多の人々の思念を読み、最も適切な力をお持ちと判断して呼ばせていただきました」
どういうことだろう。
もしかして俺にも、異世界転生もので見たことあるチート能力が備わっていたのかも。
「あなたの思念から、過去にたった一人で魔王と呼ばれる強大な敵を倒し、アルムンガードという世界を救ったことを確認しました」
なんか少し前にやったレトロゲームのリメイクで、そんな話があったような……。
「もしかして、思念って俺の記憶のこと?」
「はい。記憶そのものではありませんが、あなたの経験や感じたこと、考えなどの集まりのようなものです。他にも、大勢の仲間と集まって巨大な竜を倒したり」
まずい。
どう考えても、この前やったネトゲの記憶だ。
「さらに、多数の異世界に転生して、時を遡る能力を使ったり、強力な魔法を使ったり、多くの世界を救っておりました」
完全に異世界転生ものアニメを見たときの記憶じゃねーか!
「自分の世界に戻っているときは難解な書物を読み、異世界に転移する準備をしながら、異世界へ行くことを望んでおりました」
さっき一瞬だけ数学の問題集を開いて、異世界アニメを見て妄想した記憶だろ!
どれだけ都合よく解釈されてるんだよ!
心の中では大声で突っ込んでしまったが、口には出せない。
何とか誤解を解いて、元に戻してもらうことはできないだろうか。
「この術式は、百年間蓄積された魔力によって行う大規模術式です。慎重に吟味して正解でした」
勝手に正解にするな!
嫌な予感がするが、一応戻れるか聞いてみよう。
「えっと、ちなみに、一応聞くだけ聞きたいんだけど、元に戻してもらうことは……?」
そう言うと、アリシアの肩がわずかに落ちた。
暗くて表情までは分からない。
それでも、こちらの望む答えではないことだけは分かった。
「それは……できますが、魔力のない状態で術式を発動すると、成功する保証はありません。失敗すると、時空の狭間に永遠に取り残されることになります」
何を言っているのかは分からないが、絶対にマズイことだけは分かった。
どうやら、何とかして問題を解決しないといけないようだ。
異世界に本当に来たってことは、数々の異世界ものチート能力も本当だった可能性もあるし、俺にも何か備わっているかもしれない。
「いや、とりあえず聞いてみただけだ。ちょうど次の異世界を旅したいと思っていたところさ」
もう自棄になって、強がりでかっこつけることにした。
「アリシアに任せたときはどうなることかと思ったが、正解だったようだな。自室に案内して休んでもらって、後でゆっくり説明したらどうだ」
先ほどの男性の声だ。
どうやらアリシアの父親らしい。
興奮も落ち着いたのか、かなり魅力的な提案をしてくれた。
「そうですね。では、こちらへ」
そう言うと、アリシアは振り向いた。
扉が開き、火の灯ったランプを持った女性が姿を見せる。
どうやら電気はないらしく、部屋の中はまだ薄暗い。
女性は家族というより、使用人といった雰囲気だった。
「では、ラクト様、今日はお休みになってください。また明日、説明しますね」
アリシアにそう言われ、俺は女性に案内されて部屋を出た。
家の中とは思えない距離を歩いた先に、自室として用意された部屋があった。
広い部屋だった。
ベッドも机も、見慣れない家具もある。
だが、驚く気力はもうほとんど残っていない。
ベッドに横たわると、混乱した頭を整理する間もなく、俺は眠りについた。




