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  作者: 東郷十三
25/46

25、地獄蒸

 湯舟には、先ほどの老人と、同じグループと思しき三人の男性が入っていた。男性たちは、株で損したことや年末のゴルフで賭けに負けたことなど、身振り手振りを交えながら大きな声で談笑している。先ほどの子供は洗い場で父親に背中を洗ってもらっていたが、泡を流してもらうと懲りていないのかまた露天へと父親を引っ張って行った。 やがて一人二人と風呂から上がり、静かになった。冷えた身体も温まり、額に汗が浮かび始める。湯舟から出てさっと体を洗い、湯殿を後にした。長湯で喉が渇いていたし、なにより緋乃が待っているのではないかと気がかりだった。


 脱衣所を出ると、廊下の先に緋乃の背中が見えた。こちらを向いているボーイッシュなショートヘアの女性と話をしている。彼女の足元には髪の長い女の子が立っていて、緋乃の顔をじっと見上げていた。会話を割ってしまうのも申し訳なく、というより何を話しているのかが気になり、飲み物を選ぶ振りをして自動販売機の前に立った。

「…ほんと、辛かったわ。何もかも面倒になって、家事に手がつけられなかった。昼間子供といても、色々考えてばかり。いったいなんでこうなっちゃったんだろう。私がいけなかったんじゃないか、とか色々とね。」

「何か気が紛れることでもあればよかったんでしょうけど。」

「そうね。でも、結局は子供の世話をするしかなかった。朝から晩まで面倒見て、楽しいこともあったけど、病気したり怪我したりする度に自分を追い込んでしまって。」

「お子さん、体弱かったんですか?」

「下の子はね。よく言うでしょ、男の子は女の子より弱いって。熱を出したり下痢したり、そのたびに病院に抱きかかえて行ったわ。『抱っこ抱っこ!』、ってぐずるこの子の手を引いて。」

頭を撫でられた少女はくるりと背を向け、母親の脚に抱きついた。

「保育園とかには、預けなかったんですか。」

「子供が生まれたときに、二人で決めたの。他人様に預けると子供に無責任になるから、自分たちで育てようって。甘かったのよね、子育てに対する考えが。途中何度も後悔したけど、もう意地ね。いまさら楽ができるか、なんてね。」

「お強いですね。お子様もそういうお母様を見ているから、きっと…」

「今はこの子が弟の面倒を見るようになったから、ずいぶん楽。料理している間は遊んでやってくれるし、買い物に行ってもちゃんと手をつないで私のそばにいるし。少し前までは、二人ばらばらになって、どこに行ったのか探すのが大変だったのよ。」

「一姫二太郎、その通りお母様の右腕ですね。うらやましいなあ。私にもそんな子ができるかしら。」

「大丈夫よ。優しそうな方みたいだから。」

彼女は私に気付くとやさしい笑顔を見せ、目でこちらに挨拶した。

「私のおしゃべりが過ぎたみたい。退屈してあるわよ、あちらで。」

その声に慌てて押したボタンで、カフェ・オレが大きな音を響かせた。

こちらを向いた緋乃の顔には、例の薄笑い。

「あ、どうも。いや、種類が多くてどれにしようかと…」

「すみません。つい楽しくって、長話になりました。お体、冷えたんじゃありません?」

「いえ、とんでも。さっき浸かった、その、長々浸かって、喉がかわ…。」

「何、モゴモゴ言ってるのよ!」

こぶしで胸を小突かれた私をみて、女の子はクスッと笑って母親を見上げた。二重まぶたの下の、クルリとした瞳がかわいらしい。


「あれ、そっちも友達になったの? 」

振り返ると、先ほど風呂で話した男性が男の子を抱いて近づいてきた。

「また長話して足止めしてたんだろう。すいませんねぇ、止まらないんですよ話し始めると。‟口から先に生まれた”って言葉は、ウチのカミサンのためにあるようなもんで。」

「いいえ、そんなこと。色々とお話伺えて、楽しかったです。」

「そんな気を使わなくていいんですよ。どうせ僕のことを愚痴ってたんでしょうから。なあ、ママはいつもそうだもんな。」

言葉とは裏腹に、抱いた子供の顔を覗き込んだ頬は笑っていた。

「ここの風呂はほんとにいいんですけど、次は別のところに行かれませんか?ここからだとちょうど湧蓋山の向こう側になるんですが、"はげの湯"って温泉があるんです。変な名前ですが、そこは温泉と地獄蒸しが楽しめて…」

「もうお話したわよ、そこなら。お気に入りですものね。あなたこそ長くなるわよ、うんちくを語りだすんだから。でも、本当にいいところなんですよ。露天からは山が見えて、雪をかぶっていたり、緑がまぶしかったり。聞こえてくるのも、鳥の声、風の音、せみの声。ほんとにゆったりできますよ。それに、お風呂が広いのもお気に入りの理由。」

「おいおい、誰が長いうんちくを語るって? 後はお楽しみ、と言っといたほうがいいんじゃない?」

「あ、ごめんなさい。やっぱり私、おしゃべりね。」

「いやいや、それだけ話題をお持ちということですよ。私なんかそんなふうにはとても…」

「あら、意外!推理小説のカラクリまで解説してくださるのは、どこのどなたかしら?」

「ははは、やられましたね。しかし、お二人仲がよさそうだ。じゃ、僕らはこれで。また、どこかでお会いできるといいですね。」

「そうですね。では、お気をつけて。」

「そちらも。」

母親が会釈するのにあわせて、少女がペコリと頭を下げた。


バイバイと右手を振ったピンクのセーターの胸で、 笑顔のキティが大きく両手を広げていた。


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