86 郷愁縁起編7 揺るがぬ決意
非常にマズいことになった。
俺は帝都の細い路地裏の物陰に隠れ、息を殺しながら頭を抱えていた。近くの路地を駆けていく数人の集団の足音を聞きながら身を縮める。
エバンの豹変は明らかにイディナの【精神感応】の影響だろう。まさかここまで影響が及ぶとは思ってもいなかった。最悪、帝都の住人全部が俺を武術大会に出場させようとするかもしれないということだ。
逃亡のために<山猫>の力を借りようと思っていた計画も練り直す必要がある。
それ以前に、この状況を乗り切る必要があるのだが、すれ違う人々が全て追っ手になるかも知れない状況というはなかなか厳しい。というか、こんなのまるっきり逃亡犯じゃないか。
『それについてだが、少しわかったことがある、というか予想だな』
俺が結構な勢いで絶望していると、不意にタマムシが話しかけてきた。
『仲間の皆の反応や、さっきのゴロツキどもの反応で仮説を立ててみたんだが……おそらくイチローのことを……ロウ・フチーチの事を知っていることがトリガーになるのだろう』
タマムシの話した内容はこういうものだった。
俺のことを稀代の英雄ロウ・フチーチであると認識し、その実力を知りたいと思った者は【精神感応】の影響を受けるのではないか、というものだ。
先ほどの<山猫>のアジトでの乱闘も、参加せずに呆然としている者が何人かいた。その者達は俺がロウ・フチーチであると知らなかったか、興味がなかったからではないか。逆にエバンは俺の実力に興味があり、かつ武術大会のことを聞かされたため、それを見てみたいと考えてしまった。その想いが【精神感応】の影響で増幅され、俺がそれに参加するべきだと考えた、ということだ。
では仲間達の反応はどうか。俺の大会出場は当たり前のように感じているようだったが、それ以上に自身や他の仲間の力を試すことに腐心していたように感じる。つまり、イディナは俺と俺の仲間達の力を知りたいと思っていて、その想いが周囲に伝染し、似たような事を少しでも考えていると、それが増幅されるのではないか。
俺はタマムシの話をきいて納得した。確かにそう考えるとつじつまが合う。あくまでも現段階での予測なのでまだ確定ではないが、もしそうなら俺の正体さえ隠し通せば一般の人は普通に接してくれるのではないかという事だ。だが一方でエバンが【精神感応】の影響に囚われたのは非常にマズい。彼はおそらく<山猫>の幹部だ。組織のネットワークを使い、手配でもかけられると、俺の行動はかなり制限されることになる。
その上、実は建国祭までまだ十日以上ある。最初の計画では今のようにそこまで大げさに考えていなかった。建国祭の前日か前々日に逃亡し、スラムの安宿にでも身を隠し、武術大会が終了するまで、ほんの二、三日やり過ごすつもりだったのだ。だが、そういうわけにはいかなくなった。
「大会ではいいとこ見せなきゃな」
先日、きつめの訓練を終えたあと、汗を拭いながら俺の口からでた言葉がこれだ。
言った後俺は自身の言葉に愕然とした。いつの間にか俺自身も大会に出て当たり前だと感じ始めている。明らかに【精神感応】の影響だ。
脳内にタマムシがいるからその手の精神操作には耐性があると思っていたが、完全には防げないようだ。
【精神感応】の効果範囲がどれくらいなのかはわからないが、少なくともこれ以上屋敷にはいられない。俺はタマムシとともにいくつかの計画を練り、ある程度の準備が整えて早急に逃げ出した。
そしてこの状況だ。
どこか安全な場所で落ち着いて今後のことを考えないといけない。そして心を強く持たなければ。
俺は痛いのはイヤなんです!
改めてそう強く念じる。
「おい、そこのお前、フードをおろして顔を見せろ!」
物陰に座り込んでいる俺に通りがかった男がいきなり声をかけてきた。追っ手だ。
俺は座ったままゆっくりとその男の方を向く。
「早くしろ!」
男は、俺の緩慢な動作に苛ついているようだ。
「なんですかぁ? いきなりぃ」
俺は酔っぱらいの振りをしながら、ゆっくりとフードをおろす。
男は俺の顔を確認し、舌打ちした。
「おい、お前のようなフードを纏った二人組を見なかったか?」
俺は男の問いにゆっくりと首を振る。
「旦那ぁ、それより表通りはどっちですかねぇ? ちぃっと迷っちまって……」
俺の問いかけに男はもう一度舌打ちした。
「お前余所者か? 紛らわしい格好しやがって……向こうの方角だ。表通りに近いほど壁の漆喰が白くなっていく、それを目印にしろ」
男はそう言い残すと足早に立ち去った。口調は荒いが親切な人だったな。ツンデレか?
今現在、俺の髪は金髪に近いと言っていいほどの明るい茶髪になっている。逃走の準備の一環として、屋敷のメイドを通じて髪の色の脱色をする薬剤を入手しそれを使用した。その上で伸びていた髪をバッサリと切っている。だいぶ印象が変わっているはずだ。そして、俺はエバンの前でもフードをおろさなかった。英雄ロウ・フチーチは黒髪の青年だというのは有名な話だし、そういう先入観があるはずだ。そこを突くためだ。
俺だって昨日今日の思いつきで逃走を計っているわけではない。
絶対に逃げ切ってやる。
しかし、これからどうするべきか。人通りの多い表通りの人混みに紛れた方がいいのか、それともこのまま路地裏を逃げ回り、スラムのような場所を目指した方がいいのか。
どのみち帝都を離れるつもりではあったがなるべく急いだ方がいい。
【精神感応】の影響範囲をラステイン家の屋敷周辺程度だと見積もっていたのだが、エバンが影響を受けた事実を鑑みると、その認識を改める必要がある。下手すると帝都全体が影響下にあるのかも知れない。となると、<山猫>だけでなく、衛兵などの国家権力を利用した、積極的な捜索も考えられる。
つまり、帝都の表と裏の勢力、どちらからも追われることになる。やはり人混みは避けるべきか。
「ご無事ですか? マスター」
とりあえずこの場を離れようと少し歩いたところで、目の前にメイが突然現れた。屋根の上から飛び降りて来たようだ。
メイの機動力は以前より格段に上がっている。よくは知らないのだが、俺が寝込んでいる間にミシアやエリー、アンナが中心となってメイの強化改造が行われていたらしい。
先日の大騒ぎの際、俺は<山猫>の依頼を受けたダナよってあっさりと拉致されてしまった。エリーやトア辺りが、そのことに改めて危機感を持ったようで、俺の護衛であるメイを強化しようと言う話になったらしい。
普通の人間は生きていく上でどうしても隙が生じる。起こるかどうかもわからない襲撃に備え四六時中緊張しているのは無理だし、睡眠や食事、生理現象を催した際などは無防備になりやすい。
その点、自動人形であるメイはそういった隙がない。睡眠や食事も必要ないし、喜怒哀楽といった感情はあるようだが、精神的に疲労を感じたり、緊張や弛緩と言った心の揺れもあまりない。つまり、油断することがない。その上、一応は人形なので、常に一緒に行動しても俺の精神的負担になりにくい。というような理由で俺の身辺警護をまかされている。
俺の身の安全の為、ということで、ハルやエリーからの積極的な素材の提供もあり、かなり大がかりな強化が行われたようだ。
以前から頼もしい存在だったが、今の俺にとってはまさに最後の頼みの綱だ。
メイと共に暗くなり始めた路地裏を歩く。メイは夜目が効くようだが俺はそうではない。用意していた魔石式のランプをつけようか悩んだが、そのまま進むことにした。
メイは北や南と言った大まかな方角は分かるようなので、時々確認しながら南東の方角へ進むように指示する。その方角の帝都の外壁のそばに大きなスラムが街あるらしい。あまり治安は良くないそうだが、身を隠すにはそこしか思いつかない。
時折身を隠して追っ手をやり過ごしながら、しばらく黙々と歩く。だが、スラム街の方角に進むにつれて、追っ手の数が増えているように感じる。考えが読まれているようだ。細い路地に入り込み、しばし考え込む。
追っ手をなぎ倒し強引に進むことはメイがいればそう難しいことではない。だが、それでスラム街にたどり着いたしても、俺がそこに潜伏していると宣伝しているようなものだ。いずれ追いつめられるだろう。かといって、他の潜伏場所に心当たりがあるわけでもない。どうしたものか。
「なぁ、アンタ。困ってるなら手ぇ貸そうか?」
細い路地の入り口から不意に声をかけられる。すでに辺りは暗く月明かりもほとんど差し込まない路地は真の闇に近い。声をかけてきた人物はシルエットぐらいしか判別できないが、小柄な人影だ。そして、その声には聞き覚えがあった。
声変わりする前のような少し高い声。
「もちろん、タダじゃねぇけど」
俺を酒場からアジトまで案内してくれた少年だ。俺が黙っていると少年は勝手にしゃべり出した。
「アンタ、連中に見つからない様にスラムに行きたいんだろ? オレの寝床もそこだから帰るところだったんだけど、駄賃をくれるなら連中に見つからないように連れて行ってやるよ。どうする?」
大変魅力的な提案だが、俺はそれを鵜呑みにするほどアホでもない。罠を疑い返事に迷う。たとえば、スラムに案内すると見せかけて、連中のアジトに連れて行かれる、とか。
俺は少し考えてそれならそれでかまわないと判断した。どのみち強行突破も視野に入れていたのだし、もし罠なら食い破るだけだ。……メイが。
「わかった、頼むよ。俺こういうのよくわかんないんだけど、いくら払えばいい?」
少年は俺の言葉に少し考えるそぶりを見せたあと、指を二本立てた。
これには少し困ってしまう。俺はこの国のお金の価値が未だによくわかっていない。銀貨や銅貨があるのは知っているし使ったこともある。だが、当たり前の話だが物やサービスの価値が日本とはまるで違うし、こんな物がそんなに高いの? と思うこともあれば、その逆もある。
指二本ということは、コイン二枚ということだと思うのだが、銅貨だけでも大中小の三種類あり、銀貨は大と小の二種類ある。大とか小とか言ってるが、大きさ自体はどれも似たようなもので、金属の純度で価値が違うようだ。大銀貨のことを純銀貨とか言ったりする。
うーん。こういうときはメイも頼りにならないし。ていうか、こういうやり取りホントに面倒くさい。はっきり幾らです、って言えよ。
俺は懐から小銭入れを取り出し適当にコインを一枚摘まみ、少年に向かって放りなげる。
少年は夜目が利くのだろう。コインを受け取って確認した。
「なぁアンタ、これ銀貨だぜ? 後で文句言われてもイヤなんだけど?」
そう言いながら、コインを差し出してくる。意外にいい子なのか? それともホントにトラブルがイヤなのか。
「あれ? ウソ? あー、出しちゃったからには仕方ないか、それで頼むよ。無事スラムに付いたらもう一枚払う。まぁ、次はさすがに間違えないけどね」
正直、幾らが相場なのかわからないので適当なコインを渡して反応を見るつもりだった。この暗さで勘違いした風を装う。
俺の言葉を聞いて少年は短く口笛を吹いた。
「マジかよ! ……後でやっぱり返せなんて言うなよ? ………こっちだ、付いてきな!」
そう言って歩き出した少年の後を追う。
少年は帰り道の途中で俺たちを偶然見かけ、しばらく後をつけながら様子を伺っていたらしい。そして、俺の様子を見てスラムに逃げようとしていると当たりを付けたそうだ。
俺達は尾行されていることに全く気が付かなかった。俺はともかくメイも気が付かなかったそうなので、その隠密技術は大したものだ。もしかしたらその手のスキルを持っているのかもしれない。
少年の後をしばらく歩き、やがて俺たちは路地の行き止まりに行き着いた。
もしかしたら罠かとも思ったが、少年は行き止まりに置いてある小さな物置小屋のようなものの扉を開けて中に入っていく。外から見ると畳一畳ほどのスペースしかなさそうな小さい物置で、こんな所に入ってどうするんだと思っていたら、扉を開けたところに地下に降りていく階段があった。
「灯り、持ってる? それか灯りの魔法」
小屋の扉を閉めると完全に真っ暗になるので、さすがに灯りがないと何も見えない。
「メイ」
魔石式の小さいランプがメイの持っている荷物の中に入っている。それを取り出して灯すことにした。
魔石式のランプは、持ち手のついたガラスのビンに魔石を入れると、ビンの底に描いてある魔法陣に反応して、魔石自体が発光するというものだ。それほど複雑なつくりの品物でもなく、ビンが割れたりしない限り故障することもないという。魔石の大きさで光量が変わるが、小さな魔石でもそれなりに明るく、魔石に込められた魔力がなくなるまで、数日は持つらしい。
小さい魔石の欠片は雑貨店などで比較的安価で手に入るので、松明や獣脂のランプより使いやすく、荷物にもならない。そのため旅人や冒険者が好んで使うという。ただ、ランプ自体はそこそこ高級品らしい。
「わっ、それ魔石のランプじゃん。自動人形の連れといい、アンタってもしかして金持ち?」
少年の問いかけに曖昧に返事をしながら、階段を下りていく。降りた先は幅三メートルほどの古い地下道のような場所だった。かび臭い匂いと少しだけドブの様なすえた匂いがする。
「今は使われてない下水道さ。この辺りは倉庫街だから排水もほとんど流れてこない。オレらの秘密の通路ってわけさ」
少年はやはり暗闇でもある程度目が見えているようで、しっかりした足取りで前を進んでいく。
俺は少し青白い魔石のランプの灯りで、足元を確認しながら少年の後を追う。
とりあえず追っ手を警戒する必要は無くなったので、俺は、気になっていたことを質問してみることにした。
「なぁ、案内してくれるのは有難いんだけど、その、……俺たちみたいな怪しいのをなんで助けようと思ったんだ? それに、面倒ごとに巻き込まれるって思わなかったのか?」
少年は俺の問いかけに足を止めることなく答えた。
「見てたぜ、アンタらの手並み。いっつも偉そうにしてる〈山猫〉の連中に一泡ふかせるとはやるじゃねぇか! しかも、あのエバンってやつは“山猫の爪”って呼ばれてる大幹部だ。そいつに喧嘩売るとはね!」
少年はそう言ってさも楽しそうに笑った。
「それに、あいつら、なんでか知らないがオレらみたいな子供に甘い。よっぽどのことをしない限り、無体なことはしねぇよ。もし捕まっても、アンタにナイフで脅された、とでも言えばオレは大丈夫さ。アンタがどうなるかは知らねぇけど」
〈山猫〉が子供に甘いのはニサの意向だろう。そうでなくとも、ニサの不幸な子供を救いたいという想いを周囲の者が尊重しているかもしれない。
そして、この少年はやはり見た目通りの年齢だということか。帽子を目深にかぶってるので顔つきや表情はわかりづらいが、見た感じでは十歳前後だろうか。
「そんなことより、アンタの事さ。いったい何やったんだ? 幹部が直々に話をすこと自体めったにないことなんだ。アンタ何者だ?」
俺は少年の言葉にどう答えようか少し迷った。
別に話す必要はないことだし、たぶん少年も俺から答えが返ってくることに期待はしていないだろう。だが、これは先ほど立てた【精神感応】についての仮説を検証するいい機会かもしれない。虚実を織り交ぜて話して、少年の反応を見ることにした。
「………俺は田舎から出てきた冒険者なんだけど、〈山猫〉に少し縁があってね。急に呼び出されて建国祭の武術大会出るように言われたんだけど、……それを断ったらあのざまさ」
「へぇ、アンタやっぱり強いんだな。言われた通り大会に出ればよかったのに」
「いやぁ、俺は全然弱いんだ。強いのはメイ……この自動人形さ。どうも勘違いされたらしくてね。それに俺は荒事が苦手なんだよ」
「へっ、あんだけ大暴れしてよく言うぜ」
「ははは……」
俺は乾いた笑いを返した後、息を飲んで少年の反応を伺った。
「ところで、田舎って、どこから出てきたんだ? 冒険者家業は長いのか?」
「……ああ、ガサの町って知ってる? しばらくはそこにいたんだけど。……冒険者家業はそんなに長くはないよ」
「ガサの町いていやぁ、大辺境だろ!? 中級に上がった冒険者が腕試しに行って、半分は死ぬって聞いたぜ? アンタやっぱり強いんじゃねぇか」
「さっきも言ったけど強いのはこのメイだよ」
そのあとの話題は、辺境の魔物の話や自動人形のメイの事だった。特に武術大会に出場することを進められたりはしなかったので、やはり、俺の事をロウ・フチーチだと認識しない限り、【精神感応】の効果は及ばないということか。
そんな調子で話をしながら複雑に伸びた地下道を歩く。
そして俺たちはついに目的の場所に到着した。
少年が階段を上り、出口をふさいでいる蓋の様な扉を押し上げる。
「アンタ、スラムは初めてか?」
出た場所は帝都を囲む外壁のすぐ傍のようだ。
「帝都のハラワタへようこそ」
少年はそう言って小さく笑った。




