けじめ
俺の問いに鞠猫はあからさまな動揺を見せるが、同時に諦めの様子もみせた。知ってしまっている以上は仕方ないと考えたのだろう。
どうせ来るべき時が、話すべき時が少し早まっただけのこと。きっとそう考えたんだ。
「……おかしいですね、その話は千火さんにしかまだ話していないのに」
どうして知っているのだと疑いの目を向けられる。ジトっとした目に隠れて聞いていたなと訝しまれているのが明らかだった。
「別に聞いたわけじゃない。この街に鞠猫は今回の事件を解決しに来たと言っていた。それが終息した今、次はどうするのかと考えれば、必然的に次の依頼の場へと向かうと分かるのが当然じゃないか」
本当は彼女の疑い通りだ。隠れて聞き耳を立てていただけの話だ。けれど俺はそれを伏せて、尤もらしいそんな理由を話した。
「……そうですね」
彼女は納得したように溜め息をついた。
「知っている理由はどうあれ……その通り、私はこの街を出ます」
認めた事に俺は少しだけ動揺した。 ……いや、そうじゃない。自分の心の機微くらいは素直に受け止めよう。 ……俺はショックを受けたのだ。鞠猫が街を出ることを認めたことに。
「……そうか…やっぱしな…」
思い通りだなと表面上で繕ってはいたけれど、内心、その感情は穏やかでは無く心臓がドクドクと少しだけ煩くなっていた。
鴉皮鞠猫がいなくなる。その現実を俺は受け入れたくないと思っていたのだ。我ながら女々しいとは感じる。けれど、俺にとって彼女はそんな存在になっていた。
初めて出来た女の子の友達。
解術、防術の道具ありきとはいえ、自分に異常な好意を抱かず、そのうえでそれを否定しない唯一の存在。
自分を理解してくれる女性は生涯、千火さんただ一人だと俺は決め付けていた。そして自分から関わりを持ちたいと思う女性はいないと、持ってはいけない事だと決め付けていた。
俺は女性の心を捻じ曲げ、意思とは関係なしに縁を結ぼうとする力を理解し、分かっているからこそ相手を遠ざけなければならない。相手が勘違いするような行為は禁物としなければならない。それが戒めであると重じていた。
でも鞠猫にそれはない。超常殺しと云う常識外れではあるが、それだからこそ俺と関わりを持ち、常識を構築できる。
たった一人のかけがえのない人だ。
初めてだった。こんなに別れが惜しくなる人は。
「次はどこまで行くんだ?」
こんな言葉は嘘だ。次にどこに行くかなんて別にどうでも良かった。でも黙っていれば俺の『ワガママ』が溢れてきて止めどなく流れていきそうで、仮面の言葉でもいいから喋っていた方がマシだと分かっていたから仕方ない。
「ポーランドの方で原因不明の車両事故が起きていますから、そちらへ向かいます」
「ふーん……その次は?」
「さぁ……その車両事故の案件がどこまで長引くかで、受けられる依頼も変わりますから」
「じゃあ日本にも来るかも」
「確かにあり得ますね。でも東京とは限らないですから。それにこの近辺とは限りません」
当然だ。当然の答えだった。彼女は依頼により各地を訪れるのだ。次の地が何処であるかなんて分かるわけもないし、都内だとしていつまでいるか、何処に仮に泊まるかなんて予測出来ない。
俺にもそんな事は当たり前に分かっていたんだ。けれど……また会える確率が少しでもあるならそれを信じて、楽しみにもして、生きていたいと無性に感じてしまっていた。
「……なんだよ、じゃあもう会うこともないかもしれないのか」
怖かった。それを口にするのは。だって……
「はい。そうなる確率の方が高いですね」
こう答えるのが予測出来たから。
ズキリと心が痛む。はじめての感覚だった。何かを失ってしまったと、その辛さを訴える心臓からの信号。腕や足を失うとは違う痛みだ。喉の奥が渇き、舌が口内の上に張り付いたのが分かった。
「今生の別れってか……」
「言い得て妙ですね。それが相応しいです」
彼女は超常を狩る存在。そして俺にはその狩られる存在の血が流れている。
でも彼女の生きる世界と俺の生きる世界はあまりにもかけ離れている。それは俺が『人』として生きる事を選んだから。そして彼女からそれを選択していいのだと教えてもらったから。だから俺には彼女と一緒にいることは出来ない。もし一緒にいたなら『人』としての人生は遠ざかる。それに俺がそうしたなら彼女はきっと怒り出しそうだ。
だから俺と鞠猫は離れるのが必然なんだ。それが当然なんだ。
それに第一、俺も彼女も一緒にいたいだなんて口にはしていないのだから。
「……寂しくなるな」
「あら、嬉しいこと言ってくれますね。貴方にとっては私が来てから良い出来事よりも悪い出来事の方が多かったのに。分かりきった社交辞令だとしても、ありがとうと言っておきます」
「社交辞令だなんて」
「奏君を攻撃し、死に換算すれば何度殺したか分からない。それにミスリーにだって少なくとも一度は殺され……あの柴山とかいう男にも再生能力故に死ぬよりも恐ろしい目に遭わされ……そんな数日間を体験したんですよ? 散々でしょう」
「違う」
「私としても申し訳なかったと────」
「───違うって!」
俺は叫びはしなかったが言葉を強く遮った。彼女の言うように痛みも死も、辛く耐え難いモノだった。けれどそんなのは問題じゃなかった。それ込みにしたって彼女との出会いは素晴らしきものだったと胸を張って言えたから。
「本当だ。 ……本気で言ってんだ。俺……俺は鞠猫、お前に死ぬ程感謝している」
鞠猫は黙っていた。
「確かに俺の平穏は崩れたさ。でも……それでも……俺は鞠猫に会えてよかった。ありがとう……それしか思えない。感謝したってしきれない。お前が俺を強くしてくれたんだから」
「強く……?」
「心身共にな。人として意地を張るキッカケをくれた。その為に戦わなくちゃいけない事も教えてくれた。何もかもがガラリと変わったんだ。でもそれは苦しくても決して嫌なことじゃなかった。嫌悪できる道じゃなかった。 ……隣に鞠猫がいてくれたからだ。お前がいてくれたから自分自身と戦えて、ミスリーとも対峙出来た。本当にありがとうな」
俺は語彙力の無い感謝の伝え方に辟易した。でも今の俺にはこれが精一杯だった。
もう会うことはないかもしれない。いや、その確率の方が会える確率より何倍も大きいのは分かっていた。だからここで伝えなきゃ。俺の感謝しているという思いを。伝えきらなきゃ。
「ミスリーの誘いに乗りそうになった時叱ってくれてありがとう。俺の身の上話を聞いてくれた時、優しくしてくれてありがとう。お前の目的や指針を教えてくれてありがとう。俺を守りたいと言ってくれてありがとう……俺の友達になってくれて…ありがとう」
俺自身恥ずかしい事を言っている自覚はあった。けれど今しかないんだ。言いたいなら今の内に伝えなきゃならないんだ。もう……出会えないかもしれないんだから。
俺の言葉を聞いて鞠猫も顔が赤かった。そりゃ言っている本人の俺でさえ尋常ではない小っ恥ずかしさが身を包んでいたのだから、聞いている方だって平然としていたら逆に俺が辛いってもんだ。
そうして俺の言葉を聞き終えた彼女は、まるで居心地が悪そうに髪を少し摘み弄りながら視線をキョロキョロとさせる。逃げ場所を探しているような仕草だったが、俺が正面に座っている事もあった為か、結局諦めたように照れ隠しにエヘヘと笑った。
「……まさか…そんな風に言われるとは思ってもみなかったです」
赤くなった自分の両頬をムニムニとほぐす様に両手で揉む鞠猫。多分彼女の事だからごく自然にやっているのだろうが人によっては、あざといと貶される様な愛らしさのある仕草だった。
「はぁー……今日は奏君に恥ずかしくさせられてばかりですね……もう、貴方がそんなに情熱的な人だとは思いませんでしたよ」
「情熱的とは違う。お前が今生の別れだなんて言うからだぞ。伝えるべき事は全部今の内に言っとかなきゃ」
「だ、だとしてもですよ? そんなのは後でREINなり、メッセージで『ありがと〜』の一文くらいで良いじゃないですか」
「そんなのダメだ。媒体を介したんじゃ俺の気持ちは全部伝わんないだろ」
「ば、媒体って……奏君はレトロな感性の人ですね」
レ、レトロ……? まるで古い人間と言われている気がして俺はお前の私服の方がそう言う系統を内容しているぞと思った。
そして彼女がまた俺を小馬鹿にしているのではと疑った。
「……お前またからかってる?」
「それは私の台詞ですよ。まったく……女タラシを自然体で行えるのは淫魔の体質故か、それとも貴方の人間性の問題なのか……だとしたら本当の魔性ですね奏君」
俺自身真面目に話していると言うのにそれが鞠猫には伝わっていない様子だった。タラシ文句を吐いているつもりは無かった。どちらかと言えば焦っているのが現実だった。けれどどれだけ俺が気持ちを込めた所で彼女には本当の気持ちが届いていないのだろうか。そんな自信喪失が生まれそうになる。
「……フフッ」
しかし封を切ったようなそんな笑いが上がる。そんな俺を見ながら鞠猫は笑っていた。
「じょ、冗談ですよ。……フフフッ…な、何もそんな捨てられた子犬みたいな表情しなくても」
「ま、鞠猫……」
やられた。やはりからかってる。そう断言出来た。
「恥ずかしい思いをさせたから仕返しです。しかし……反応に困らされたのは本当ですよ」
「…………」
小さな笑いを鞠猫は意地悪そうな笑みに変えた。健康的な白い歯が覗く。
「でもそれは私も同じです」
「同じ?」
その言葉が俺には理解出来なかった。
「奏君に会えて良かった。そういう意味です」
俺は息を飲んだ。彼女からそう言われると心臓が少しだけ上がるような感覚を覚えるのだ。少しだけ息苦しくなった。
「私も貴方に感謝しています。貴方のような悩みを持つ超常の存在もいると知れましたから」
俺はその言葉に何か落胆のような物を覚える。『貴方のような悩みを持つ超常の存在もいると知れた』……その言葉が、数あるケースの中の一例としてカウントされているだけの様に聞こえてしまったからだ。我ながら考え過ぎだと思うし、なんとも恩着せがましい魂胆だと心で自嘲した。
言われた言葉だけでその真意を深読みしたり、間違った解釈をするのは自分勝手な行為だし、もし仮にそうだとしても彼女がどんな感情や思いを抱こうとそれは自由なのだから。
つまりは俺が気持ち悪い理想を鞠猫に抱いているに過ぎない話だ。本当に気持ちが悪いと思った。しかし───
「……いや違いますね───ごめんなさい奏君、私変な事言いました。ちゃんと告白します。貴方だってちゃんと思いを伝えたんですから。───私は貴方のこと、そんな真面目な視点では見ていませんでした。一介の超常殺しとして判断や会話を出来たのは最初だけです。途中からは貴方をただ一人の仲間として見ていました。超常殺しとしての冷静さや洞察力なんて貴方に対して働かせることだってしていなかった」
「…………」
「だからこれは私の……私個人の気持ちです」
鞠猫が笑って
「ありがとう奏君、出会えて本当に良かった。貴方は最高の友達です」
そう言ったから、
俺はそんな気持ち悪ささえ、忘れてしまったのだった。
二人の間には何か奇妙な情があった。友情と俺達は名指したけれど、それは厳密には違うと思った。勿論愛情とも違う。俺達は愛を囁き合った中では無かったし、そんな情を幼き頃に汚された俺にはそれは無い上、鞠猫もそんな素振りを見せたわけでもない。じゃあ兄弟愛? 博愛? それとも同情か?
どれもこれも違うと俺は思った。でもそれで良いと思っていた。決して相応しい言葉は無いと何となく分かっていたから。
だから……彼女が退院し、ある日突然貸していた部屋が蛻抜けの殻と化していても俺は然程驚く事は無かった。そしてテーブルに残された一通の手紙を手に取っても怒りや悲しみが湧く事は無く、何処か諦めにも似たものだけが残留していた。




