第1話 金貨8万枚の告発
「フィオナ・レーヴェル。監査官を免職し、王宮への立ち入りを禁じる。そして速やかに王都から退去すること」
審問の場で、処分がフィオナに言い渡された。
審問官や王太子と並んで座る上司のベルナールは、フィオナを蔑むように、口の端に薄い笑みを浮かべていた。
嵌められた。
フィオナは悔しさに唇を噛みしめた。
―――きっかけは数日前に遡る。
◇
同じ荷馬車に、王宮は二度金を払っていた。
「間違いではないわ。四十七件、すべて同じだもの」
収穫月二日の深夜。王宮監査院に一人残ったフィオナ・レーヴェルは、軍務庁と財務庁の支払台帳を並べた。
〈北方第三便、薬草120箱。輸送費、金貨480枚〉
14日前の記録にも、同じ品目、箱数、荷馬車番号、御者の名がある。一度目は軍務庁、二度目は財務庁から、別々の名目で支払われていた。
小麦、鉄材、馬具にも同じ重複がある。確認できた過払いだけで金貨13200枚。保存期間内の三年分すべてに広がっているなら、被害は金貨八万枚に達するかもしれない。
三日後には、指定商会へ新たに金貨六千枚が支払われる。
フィオナの目的は犯人捜しではない。北方へ届いた荷と支払額を確かめ、誤った支払いだけを止めることだ。
彼女は12枚の照合表をまとめると、翌朝から予定されている西部の塩税監査へ向かった。王都へ戻り次第、上司に提出するために。
◇
「北方への共同調達費が、二重に支払われています」
収穫月五日。出張から戻ったフィオナは、財務庁次官ベルナール・オルセインの前へ照合表を並べた。
温厚な調整役として知られるベルナールは、十二枚すべてに目を通した。フィオナも五年間、その判断を信頼してきた。
「軍務庁が物資代を、財務庁が輸送費を払う。そこまでは制度どおりだね」
「はい。ですが、この四件では輸送費と物資代が同額です。荷馬車番号も一致します」
「書記の転記ミスでは?」
「その可能性を考え、支払命令書と商会の請求書も確認しました。別々の命令書に基づき、実際に二度送金されています」
同席した会計官たちの筆が止まった。
「確認済みの過払いは金貨13200枚です。三年分では、8万枚前後になる可能性があります」
「8万……」
会計官の一人が照合表を取り、最初から計算し直した。やがて青ざめた顔でベルナールへうなずく。
「三日後の支払いを止めたいのか」
「重複している四件だけです。正常な支払いは続け、北方各領の受領書と照合させてください」
ベルナールは指を組んだ。
「北方は冬支度の最中だ。支払いを止めれば、商会が必要な輸送まで止める恐れがある。疑いだけで兵や領民を危険にさらせない」
もっともな懸念だった。フィオナも数字を正すために北方の暮らしを止めたいわけではない。
「対象を四件に限定し、今日中に軍務庁の原本を確認します。誤りなら夕刻までに保留を解けます」
「分かった。支払官には私から話そう」
限定的とはいえ、保留の許可を得た。次の金貨六千枚が、そのまま流出する事態は避けられる。
「ありがとうございます」
「フィオナ」
退出しかけた彼女を、ベルナールが呼び止めた。
「大きな不正ほど、数字一つでは裁けない。決めつけず、慎重に進めなさい」
「はい」
忠告だと思った。軍務庁の地下書庫へ入るにも、次官の承認が必要だった。
だからフィオナは、発見した資料の所在も、確認に使う原本も、すべて彼へ報告した。
◇
軍務庁の地下書庫にあるはずの命令書は、消えていた。
「昨日までは、確かにここにありました」
書庫番が青ざめて棚を探す。管理簿には持ち出しの記録がない。
代わりにフィオナを待っていたのは、二人の近衛兵だった。
「フィオナ・レーヴェル監査官。執務机を改めさせてもらった」
卓上へ革袋が置かれる。中から転がった金貨は、指定商会の帯で百枚ずつ束ねられていた。
さらに、二重支払いを正当な支出へ書き換えた帳簿が出された。余白には、フィオナの署名と監査印がある。
「私が書いたものではありません」
「だが、印章は君のものだ」
印影は彼女の監査印と一致している。
フィオナは腰の印章入れを確かめた。封紐は切られておらず、中にも本物の監査印がある。
「複製です。二つの印影を重ねれば、彫りの違いが――」
「説明は審問で聞く」
近衛兵に敵意はなかった。机から金貨と改竄帳簿が出た以上、彼らが拘束するのは当然だった。
原本を確保する前に、発見した事実を話してしまった。
慎重に調べたつもりだった。それでも、信頼する上司を疑うという手順だけが、フィオナの確認から抜け落ちていた。
◇
二日後の審問には、王太子エドガー、監査院長、ベルナールが並んだ。
「その帳簿が作成された収穫月三日から四日まで、私は西部の塩税監査に出ていました」
「出張記録は確認した」
王太子が答える。
「だが、事前に作成して他人へ預けた可能性までは否定できない」
「筆跡と印章を鑑定してください」
「鑑定にはひと月以上かかる。北方への支払いを、それまで止めてはおけない」
北方の冬は待ってくれない。指定商会との信用が崩れれば、正当な物資まで止まる。王太子が結論を急ぐ理由は理解できた。
だが、理解できることと納得できることは違う。
「私を職務から外しても、二重払いの調査は続けてください。私の潔白とは別の問題です」
「命令書の原本はなく、北方からの受領書には正規の印がある」
ベルナールが告げた。
「現状では、二重払いがあったという前提自体を置けない。君一人の主張で北方全体を混乱させるわけにはいかないんだ」
白々しい、とフィオナは思った。しかし反論するには証拠が足りなかった。
数字は嘘をつかない。だが、数字を記した紙は消せる。別の紙へ置き換えることもできる。
フィオナは、それを知るのが遅すぎた。
監査官を免職。王宮への立ち入りを禁じ、調査終了まで王都から退去すること。
処分は即刻言い渡された。
助けを求めた父からの返事は、手紙に一行だけだった。
――妹たちの縁談に響く。疑いが晴れるまで帰ってくるな。
王都を後にするとき、雨が降っていた。
五年間通った監査院の門を出ても、見送りはない。
正しい仕事を続ければ、いつか正当に判断される。そう信じていたものまで、冷たい雨に流されていくようだった。
「レーヴェル様」
門前で待っていた乗合馬車の御者が、封書を差し出した。
「昨夜、クローデン辺境伯家の王都代官から預かりました」
雪角鹿の封蝋を割ると、簡潔な採用申込書と一枚の古い報告書が現れた。
三年前、フィオナが地方穀物庫を監査した際の報告書だった。表紙の端は擦り切れ、重要な箇所には何度も読んだ跡がある。
添えられた手紙には、こう記されていた。
――クローデン辺境伯領は、三か月後に資金が尽きる。
――私は王都の噂ではなく、あなたがやり遂げた仕事の内容を信じる。
――引き受ける意思があるなら、全帳簿を開示し、必要な権限を保証しよう。
署名の日付は、フィオナが告発するより前だった。
そして末尾には、王都代官による昨日の日付の追記がある。
――本日の処分を承知したうえで、辺境伯閣下は招請を撤回しないと回答されました。
フィオナは報告書を胸元へ引き寄せた。
王宮では、五年間の仕事より、机から見つかった金貨が信じられた。
けれど、会ったこともない人が三年前の仕事を読み、今日の悪評を知っても判断を変えなかった。
「北方行きの馬車は、いつ出ますか」
「明日の夜明けです。ただ、クローデンは相当危ないと聞きますよ」
「だから、監査官を探しているのでしょう」
声はまだ震えていた。
それでもフィオナは、採用申込書へ自分の名を書いた。
会ったこともない辺境伯は、三年前の報告書から何を読み取り、罪人とされた自分へ領地の全帳簿を預けようとしているのか。
そのすべてを知るには、クローデンへ赴き自分の目で確かめてみるしかなかった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
次回、フィオナは「三か月後に破産する」辺境領へ向かいます。
辺境伯が彼女を信じた理由と、領地を苦しめる金貨24000枚の借金。その正体を見届けていただけましたら、ブックマークで続きを追っていただけるとうれしいです。




