33、呟き
「え、事故?まさかご主人といっしょだった、とか?」
「ううん、幸いにも違ったわ。8月になってすぐ、彼女から電話があってたの。それまでは、ふた月に一回ご機嫌伺いのメールがあるかくらい疎遠になっていたから、驚いた。『お話したいことがあるから午後お邪魔できるかしら?』って。 久しぶりだし、一日中子供の面倒見ていて代わり映えのしない毎日だったから、『いっそのことここで一緒にお昼食べない?』って誘ったの。 彼女、『じゃあデザートは私が買って行きますね。』って笑って答えた。でも、お昼を過ぎても、夕方になっても彼女は現れなかった。携帯にかけても電源が切れたままだし、送ったメールにも返事は無い。 珍しく早く帰ってきた主人に事情を説明していたら、電話が鳴ったの。ジムの支配人からだった。 お昼ごろ彼女がバイクで事故にあって、病院に担ぎ込まれたって。急いで二人して駆けつけると、両手と頭を包帯でぐるぐる巻きにされた彼女が酸素マスクを当てられて眠ってた。病室には彼女のお母様がいらして、お話を伺ったら、手術ができないほどの複雑骨折で長くはもたないと医者に告げられたと泣いてらした。次の日お見舞いに行ったら、朦朧としながらも彼女の意識は戻っていた。お母様が私のことを告げると、涙を浮かべてマスク越しにかすかな声で、『ごめんなさい、ごめんなさい』って言うのよ。『気にしないで、良くなったらまたゆっくり遊びに来てね』と言い返すと、かすかに頭を振って『ちがうの、ごめんなさい』って言うとそのまま目を閉じて泣いてた。意味が飲み込めないまま病院を出た翌日、お医者様の言ったとおりになっちゃった。」
「彼女、すべてを打ち明けるためにお宅に行くことを決めた。 そして、いろいろ考えながらバイクで向かっているときに 事故にあった…と。」
「ええ、だいたいそんなところね。だから、すごく責任を感じた。あの日私が断ってたら、バイクに乗ることは無かった。お昼を誘わなければ、ケーキ屋に回り道することはなかった。彼女早く来ようと急いでて、信号は黄色になってたけど勢いよく左折したの。だけど曲がりきれずスリップして、そのまま反対車線の大型トラックの下に挟まっちゃった。壊れたバイクとトラックの間に体が挟まれて、助け出すのが大変だったんだって。特別なレッカー車を呼んでトラックを持ち上げて彼女を引っ張り出し、瀕死の状態で病院へ運び込んだ。でも結局…。葬儀に参列した後、彼女が 『ごめんなさい』と言っていたと主人に話したら、彼、すべて話してくれた。ショックだったわ、裏切られてたってことが。主人に、そして彼女にも。」
額にうっすらかいた汗を拭いながら、彼女は湯船の端に腰掛けた。
「でも、不思議と冷静だった。というより、三人の関係ってなんだったんだろうって。彼女が亡くなった原因を作ったのは誰?私のつわり?主人が逃げたこと?それとも彼女の母性?答なんて出ないのはわかっていても、この問いかけからは逃げられない。」
「ママ~ぁ!」
脱衣所の扉を開けて、女の子が叫んだ。
「パパ、怒っちゃうよ。またおしゃべりしてたんだろうって。」
「あ、わかったわかった。今上がるから。」
「すみません、私がいろいろ訊いたもんだから、長くなってしまって。」
「いえ、とんでもない。私こそ気持ちよくおしゃべりしてしまって。あなたの彼にも申し訳ないわね。きっと待ちくたびれて怒っているんじゃないかしら?」
「大丈夫です。温泉に来ると、溶けてるんじゃないかと心配するくらい長湯なんですよ。それに、私に甘いっていうか、少々の事では
怒らなくなってますから。」
「ふふっ、本当に楽しそうに話すのね、彼のこと。」
ふと、彼女の話したことは自身の回顧ではなく、自分に対するなんらかの意図があったのではないかと緋乃には思えた。
「今は、ね。」
脱衣所への扉を開けたとき背中で聞こえた彼女のかすかな声が、耳の中で響いている。




