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第68話 分からねえけど大変なこと

 ランドールは目の前で起こっていることに理解が追いつかなかった。

 長いこと狩猟協会に勤めているが、小指ほどもない小さな火花で辺り一面が焦土と化すなど、聞いたことがない。

 しかもそれほどの被害を(もたら)したのが、大精霊ではなくただの微精霊だという。

 ましてや、それを目の前で目撃することになるなどとは、夢にも思っていなかった。

 それだけではない。

 それほどの大災害が間近で発生したというのに、彼は生きているのだ。

 何故なら、妖精と呼ばれる存在に守られたからに他ならない。

 妖精なんて伝説上の存在だ。

 実在するなんて夢にも思わなかった。

 今日1日で……いや、ものの数分でそんな貴重な経験をしてしまった。

 あり得ないはずのことが立て続けに起こったのだ。

 ランドール個人としては、心躍る出来事だ。

 だが彼は今、試験官としてここに居る。

 その職務を(まっと)うしなければならない。

 しかし(まっと)うしようにも、試験会場が焦土と化していては続けることができない。

 支部長に判断を仰ぐべく、身分証の通信機能で連絡を取ろうとしたが、魔力障害が酷いため、できなかった。

 仕方が無いので、直接向かうことにした。

 肺が焼けるような熱気の中、協会建物へと向かう。

 こんな状況で中は無事なのだろうか。

 正直そういう思いでいた。

 だがどういうことだろう。

 確かに協会裏手に面した窓ガラスは全て割れ、壁は黒く焼け焦げていた。

 しかし裏手から1歩表に繋がる小道に出ると、いつもの光景が広がっていた。

 肺を焼くような熱気は何処へ消えたのか。

 焼け焦げて灰すら残っていない真っ黒な地面と、何事も無かったかのように所々雑草の生えた地面が、まるで線を引っ張ったかのようにくっきりと分かれている。

 その境界を1歩戻ると、再び強烈な熱気が肺を襲ってきた。

 不思議ではあるが、今はそんなことに気を取られている暇はない。

 足早に表の入り口から協会の中へ入ると、いつも通りの光景が広がっていた。

 まるで裏手で起こったことは夢物語だったのでは、と思わせるほどいつもと変わりがない。


「あら? ランドールさん、もう試験は終わったのですか?」


 血相を変えて入ってきたランドールに声を掛けてきたのは、受付嬢のベリンダだ。

 例年通りなら、まだ一次審査が終わるくらいの時間だ。

 そんな時間に試験官であるランドールが戻ってくることはなかった。

 不合格者続出でさっさと終わったのだろうか。

 今年はそんなに不甲斐ないのかと思いつつ、聞いてみたのだ。


「ベリンダ! 裏庭には誰も近づけねえよう、通達しろ!」

「なにかあったのですか?」


 予想外の返答に、ただならぬなにかがあった可能性がある。

 怪我人かとも思ったが、少なからず毎年出るものだ。

 それに怪我人なら「近づけるな」はおかしい。

 普通なら救護班を呼ぶはずだ。

 そもそもそんな雑事は試験管自らすることではない。

 なんの為に補佐官が付いているのか、分からなくなる。


「なにかなんてもんじゃねえ。なにも感じなかったのか?」

「え、ええ。特になにも……」


 受付のある待合室は、いつもと変わらず閑散としている。

 時折協会員が来る程度で、今の時期は結構暇なのだ。


「マジかよ。どんだけ規格外なんだ……とにかく、誰も近づけるな! 今は危険だ」

「え!? ……わかりました」


 ベリンダはランドールがなんのことを言っているのかは分からなかった。

 だが受付として言われたことを(こな)すだけだ。

 受験者や他の者も気になるが、今は置いておこうと思った。


「あと、裏手の窓ガラスは全部割れてる。こっちも近づくな」

「一体何があったのですか?」


 さすがに窓ガラスが全て割れていると言われては、なにがあったのか気になってしまう。

 ところがなにがあったのか説明がしにくい上に、自分でも理解できていないランドールは、「精霊様と妖精様の共演だ」と適当に誤魔化して流した。

 そんな説明では、ベリンダは余計混乱するだけだった。

 精霊だけならともかく、妖精と言われ、逆にランドールの頭は大丈夫かと思ってしまったぐらいだ。


「俺は支部長のところに行く。いつものところに居るか?」

「ええ、今日は書類整理で籠もっておられるわ」

「わかった。後は頼んだ」


 説明不足で――といっても説明などできないが――なにがなんだか分かっていないベリンダをそのままにして、ランドールは足早に支部長室へと向かった。

 支部長室の扉の前まで来ると、身分証をパネルにかざした。

 急いではいるが、部屋の中には手順を踏まなければ入ることができない。

 面倒ではあるが、セキュリティーは大事なのだ。


「ランドールか? どうした、まだ試験の最中ではないのか?」


 パネルから男の声が聞こえてくる。

 当然であろう疑問を投げかけてきた。


「試験は一時中断してきた。ちょっと、いやかなりの問題が発生しちまったんだ」

「〝問題〟か……ふー、今開ける。入ってこい」


 会話を終えると、扉がすっと(ひら)いた。

 開ききるのが待てないランドールは、こじ開けるようにして中へ入った。


「支部長! 一大事だ!」

「落ち着けランドール。なにがあったのだ?」


 支部長と呼ばれた男は、自分の机に向かって書類の束を睨んでいた。


「支部長こそ落ち着いてる場合じゃねえ! 裏の広場が大変なんだ。」

「どう大変なんだ?」


 ランドールの〝大変だ〟は、毎回大したことがない場合が多い。

 それが分かっているから慌てているランドールを気にも留めず、書類と格闘を続けた。

 話半分で聞いていれば、事が済むのだから。


「俺にもなにが起こったのか現実離れしすぎててよく分からねえが、とにかく大変なんだ。今日はこれ以上試験を続けんなあ無理だ」


 「分からないのに来るな!」と言いたいところではあるが、秘書の手前、グッと我慢をする。

 予想通り大したことはなさそうだ。

 しかし試験官としては優秀な男だ。

 その男が「無理だ」と言っている。

 もしかしたら本当に大変なことが起こっているのかも知れない。


「相変わらず報告ができない男だな。お前が分からないのであれば、私も判断に困るだろう。何故継続が不可能なのか、説明を――」

「ああ、もう面倒くせえ! いいから付いてきてくれ!」

「ふー、落ち着きがない男ですね。まったく」


 支部長は隣の机で同じように書類と向き合っている秘書に書類仕事を任せると、立ち上がった。

 いつものように落ち着き払っている支部長にしびれを切らしたランドールは、支部長の腕を掴むと引っ張って走り出した。

 一分一秒を争うが如く急ぐランドールを見て、さすがに支部長もなにかを感じたようだ。

 受付の前を通り抜けるとき、ベリンダがなにかを叫んでいたようだが、ランドールは気にせず走り抜ける。

 玄関から外へ出て裏手の広場へと向かう。

 向かう間、特段変わったことは無かった。

 それなのに、広場があまりに変貌を遂げていたので、支部長は言葉を失った。

 なにをどうすればこのような光景が広がるというのだ。

 そもそも何故誰も気づかない?

 ランドールがやってくるまで、誰もこのことを報告に来なかった。

 本当に誰も気づかなかったのか。あるいは報告することができない状況だったのか。それすらも不明だ。

 その気づかなかった一員に、自分が含まれていることにも気づけなかった。

 ただ分かるのは、広場が使い物にならなくなっているということだけだ。

 不思議なのは、こんな状況になったのにもかかわらず、ランドールは五体満足だということ。


「……はっ。ランドール! 受験者たちは無事なのか? 他の者は?」


 まさか死傷者が出ていないだろうな。

 そんなことが彼の脳裏に(よぎ)った。

 怪我人が出るのは毎年のことではあるが、死者はここ何十年も出ていない。

 しかし現状を見て、彼はその不祥事を覚悟をした。


「妖精様がお守りくださったので、誰も怪我はしてねえ。ほら、あそこだ」

「妖精様?」


 なにを言っているんだと思った彼だが、ランドールが指をさす方に目を向ける。

 そこには全員が一カ所に集まっていた。

 その人集(ひとだか)りに、人々から感謝をされている、小さな生き物が飛び回っていた。


 あれが妖精だというのか。


 よくみると、彼らの居る辺りは、周辺と違って青々と草が生い茂っていた。


「確かに、これはよく分からない状況ですね。そもそも何故あなたが直接私の元に来たのですか? あなたが残り、補佐官に使いをさせればよかったのではないですか」

「それは……あれだ。それだけ大変だったってことだ」


 やはりこの男には報告能力がない。

 聞くだけ無駄というものだ。

 そう考え、補佐官に話を聞くことにした。

 その為に2人も付けたと言っても過言ではないからだ。


「ジェイミー補佐官、一体なにがあったのですか?」

「支部長! それが、私にもよくは分からないのですが……」


 よく分からないと言いながらも、ランドールのように説明を放棄せず、起こったことを丁寧に話してくれた。

 (にわか)には信じられないことばかりを言っているが、もう1人の補佐官や受験者も頷いているのを見る限り、真実である可能性が高い。

 そして辺りを飛び回る6匹の小さな妖精のような存在を目の当たりにしてしまえば、信じざるを得ない。


「本当にそのようなことが……」

「あそこを見てください」


 ジェイミー補佐官が指をさす辺りを見てみると、三角形の茶色い地面があった。

 周りは焼け焦げた真っ黒な地面なのに、そこだけ切り取ったかのように綺麗な三角地帯ができていた。

 その三角地帯こそが、妖精の作った結界で守られた地だという。

 そのお陰で受検者は無事だったという。

 そして今我々が居る場所も同じだという。

 さすがにこれだけのことを、手の込んだ悪戯と片付けられるものではない。

 となると、ジェイミー補佐官の言っていることが真実であると信じざるを得ない。


「分かりました。確かに試験の続行は難しいようですね。ランドール試験官、試験は何処まで進みましたか?」

「ええっと、1次試験の最後の受験者で事が起こりやした」

「その者の合否は確定していますか?」

「いや、してねえ」

「それ以外の者は?」

「確定してねえのはそいつだけだ」

「わかりました。合格した者とええと?」

「20番だ」

「ふむ、合格者と20番は後日続きを行うものとする。日程は近いうちに連絡をする。以上だ」


 受験者からは文句が出るものの、支部長の決定は絶対だ。

 決まってしまった以上、(くつがえ)るものではない。

 後日と言っていたが、後始末で暫くはなにもできないだろう。

 アニカに八つ当たりをしようと試みる者も居たが、先のことを思い出し、勝手に怯えて近寄ることさえできなかった。

こういう報告しかできない人とは、一緒に仕事したくないよね

次回、アニカドナドナの危機

身体と心は別物なのだ

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