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嫌気

 

 空は高く、雲はひとつも無かった。



 学校を抜け出し、どこに行くかも決めてない俺は鞠猫に名前を呼ばれるまでその歩を止めなかった。



 「奏君……すみません、手を……」



 ハッとして足を止める。辺りを見渡してみれば、学校の最寄りの駅前であった。足は自然といつも通う道を歩んでいたようだった。



 そして続けて自分の手が掴んでいる鞠猫の右手首に気が付いて慌てて手を離した。掴んでいた場所は少しだけ痕になっていて、恐らく痛かっただろうことが窺えた。



 「ごめん!」



 咄嗟に謝罪の言葉を口にする。学校から駅まで十分程。その間鞠猫は何も言わず、俺の手を振り解く事さえせず、痛いとも声を上げなかった。多分俺の事を思って黙っていたんだとおもう。



 俺は彼女に疑われている身……なのに彼女は何も言わなかった。不思議だったけれど、それほど俺の様子は可笑しかったのか、鬼気迫るものだったのか、何にしてもまともには見えないものだったのだろう。その証拠に────



 「大丈夫ですか? 顔色悪いですよ」



 そう身を案じてくれた。



 「ああ……大丈夫……」



 正直大丈夫じゃなかったと思う。学校から駅までの記憶があまりない。ひたすらに歩を進めていた事だけ覚えている。



 けれど、以前彼女を更衣室で触った時の様な煽情的な心のザワつきは無かった。淫魔サキュバスとしての異性を求める様な欲望は無く、ひたすらに怒りや無力感に支配されていた。



 その怒りや無力感の原因である校内での一騒動を思い返すと口の中が苦々しく感じた。俺達の事を盗撮し輪を乱す素材として投下した何者かの悪事。俺は鞠猫の尊厳を守ってやろうとしたが、今思えば本当のところは自分の憂さ晴らしでしかなかったのかもしれなかった。



 普段から自分に向けられたレッテル。好印象。紛い物の好意。それは俺の魅了の力に原因があるとはいえ、俺自身にもストレスを蓄積させるものだった。当然だ、紛い物の感情を向けられて気分がいい人間なんていない。



 でもそれを解除する方法があるわけじゃない。持ってもいない。だから何も出来ずそのまま。俺に魅了される人間がどんどん増えるだけ。



 ────嫌だった。



 女の子から向けられる笑顔が。仕草が。香りが。髪のなびきが。声が。



 我慢していた。けれどダメだった。あの貼られた写真、そして周りからの勝手な意見。あの俺と鞠猫をターゲットにした空間。とてつもない嫌悪感と吐き気を催した。



 それこそ俺が『汚された』あの幼き数日間を思い出すほど。



 だから漏れた。俺の心の中の黒々とした『何か』が。偽っていた自分自身の仮面にヒビが入り、欠けた部分から本性が覗いた。



 ……鞠猫の尊厳を守る? 



 ……馬鹿言え、そんな高尚なもんじゃない。




 ただ俺は発散したかっただけだ。



 俺を妄想、希望、幻想で塗り固めるアイツらに。






 「大丈夫には見えませんよ」



 刹那だった。俺の手首に暖かさが生まれた。握っていたのは紛れもない鴉皮鞠猫だった。



 黒い感情に落ちていく感覚の中、その暖かみに引き戻される。



 その顔はいつもの真面目な堅物顔だったけれど、空の光か、アスファルトの反射光か、それもどちらでもよかったけれど、彼女の笑顔はとても眩しく、感動を覚えるほどに輝いて見えた。



 「こっちへ」



 そう言われ引っ張られる。



 思えば俺が自分から手を握ったのは千火さんを除いて彼女が初めてだった。



 彼女に握られて実感した。



 握るのも握られるのも鞠猫だったら嫌じゃないと。



 「それにしても驚きましたね」



 駅前のバス停留所付近に置かれた三人まで座れるベンチに俺は誘導され座らされる。そして一人分のスペースを俺との間に空けて鞠猫も座り、小さく溜め息を吐いてそう切り出した。



 「なんのことだよ」

 「何のことって……貴方がまさかあんな嘘をつくだなんて」



 鞠猫は暑いのか手でパタパタと顔を扇いだ。



 「変な汗かきましたよ」

 「そうだな……悪かったよ、咄嗟に思い浮かんだ嘘があれだったんだ。ああ言えばあれ以上詮索される事もないしさ」

 「まあ、そうですけど……良かったんですか? 私と兄妹だなんて。……私平気ですよ? 貴方に近寄った女として妬まれたって。別に特定の場所を決めて活動しているわけではないですから、どうせ事件が終息したらまた別の依頼の場所に飛ぶだけですし。そうなれば面倒事は奏君だけに降りかかることになりますが?」

 「……別にどうだっていいよ、俺の男友達はそんな事一々聞いてこないだろうし、女の子連中は詮索するなら無視すりゃいいし」

 「……そうですか」



 俺の言葉に鞠猫は会話を繋げなかった。二人ともこの数日間で一緒にいる時間は多くあったし会話もしたけれど、だからといって俺達は深く知り合った仲というわけでもないのだから当たり前かもしれない。そう考えるとさっきまでの、俺の周りに対する鞠猫を守らなければと思ったあの感情は何だったのかと思えてきた。



 いや、確かに彼女に向く嫉妬や疑いの視線は隣にいる俺にとっても気分の良いものじゃなかったけれど、現に本人から別に気にもかけないのにと言われると、あんな大々的に嘘を言う必要もなかったかなと思った。



 でも俺があんな嘘をついたのはもう一つの理由があった。ほんの小さな物だけど確固たる自信のある理由が。



 「なあ鞠猫」

 「はい、なんです?」

 「お前……さ……」

 「はい」

 「学校嫌いじゃないだろ?」



 隣に座り合う俺達の視線がはっきりと交差した。そして彼女の瞳が動揺に微震したのが見て取れた。



 答えを待つ間、通った車の音がやたらと大きく聞こえた。



 「どうしてそんな事を?」



 彼女が悠然と問いを投げてきた。まるで動揺などしていないというように。



 「いやだって……今思い返せば、俺を初めて殺した次の日、お前普通に学校に来ていたよな? 俺をカップル失踪事件の容疑者だと思っていたならあの時点で学校に通う必要性は感じないし……第一に世間を偽る為としても……初めから別に学校通う必要も無いはずだろ?」



 俺がそう答えると鞠猫は視線を逸らし、空を仰いだ。



 「……いや、まあそうですね……アハハ、恥ずかしながら全くその通りです」



 そうして俺を再び見た。



 「最初に断っておきますが、私は北海道の方から来たと皆様に言っていますが事実は違います。海外のアイルランドから来ました」

 「アイルランド……」

 「そこで師匠である人から幼き頃から超常ルナティックを狩る術を習い、この国にやって来ました。ある程度の学は師匠から教わりましたが、それでも学校などという機関に通ったことのなかった私は世間を偽る策として火吉橋高校に通う事にしました。正直浮かれてましたね。自分と同じ年代の少年少女と学問を学べる機会にトキメキました。だから貴方を殺し海に沈めたあの日、『組合』からの受取人に貴方の遺体を渡すまでの数時間を最後の時としてせめて楽しんじゃおうと思っていたのですが……結局貴方は蘇り、受取人の派遣もキャンセルする結果となりました」

 「俺を海に沈めていたのはそういう事だったのか」

 「数時間の間なら海に隠すのが手取り早いですし発見され難いですからね。 ……ああ……でもやっぱり私は学校が好きなんだと思います。奏君の言う通りです」



 あっさりと認める鞠猫は言葉を紡ぐ。



 「通い続けるには理由がなければ無理ですから、事件が長引けばその分通う時間は長くなりますが、そういうわけにはいきませんから」



 名残惜しい声色は無かった。



 「長く居るなら奏君の嘘も意味のあるものだったでしょうね」

 「……そうだな、それだったら意味もあったかもな」


あくまでいつもの調子の口調でそういう彼女に俺は答える。そうすると彼女は立ち上がった。



 「────さて行きましょう」



 少しだけ困ったように笑い、鞠猫が俺に顔を向けた。



 「行くってどこに?」

 「貴方と私がやることなんて一つじゃないですか。犯人探しですよ、犯人探し」

 「今から?」

 「奏君、貴方が今日はフケようって言ったんですよ? 時間があるなら有効に使った方がいいんじゃないですかね?」

 「まあそうなんだけど……」

 「じゃあ決まりですね。ささ、今日は再び探知器を使って痕跡巡りです」



 気を取り直したような調子の鞠猫。なんだか気丈に振る舞っているだけのようにも見えた。いや、そんな必要もないし、彼女自身もそんなつもりはないんだろうけど……俺の心情の所為なのか、そういう風に見えた。



 だから俺が鞠猫に次のように問いを投げ掛けたのも咄嗟のそれだった。深い意味は無く、他意も有りはしない。譫言うわごとにも似た問いだった。



 「鞠猫」

 「え、はい?」

 「俺になんでそんな事を話してくれたんだ?」

 「そんな事?」

 「学校に通ってた理由だよ、俺は好きかどうかしか聞いてないぞ。別にお前の身の上話までは言わなくても良かったんだ。俺は容疑者の一人なんだろ? 個人情報は出来るだけ打ち明けないほうがいいじゃないか」



 俺に振り返った鞠猫は俺をジーっと見つめた。俺もなんでこんな事を聞いているのか自分でも意味が分からなかった。けれど聞きたくなっていたんだから仕方がない。



 「────確かになんででしょうね」

 「えぇ?」



 予想外の彼女の答えに俺が疑問を浮かべる番だった。



 「分かりませんね自分でも。なんでそこまで言っちゃったんでしょう」

 「え〜……大丈夫かよお前」



 彼女の無用心さに俺が危惧するが、そうしたら鞠猫はクスリと笑った。



 「大丈夫ですよ、私そこまで無自覚ではありませんから」

 「いやいや、今なんで俺に話したのか分からないって──」

 「───違いますから」



 そして彼女は俺を真っ直ぐに見た。



 「奏君は犯人じゃないってもう分かりましたから」



 俺は意表を突かれてしまった。



 俺は喉の奥がつっかえたようになって、口を閉ざした。今言葉を発せば何か変な声が出るだろう。そんな確信を得た。



 鞠猫はそんな俺を見て少しだけ笑んだ。



 「だから話したってのもあるのかもしれないですね。貴方は犯人じゃないと私は思います。確証はないですけど……」

 「鞠猫……」

 「だからといって協力しないってのはナシですよ? ま、奏君が街で起きている事件を見過ごせる人間だっていうなら別ですけどね。人より優れた力を持っていながら、それを役立ててくれない人だとは思いませんが……ね?」



 意地悪くそう言って彼女は駅の方へと歩いていく。

 


 「……手伝うのは構わないけどよ……なんだよ、いきなりだな、いつから俺の疑いを撤回してたんだ?」

 「別に撤回したわけじゃないですよ。限りなくゼロに近くなっただけです」

 「なぜ?」

 「この4日ほど貴方と行動を共にした結果から出した答えってだけです。理由はありません。なんとなく貴方じゃなさそうだと思っただけです。あと、あんなに女の子を嫌っている貴方では女の子から精力を奪うのも苦行にしかならなそうですし……そういった点も可能性を低くする要因ですかね」

 「……ようやく分かってくれたのか」

 「ええ、ようやくです。けれど怪しい行動をすれば即刻封印しますけどね」

 「封印?」

 「殺したってすぐに再生してしまうでしょう? だから奏君の場合は封印して身動きを取れなくした方が有効だと思いますのでそうします」

 「こえーな……」

 「ある意味死ぬより恐ろしい目に遭いますよ」



 そう言って鞠猫は意地悪く笑った。



 そうして先を歩く彼女。完全とは言えないけれど彼女からの疑いが薄まった事は少しだけ嬉しかった。そしてそんな気持ちは生まれてはじめてだった。



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