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第3話 悪霊狩りの皇太子さま

 私が呟くと同時に、右肩に重みが加わった。




【丁度食べ頃、かしら】




 全身に悪寒が走る声が耳元で囁かれ、次いで、その持ち主が私の視界に映った。


 巨大な蛇女。


 眼前にいたのは、そう形容するのが適当な怪物だった。


 長い黒髪に、凄まじい目力を有する同色の眼球。高い音を鳴らして震える細長い舌。胸から下は硬質な赤い鱗に覆われた蛇のものであり、両手には鋭い爪が伸びている。


 化け物だ。神話や童話に登場する、人食いの怪物に酷似した姿。




 怖い。恐ろしい。


 私はあまりの恐怖に呼吸の仕方すらも忘れ、また何も考えられず頭の中が真っ白になる。


 そんな私を正面からジッと見つめた蛇女は、不意に口元の笑みを深め……唐突に、その巨大な手で私の腰を掴んだ。




【歳は……十六といったところね。絶妙な頃合い。肉付きは少し物足りないけど、許容範囲。そして何より──】


「ぐ……っ」




 蛇女は乱暴に私の顔を掴んだ。




【この美しい顔! 良い、実に良いわ! 私、美しい顔をした女を食べるのが大好きなの!】


「──っ、ぁ……」




 首が絞められ、呼吸ができない。


 苦しい。痛い。意識を保っていられない。


 苦悶に喘ぐ私に、蛇女は上機嫌そうに言う。




【フフ、光栄に思いなさい小娘。だって、この美しい私の糧となることができるのだから】


「……」




 蛇女の戯言に反論する余裕もない。こうしている間にも意識は薄れ、気を抜けば今すぐにでも落ちてしまいそうなのだ。


 ほとんど機能していない思考。そんな現状で唯一理解していることは、為す術がない、ということ。


 非力な私では剛力な蛇女に抗うことはできない。


 回らない頭では打開策なんて見つからない。


 悪霊相手では──私の力は通用しない。




 詰みだ。これから私が何をしようと、死ぬ運命は変わらない。


 結論づけ、私は抗うことをやめて脱力する。


 こんな最期か。長きに渡って虐げられた末に、怪物に喰い殺されるなんて……我ながら哀れ。悲劇の物語も真っ青な結末だ。




 嗚呼、ごめんなさい、お父様。


 約束も果たせずに旅立つ私を、どうか、お許しください。




 亡き父に謝罪し、一筋の涙を流した私は、ゆっくりと瞼を下ろした──その瞬間。




「──痴れ者がいるな」




 聞き触りの良い、青年の声。


 微かな怒りを孕んだそれが聞こえた直後──斬。


 風を薙ぐ音と共に私の首を締め上げていた蛇女の右腕が切断され、私の身体が地面に落ちた。


 突然の解放。自由になった私は喉元を押さえて何度も咳き込み、荒い呼吸を幾度も繰り返す。


 一体何が起きたのか。


 徐々に明瞭になる意識と視界の中、私はゆっくりと顔を上げ──目を見開いた。




 絶世、という言葉がこの上なく相応しく思える美しい青年だった。


 闇を思わせる艶やかな黒髪に、紫水晶のように輝く瞳。高い背丈と、力強さと芯のある細い肢体。男としての色香を振りまく彼の端正な顔、そこに浮かぶ表情からは微かな怒りが見て取れる。


 そして何よりも私の注意を引いたのは──男らしい血管が浮き出た手に握られている、彼の背丈を優に超える大太刀。私では振るうどころか持ち上げることすら難しそうなそれを、彼は涼し気な顔で構えている。


 彼は、一体……。


 面識のない青年に見惚れながらも困惑していると、彼は一度私のほうに視線を寄越した後、再び眼前の蛇女を睨みつけた。




「人喰いの悪霊か……久しぶりに見た」


【よくも、よくも私の腕を──ッ!!】


「喚くな、耳障りだ」




 切断された右腕の断面から黒い血を流し、患部を左手で押さえ、苦痛に顔を顰めながら怒りの絶叫を挙げる蛇女。しかし美貌の彼は威圧にも全く恐れる素振りを見せず、私に大太刀の大きな鞘を手渡した。




「悪いが、持っていてくれ」


「た、戦うおつもり、ですか?」


「あぁ。いや、戦いとは少し違うな。これは──狩りだ」




 大太刀の峰に人差し指の腹を這わせ、青年は微かに表情を柔らかくし、告げた。




「案ずるな。既に勝っている」


「え?」




 彼の言葉の意味が理解できず、私が小首を傾げた──と、同時。




【う、うぅ──?】 




 困惑、混乱の声を上げ、ズシン、と蛇女がその場に倒れた。


 何とか起き上がろうと必死に藻掻いているけれど、何度も何度も失敗する。頭を揺らし、焦点の合っていない目をこちらに向けながら、自分が陥っている状況に困惑の声を漏らした。




【な、にが……】


「やはり、蛇狩りには酒よな」




 彼は珍しい黒いひょうたんを掲げ、それを揺らし、中に入っている酒の音を響かせた。




「天滝壺之酒あめのたきつぼのさけ。上等な美酒であると共に、古来より悪霊退散に用いられた清酒だ。彼の暴風雨の神も、この酒を用いて八つ首の蛇を退治したらしい」




 一歩、彼は蛇女に近付いた。




「どんな気分だ? 狩る側から、狩られる側になったのは」


【うっ……うぅ】


「まともに受け答えもできないか。構わん。さっさと首を差し出せ。楽に冥府へ送ってや──】


【まだ、よ……ッ】




 ふらつきながらも強引に身体を起こした蛇女は三日月に裂いた口から、ダラダラと涎を溢し──私を見つめた。




【極上の、極上の乙女が目の前にあるのよ!! 食べずに終わるなんてあり得ない! その血を、肉を、魂を──寄越せえええええええええ!!!】




 欲望を剥き出しに、蛇女は青年を無視して私に飛び掛かる。信じられない跳躍力。一息で距離を殺して、その牙で、爪で、悪意で、私を殺しにかかる。


 けど、私は動かなかった。


 動けなかったんじゃない。動く必要がなかったのだ。


 何故なら──。




「さらばだ──迷える魂よ」




 ──斬。


 彼は手にした大太刀を一閃し、蛇女の身体を両断。途端、その大きな身体は真っ黒な靄となり、地に落ちることなく風に攫われ消滅した。




 人を喰らう怪物をモノともせず、一太刀で葬るなんて……彼は一体、何者なのだろう。


 そんな疑問を胸に青年を見つめていると、彼は一度大太刀を振るい、次いで、此方に片手を向けた。




「鞘を」


「あ、はい。どうぞ」


「悪いな」




 彼は私に一言謝ってから鞘を受け取り、納刀。次いで、私に尋ねた。




「其方、名は何という」


「え? あ、えっと、私は──」




 水無月。咄嗟にそう名乗ろうとした私は、喉元まで出かかった声を飲み込んだ。


 今の私は家を追われ、奴婢として売られた身。


 もう、水無月の姓を名乗る資格はない。




「……霧花、です。姓は、ありません」


「霧花か」




 私が名前だけを名乗ると、青年はそれを復唱した後、近くに倒れていた人買い商人の亡骸を一瞥し、私に問うた。




「其方、奴婢か」


「……はい」


「……?」




 問いに私が頷くと、何故か彼は不思議そうに首を傾げ、私の顔を注視した。まるで観察でもするかのように。


 あ、あの……?


 彼の行動の意図が理解できず、私が目を丸くする。


 と、そんな私に、彼は顎に手を当て尋ねた。




「其方……俺と何処かで会ったことがあるか?」


「へ? ……え、えっと、初対面だと、思いますが」


「そうか? しかし、それにしては……いや、いい。人違いだな」




 私の否定に渋々記憶違いであると結論付けた青年は、不意に身に着けていた羽織を脱ぎ、それを私の肩に掛けた。


 温かい。柔らかく温かなそれに残る彼の熱が、芯から冷えた私の身体に沁み渡った。




「……あったかい」




 無意識に呟き、私は羽織の前を両手で閉じる。


 同時に、青年が私の前で膝をついた。




「状況から察するに、其方は人買いに売られ、運ばれている最中に襲われた……間違いないか?」


「は、はい。その通りです」


「ふむ。つまるところ、其方には今、帰る場所がないということか」


「……お恥ずかしながら」


「いや、恥じることではない……では、霧花」




 青年は私の目を真っ直ぐに見つめ──言った。




「行く当てがないのなら──朝廷に来い」


「…………へ?」




 朝、廷?


 それって、皇族の方々が住まう場所じゃ──。


 困惑する私に、青年は構わず続ける。




「俺の屋敷で雇おう。丁度、下級官人が不足していると言われていたんだ」


「屋敷、官人って……あ、あの、貴方は、一体……」


「宵月帝よいづきてい霊明」




 名乗り、彼は──霊明様は立ち上がった。




「この国──海鳴ノ国(うみなりのくに)の皇太子だ」


「こう、たい、し……?」




 名前と身分を聞いた私は、数秒の間、固まってしまった。


 皇太子。皇位継承権第一位。将来の帝。高貴なる血族の御方……。




「…………………はい?」




 長い沈黙の末、私は現実を信じ、受け入れることができず、そんな素っ頓狂な声を零してしまった。

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