97 郷愁縁起編18 正々堂々と
目の前には重厚な鎧を身につけ無骨な剣と大きな盾を持った若い騎士が立っている。
ローマのコロッセオのような闘技場で、俺は軽装の革鎧に身を包み片手に剣を持ってその男と対峙している。まぁ、ローマなんて行ったことがないけど、とにかくそんな感じの場所だ。
観覧席は超満員の大御礼。興奮した観客が何事かを大声で叫んでいるようだが、俺の耳には届かない。
俺は冷静だと思う。少し緊張しているが、恐怖も無いし、怒りや、興奮もない。たぶんタマムシが俺の感情を制御しているせいなのだが、若干のイラつきのような感情を感じている。
目の前の騎士の名はゼインなんとかというらしい。帝国騎士団第一部隊、副隊長だ。
彼の所持スキルは【鉄壁】。防御と打たれ強さが売りで、剣術はもとより盾の扱いに定評がある。ついた二つ名もそのまま〈鉄壁〉。今大会の優勝候補に名を連ねている。既婚者で最近一児の父親になった。甘いものが好き。……まぁそのあたりの情報はどうでもいい。
十メートルほどの離れた間合いで向かい合い、間に審判が立っていて、この試合のルールを説明している。
「時間無制限、あらゆる武器、技能を使ってもよいが、相手を死に至らしめた場合失格となる。よろしいか」
審判の言葉に俺もゼインも無言で頷く。今の説明にはなかったが、補足として毒物は禁止で、審判が戦闘継続不可能と判断した場合を除けば、降参の意を示すか、この場より自らの意志で立ち去ったりすれば負けとなる。
武器は真剣、メインの武器以外でも、サブ武器としてのナイフや、事前の申請は必要だが投擲用の小さいナイフや小道具も認められる。基準はよくわからないが、強力な爆弾のような魔道具は却下されることがあるという。この辺りの事は俺にとっては重要なことなのだが、とりあえずこの試合の持ち込み物は申請をして許可を受けている。だが、今後のこともあるので、あまりカードを見せたくはない。
チラリと貴賓席のイディナに視線を向ける。イディナは小さく首を振った。俺は軽いため息をつく。
「稀代の英雄と一番にやり合えるとは光栄だ。噂では色々と言われているようだが、拍子抜けだけは勘弁願いたいものだな」
ゼインはそう言って不敵に笑った。その笑みを見ながら、これからすることを思うと申し訳ない気持ちになるが、それは俺が悪いんじゃないと開き直る。
「……先に謝っておきます。覚悟はありますか? 俺は出来てます。……あと、どんな負け方しても怒らないでくださいね?」
「……面白い! いくぞ! ロウ・フチーチ!」
ゼインはそう言うと剣と盾を構える。審判の試合開始の合図を聞きながら、俺もゆっくりと剣を構えた。
武術大会は予選で選ばれた選手と、予選免除の前年の上位入賞者や、貴族の推薦を受けた実力者を含めて七十名近い人数で行われる。二ブロックに分けてトーナメント形式で行われる試合は全部で六十試合以上になるが、優勝者が決まるまで行われるらしい。
今年は特に参加者が多く、通常は参加しない特級冒険者や騎士団長クラスが多く参加した為、この人数になったそうだ。
しかもトーナメントの組み合わせも最悪だった。何人か出場している俺の仲間たちは、ほとんど俺とは別のブロックで、しかも出場者の人数の関係で俺は他の出場者より一試合多くやらないといけない。大会執行部による厳選な抽選の結果だという話だが、これはもちろん【七宝】の精神操作の影響だろう。
会場のどこかにこの状況にほくそ笑んでいるヤツがいると思うとむかっ腹が立つ。それがイラつきの原因だ。
『さぁ、いよいよ始まりました。かつてない規模での豪華な顔ぶれで行われるこの大会、実況はわたくしスナイダー、解説に帝国騎士団第二部隊部隊長を務めるマルダス・リトリッジ氏、そして、〈奉愛の杖〉でお馴染みのアンナ・トゥーティア氏でお送りいたします』
緊張感のなかジリジリと間合いを測りながら対峙している俺の耳に魔法で拡声された大音量の実況が飛び込んでくる。
スナイダーという人物はなにやら実況で有名らしく、この大会の名物的な人らしい。いつもは帝都の北のラグランの町で闘技場の実況をしているそうだ。
見た目は小太りの髪の毛が薄い冴えないオッサンなのだが、声とトークには定評があり、また皇帝陛下名の下に、ある程度の無礼講も許されているという。つまり、貴族位を持つ様な騎士や戦士の試合を実況する際に少々の失言というか、ありのままを実況することが許されているらしい。
解説者については……何も言うまい。
『第一試合は帝国騎士団第一部隊の副団長〈鉄壁〉ゼイン・ゼラニアス、対するは、昨今何かと話題の稀代の英雄〈古竜の主〉ロウ・フチーチ! 初戦から豪華なカードですが、どうですか解説のマルダスさん、マルダスさんは両選手共に面識がお有りとのことですが』
『そうですな。ゼイン殿の防御はその二つ名の通り正に鉄壁。ロウ殿がそれをどう切り崩すか、ですが……正直、正攻法では厳しいでしょう』
『そうですか。アンナさんはどうでしょう』
『ロウ君が勝と思いまーす』
『おおっと、その理由を伺ってもよろしいでしょうか?』
『だって、私のギル君に勝ったんだよー。こんな所で負けるわけないよー』
『〈剣鬼〉ギルバートに勝った、という噂ですね。その辺りのことも詳しく……おっと、動きがあるようです』
なにやら勝手なことを言っているようだが、あとでクレーム入れてやる。
あーイライラする。
だが、ここで短気を起こしたりはしない。当初の作戦を粛々とやるだけだ。
まず相手を観察する。この試合に臨む前にあらゆる手段を用いて対戦相手の事は徹底的に調べている。戦闘スタイル、好む型、癖の様なもの、性格、装備品の性能などだ。集めた情報を基にミラやギルバートに協力してもらってシミュレーションも行っている。
だが、当たり前の話だが実際に戦うのはこれがはじめてだ。
回避を主体に剣を合わせ、【思考加速】も使いながら、慎重に自分の中のイメージとのすり合わせを行っていく。
思っていたよりも剣撃は鋭くない。相手も様子を伺っているというところか。だが、盾の使い方が想像以上に抜群に上手い。攻撃が通るイメージが沸かない。
こりゃ無理だな。
そもそもが無茶な話だ。ゼインは、というか、こんな大会に出るような人たちは、十年以上、下手したら二十年以上も剣術の鍛錬をし、そして実戦も経験している。その上皆何らかのスキル所持者だ。超人オリンピックかってーの。剣を握って半年程度の俺が勝てる訳がない。才能とか以前の問題だ。なんだこれ。俺はジェロニモか? 叫べばいいのか? 雄たけびを上げればいいのか?
「どうした? その程度か?」
ゼインはそんなことを言いながら切りかかってくる。コイツには恨みは無いが、ムカつく。
ムカつくが短気は起こさない。俺は要所要所で【思考加速】を使いながら丁寧に躱していく。偶に手を出すが当然防がれる。【鉄壁】スキルの効果か当たっても効かないし。
まぁ、最初から倒す気もないのだが。
俺が狙っているのは持久戦だ。
対戦相手のゼインは防御主体の戦い方をする騎士だ。大きな盾と片手剣、そして立派な重鎧を身に纏っている。その重量は三十キロを超えているだろう。下手したらもっとあるかもしれない。
対する俺は革の胸当てと厚手の布の服という軽装だ。そして、こちらからの攻撃は最低限に控え、相手の攻撃も受けずに躱すように心がけている。
実戦での空振りは疲れる。振った剣に振り回されて態勢を崩さないように余計に体力を消耗するからだ。
戦闘用のスキルを持つものは、デフォルトで身体強化の魔法がかかっているような状態なので、スタミナも底上げされているような状態だという。だがそれも織り込み済みなら脅威ではない。
何時間だって、丸1日だって戦ってやる。
二時間ほど戦っただろうか、ゼインの動きが目に見えて鈍ってきた。
そりゃそうだ。あんな重そうな鎧を身につけブンブンと剣を振り回していれば疲れるに決まっている。むしろよく持ったものだと感心する。俺なら三十分も持たないだろう。
ゼインの手数も極端に減り、動きも精彩を欠いている。おそらくスタミナを回復させるためだ。だが、ここで一気呵成に攻めたりはしない。俺のスタミナはまだまだ余裕だが、回避には集中力が必要だ。むこうが休憩するなら俺も休憩するだけだ。
すでに実況と解説は世間話状態に移行している。マルダスの飼っている猫がどうたらという話をしているようだが、こっちは命懸けで戦っているのに暢気なものだ。こいつらもムカつく。
さらに一時間ほど経ったころ、ゼインの足がほぼ完全に止まった。俺は十分な間合いを取り、腰のポーチから水と携帯食料を取り出し口にする。
ゼインは離れた場所で呆然とそれをみている。
『おや。ロウ選手、なにか食べていますね。……どうやら申請によると、携帯食と水のようです。いやー、試合中に食事をした選手は初めてじゃないですかねぇ』
長距離のマラソンでも水分補給は重要だし、自転車競技では走りながら栄養補給をしたりもする。ましてやこの試合は時間無制限。どちらかが行動不能になるか、負けを認めるまで続くのだから、このくらいの準備は当たり前だ。
俺の様子を呆然と見ていたゼインは盾を捨てた。剣を両手に持ち猛然と切りかかってくる。俺の思惑に気が付いたということだろう。
まぁ、今更遅いけど。
三時間も戦っていれば相手の力量や癖も少しはわかる。ましてやゼインの体力は衰えている。見切ったとまではいわないが、回避に専念すれば凌ぐことはそう難しくない。
盾もなくなり、動きの精彩を欠いているので俺の攻撃も少し当たり始めているが、全く効いている様子はない。おそらくスキルの効果だろう。だが、今更焦って怪我をするのも嫌だ。もう少し弱らせよう。
ゼインは試合開始と同時に全力で攻撃するべきだったのだ。スキルによる防御力や打たれ強さを見越して捨て身で攻撃をすれば、勝負はあっという間についていただろう。実際最初の数撃が速さも鋭さも一番だった。
更に一時間ほど経っただろうか、俺もそろそろきついがなんだか楽しくなってきた。一種のランナーズハイの様な状態だろうか。常に冷静でいられるようにタマムシに脳汁の操作をお願いしているが、あまりに無理やり制御すると脳の負担が大きいらしい。まぁ、その辺のことはタマムシに任せている。
ゼインの大ぶりの一撃を躱したとき、体が大きく流れバランスを崩した。
来た。やっと巡ってきたチャンス。【思考加速】も全開にしてリミッターも外す。
俺は剣を投げ捨てゼインにタックルする。流れるような動きで右足を取り、膝を思いっきり捻ってからアキレス腱固め。この動きも何度も練習し、シミュレーション済みだ。手加減などしない。例え腱が切れようが骨折しようが、どうせこいつらは魔法ですぐ治る。
【鉄壁】スキルによって防御力が底上げされていたとしても、相手は人間だ。関節技に防御力は関係ないだろうという予想に基づいた攻撃。グリっという手ごたえを感じたらすぐに離れる。
投げ捨てた剣のもとに様子を見ながら走る。ゼインは身を起こし立ち上がろうとしているが、右足のダメージは深刻なようだ。剣を杖代わりにやっと立ち上がった。彼が治癒魔法を使えないのも調査済みだ。
実況が何かを喚きたてているがそんなのはどうでもいい。うるさいから静かにしろと言いたいのをグッとこらえる。
慎重に慎重を重ね、じっと我慢してやっと掴んだチャンスだが深追いはしない。俺の覚悟は別のところにある。それをわからせてやる。
実況の喚き声と歓声が収まってから、ゼインに声をかける。
「あのー、まだやります?」
ゼインは俺の言葉に足を引きずりながら剣を構え、睨み返してくる。
「なんのこれしき。俺はまだやれるぞ!」
「わかりました。とことんやりましょう。ところで最初に聞きましたよね? 覚悟は出来てるかって」
「ふん、例えこの身が砕けようとも……」
「あー、そうじゃないっす」
俺は手を前に突き出しゼインの言葉を遮る。
「俺が言ってるのはそういうのじゃなくて、この大観衆の中で、小便まき散らしながら戦う覚悟はあるかってことです。やりましょう。一日でも二日でも、どっちかがぶっ倒れるまで」
この言葉にゼインの動きは止まった。
「時間無制限で決着が着くまで戦う、そしていかなる理由があろうと自ら場外に出れば負けというルールですから、当然そのくらいの覚悟は出来てますよね? 最初に言った通り俺は覚悟出来てますけど」
「…………」
ゼインは黙り込んでしまった。あの足の状態では回避に徹した俺に攻撃を当てることは不可能だろう。それはゼインもわかっているはずだ。また、そう思わせるために全力で回避し続けたのだ。そして逃げに徹しても反則を取られるわけでもない。
戦闘という一種の緊張状態では尿意は催しにくいがそれでも限界はある。極限の戦場の兵士は小便程度垂れ流しで戦うという話を、時代小説か何かで読んだ覚えもあるし、命が掛かっていればそれも当たり前の話かもしれない。
だが、これは試合だ。
帝国騎士団第一部隊副隊長で妻子持ち。立場も世間体もある人物が、それをかなぐり捨ててでもこの試合に、俺との勝負に拘るというのなら、その心意気には答えるつもりだ。垂れ流しでもなんでもしてやる。
色んな意味で伝説の試合になるかもしれないが、俺はどうせ日本に帰るし。旅の恥は搔き捨て、というにはスケールが大きいが、知るか。もうどうにでもなれだ。
俺はルールにのっとってやっているだけだ。文句があるならこのルールを決めたやつに言ってほしい。
結局、ゼインは負けを認め降参した。体力的にも限界で軽い脱水症状だったようだ。
そして、この試合の後、以後の試合では一定時間ごとに給水とトイレ休憩の時間が取られるようにルールが変わった。




